01 元気だといいですけど
トン、トン、トン。
一定のリズムで小さな音がしている。
トン、トン、トン。
ミアンナは一枚の紙を左手に持ち、それをじっと見つめながらゆっくり卓を叩いていた。
普段、彼女の決断は早く、迷ったり悩んだりしている様子をほとんど見せない。仮に迷っていれば「周りに意見を求める」という決断をして話しはじめる。
だがいまは、どんな決断であれ、時間がかかっているようだった。
「――ヴァンディルガに共有はしない。ルカ殿であれば、ある程度の開示をした上で『確定ではない』『情報のひとつ』ということを理解するだろうが、別の人物である以上、曲解される可能性が高くなる」
しばらくしてから、ミアンナはゆっくりそう言った。
「無論、事実であると確定すれば開示する。だが現状、『疑わしい』の域を出ない」
「それがいいと思います」
ほっと息を吐いて、リーネはうなずく。
「ルカさんに隠しごとをするのは何となく気が引けますけど……今回は別の候補生さんなんですね」
ヴァンディルガ側の調査員について回ってきた知らせに、ルカ・アールニエの名はなかった。そこには「鋼嶺隊候補生ナシム・エンテ」「対魔術研究所員ツァフェン」というふたつの名が並んでいる。
「先日の後片付けのようなものだ。ルカ殿を任命するのが自然だが、ルカ殿に何かあったか」
「な、何かって……」
「有り得ることとしては、はっきりしない結果を持ち帰ったと思われたための、人員交替。それとも、続いている出来事であることを無視して、候補生の訓練の一環ということにでもしたのか。或いは、体調不良や負傷」
「……元気だといいですけど」
「同意する」
ミアンナは連絡用紙を置いた。
「それで……その、ミアンナさん」
「ハイム前統理官が本当にサテラ殿を訪ねたのかは判らない。私自身はハイム殿と面識がないし、マーナ殿の話してくれた人物の雰囲気がイゼリアの持つ印象と一致していても、証拠にはならない」
昨晩、戻ってきたイゼリアには懸念を伝えた。
サテラの式盤に刻まれていた構文が、簡素ながらあまりにも効率的で、目立った功績のない汎理術士のものとは思いがたいこと。
テオザの持っていた式盤の構文がその作りによく似ていたこと。
地下で発動した理術にはテオザと別の式盤が使われており、構文は残っていないが、ミアンナ自身が同じ構文であると感じていたこと。
ここまでは以前の事件のときにまとめた内容だ。
問題はこの先。
サテラが亡くなる直前に「約束がある」と言って訪れた人物。「公務官のような雰囲気」「老人」「堅苦しくなく、むしろ気さく」と説明された人物像に、ミアンナはこれまで話に聞いていたハイムの知らぬ姿を思い浮かべた。
非常に優秀で、「やんちゃ」なところがある老理術士。町では「改造さん」と呼ばれて親しまれ、支部員たちは尊敬と好意を抱いている。
その印象が一致しているように感じた。
だが、根拠としてはごく薄い。そうした雰囲気の人物はほかにいくらでもいるはずだ。だからミアンナは、そうではないことを知ろうとした。
しかし出てきたのは、合致する時期、確かにハイムがサレント自治領にいた、という証だった。
「昨晩イゼリアも言っていたが、たとえそれが本当にハイム殿で、サテラ殿と交流があり、彼女の望みに合わせて制限をかけられた式盤に最大効力の構文を記したとしても、それは何も罰せられない行為だ」
理術の私的利用については理術士自身の裁量に任されている。ただ、「利益を得てはならない」とだけ決まっており、「理術を売る」ことは断じてならない。
つまり、家族や友人に少し都合するくらいは目こぼしされる。天秤に仕える理術士たちの倫理観は強く、その程度の決まりごとで充分なのだ。
となれば、もしハイムが死の床にある友人の希望を叶えてやろうと思ったとして、そこに違法性はない。むしろ、かつて支部の面々が頭を抱えたように、「賭けに負けて理術で支払ったらしい」という昔話のほうが問題だ。
「言ったように『疑わしい』に過ぎない。この段階で話を進めるのは、冤罪を作ることになりかねない」
テオザのように、とは言わなくてもいいだろう。
「ただし、自国の評判を守るために隠したとは取られないよう、注意する必要はある。共同調査でハイム殿を示す手がかりがあれば、公正に話そう」
