03 よくご存知のようだからです
ギータの話によれば、その人物は三十歳前後の男である。服装は汚れていたが、旅路にある者だと思えばそれほど不審でもなかったそうだ。
「調律さん」たちのようなきっちりした感じはなかったが、先ほど女将が言ったように「野良」の理術士、つまり調律院に属さない理術士がいるならそんな様子でもおかしくない、と思ったらしい。
「とは言え、旅の理術士なんて聞いたことねえなとは思いましてね。みんなちらちら周りを見て『こいつ大丈夫か?』って様子ではありやした。ただ……」
ただ、そんななかでその自称理術士が言い出したのが、「病を治して、たいそうな礼金をもらった」という話だった。
「たいそうな」金額をもらった割には汚れた格好だったためもあり、みな半笑いで話半分に聞いていた。しかしなかには、本当に治せるのかと問う者もいた。
「どれくらいかかるんだ、とかね。やめろよって周りから止められましたが……正直俺も、もし小金でかみさんの咳が楽になるなら悪い話じゃねえなと思っちまいまして」
「……詐欺師の手口だ」
ミアンナは語気が荒くならないよう気をつけて言った。自分であれ親しい誰かであれ、病を治したいと思う者を責めはしない。
「そうっすよねえ、そんなうまい話はない。理術士様にそれができるなら調律院は大忙しでしょうや」
病を治さなくても調律院は大忙しだが、そこはジェズルもミアンナも指摘しなかった。
「その男は、何と言うか……『客』を探している様子でしたか?」
ジェズルが尋ねた。ギータは両腕を組んで思い出すようにする。
「気軽に相談を、なんてことは言ってたかな。誰かが『適当な予言で酒を奢らせる気だろう』とか言ってみんな笑って……相談しますなんて奴はいなかったと思いますね」
ギータの様子からは、「旅人のホラ話を楽しんだだけ」という雰囲気が見て取れた。
ラズトの町を通過する旅人は珍しくない。多くは商人たちだが、サレントやヴァンディルガと交流を持つ者も皆無ではないからだ。
つまり、「旅人の話を楽しむ」ということはラズトの食事処の夜によくあることと言える。「ホラ話」も咎めるものではなく娯楽の一種で、ひと晩笑ったあとは忘れてしまう。
しかし、気にして支部にまで言いにきた者がいた。「面白い与太話」と思わず奇妙に感じた者も多かったようだ。
「式盤を持っていたのだったな?」
ミアンナは確認した。与太話で終わっていないのは、おそらくそこだと。
「へえ、やたらと見せてましてね。誰かが理術士様の式盤を知ってて、それみたいだと言ったら得意満面で『理術士の証だ』と」
厳密に言うなら、式盤を持つだけでは理術士の証明にならない。しかし実際、ミアンナやジェズルも式盤を見せて調律院の理術士であると示すことはあった。
「最初はみんな信じちまって、まじか、すげえ、調律さんみてえだ、って持ち上げちまいました。ただ、何かやってみせようかとか、病気を治せるなんて言い出したもんだから、変だぞってなったんすよ」
理術士が術をひけらかしたりしないことをラズトの住民は知っている。癒しの技については確信が持てなかったようだが、調律院で治療をしている様子はないと気づけば、おかしいと思っただろう。
「では実際に『何かをやってみせ』はしなかった?」
「俺は見ませんでしたけど、手品みたいなことはしてたらしいっすよ」
ミアンナとジェズルは念のために互いを確認した。どちらもそっと首を振る。つまり、ふたりとも理術は検知していない。これまでの話からすれば当たり前とも言えるが。
「ほかに何か気づいたことはないだろうか。どんな些細なことでもいい」
「うーん、そうっすね……ああ、お城の密命を受けてるとか言ってたな? 密命言ったら駄目だろってさすがに全員突っ込んでました」
そうしたこともあって、本気で信じる者はいそうになかったようだ。
「どこへ向かうなどとは言っていなかったか」
「うーん……」
「宿は。どこに泊まるというようなことは」
「ああ、そう言えばリッケが、面白いからうちに泊めてやるとか口走ってました」
