05 鈍獣と豆姫
改めて報告書の提出を終えると、この日の任務は終わりだった。まだ日は高いが、あとは休んで明日以降の通常任務に備えろ、ということだ。
もっとも、サレント自治領での任務が入ると移動時間も多くなるため、結果的に日々の訓練を怠っている。ルカは明日以降のためにも身体を動かしておきたくて、修練場に向かった。
「ルカ! おかえり!」
喜色満面で彼を迎えたのは柔らかい金髪を持つキーリー・ハディングだ。大きい目や少し丸顔であるところから幼く見られることが多いが、ルカと同い年である。
「よかった! 前のときより遅かったから、何かあったかと心配したよ」
キーリーはルカと同じように鋼嶺隊を目指しているが、ルカと違ってまだ候補生にはなっていない。これはキーリーが劣っているのではなく、ルカが異例なのだ。彼はずば抜けた身体能力を持ち、本隊長からも「ぜひ欲しい」と言われているほどの人材だった。
だが、周りはそうは見ない。ルカが優秀であることはもとより、キーリーが劣っていないとも認めない類が存在する。
「ボクチャン、オニイチャンがいなくって寂しかったのおー」
悪意の塊のような声音がキーリーの背後から聞こえた。
「鈍獣と豆姫、いつもながらお似合いじゃねえか」
ミアンナやリーネが聞いたら驚きのあまり口を開けそうな罵倒と、ギャハハという数名の笑い声。キーリーはうつむき、ルカは振り返った。
「寂しがってくれたのか、ニンドス。光栄だよ」
「ふざけんなよ、てめえ」
ダルフ砦の大半は庶民から成る志願兵で、乱暴な者も珍しくなかった。彼らの間に限って言えば、カーセスタ王国での偏見――「ヴァンディルガ人は野蛮」というような――も偏見と言いがたいくらいだ。
公正に言うのであれば、どこの国、どこの地域、どこの大陸でも、国を守る兵士たちや戦士といった職業の者たちにはそういう傾向が強い。戦って相手を打ち負かしていく気性が、彼らには必要だからだ。
だが平穏な時代には、戦うべき相手がいない。その結果としてニンドスのように、手近なところで「打ち負かせる者」を探し、鬱憤を晴らす者が出てくる。
「おい、ちょっと単独任務を受けたからって調子に乗ってんじゃねえぞ、アールニエ」
ニンドスはずかずかとルカに歩み寄ると、真正面から睨みつけた。ルカは背が高い方だし、体格もしっかりしているが、筋骨隆々と言うほどではない。一方でニンドスは、ルカよりは背が低いもののがっしりとしていて、見るからに「力自慢」という雰囲気だ。
「ドレイクス鎧帥に媚び売って候補生になってもなあ、化けの皮なんざすぐ剥がれんだよ!」
ルカは顔色ひとつ変えなかった。アルドリックとの交流がある以上、これくらいのことを言われるのは最初から覚悟の上だったし、ニンドスの捨て台詞はいつもこの手の内容で、変わり映えしないのだ。
怒りも言い返しもしないルカをどう思うのか、ニンドスは案の定、その言葉を最後に踵を返した。数名の取り巻きもそれについていく。
「ご……ごめん、ルカ。ぼくが騒いだせいで」
キーリーが細い声で謝った。ルカは肩をすくめる。断じてキーリーのせいではないが、そう言って慰めたりはしなかった。ああした連中にキーリーが「豆姫」だなんて言われる理由を増やすつもりはないからだ。
「戻って早々ここにきたのは、馬車に揺られて身体が固まりそうだったからなんだ。何本か相手をしてくれないか」
代わりに彼は手合わせを申し入れた。キーリーは嬉しそうに了承した。
―*―
うわー、という呆れた声にルカは振り返った。
「まだいたのか、ツァフェン」
「ひどー。ルカくんにご挨拶なしで帰っちゃうほど此方は礼儀知らずじゃないよお」
「本当は?」
「サレントから戻り次第閣下くんとご飯行って報告書提出して訓練してきたとか、働き者すぎーって思ってた」
「何を思って『うわー』と言ったかを尋ねた訳じゃない。ダルフ砦に残っている理由を聞いているんだ」
丁寧にルカはツァフェンのごまかしを潰した。
