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理術士の天秤~調律院の業務は平穏であるべきです~  作者: 一枝 唯
第七章

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10 むしろ何かが

 そのあと――。

 両大国の使者を「お待たせしている」と気づいた自治領の役人が慌ててやってきて、報告を頼んできた。リーネがまとめて概要を話し――理報官はこうした業務が得意だ――、別の理術使用者がいることを明確にしながら、改めて報告書を記して提出すること、質問や確認事項があればとりまとめておいてほしいこと、こちらからの依頼事項などを伝えた。

 ツァフェンが「やるじゃん」と呟いたのは、リーネが堂々と振る舞っていたことばかりではなく、依頼事項のひとつにしれっと「テオザの調書の共有」を混ぜ込んでいたためだ。


「聞いてもらえるかは判りませんけど、言っておいて損はないかと思って!」


 ミアンナにも「いい案」と言われたことにリーネは頬を紅潮させながら話した。


「式盤についての調査結果は、おそらくそちらには共有できない。しかし私がいる間に判ったことは話せる範囲で話そう」

「うわー、誠実! 此方びっくりしちゃう」

「大丈夫なのか? 罰されるような危険を冒す必要はないから、無理はしないでくれ」

「有難う。もちろん、機密に触れることは無理だし、曖昧な説明しかできないことも多いかと思う」

「充分だ」

「うーん誠実対誠実。やっぱルカくんとミアンナくんは結婚」

「互いの配慮によって国同士の信頼を深めるのは大事ですもんね!」


 個人の話にさせまいとリーネが割って入る。

 そんな話をしていたのは、彼女たちが文書棟を離れ、自治領庁舎前に戻る途中でのことだった。


 朝に庁舎前で集合するのは理に適っているが、解散はどこでやったって問題がない。しかし、誰が言い出すでもなく自然とそこへ向かったのは「区切り」がほしいためだったろうか。


 術者は捕らえられた。

 今回の任務は終わった。塗料缶を破裂させた熱量構文の使用者を特定する、という点において、彼女たちは目的を達成した。

 しかし、別の人物が理術を行った。申請などはされていないだろう。換気機構を鈍らせ、戸枠を凍らせて内部の人間を閉じ込めるような術を行う者が、身分を明らかにして手続きをするはずもない。


 その調査が彼女たちに依頼されるか、現時点では不明だ。サレント側が検知できていない以上、可能性は低い。

 終わっていない。だが、終わった。しかし、とても「終わったこと」にできない。そんなややこしい感覚を振り切るには、何かしらの区切りが必要だった。


「――カーセスタ(こちら)としてはもちろん、危険な術を行ったと思しき理術士の存在を強調していく。その上で、もしサレントが即断すれば、明日には依頼……とまでいかずとも何らかの連絡があるはず」


 庁舎前にたどり着いて数(トーア)、互いに探るような沈黙があったが、ミアンナがそれを破った。


「可能性は低いが、皆無ではない」

「そうだな、ひとまず明日。報告書を提出にくるから、またそのときに様子を見よう」

「ああ。必要なら、内容に齟齬がないか互いに確認を」

「誠実ぅー」


 うなずいてミアンナが言えば、ツァフェンが呆れるのか面白がるのか、茶化す物言いをする。


 ミアンナはルカの判断を信用できると考えており、おそらくルカも同様だ。だからこれはただ、「大きな誤解や間違いがないかを確認し、認識を共通のものにしておきたい」というだけだった。

 加えて、それぞれの「成果」にもなる。「向こうも同様の内容を提出したことを確認しました」と報告できるのは評価につながるだろう。もっとも、ふたりはどちらともそんなことを考えていないだろうが。


