肆:幽穴
結界の中心、幽穴が見つかった場所は都心部の一角だった。
ビル群の中でそこだけ妙に開けていて緑が溢れ、大きな池があり、都心だというのに自然を感じられる場所である。
そこの真ん中で結界を維持する椿、彼女を守る形で背後に庇う実と向日葵、その前線でにじり寄って襲い掛かってくる妖たちを一掃している赫耀。
周囲を赫耀の妖気で覆い、近寄るものを全て焼き払っている状況は、まさに地獄絵図のようだった。
ちなみに、一般人の姿がないのは、樹が暦の名を使って政府の裏機関に根回しした結果である。
「すごいな……」
半ば呆れたようにも聞こえる声色で呟きつつ、紫苑が彼らに近寄って行くのと、その場にいた妖の最後の一体が燃え尽きたのは同時だった。
「大丈夫か?」
「問題ありません」
見ればわかるが念のため尋ねた樹に、向日葵が即答する。
「結」
樹が、辺り一帯を覆う大きな結界を簡易的に展開する。これで、作業中に妖に邪魔されることはない。
「……幽穴はこれか」
封印の結界がなくなり、気配がだだ洩れになっているからよくわかる。
この池の底に、幽穴があるのだと。
霊力とも妖力とも呪力とも違う、異質な気配が漂っている。
この気配こそが、妖を引き寄せているのだ。
「……そうか、だから巨大な結界が張られていたのか」
突然腑に落ちて呟いた樹に、椿が首を傾げる。
「どういうこと?」
「五つの祠に掛けられていた封印結界は、幽穴を封じるだけでなく、その存在自体を隠す作用があったんだ。妖に嗅ぎ付けられないように」
「だからって、わざわざ五県に跨るほど大きな結界を張る必要は……」
言いかけた椿がはっとする。
「……そっか、当時の暦家には、結界を張る術が他になかったのね……?」
憶測の域は出ないが、五つの祠を使った結界が張られたのが、赫耀が封じられるよりも昔であるならば、結界術が今ほど発展していなかった可能性は充分ある。
何せ、妖を封じてその妖力を結界の維持に転用するような術を使うくらいなのだ。
例えば、結界を張るために強大な妖を封じる必要があったとして、この幽穴の近くに都合よく現れてくれるとは限らない。
暦は平安の頃から東日本の各地で妖退治を行っていた。
この池の底に眠る幽穴を封じるために、長期間維持できる結界を張る必要に迫られた時、たまたま強い妖を封じた五か所を結んで五芒星に見立てて結界を張ることに気付き、実行したとしてもそこまで不思議はない。
「その可能性はありそうだ。あと、封印に限らず、存在を隠すのであれば、覆い隠すものは大きい方が、隠すものが見つかりにくくなる」
そう呟きながら、樹は懐から五寸釘の包みを取り出した。
これを使うつもりで来たが、思っていたよりも池が大きい。
池を囲うように五か所に釘を打つことは可能ではある。だが、この場所は現在公園であり、池の近くに五寸釘を打ったとて、通りすがりの子供に引っこ抜かれたり、野良猫に掘り起こされてしまう可能性はかなり高い。
「どうするか……」
「……政府に依頼して、この場所を物理的に封鎖するか……?」
しかしそれも大仰になりすぎると逆効果だ。
今の時代は、すぐにインターネット上で何があったと騒ぎ立てる輩が多数いる。その一部が、面白がって動画を撮影するために封鎖を乗り越えて入り込み、釘に触れないとも限らない。
「いっそ、池の底の幽穴の周りに打つのは?」
向日葵が口を挟むが、酸素ボンベやゴーグルなどのないこの状況で、池に潜って釘を打つのは現実的ではない。
うーん、と唸ると、雪華が何か気付いた様子で赫耀を振り返った。
「そこの鬼なら、一時的に池の水を割って道を創れるのではないか?」
指を差された赫耀が目を瞬く。
「赫耀、そんなことできるの?」
向日葵も驚いた顔で振り返る。赫耀は腕を組んでしばし思案するような顔をした。
「水を割るなんてやったことはないが……」
