10 明日が勝負です
さて、とミアンナは辺りを見回した。
「『今日は解散』という雰囲気を出されたので応じたが、実際、呑気に使節所へ戻れる状況ではない」
「ですよね……危険な理術士がいるかもなんて……」
「『かも』ではない。いる」
「そうでした……」
望ましくない事態にリーネはしゅんとする。
「彼らと続けるのが理想的ではあるが、向こうの様子からすると共同調査どころではない。体制を整えてもらわないと」
ルカは負傷後、ナシムはルカの登場でますます余裕をなくし、ツァフェンは相変わらず気ままだ。
「ツァフェン殿に容易に振り回されないのはルカ殿。こちらとしても彼の方がやりやすいが、同じ人物と関係性を深めるのも善し悪し」
「関係性を深める……」
思わずという様子でリーネは繰り返し、ハッとして首を振った。
「あの、今回はルカさんのほうがいいんじゃないですか? その……ナシムさんとだと、ミアンナさんの負担が増えます」
リーネは遠慮がちに、しかしはっきりと言った。ルカは自分で判断し、提案も共有もしてくるが、ナシムではそれが見込めず、ミアンナが「命令に聞こえないよう気を配りながら指示をする」必要性が生じる。理報補官として見逃せないところだ。
「あっ、何も距離の詰め方が気に入らないとかではないですよ!」
言っておかねば、とばかりにリーネは付け加えた。
「ルカさんの呼び捨てもアレですけど、それを聞いたナシムさんが『ミアンナ殿』から『さん』に変えたの、わたし聞き逃してませんから! あっ、でもそれはこの判断には関係ないです」
「あれは鋼嶺徒同士の対抗心。私に対してどうこうじゃない」
ひとまずミアンナは説明した。リーネはもちろん納得していない顔をした。
「事件の内容によっては、『負荷も経験だ』と言いたいが、今回は難しい」
リーネの言う通り、言動を見ながらいい立ち位置を探すようなナシムのやり方はどこかで破綻が起きるし、こちら側の調整にも限界がある。
「もっとも、調査の形は変わる可能性もある。『無許可理術の調査』という範疇を超えた」
「サレントが調査依頼を取り下げますか? もしかして、自分たちの主導で?」
理術の調査をカーセスタだけに頼ることはヴァンディルガの機嫌を損ねるとして、両国に依頼する形を取られている。しかし想定されているのは事故や個人間の事件。先ほどのような「自治領庁舎」という、言わばサレントの中枢が対象になるようなことは考えられていなかった。
「もともとサレントは両国に依頼したい訳じゃない。ましてや、庁舎が標的になった。狙われたのは地下の勾留施設とは言え、上階には総督や評議員たちもいる場合がある」
カーセスタ王城に攻撃が仕掛けられたようなものだ。黙っていられるはずがない。
「シャッハの追跡も、治安部門から町憲兵隊に指示が降ると思われる。ただ『探す』のであれば私たち数名が慣れない町をうろうろするより余程適切」
「で、でも理術を使われたら」
「そう、明日からはおそらくその対策についてサレントから意見を求められることになる」
「調査や捜索は……」
「直接の手を離れる」
「そんな」
歯がゆい、とリーネが眉をひそめる。もちろんミアンナとて同様だ。しかしシャッハはやり過ぎた。
建物への理術ばかりでない。呪煙は、材料となる植物さえあれば作ること自体はそれほど難しくないのだと言う。もっとも植物を揃えることが困難だし、作製は軍以外に禁じられている。
それを乗り越えるような人物。
(私とよく似た理術)
(前回のときにも近くにいたはず。敢えて真似たとも考えられるが、そもそも構成の癖が似ている可能性もある)
(セフィーヌ技術官が言っていた。専理術士の個性は強くなると。あれはハイム殿と私の術構成が似ている、という意味ではなかったか)
ラズト支部で式盤の調整を行う技術官セフィーヌは、ミアンナの式盤を最初に見たとき、そんなことを言っていた。
(私が支部に足を踏み入れた初日、ハイム殿の残した位相構文が反応した。ジェズル殿の理術では動いていなかったことを考えると、あれはハイム殿と私のやり方が似ている証のひとつになる)
(ツァフェン殿も、私とそっくりだと)
ハイム・トラルガ。
その男なのか。本当に。
「術者は障壁を壊して地下をふさぎ、その間に毒性のある煙を流し込んでテオザを昏倒させた。ルカ殿によれば死に至ることはまずないとのことだが、吸い込んだ量によっては長く目を覚まさないこともあると言う」
幸い、テオザはそこまで吸い込んでいないはずだ。ミアンナの、そしてルカの行動が早かった。
「自分のことを話させまいとしたんでしょうか。救助が遅れれば、テオザさんは呪煙をもっとたくさん吸ってしまったでしょうし」
「シャッハであると断定はできないけれど、そう考えるのが自然」
リーネの呟きにミアンナはうなずいた。
「殺害の意図はなかった。これは術者……シャッハの良心なのか、それとも厳罰を逃れようと言うのか。庁舎を損壊させておいて『厳罰を逃れよう』もないとは思うが」
毒性が強ければ自分自身も危うくなる。それを避けたのかもしれないし、他者を巻き込む危険性を減らしたかったのかもしれない。ミアンナは考えたが、この辺りは憶測の域を出ない。
「シャッハについては、奇妙なことだらけだ。わざわざ私がいるときに術を行うのは挑発的でもあるし、記録されないように警戒しているとも取れる」
申請者の近くで使われた理術は申請者のもの。サレントの検知技術ではそこが限界で、普通ならそれでも問題ない。自治領内で理術を使う者は稀だからだ。
「でも、そのことに何の意味がありますか?」
