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理術士の天秤~調律院の業務は平穏であるべきです~  作者: 一枝 唯
第十章

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08 何故、いまなのか

 庁舎内は騒然としていた。

 地揺れと思って逃げ出そうとする者や、整然と避難させようとする者、大げさだと肩をすくめている者もいた。


「理術の調査に来ているカーセスタとヴァンディルガの者だ。地下で理術を検知した。治安部門の地下に続く階段は?」


 サレントの役人をひとり捕まえると、ミアンナは式盤を示しながら告げた。


「え、あ、あちらです」


 本来なら「確認するのでお待ちください」くらいのことを言うべきだが、何かしら異常事態なのは間違いない。役人は理性的判断か、或いは逆に焦りや驚きのため、ミアンナの名乗りを信じて階段を案内した。


「アダワロ殿かインダ殿は」


 ミアンナがそちらに向かう背後でルカが役人に尋ねた。


「無許可理術の使用者テオザに関する理術の可能性がある。詳しくはそのふたりに確認してくれ」


 ミアンナはルカにまだ何も話していないが、この状況とミアンナが理術を検知したのならそういうことだろうと、ルカは手早く説明し、ミアンナに続いた。


「使われた構文は?」


 それから短く問うてくる。


「質量構文。かなり強い。先日、私が使ったものに近い」


 文書棟の地下の個室に閉じ込められた者たちを救助するため、ミアンナは質量構文で扉の重量属性を一時的に過剰にして扉を壊した。

 それによく似たものが、この庁舎の地下で。


「続けていくつかの術が続いた。一般的な組み合わせではなく、現状では目的を特定しづらい」


 情報をまとめて素早くミアンナは伝えた。


(少なくとも何かが破壊された)

(そして、ごく近くに術者がいる)


 庁舎は文書棟と違って、関係者以外には開放されていない。ましてや治安部門ともなれば来客があることもない。そのため飾り気が全くなく、殺風景で寒々しかった。壁にかけられた職員用の案内看板も墨が薄れ、解読にわずかながら時間がかかる。

 普段から人は少ないと見え、上階のような混乱は見られない。とは言え、何名かがバタバタ走っている姿を確認できた。


「避難……」

「ゆう……」

「……逃げ……」


 断片的な言葉が聞こえる。緊迫した雰囲気があった。


「理術士だ、状況は!」


 ミアンナは堂々と、ここがカーセスタ国内であるかのように乗り込んだ。それが年若い少女であることにギョッとする者もいれば、サレント人ではないと警戒する者もいたが、制服姿と躊躇いのない声音に「指示してくれる人物がきた」とばかりにほっとして彼女らを迎える者もいた。


「理術士殿」

「貴殿は、尋問官の」


 さっと前に出てきたのは、ふたり組の尋問官のひとり、強面で〈圧〉の立場を担っていた大男だった。


「ジンブです。そちらは、先ほどの方とは違うようですが」

「ルカ・アールニエ。前回の調査を担当している」

「ああ、文書棟でテオザ罪責者を捕らえられた」


 ルカの立ち回りについては話が伝わっていたようだ。ジンブの目に敬意が宿る。


「地下で強力な理術が行われた。大きなものが破壊されたと思うが、場所はお判りか」

「この奥になります。ですが……」


 ジンブは顔をしかめて首を振った。


「埋もれました」

「まさか、壁や天井が壊されたのか?」

「だとすれば、ここは危険だ」


 ミアンナに続いてルカがはっとした。もしそうなら、地下は崩落の危険性がある。話をしている場合ではなかった。


「いえ、確認したところ、壊されたのは万一のときの障壁でした。拘留者の脱走や、火事といった事態を防ぐためのもので、建物の強度には影響がありません」

「案内を頼めますか」


 即時避難の必要がないと判ってルカが依頼した。ジンブはうなずいて歩き出す。


「拘留者は? テオザの無事は確認できているか? もしほかにもいるなら念のための待避も――」

「現在、治安部門で拘留しているのはテオザだけです。まだ職員の点呼が済んだばかりで、何も確認できていません」


 ミアンナたちは最速でやってきたのだ。それも当然ではあるだろう。「崩されたのは障壁」「地下崩落の危険はまずない」ということを把握できているのがずいぶん早いくらいだ。


「脱走のための壁が壊された? 逃亡の手助けということか?」


 ルカが考えるように言いながら辺りを見渡している。不審な人物がいないか、先ほどから目を配っているようだ。


「職員以外の人物を見たか?」

「いえ……」

「あれだけの力をかけるには対象のごく近くでないと難しい。必ず術者が近くにいる」

「『シャッハ』でしょうか?」

「シャッハ?」


 ジンブが確認するように問い、ルカが繰り返した。


「術者が判ったのか」

「偽名の可能性は高い」


 ミアンナはうなずいてそこだけ補足した。


「テオザの話によれば理術士らしき人物はひとりだ。おそらく――」


 ミアンナたちは足を止めた。カツンと小石が靴に当たって跳ね飛ぶ。


「成程、埋もれている」


 そこにはまるで不自然な突き当たりのように瓦礫の壁ができていた。天井までびっしりとはいかないが、破砕された石が大人の背よりも高く積み上げられており、向こうへ行くのは困難だった。


