06 〈掌競い〉
幸か不幸か「何か」は起きず、ツァフェンは翌朝、皇都ディルガン近くにある対魔研に帰って行った。ルカは少しほっとするのと同時に、少し物寂しい感じもした。
(静かになったからかな)
長年の友人、とは言えないが、少なくとも知り合いで、親愛のようなものも皆無ではない。しかし監視者と被監視者であることを思えば心を許せるはずもなかった。ツァフェンとの関わりは、向こうが人外だとかと言う以前に、まずはそこだ。
「おう、戻ったのか、ルカ」
声をかけてきたのは、ルカと同じ候補生のひとりだった。
ダルフ砦にいる鋼嶺隊候補生は現在十名弱。二十五歳前後の者がほとんどだ。
ヴァンディルガ皇室の近衛隊のなかでも皇帝直属となる鋼嶺隊は、意外にもと言おうか、血筋を重視しない。ヴァンディルガの始祖たる〈鉄嶺公〉は何もないところから力でのし上がった人物であることから、その精神性を受け継ぐ伝統だ。
ミアンナが考えたように、能力さえあれば生まれも問わない鋼嶺隊は、純粋に能力だけで採用される調律院と、意外な共通点があると言えた。
「昨日帰ってきたばかりじゃないか? もう巡回任務に?」
もうひとりが尋ねてくる。どちらもルカより五つ以上年上だが、候補生にまでなる人物だ。変に先輩風を吹かすようなこともなければ、単独任務を妬むようなこともなく、ただ彼を同僚としてねぎらっていた。
「休んでいいとは言われたが、動かないでいると身体が固まってしまいそうなんだ」
ルカは冗談めかして本音を言った。ルカらしい、とふたりは笑う。
「それで、街道の様子はどうなんだ? 実は、今日の分の回覧までは目を通せていないんだ」
「仕方ないな、俺が把握している。任せるといい」
横から声を出してきたのはルカよりふたつか三つほど年上の、明るい茶色の髪をした候補生だった。
「ナシム。助かるよ」
ルカはそちらを向いた。ナシム・エンテはルカの次に若い候補生で、ルカが配属されたとき「やっと後輩ができた、これで最年少じゃなくなる」と言って彼を歓迎し、先輩としていろいろ世話をしてくれる。
と、ルカは思っているが、キーリーやほかの同僚に言わせれば印象は違うことになるだろう。
「その代わり、サレントでのことを聞かせろよ。どんなことがあった? お前はどんな手柄を立てたんだ?」
「詳しい話はできない。言えるのは、無許可理術の調査だ、くらいかな」
苦笑してルカは答えた。
「もちろん、鋼嶺隊の名を負って大活躍したんだろうな?」
「候補生の身分で名を負えるもんか」
ルカは手を振り、ナシムの軽口を受け流す。周囲の候補生は少し気遣わしげにそれを見た。
周りの評価はこうだ。ナシムはルカに「最年少候補生」の座を奪われたと感じている、と。
「それで、街道のことは?」
「あ、ああ、そうだったな」
ナシムは咳払いをした。
「巡回路は問題ない。ただ、近隣の村で魔物の目撃談があったらしい。今日はそちら側へも足を伸ばすことになった」
「魔物? どういう類だ?」
対抗装備が渡されていないということは、特殊能力を持つような危険な魔物ではないはずだ。そもそも、その段階になれば本格的に討伐隊が組まれるはずだ、ということもある。しかし魔物の種類によって戦い方が異なる場合もある。確認しておこうとルカは尋ねた。
「いや、回覧には『魔物』としか載っていなくて……」
「獣に毛が生えた程度のもんさ」
口を出してきたのは別の人物だった。
「ちょっと強めの猪、くらいのもん。よう、ルカ」
「有難う、ハドロー」
ハドローは一般兵だ。三十歳前後ほどの年齢で、ごく短い黒髪をしており、「兄貴分」という雰囲気がある。
がっしりした身体つきはいかにも「戦士」という様子であり、ルカも引き締まった身体をしているが、ハドローと並ぶとひょろっとして見えた。ナシムもルカと似たような体格のため、ハドローと並ぶのを嫌がるように少し身を引いた。
「ま、今日は『武器を持った人間が通る場所だぞ』と見せるだけだろう。兵装の人間を避ける程度の知能があるはずだ」
山賊の類は、兵士のいない時間帯などを狙うかもしれない。しかし動物に近い魔物であれば、捕食動物のいる場所を避けるように、村までやってこなくなる。そういう例が多い。
この場合、ハドローの言う「魔物」は、獣と大して変わりない。たいていは異形の姿――たとえば角のある猪だとか、棘尾を持つ狼だとかいう外見をしており、ただの獣よりも知能が高く、強靱であることから警戒は必要だが、特殊な装備などは必要ない相手だ。