リッケは小さな宿屋の主人で、普段から旅人を泊めているが、冬に向けては閑散期で部屋が空いているらしい。だから商売っ気を出したとも言えるのだが、面白がったのも本当だろう、とギータは付け加えた。
「有難い」
宿屋の主人は夜まで仕事があるため、外に飲みに出ていたのなら遅めの時間帯だったと推測できる。その頃まで一緒に飲んでいたのであれば、当の「理術士」もまだ動き出していない可能性が高い。
彼女たちはリッケの宿の場所を教わると、女将とギータに礼を言ってそちらに足を向けた。
相談しなければならないこともある。
―*―
まずジェズルは、リッケという宿の主人は顔見知りではないと言った。
つまり、「調律さん」であることに気づかれる可能性は低いと。
「気が引けるのではなかったのか」
理術士であることを隠して話を聞くのは騙すようで抵抗があると、道すがらジェズルはそう言っていた。ミアンナが尋ねるのは皮肉ではなく、何か心が変わる理由があったのか、という質問だ。
「いまのところ、『理術士を気取って、もてはやされることが目的』という様子で悪意は感じませんが、もし金を取っているようであれば問題ですから」
「客」のふりをして金の話をさせ、言い逃れできないようにする、というのは意地が悪いものの手段のひとつだし、カーセスタの法にも触れない。となれば倫理観どちらに振るか――「騙すのはよろしくない」という道徳か、「犯罪の芽を潰す」という正義か。
灰色を白とするか黒とするかは、状況や立場にもよる。得た情報次第で意見を変えることもあるだろう。
ジェズルの状況と立場は変わっていないと感じられた。となれば、何が彼の意見を変えたのか。
「金を取っていたという確実な情報もない」
ミアンナは指摘した。ジェズルは片眉を上げる。
「私の立ち位置を確認なさっていますか?」
「そう。問題の相手の前で、これは許されるの許されないのと私たちが言い合う訳にいかない」
「そうですね……」
副理術士は少し躊躇って、それから口を開いた。
「ミアンナ殿の姿勢が明確だからですね」
「私に合わせると?」
「ええ」
「私が統理官だから?」
「それもありますが、どちらかと言えば、詐欺師の危険をよくご存知のようだからです」
静かな返答にミアンナは少し黙った。
「……態度に出たろうか」
「少々」
「すまない」
「謝罪なさる理由はないかと」
ごく普通の温度でジェズルは言い、ミアンナは感謝の仕草をした。
「給仕やギータ殿の話からすると、資格はもちろん魔力もなく、ろくに理術のことも知らないままで理術士を名乗る、ただの酔っ払い。しかしギータ殿の話は少々割り引いて考える必要がある」
彼が嘘をついたと言うのではないが、ミアンナらが調律院の理術士だと知った上での説明だ。意図的にせよ無意識にせよ、「偽物だなんてみんな判っていましたよ」という雰囲気にして伝えてきた可能性もある。
「最初はギータ殿も、病気を治せるのか、という点について気にしていましたね。彼自身が家族のために依頼したいという気持ちも皆無ではなかった。ほかに、もっと強い気持ちを持った者がいたかもしれない」
ジェズルが言うと、ミアンナの眉間にしわが寄った。
「……病を癒すという部分が特に引っかかっておいでだ」
「……すまない」
ミアンナはわずかに息を吐いた。
「いえ」
静かにジェズルは首を振る。
「あったんだ、以前に。私の身近な人物が、それこそ家族のために、騙されて全財産を投げ打ってしまったことが」
必ず治ると言われて。それを信じて。
「まだ幼かった私の目から見ても怪しい人物であったのに何故信じてしまうのか、理解できなかった。しかし私が理解できていなかったのは、一筋の希望にすがる人々が呑まれている闇の濃さと、それを知って偽の光で彼らの目を眩ませる悪党の狡猾さ」
「ミアンナ殿……」
「余計な話をした」
彼女は首を振った。
「少なくともいまは不要だった」
「いえ」
ジェズルは眼鏡の奥の目を少し細めて、また否定した。
「有用でしたよ」
数歩の間、沈黙が降りた。




