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理術士の天秤~調律院の業務は平穏であるべきです~  作者: 一枝 唯
第十一章

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01 統理官がいないと


 資料塔の窓から、雪が舞い込んだ。

 それに気づいたウィントン・ターリア資料塔担当官は少し顔をしかめて、木製の戸窓を閉じる。資料が濡れては大変だ。

 以前、ミアンナ統理官に話したように、彼は寒さに強い方だった。もしかしたら「鈍い」と言うのかもしれないが、主観的にはどちらでも同じことだ。


「そろそろ暖房機構を入れてもいいんじゃないか?」


 副理術士ジェズル・ファーダンが提案した。


「ウィントン自身が平気ならかまわないが、無理をしていないか気にかかる」

「無理、は、してない。全然」


 彼は首を振った。


「でも寒すぎるのも資料によくないから、そろそろお願い」

「判った」


 うなずいてジェズルは携行型式盤を取り出した。半月形に折り畳まれているそれを開いて滑らかに指を走らせる。と、周辺の設置型式盤が反応して術が稼働しはじめた。


「……統理官はいつ戻ってくるのかな」

「サレントに行くまで丸一日かかるんだ。ヴァンディルガ側の対応もあるし、下手したらまだ調査が再開すらされていないかもしれない」


 説明してジェズルは、ウィントンと同じように北方を見た。もちろん、石壁の向こうは見通せない。


「心配なのか?」

「……どうだろう。ただ、統理官は老先生と同じように、僕にちゃんと話してくれる人だから、嫌じゃない」

「不思議だな、私もそう思ってる」

「ジェズルさんも……って?」


 どこについて「そう」なのだろうかとウィントンは目をぱちぱちとさせた。


「ああ、ハイム殿とミアンナ殿が似て感じられる、ということだ。ご老体と若い女性を似ていると言うのはどうも失礼だが」

「外見のことじゃ、ないし」

「それはそうだがな」


 もっともなウィントンの言葉にジェズルは少し笑った。


「……早く戻ってきてほしいな」

「うん? 何か問題でもあったのか? ゾラン殿に相談しづらいことでも――」

「あ、そうじゃなくて」


 慌ててウィントンは手を振った。「問題」も「ゾランに相談しづらい心理」もない。


「統理官がいないと、老先生を思い出しちゃうから」


 ミアンナのいないラズト支部は、前統理官のハイム時代と、その引退後の統理官不在時代を思わせる。


「別にいいじゃないか、思い出しても。ミアンナ殿に遠慮でもしてるのか?」


 不思議に思ってジェズルは問う。


「ええと……いなくなった人にこだわってその人のことを考え続けるのはよくないことだって、父さんに教わって」


 考えながらウィントンは答えた。


「そうなのか。……もしかしたらそれは、『いない人に頼ろうとしても無益で成長がない』とか、或いは死別で『いつまでも悲嘆に暮れず、前を向こう』というような話じゃないのか?」


 ジェズルもまた考えながら返した。


「そうなの?」

「いや、ウィントンの親父さんがどんな意味で言ったのかは判らないよ。ただ、俺は、誰かを懐かしむことがよくないこととは思わないな。去った人でも……亡くなった人でも」


 静かに彼が言えばウィントンも小さくうなずいた。


「そう言えば、覚えてるかウィントン? ハイム殿がこの資料塔は寒すぎると言って暖房機構を強化しようとしたこと」

「うん。あったかすぎると紙に悪いって僕が言ったら、せめて支部とつなげて、外を通らないで済むようにするって」

「ゾラン殿に止められたんだったな。国の許可が要るし、防衛上の観点から許可は出ないと」

「不満そうにしてたっけ」

「あれは笑った」


 町で「改造さん」の異名を取った理術士は、常に何かに手をつけていないと気が済まない様子だった。ゾランの却下に、これならどうだあれならどうだと食い下がっていたことも思い出される。


「その結果として、支部に風呂ができた」


 ラズト支部の建物はもともと民政庁の出張所のような施設で、いまのように住居を兼用する形ではなかった。調律院の施設となり、理術士や理報官が住み込むようになってからも風呂は公衆浴場を利用していたが、戻ってくる間に冷えてしまう。彼らはその問題を熱量構文で解決していたが、風呂を作って沸かせばいいとハイムが提案し、これは「福利厚生」の範囲だとして認められた。


「懐かしいな。もともと住み込みの理術士用ってことだったけど、みんな好きに使っていいって老先生が」


 ウィントンの顔に笑みが浮かぶ。


「最初はみんな遠慮してたっけ。でもしれっと入ったイストさんが、公衆浴場より快適で最高だと言い出して」

「そうそう、セフィーヌ殿が『それならわたくしも』と言い出したときは男連中に動揺が走ったが」

「『事故』が起こらないように鍵の管理を厳重にしたっけね」


 のぞきをしようなどという不届者はラズト支部に存在しないが、うっかり鉢合わせする可能性は皆無でもない。特に男たちは、セフィーヌが技術棟にいることをよくよく確認してから風呂に行く癖ができた。

 ハイムはあまり規則を厳しくしたがらない性格だが、異性間の理律違背には気を遣い、率先して「現在の利用者」が確実に判る仕組み作りをした。彼らはそんな思い出話を続けた。


「おー? 盛り上がってんじゃん」


 軽やかに階段を上がってくる足音がした、と思えばレオニス・キイルス理報官が顔をのぞかせた。


「ミアンナ嬢から通知がきたんで、副理術士殿にお知らせ」

「うん? 理術は検知していないが……」


 不審そうに首をひねるジェズルにレオニスはニヤリとした。


「そりゃそうだろうな。何と、伝書鳩(ルワク)によるお手紙だから」


 ラズト支部内に鳩舎はないが、町内には施設がある。通信手段のひとつであるため、世話役の準公務官が常駐しており、そこから届けられたらしい。


「何だって? どうしてまた」


 ジェズルが口をぽかんと開けるのをレオニスは満足そうに見た。驚かせたかったのだろう。


「理術の信号通信じゃ伝えきれない内容なんじゃないか?」


 定期的な連絡や簡易な内容の通信は理術で済むが、細かい内容になるとやはり文書が便利だ。


「ゾランさんが受け取って、ジェズルを呼んでくれってさ」

「雰囲気は?」

「少し眉間にしわが寄ってたが、緊急事態と言うほどじゃなさそうだ」


 レオニスは彼らしい観察眼で副統理官の様子を伝えた。ジェズルはうなずく。


「了解。行ってこよう。それじゃウィントン、資料を有難う。また」

「うん、僕こそ有難う。ええと、暖房とか」


 「とか」には、一緒にハイムの話をしてくれたことも含まれている。気づいてジェズルは笑みを返し、レオニスとともに資料塔をあとにした。


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