02 日々の流れは早いものだ
もっともこの日中に、ジェズルは再び資料塔に足を運ぶこととなる。通信が次のような内容だったからだ。
「過去五年間における、ラズト支部からのサレント自治領訪問記録、ですか?」
ミアンナ・クネル統理官からやってきた指示は、それをまとめておいてほしいというものだった。
「理術士、つまりハイム殿とジェズルの分。それからレオニスの同行や、私が行ったこともあったな。あとは……」
「王都から理術監がやってきて案内したこともありました」
指折り数えるゾラン・モルディス副統理官に、ジェズルが補足した。
「そう言えばあったか。念のため入れておこう」
「失礼ですが、理由は記載がありましたか?」
まず概要を伝えられたジェズルは、そこを尋ねた。ゾランは指示書を渡してくる。彼が見てもかまわない内容のようだ。
「サレントの理術使用申請者として記録されている名前と齟齬がないか、確認したいそうだ。同行者も参考として、と」
「申請に不審な点があったのでしょうか」
読みながらジェズルは首をひねった。ラズト支部から訪問した理術士が使用許可申請をする、というだけのことに誤りが生じる状況が思い浮かばない。
「考えられるとすれば、支部の理術士がきていない時期に申請記録がある、というようなことかもしれん」
ゾランも腕を組んで、事情を想像する。
「ミアンナ殿が例の理術士の特定に近づいているとして、その人物が支部の理術士を騙った可能性がある……? ずいぶん危険な橋に思えます」
「全くだ。支部の理術士なら顔を覚えられていてもおかしくない」
「となると……ほかの可能性としては……」
「慌てるな、まだ情報が足りない」
ゾランが制した。ジェズルは苦笑いを浮かべる。
「久しぶりにやってしまいました。この癖は直ったかと思っていましたが」
「最近はミアンナ殿が主体で進め、お前は補佐をしていたからだろう。もっとも、私自身も憶測を話してしまったな」
にやりと笑ってゾランも自戒する。
「まだ着任から半年も経たないのに、ミアンナ殿が統理官として支部の中心にいることがもう自然になっている。日々の流れは早いものだ」
「ええ。つい先ほども、ウィントンとそんな話をしていました。ミアンナ殿が不在だと、ハイム殿の時代を思い出す」
「ハイム殿か」
前統理官を思い出すように、ゾランは目を細めた。
「どうしておられるだろうな。『情が残るから連絡はするな、自分もしない』などと強いことを言って、本当になしのつぶてだ」
ゾランの上級連衛官兼副統理官という立場からすれば、ハイム統理官の自由な言動は対応に困るものでもあった。
とは言え深刻な問題が起きたことはない。調律院の天秤を支える一員として倫理観を持って業務をこなしていたハイムの姿には、ゾランも人生の先輩として敬意を抱いていた。連絡を断ったのも後任への配慮だと理解できている。
「ハイム殿は多少強引ながらも強い牽引力で支部を回した。ミアンナ殿はあの若さで我々を上手に使う。異なる気質のように見えて、支部の活発な空気感は似て感じる。面白いものだ」
ゾランもまた、ふたりの統理官の資質が似通っていると呟いた。
「お元気でいらっしゃることを願います」
「そうだな」
ふたりは数年前の支部をしばし追想し、わずかに沈黙が降りた。
「さて、ミアンナ殿がいつ戻られるか……まだ通信がないところからすると数日はかかりそうだが、そのときに資料を揃えていない訳にはいかん」
それを破って、ゾランが書類を整える。
「同意します」
ジェズルは姿勢を正した。
「レオニスと必要資料の候補を書き出しますので、一旦ご確認ください。それからウィントンへ依頼を出しましょう」
―*―
外交使節所にある小会議室は、イゼリア・ホウラン応理監の指示によりミアンナ・クネル統理官の一時的な執務室として使われることとなった。
「私は客室をそのまま使わせてもらうのでかまわないが」
ミアンナはそう言ったが、イゼリアはとんでもないと首を振る。
「公私は分けておけ」
「無論、そのつもり」
「そうじゃない」
顔をしかめてイゼリアは、気を引くように指で卓をとんと叩いた。
「気を張る空間と安らぐ空間は別々に存在させるんだ。それがいい仕事をするコツのひとつ」
「……よく判らないが」
今度はミアンナが顔をしかめる。
「ふん? リーネはどうだ?」
「え」