リーネが首をかしげる。
「カーセスタでは区別できますし、調査するのは理術士です。前回は時間稼ぎとして有用でしたけど、今回はサレント側もミアンナさん以外の術者がいることを理解してるのに」
前回はサレントも「カーセスタの言うなりに調査をさせたくない」というような意地を張ったが、いまはそこを取り払って協力を依頼してきている。ミアンナが「ほかの理術士がいた」と言えばサレントはそれを聞く状況だ。隠れ蓑にはならない。
「シャッハさん、そこまで知らないかな……」
「そう、本来なら知っているはずはない」
呟くようなリーネの言葉を手がかりに、ミアンナは考えを進めた。
「たとえ術者が庁舎や使節所を監視していたとしても、把握できるのは『カーセスタの理術士が再びやってきた』という程度」
「じゃあ、やっぱりごまかすつもりで?」
ぴんとこない様子でリーネは返した。ミアンナは首を振る。
「いや、そうではないと思う。サレントの対応を知らなくても、カーセスタが痺れを切らして追及にきたと考えるのが自然。もう一度同じことが起これば、今度はカーセスタも引っ込まない、と見るはず」
ミアンナは両腕を組んだ。
「私の術の影に隠れるつもりでいた、と考えるから違和感がある。もし、そんな意図が全くなければどうだろうか」
ゆっくり言いながら、ミアンナは辺りを見渡す。
「むしろ、理術士がいるときを狙ったのであれば?」
庁舎前の広場は、もはや何事もなかったようにいつもの顔を取り戻していた。庁舎のなかは騒ぎだろうが、外部からはもう判らない。様子を気にしていた野次馬たちもいつしか姿を消し、人々はただ自分たちの目的を果たしに、彼女たちの前を通り過ぎていった。
そこに、探す姿はない。
「わざわざミアンナさんがいるときに? でも、どうしてそんなことを……」
「理由は判らない。ただ、もしそうであるなら、目的は自分を知らしめるためだと推定できる」
申請者の理術士がいるなら、理術を行ったのが自分以外であることは〈真夏の太陽〉のように明らかだ。サレント自治領が誤認するかどうかなど、術者にはどうでもよいのであれば。
「その対象はカーセスタ。それとも――私」
シャッハ。奇妙な行動を繰り返す、謎の理術士。
何者かは判らないままだが、それでも「シャッハ」という枠は固まりだした。
(この枠の本当の名が、ハイム・トラルガでなければよい)
その願いは、どんどん力をなくしていくようだった。
冬の日は、静かに翳っていく。
―*―
ミアンナはもう一度だけ庁舎に顔を見せ、理術士の必要な事態が起きていないかを確認した。
全体的には落ち着いたが、治安部門と上層部がまだまだてんやわんやで、「改めてご連絡いたします」としか返ってこなかった。
いや、ひとつだけ情報もあった。
「クネル理術士殿」
彼女に声をかけたのは、尋問で〈信〉側を担った老尋問官のモンドだった。
「先ほどはジンブを救ってくださったそうで」
「何? ああ、それはアールニエ鋼嶺徒の功績」
呪煙に突入しかけたジンブをルカが引き戻したことだろう。ミアンナは説明した。
「テオザの容態はお判りか」
これくらいは尋ねても「調査」になるまい。ミアンナは確認した。
「まだ意識は戻りません。医師によると、呪煙の効果だけではないかもしれない、と」
「――どういうことだろうか」
慎重にミアンナは訊いた。
「薬物の気配がある、と」
モンドは声をひそめ、ミアンナは眉をひそめた。
「命に関わるようなものではない。ただ、一日二日では目を覚まさないかもしれないとのことです。逐次ご連絡いたします」
「頼む。いまの情報を含め、ヴァンディルガ駐在連絡室にも同様に」
「承知しました」
言われなくてもサレントは同様にするだろうが、ミアンナが言うことに意義がある。「両国は穏当な関係である」との主張だ。
それから彼女たちはカーセスタ外交使節所へ足を向けた。
「解決したとは言えない」という状況は前回も同じ、いや、今回は明確に「終わっていない」だ。術者を捕らえていない。
「でも前のときも、テオザさんを捕まえたのは二日目でした。明日が勝負です!」
帰途でリーネは両手を握り締め、根拠のないことを言った。
「そうだな」
殊更に「考えすぎる」傾向のある理術士たちは、理報官たちのこうした明るさに救われることが多かった。支部の副理術士ジェズルとその理報官レオニスにもそうしたところがある。
「……理報官」
「え?」
「ハイム殿の理報官について、リーネはレオニス殿辺りから聞いているだろうか」
「確か、既に引退されてたんですよね?」
リーネは目をぱちくりとさせた。
「私もそう聞いている。理報官が引退したあと、ハイム殿は次の着任を断ったとか。自分自身も引退間近であることから、わざわざ国境近くのラズトまで誰かを呼び寄せる必要はないと」
「それが通るのすごいですよね」
「普通は通らない。だが彼には実績もあり、調律院の総監も否と言えなかったらしい」
「……すごいですね」
「もっとも、そのあとラズトでしばらく統理官を続けた訳だ。彼の在任はゆうに十年を超えていたはず」
ハイムの理報官がいつ去ったのかは聞いていない。ミアンナには必要のない情報だったからだ。しかしいまは事情が変わった。
「理報官の引退時期や、その頃のハイム殿についても調べたい。……支部のみなに話す必要が出てくるが」
「……黙って調べる訳にもいきませんもんね」
どうにも気が重い仕事になる。支部員たちはみなハイムを慕っていた。話に聞くだけでも「優秀な人だ」という面と、「困った人だ」という面が合わさっており、魅力的な人物なのだと伝わってくる。