天秤を保つためにこそ誠実であるべきだ。ミアンナはそう考えた。
「問題は、テオザさんの式盤ですよね……」
リーネの声が暗い。彼女もハイムを直接は知らないものの、支部員たちが前統理官を好いていることはよく知っているのだ。
「今後取るべき真っ当な手段は、ハイム殿への聞き取り。しかし万一、彼が本当に無差別殺人未遂の計画者にして実行者であるなら、正面から尋ねに行くのは愚策でしかない」
ミアンナは言葉を濁さずに言った。リーネが無言になる。
「ともあれ、今日はテオザの話を聞ける。ハイム殿に関する疑念は一旦胸にしまって、状況を整理しよう」
自分に言い聞かせるかのようにミアンナは軽く手を打ち鳴らした。
「下手に悩んでいればツァフェン殿に勘付かれる」
これは軽口でもあれば心からの警戒でもある。ハイムのことがなかったとしても、あの対魔術研究所員には気をつける必要があった。
「そう言えば、ツァフェンさんのこと……その……普通にしてていいんでしょうか」
言いにくそうにするリーネに、ミアンナはうなずいた。
「もちろん、かまわない」
「でも、その、『正体』を知っていると気づかれたら」
「彼は、自分自身が魔族であることを隠していないと思う。いちいち言わなかっただけ」
どうにも奇妙な存在だった対魔術研究所員ツァフェン。「変わり者」という範疇で済ませることができなくなったのは、彼がテオザの居場所を特定したときだ。
ツァフェンが「本気を出す」と言い、操った術は異質だった。魔力のようで、明らかに異なる力――妖力とも呼ばれるそれをミアンナは間近で感じた。
あのとき彼女は気づいたのだ。ツァフェンが、魔族と呼ばれる人外であることに。
人間の近くで暮らす魔族は、珍しいが皆無ではない。「人間の近くで暮らせる」ということは、人間と同等以上の知能があり、かつ、極端に敵対しない――つまり、人間を襲わない種族、ということでもある。
そもそも「魔族」というのは総称で、「魔物」と同じような大きな括りだ。さまざまな魔物が存在するように、魔族にもいろいろな種族がある。なかには人間を食料とするような怖ろしい存在もいると言われるが、この辺りはおとぎ話の域を出ない。
ただ確実なのは、妖力を持つ人外はこの世に存在しており、ツァフェンはそうしたモノだ、ということ。
(対魔術研究所が人外の巣窟である、とまでは思わないが)
(ツァフェン殿だけではない、と思っておくべきかもしれないな)
何も不気味だの、不快だの、怖ろしいだのとは思わない。いや、力の質が見極められないという点では怖ろしくも思う。だが面と向かって話せて言葉の通じる相手なら、話を曲解した上に後ろから攻撃してくる人間より余程上等と言うものである。
ツァフェンに関して言うなら、ずれたことを言ったりミアンナの言葉を捻じ曲げて返してくるようなこともあったが、あれは意図的だ。彼女らの様子を見るためだ。その理由が研究所の指示であれ、本人の趣味であれ。
「ミアンナさんは、ほかに会ったことあります? ほかの、魔族の人」
「直接的な交流はないが、王都で何度か見かけたことはある」
「王都で!? そんな普通にいるんですか!?」
「目立たないでいることができる、というのが人の間で暮らす人外の特徴。ツァフェン殿は少々悪目立ちするが、あれは対魔術研究所という殻を持っているため」
「対魔研なら仕方ない」とヴァンディルガ人全員が考えているとは思わないが、「理術士とはこういう性格だ」「鋼嶺隊員はこういう人物だ」と傾向で語られることはどこにでもある。ツァフェンがどれだけ突拍子もない言動をしても「成程、対魔研だ」で済まされそうではあった。
「じゃあ見た目では判らなくて、妖力? とかでないと区別できないんですね」
「敵対しない限り区別の必要はないと私は考える」
それがミアンナの結論だった。
もし敵対することになれば、ツァフェンもルカも冷徹な区別の対象になる。
(そんなことにはしたくない)
天秤の均衡は守られなければならない。
ルカには同じ思想が感じられた。しかし。
(今日やってくる鋼嶺徒は、果たしてどういった人物か)
ミアンナは気を引き締めた。
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