急に水を向けられてリーネは慌てた。
「ええと、切り替えは大事、という感じでしょうか。私室で仕事をしていたら気持ちが休まらない、というような……」
「いいぞ。ミアンナに教えてやれ」
考えながらリーネは述べ、イゼリアは満足そうにうなずいた。
「同じ空間でも切り替えはできる」
どうにもぴんとこなくてミアンナはそう告げた。
「そう思うのはできている内だけだ。いいから従っておけ」
彼女たちがそんなやりとりをしていたのは、数刻ほど前のことだ。
イゼリアの主張にミアンナは万事納得いった訳でもないが、単純にやりやすくはあった。客室の卓は小さい上に低く、書類を広げたり書き物をしたりするには向かないが、会議室の机は広さも高さも適切だからだ。
「そろそろ着いたかなあ、鳩さん」
「ラズトには着いた頃。王都にはもう少しかかるはず」
リーネの呟きにミアンナが答えた。
伝書鳩便は二種類。ラズト支部へ出したハイムの入領記録を確認するものと、王都の本部に向けたハイムの居場所を問い合わせるものだ。
ゾランやジェズルを騙すようなことは気が引けたが、ハイムの記録だけが目的と知られないよう、ほかの人物の記録も依頼した。余計な手間をかけてしまうが、万一彼らがハイムに味方して事実を隠すようでは困る。
そんなことをする者たちではないと信用しているが、誰かひとりにでも魔が差す可能性がないとは言えない。念のため備えるべきだというのはイゼリアの意見だったがミアンナも呑んだ。
本部への依頼は、ただ事実に関する理由だけを併記した。即ち、過去の自治領訪問時に起きたことを直接尋ねたいため、というようなことだ。
ハイムがラズト支部に隠遁先を伝えていないことは聞いていたが、調律院本部とカーセスタ王国からは許されなかったはずだ。いくら平時に問題なく引退したからと言って、専理術士の知識と統理官の経験がある者を監視下から除くほど、国も甘くはない。
「イゼリアと私の署名がある書面を疎かにはしないと思うが、詳細を問い返されれば面倒」
「まず専理術士の階に届くんですよね? みなさん、すぐ応じてくださいますよ!」
リーネが確約した。もちろん個人的な手紙などではないのだから、専理術士がそのまま返信してくれる訳でもなく、上に諮って正式な文書として返ってくるはずだ。となるとリーネの言葉は少し無理があるが、ミアンナはただ「そうだな」と返した。
「許可が出てすぐに居場所が判るとしても、在不在の確認には少しかかるだろう。それまではこちらでできることをする」
「シャッハの正体」が不明のままでもできること――渡された構文が本当に稼働するものであるかの精査、もし本当に建物を爆破するような意図があるなら、どこを狙うかを推測。
構文構成については、それを使った建物の爆破が可能である、とミアンナ専理術士及びイゼリア理術応用監督が認めた。
とは言え、かなり緻密な操作が長く要求され、わずかにでもずれが生じれば狙いが外れたり、有効範囲が狭いために術者自身が危険になり得る、あまり現実的ではないものだった。
正直に言うなら、もしミアンナが何らかの正当な理由で「建物を破壊するためにその構文を使え」と言われても断る。非常時でそうしなければ自分も周りも死んでしまうほどの緊急事態でなければ、ほかのやり方を考える。それくらい割に合わない賭けだった。
(つまり、実行される懸念は小さい。あの構文は「犯行予告」ではなく「警告」)
ミアンナはそう取ったが、もちろん実行の可能性も皆無ではなく、油断はできない。そのため、狙われそうな建物も調べておく必要があった。提示された爆破の規模で効果的に破壊できそうな、おそらくは公的な建物。
しかし、これはどうにも絞りづらい。
と言うのは、それを推測するには「シャッハの動機」という情報が必要だからだ。
ここがまだ全くの空白。テオザに手を貸し、それともテオザを利用して、文書棟の殺人未遂を犯した。何のために。
標的がそこにいたのか。しかし誰か特定の人物を狙うにしては回りくどい。テオザの影に隠れるつもりだったとするには、理術を前面に出しすぎている。
やはり前日に考えた通り、むしろ声高に宣言しているのだ。ここに理術士がいるぞと。
そしてそれは、何のために。
(堂々巡り)
ここはまだ突き詰めない方がいい。あまりに手がかりがなさすぎる。せめてハイムかそうでないかが判ってからだ。