「特に交戦もないさ。ただ歩く距離が長いだけ」
「そうした油断は命取りになる、軍兵」
顔をしかめてナシムは忠告した。ハドローは豪快に笑う。
「砦を出る前から気張る必要はねえよ、候補生サマ」
「何だと」
「お、やんのか」
「よせ、ふたりとも」
嘆息してルカは制止した。ハドローはにやにやしたまま、ナシムもしかめ面のままだった。
魔物にせよ獣にせよ、畑を荒らすような類であれば、人間の気配が多い昼間にはあまり姿を見せない。
問題の村の周囲も平穏なもので、ハドローの言うように、「いつもより多く歩くだけ」になりそうだった。それはそれで行軍の訓練になる、とルカ・アールニエなどは思うのであるが、一般軍兵の多くはだらけて歩いていた。
一行は、先行隊、剣士、槍兵に救護士を入れた十名程度の小集団だ。巡回時の班長は位を持つ軍兵と鋼嶺隊関係者の当番制で、今日はナシムだった。若いこともあって軍兵からは少々舐められており、その雰囲気がそのまま彼らの態度に出ていたとも言える。
「かったりいなー、巡回なんざ」
「面白えことでも起きねえかなあ」
「おめーが魔物に食われるとか?」
「ギャハハ」
ナシムのような苛ついた顔こそしないが、軍兵たちの冗談はルカにも面白さが判らない。とは言え、仲間内で笑っているだけなら何も問題はないと考えていた。ただし、もし食われる対象を「村人」にして笑ってでもいれば、苦言を呈しただろう。
やがて村にたどり着くとナシムは班長として住民に話を聞きにいった。その間、ルカが兵士たちの様子を見る。
ニンドスと違い、ルカを「実力もないのに口利きで候補生になった」と考える者はほとんどいないが、荒々しさのない外見は「軟弱だ」という印象になる。一度でもルカと手合わせをしていればその評価は覆るが、新参の兵士はルカを「お嬢ちゃん」などと呼ぶこともあった。
「班長サンが戻るまで待機かあ、暇だな。相手してくれねーか、おじょーちゃん」
案の定、ルカに向かってそんな声がかかる。周りが笑うのはその発言に追従したものではなく、「こいつ、何も知らねえで」であった。
「僕のことか?『相手』とは具体的にどういうことだ?」
まっすぐ彼が返すと、相手は怯んだ。ルカが困るか怒るか、どちらかだと思っていたのだ。
「『相手』してやれよアールニエ」
「ほら、一本勝負するくらい時間あんだろ」
無責任に周りがはやし立てる。ルカではなく自分が標的になっていると気づいた新参兵は戸惑った顔をした。
「僕も身体を動かしたい気分ではあるけれど、村の外れで兵士が剣を出して喧嘩なんて、あまりに外聞が悪い。……〈掌競い〉なら付き合うが」
わはは、と笑い声。〈掌競い〉とは子供の遊びで、向かい合ったふたりが手で相手を押し引きし、先に足を動かしてしまった方の負け、というものだ。体幹の強さが求められるため、訓練に取り入れられることもある。
「やれよ、ほら、相手してもらいたいんだろ」
「俺らも暇だ、見せもんになれよ」
新参兵は何やら分が悪いと気づくもののもう遅い。後ろから追いやられてルカの前に出てきた。
「よし、俺が号令かけてやる」
ハドローがにやつきながらやってくる。
「『大穴』に賭けるやつぁいるか?」
「ギャハハ、いる訳ねぇ!」
「賭け事は禁止だが」
ルカは咳払いをした。
「いまのは冗談だと思っておくことにする」
「もちろんでさあ、鋼嶺徒サマ」
ナシムなら本気で咎め、報告するとでも言い出すところだが、ルカなら聞き流してくれること、ハドロー辺りはよく把握している。
「両者、位置についたか? 用意……開始!」
ハドローが合図を放つと、先手必勝とばかりに新参兵が仕掛けてきた。ルカはその腕力を真っ向から受け止め、軽く下に引っ張る。と、相手の足はすぐに動いた。ああー、という残念そうな声。
「早すぎんだろー」
「もう少し楽しませろよ、アールニエ」
こうした声は、新参兵に「もっと耐えろ」ではなく、ルカに「手加減しろ」「相手に『勝てるかも』と思わせたあとでこてんぱんにしろ」と言っている。ルカは肩をすくめた。
「僕の戦法じゃない」
「――何を騒いでいるんだ」
そこにナシムが戻ってきた。的外れな説教でもはじまってはたまらない、と兵士たちはしれっと解散する。