「本来はもちろん普通の通路なんですよね。この積み上がった石がもともと障壁だと」


 ルカがふたりを少し下がらせるようにしながら確認した。崩れる危険を考えたようだ。


「はい、そちらの壁際に装置の一部が見えていますが、そこを切り替えて大扉を閉める仕組みでした」

「障壁は複数あったのか?」

「ええ。よくお判りになりましたね」


 ミアンナの質問にジンブが目をしばたたく。


「この高さにするには一枚分では不足」


 厚い扉であっても、崩せば高さを保てない。


「それに、ものを移動させるような術も使われていた。……瓦礫を一度に運んでここまで積み上げたとはな」


 以前、少女タマラが妹を助けるために重さのある棚を理術で移動させたとき、ミアンナはその難しさを説いた。一歩間違えば助けるはずの妹を死なせてしまったもしれないと。


(ひとつずつ運んだら間に合っていない。一定の空間に落下した礫をまとめて移動させた)

(この場合、繊細な調整は不要だが、決して容易ではない)


 考えたくはないが、シャッハは専理術士級の能力を持つ。

 まだ見ぬハイムの影がミアンナの脳裏にちらついた。


「テオザはこの先に?」

「はい。少し距離があるので、埋もれてはいないと思います」


 ミアンナが問えば、ジンブが怖ろしいことを言う。だが重要な点だ。


(私も考えた。「口封じ」――というようなことは)


 シャッハがテオザに証言させたくないと思うのは想定できることだ。しかし。


(それだとしても奇妙)

(何故、いまなのか)


 事件から半月ほど。かつ、ミアンナ・クネルという理術士が庁舎付近にいる日。


(そう、事件のときも同様だ)

(テオザはサレントで理術を使うには申請が必要だと知らなかった。しかし理術関係者ならシャッハは知っていたはず)


 まるでミアンナたちの調査がはじまるのを待っていたかのように、倉庫と文書棟で事件を起こした。


(事件のことはたまたまかもしれない。しかし、今日は? シャッハの運や()が極端に悪いだけ、という可能性もなくはないが……)


 何らかの意図がある、と考えるのが自然だ。

 ミアンナは唇を噛んだ。

 何のために。

 ずっと埋まらない枠。


「ジンブ殿、ルカ殿。下がって」


 専理術士は式盤を出した。


「道を作ろう」

「え」


 困惑するジンブをルカが引いて下がらせた。それを確認し、ミアンナは右手を式盤の上に走らせる。


「調律を開始する」


 式盤の上に青白い光が浮かび上がった。それは即座に円の形になり、ミアンナの踊るような指先に連動する。記号めいたものが現れてはつながって、異なる姿になっていく。それと同時に、瓦礫の壁がまるで意思を持つかのように滑り出し、壁際へ寄っていく。

 ルカが息を呑むのが判った。ミアンナが複雑な理術を使うところを彼が見るのは初めてだ。

 パキン、と硬いものが強く打ち合わさるような音がした。同時に一瞬の閃光が走り、ルカが素早く反応する。


「大丈夫、正常な反応」


 ミアンナを守ろうと前へ出た鋼嶺徒に、理術士はそう伝えた。

 彼女らの前に通路が現れ、瓦礫は壁際で、いびつながらも再び障壁となった。


「元通りの強度はない。ただ貼り付けただけ。修繕は別途行って」


 言いながら理術士は式盤をしまうと、先に立って歩いた。


「あ、は、はい」


 呆然としていたジンブがかすれ声で応答する。ルカはただミアンナに続いた。


「――驚いた」

「何? ああ、理術」


 ルカが思わず感想を洩らし、ミアンナは片眉を上げた。


「タマラさんを救ったときのものと全く違う」

「あれは簡単な構文だった。いまのは少し面倒」


 ほかの理術士が聞けば「『少し』どころではない」と思うだろう。汎理術士であれば何名かが連携した上で入念に打ち合わせ、時間をかけて実行するような構文構成だ。

 だが幸か不幸かここにほかの理術士はおらず――いや、シャッハがまだ近くにいる可能性はあった。


「それです、その真ん中の……」


 ひとつ通路を折れると三つほど扉の並んでおり、そこでジンブが告げる。


「開けてもらえるか」

「すぐに」


 ミアンナの要請にジンブが進み出て鍵を開ける。


(何だ?)

(いま、一瞬、何か)


 そのときミアンナは何か違和感を覚えた。だがそれが形になる前だった。


「テオザ――」


 尋問官が声をかけた瞬間、ルカが彼をぐいっと引き戻した。


「駄目だ、下がって。ミアンナも離れて」

「な」


 大男はおそらく何が起きたか判らなかっただろう。自分より小柄で細身に見える若者に、まるで子犬の如く扱われるなど。

 ルカはそのままジンブの前に出た。暗く狭い拘留室内に素早く入り込み、隅にあった大きな塊――人間を荷袋のように肩へと担ぎ上げ、素早く戻ってくる。


「この臭いは呪煙だ。深く吸うと短時間で意識を失う。すぐに退避を」


―*―


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