 前日にも考えたように、ミアンナが警戒するのは、信用が過剰になることだ。

 相手の報告書を見ていない、ということ自体はあるとしても、「信用しているから見る必要はない」は、彼女の立場上、あってはならない。


「明日の朝だと早くないですか? 上に報告をしてから作りはじめるとなると、結構かかると思いますけど……」


 上の確認も要るだろうし、とリーネがおそらくミアンナの身体を気遣った。


「では午後にしよう。サレント側の調書が整うのも時間がかかりそう」

「そっちは明日の午後でも怪しいと此方は思うけどー」


 町憲兵隊のみならず自治領の役人たちが加わって、ああだこうだと聞き出したり相談したりした結果を二大国に見せられるくらい無難にまとめて上の許可を取る――となると、一日で終わりそうにはない。


「そもそも偽物野郎が観念してさっさと全部話すとも限らないでしょ。此方はもう帰って、今回のことは忘れちゃうのがいいと思うなー」


 全容が見えるほど調書がまとまるまで何日かかるか判らないのに待つのは馬鹿げていると、ツァフェンはそう言うようだった。


「次回を楽しみにしよ?」

「楽しくないだろ」

「……三日だけ待とう。私も赴任地での仕事がある。あまり長くは空けられない」

「ミアンナさん……」


 ラズト支部はゾランとジェズルがいれば大丈夫だ。彼らで二年間回っていた。だが、だからと言って任せきりにはできない。彼女は統理官なのだ。


「僕も早く戻れと言われるかな。でも三日待ってほしいと上に掛け合ってみるよ」

「仕方ないなー、此方が協力したげる。対魔研が要求してるって言えばあの嫌味野郎も帰還命令出せないでしょ」

「有難う、ツァフェン。助かる」


 素直にルカは礼を言った。


「ルカ殿の上官は『嫌味野郎』なのか」


 片眉を上げてミアンナは問うた。


「あー、まあ、そういうところもある」

「そういうとこしかないじゃん! ウケる!」


 ツァフェンが笑い飛ばし、ルカは苦笑いしている。


(成程、若手有望株として煙たがられているが、ルカ殿自身はほとんど気にしていない、というところか)


 鋼嶺隊候補生というのは、カーセスタで言うならどの程度の立場であるのか。カーセスタ王国軍の空気についてミアンナは詳しくないが、近衛隊が生え抜きであることくらいは知っている。技術はもちろんのこと、生まれや容姿も求められると。

 ヴァンディルガは武を誇る国で、極端な言い方をすれば「力があればのし上がれる」という風潮だ。その精鋭部隊は、純粋に実力を見られる――という点で、調律院と似通う。


(となると、ルカ殿の位置は専理術士候補者に近いのかもしれない)

(そうした人物をぞんざいに扱う、というのはよく判らないが……)


 試練を与え、資質をより深く知るという試みは有り得るにしても、嫌味だの蹴落としだのという路線は理解できなかった。


(もっとも、ルカ殿自身はこの調子だ。多少の嫌がらせなどは跳ね飛ばすだろう)


 などとミアンナが考えていたのは、片付いたと言いがたいあれこれから気を逸らすためだったろうか。


 出どころ不明の式盤。構文を書いた理術士。タマラの祖母サテラの式盤に刻まれていた構文との類似性。

 材料がなければ枠は埋まらない。そこに意識を囚われるよりは、いくらか想像に過ぎなくても、材料のある枠を埋める方が建設的だ。


(何も終わっていない)


 しかし、ともすれば思考はそこに戻ろうとした。


(それどころか、むしろ……)


「ミアンナさん、支部への連絡はどうしましょうか」


 リーネが声をかける。ミアンナははっとした。


「そうだな、もう数日こちらに滞在することを伝えよう」


 こうして答えの出ない迷路から引き上げてくれるリーネの存在は、リーネ自身が思っているよりずっとミアンナの助けになっていた。

 そのままミアンナが、このあと行う処理や作業の話をしたのは、妙な感覚を振り払うためだったかもしれない。

 終わっていないどころか、むしろ何かがはじまった――そんな曖昧すぎる感覚を。


[第八章へつづく]

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