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理術士の天秤~調律院の業務は平穏であるべきです~  作者: 一枝 唯
第九章

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10 念のため

 それからミアンナは学び会の行われている場所を含むいくつかの質問をしてから世間話に移り、リーネはタマラ、マキ姉妹と覚えてきた手遊びで親睦を深めた。


「子供向けの学び会なんてあるんですねえ」


 やがて頃合いを見て挨拶と礼をし、ふたりは訪問宅をあとにした。歩きながらリーネはそんな感想を洩らす。


「サレントは二大国に挟まれていることもあって、教育に熱心」


 端的に言えば「食い物にされないため」の教育は大事だ。ケンブのような人物にはおそらくそうした思想がある。


「どうします? ケンブさんを訪ねるんですか?」

「そこまで行くと『調査』になりそう」


 今日の名目はあくまでも「以前知り合ったサレントの住民に挨拶をする」だけだ。無許可理術に関わる調査をヴァンディルガ抜きで行えば〈無傷の腕に包帯を巻く〉ようなことで、不要な警戒を抱かれかねない。そこにはミアンナも同意している。


 だから今日は「挨拶のついでに話したら少し情報が出た」という体裁なのだ。イゼリアに意図を隠すつもりはなかったが、開けっぴろげに告げれば応理監としては許可を出せない。なのでミアンナはほのめかし、イゼリアは気づかないふりで送り出した。

 その信頼を大事にするなら、今日はあまり踏み込むべきではない。


「場所の確認だけしておこう。学びの会の取り組みに興味を持ったとすれば不自然ではない。わざわざケンブ殿を訪ねれば過剰だが、もし彼らしき人物がいたら話を聞くこともあるかもしれない」


 ミアンナが提案するとリーネはうなずき、悪戯の共犯者のようにふふっと笑った。


―*―


 幸か不幸か、たまたまケンブが散歩に出てきたというようなことは起きなかった。ミアンナたちは、古いが立派な屋敷を外から眺めて通り過ぎるだけになった。

 もとより、そこまで期待はしていない。だいたい、「サテラがかつて教師をしていた会の管理者」から重大な話が聞けるとも思えなかった。


(予断は危険でもあるが、調査を再開すれば聞きにくることもあるかもしれない)


 この時点であまり先走っても仕方ない。


 そもそもサテラの交友関係を気にかけているのは、サテラの式盤に刻まれた構文の作り手が、テオザの事件に関係する「正体不明の理術士」ではないか、という疑いのためだ。それも、確たる証拠があるでもない。

 もちろんミアンナは、ラズト支部の副理術士であるジェズルや、理術士ではないが知識の深いイゼリアにも共有しており、ふたりも「同じ術者の手による可能性はある」と見ているが、やはり証立てられたとは言えないだろう。


「ほかに寄っておきたい場所はあるだろうか?」


 ミアンナが尋ねたのは、繁華街でいくつかの買い物を済ませたあとだった。

 休日ではないので私用は控えたが、支部への土産――前にイゼリアが持たせてくれた香辛料や、みんなで使える備品など――の購入なら業務の範疇だろうと判断したのだ。制服姿でないのだし、たとえ外交使節所の人間が見たところで咎められはしないが、引ける線を引くことは彼女らの習慣のようになっている。


「わたしは大丈夫です」


 少し考えてからリーネは答えた。


「では戻ろう。所内で調べることもできた」

「え?」


 ミアンナの言葉にリーネは目をぱちくりとさせる。


「何です? 学び会やケンブさんのこと……じゃないですよね」


 一街区の有志が行っている仕組みについてなど、カーセスタの外交使節所が記録しているはずもない。ケンブが実はカーセスタにとっての危険人物でもあれば別だが、おそらくそうしたことはないだろう。


「理術士の入出領記録」

「え? でもそれは調べてもらったんじゃ」


 不自然な訪問は見当たらなかった。目的や回数、日数なども妥当なもので、仮に偽装があっても現時点では見抜けない。そんな話だったはずだ、とリーネは首をかしげた。


「サテラ殿の亡くなる直前、サレント自治領内にいた人物を確認したい」


 ミアンナがそっと話す。かすかに息が白い。


「『約束』の人物が理術士かもってことですか?」


 リーネもミアンナの推測を理解し、寒さに手を擦り合わせながら返す。ミアンナはただうなずいた。


「公務官っぽくてミアンナさんっぽい……有り得ますね……」

「曖昧な印象には過ぎないが、念のため」


 ミアンナはそうとだけ言った。判りました、とリーネはうなずいた。


「……何だか朝より寒くなってません? また降るかなあ」


 見上げるリーネに倣ってミアンナも空を見た。

 どこまでも続く分厚い雲の白さは目に痛く、まるで視界を奪うかのようだった。


―*―


 外交使節所に戻った彼女らは、少々の頼まれごと――理術に関する資料の読解――に手をつけながら、イゼリアの空き時間を待った。サレント自治領の外交担当首位は、時にラズト支部の統理官よりも忙しい。


「どうした、何か判ったか」


 外出前の数十分(カイ)なら時間が取れるとしたイゼリアだが、実際には支度をしつつ、ワコの告げる予定を確認しながら、ミアンナたちに応じる形になった。


「何も調べに行った訳ではないが」

「『偶然』話題に出たことが気になったんだろう? かまわんから話せ」


 一応体面を保とうとしたミアンナに、イゼリアも一応保ちつつ手招いた。


「理術士の入出領記録をもう一度調べさせてほしい。期間が絞れたのと……」


 ミアンナはふっと言葉を切った。


「それから?」


 イゼリアは促す。


「込み入った話になる。ゆっくり時間が取れる時に頼みたい」

「ふむ? 判った、遅くなるかもしれんが」

「かまわない」

「応理監、そろそろお迎えが」


 執務佐がやってきた。


「いま行く」


 そう返してからイゼリアはもう一度ミアンナを見た。


「専理術士は所内の書類のほとんどを見る権限がある。ワコに言って何でも見ていい。では行ってくる」


 慌ただしく応理監は部屋をあとにした。それを見送った秘書官ワコがすっとミアンナたちの方に向き直る。


「ではクネル専理術士。お望みのままに」


 眼鏡をくいっとあげて、ワコはかすかに笑みを浮かべた。


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