第四章 ブーケ⑭
深夜のオフィス。
学生時代もそうだが、この時間は心が騒ぐ。
窓の下を覗いた。
オレンジ色の街灯が、はり巡る道路を浮かび上がらせていた。
(まるで大河のようだ)
そう思った刹那、心にさざ波が立った。
借りた写真を取り出してデスクに置いた。
裏面の名前をひとりひとり指で辿った。
佐々木太一郎『コヒマ』
武井順『チンドゥイン川』
中野誠之助『チンドゥイン川』
国井義光『チンドゥイン川』
指が止まった。
——彼女は何故、国井義光と口にしたのだろう。
表面の写真の国井義光は北浦さんと似た年嵩の青年だった。
一人だけ歯を見せて、屈託なく向日葵のように笑う表情に胸が痛んだ。
不意にオフィスの電話が鳴った。
携帯電話の番号は表示されているが、登録にある番号では無い。
ブン屋時代、深夜の電話は特ダネと相場が決まっていた。
私は、受話器をひったくるように掴んだ。
「はい、たてかべタウンです」
『よかったぁ、繋がった』
安堵を口にしたのは女性の声だった。
『こんな真夜中にすみません。遠藤さんは、もう帰られてますよね?』
ああ、これは香織さんだ。
「私です、遠藤です!香織さんですね」
思わず身を乗り出してしまった。
『ああ、良かった。スマホに直接は寝ていたらと思ったんです。事務所なら宿直記者とか居るかなって』
「そうだったんですね。でも実は居たのはたまたまなんです。ラッキーでした」
そう言って笑いながらメモ用紙を手繰り寄せていると、受話器の向こうからも笑い声が漏れた。
『十一年前に見た名前は亡霊の名前でした』
クスクスと笑った後、一瞬の沈黙を挟んで彼女はそう言った。
壁掛け時計の刻みが、やけに大きく聞こえた。
午前二時にする話ではない。
「国井義光——」
湿度を帯びた空気が、冷えてまとわりつくのを感じた。
『あれは十一年前。祖母の荷造り中に見つけた位牌から始まりました——』
用意したメモ用紙が次々に埋まっていった。
(嘘だろ)
聞き終えた最初の感想だった。
先日の初対面の時に『祖母の名誉の為』とボカシた部分も全て話して頂いた。
「香織さん、これをあなたが一人で調べたのですか?」
身内とはいえ、一人の——
いや、絡み合った人間の縁の糸を解すように調べただなんて、信じられない話だった。
『でも、北翔だけが分からないまま残ったのです』
「なるほど。確かに北翔は触れなくても謎が解ける——言わば盲腸ですからね」
『ええ。でも......』
「十一年越しに再会した名前は、死者のものだった」
大きく息をつく音が聞こえた。
「こちらで調べてみます」
任せてくださいとは言えなかった。
それでも『お願いします』と言われた時には、負託されたようで身が引き締まった。
「明日は法務局だな」
受話器を置いて独りごちると編集部を出た。
今日は一旦帰ろう。
仕事に心が踊るのは久しぶりだ。