「ルカくん」
「何だ」
「『鈍獣』だって? ウケる!」
「聞いてたのか。いまにはじまったことじゃないよ」
本当に何とも思っていないので、ルカはただ受け流した。
「しつれーだよね、ルカくんこう見えて敏捷なのにね」
「そういうことを言ってる訳じゃないらしい。僕の感覚が鈍いんだと。かっとなって立ち向かっていかないからかな」
「かまってもらえなくて鈍獣扱い! ウケる!」
「……そんなに言いたくないことなのか? 対魔研から言うなと命令でも? それなら無理には聞かないが」
ルカの台詞は純粋に「理由があるなら言えないと言ってくれていい」なのだが、ツァフェンはそう取らなかった。
「あのさあ、ルカくん」
ツァフェンはぼさぼさの白髪をかいた。黄色い瞳が妙に光って、いつもの力が抜けたような表情が消える。
「ニンゲンが此方に命令できるワケないでしょ」
――対魔研に所属する者は、魔力とは違う特殊な能力を持つと言う。
少なくともツァフェンは「感情の痕を見る」と自称する力、あるいはそれに類する力を本当に持っている。
だが、まことしやかに言われるのは、それだけではなかった。
対魔研の異能力者たちは、人間ではない、と。
「判ってるよ。ツァフェンが対魔研にいるのは『面白いことがある』からで、『職に就いてる』つもりなんてないことくらい」
ルカは、これについても事実を知っている。
ツァフェンというこの男は、ルカが子供の頃から――彼の父が、彼の祖父が子供の頃から、ずっと同じ姿をしている。
「そ! だから此方は好きにやってるだけ。強いて言うならもうちょっとルカくんと一緒にいたいからかなー」
「光栄だよ」
ルカはニンドスに言ったのと同じように言った。もっともツァフェンには悪意がない――悪くない、ではない――だけましだ。
「ねえねえ、閣下と何話した?」
(聞きたいのはそれか?)
無邪気な様子で問うてくるツァフェンだが、本当にツァフェンが無邪気だなどとルカは思ったことがない。どんなものであれ、彼には目的がある。
「サレントに行くまでもあまりお話しする機会がなかったからな、まとめての近況や、剣技の話なんかをしたよ」
もっとも、アルドリックとの話について隠すこともない。ルカは正直に返事をした。
「ミアンナくんのことも話したでしょ!」
また出た。ルカは唇を歪める。
「それは、少しはした。お前があんな言い方したら閣下だって気になさる。聞かれたんだ」
仕方なくルカは認めた。
「ねえねえーなんて言った? ちょっと気になってますって言った?」
「やめろ思春期」
まとわりついてくるツァフェンをルカは振り払う。
「真摯な態度や迅速な決断力、実行力があって尊敬できる女性だと話したよ」
「好きじゃん」
「そりゃ嫌いではないさ」
「じゃ、リーネくんは?」
「え?……そうだな、彼女もミアンナのことが好きなんだろうなというのが端々から判る。補佐役という業務的な関係を超えて彼女を助け、守ろうとしている様子が……何だよ」
ツァフェンのニヤニヤが大きくなっていくのでルカは言葉を止めた。
「ほーら、ミアンナくんのことはミアンナくん中心、リーネくんのこともミアンナくん中心で見てる。それに、リーネくん『も』だーって! 好ーきなんだ、好きなんだ!」
「もう行っていいか?」
こうして過剰なほど言い続けられると、意識していないものまで意識してしまいそうだ。
ツァフェンの狙いはそこにあるのかもしれない。だとすれば、逆説的に「関わるな」だとは思うが――対魔研かツァフェン自身に何らかの思惑があって、関わらせたい、という可能性も?
(何であれ)
(気持ちを操られるのは、ご免だな)
ルカはそっと考え、揺さぶられることへの警戒を強めることにした。
「あっそーだ、ルカくん。此方、明日の朝には出るから。何かあったらいつでも此方のお部屋にきてね」
「判った。万一、何かあれば」
誠実に返すとやはりツァフェンは笑って「おもしろー」と言った。