「妾は昔、鬼が妖力を使って水を割って川を渡るのを見たことがある。お主ほどの鬼ならばできるだろう」
雪華にそう言われた赫耀は若干戸惑いつつも、向日葵の目がやってみて、と言ってるので、池に向かって右手を伸ばした。
「水を割る……水を割る……こうか?」
何やら妖力を操作するイメージを固めたらしい赫耀が、右手を池の畔の地面に突いた。
刹那、ぶわりと彼の妖力が水を掻き分け、水が真っ二つになり、池の底が露わになった。
モーゼみたいだな、と半ば感動にも似た気持ちになった紫苑である。
そして池の中心に、ぽっかりと開いた黒い穴がある。大きさは半径三メートルほど。
「すごい!」
素直に歓声を上げる向日葵。赫耀はややつらそうな顔で唸った。
「俺の妖力は水と相性が悪い。あまり長く持たない。やるなら早くやってくれ」
そういえば、赫耀は妖力を炎に変換して攻撃していた。いわゆる炎鬼である。
炎と水の相性が悪いのは子供でも知っている常識だ。当然、それは妖力の属性にも影響する。
「よし、椿、実、向日葵、紫苑、行くぞ!」
樹が四人に声をかけて幽穴に向かって進んでいく。
地面は当然ぬかるんでいて、ぐちゃりと足が沈むが、仕方ない。
と、その時、四人の足が止まった。
強い妖力のようなものが、幽穴から漏れ出てきたのだ。
直後、椿が幽穴に張った結界が、みしみしと音を立てて軋み出した。
「っ! 馬鹿な! 椿の結界が……!」
ぎょっとした樹が三人を振り返る。
「一旦退くぞ!」
その時、幽穴の中から黒い手のようなものが、ぬっと出てきた。
刹那、ぱりんと音を立てて、椿が張った結界が破られる。
元々、穴の中を内側とした結界なので、そちら側から出ようとする力には弱いのだ。
「縛!」
後退りながら向日葵が印を組んで叫ぶ。
黒い手が動きを止める。
「今のうちに戻って!」
走ろうとするが、ぬかるみに足を取られて走れない。
「わっ!」
椿が転倒しそうになるのを、樹が腕を掴んで支える。
二人の足が止まった、その時。
「赫耀! 後ろ!」
向日葵が叫ぶ。赫耀の後ろに、妖が迫っていた。
それほど強くはない妖だが、赫耀は池の水を割るために地面に手を突いており、身動きが取れない。そのまま攻撃されたら、掻き分けている池の水が一瞬で元に戻り、樹たちは池の底に沈んでしまう。
「俺の結界を擦り抜けたのか……!」
樹が舌打ちする。
結界は壊されていない。もしかしたら、樹が結界を張った時には、内側に紛れ込んでいたのかもしれない。
妖の中には、気配を絶って近寄るのが得意なものもいる。
だとしたら、注意深く辺りを確認しなかった自分の落ち度だ。
退魔術を放とうと印を組むが、間に合わない。
「雪華!」
素早く紫苑が叫び、応じた雪華がふわりと舞い上がって右手を振り払った。
青白い炎が顕現し、赫耀の背後から襲い掛かろうとしていた妖を包み込む。
動きの止まった妖に向けて、向日葵が呪文を唱えてとどめを刺した。
何とか四人が池から出たところで、赫耀が地面から手を放し、ざぶんと音を立てた池の水が元に戻る。
池の水に呑まれずに済んだ五人は、ふぅと安堵の息を吐いた。
「……樹、さっきの手は……?」
「わからない。ただ、とんでもない妖力を感じた」
首を横に振った樹が、向日葵を振り帰る。
「束縛の術の手応えはどうだ?」
「今は押さえつけていますが、どれほど持つか……」
正直、術を発動している向日葵も、予想以上の抵抗を受けて驚いていた。
向日葵がこれまで対峙した妖の中で、赫耀に次ぐ、あるいは凌ぐと思えるほどの力で抵抗されている。
「よし、出てきたところを祓うぞ。構えろ。向日葵と紫苑は、赫耀と雪華に援護させてくれ」
「御意」
樹の言葉に、四人が頷いて印を構える。
話を聞いていた赫耀と雪華も池の底を睨みながら身構えた。
「樹様、破られます……!」
術が切れる気配を察知した向日葵が目を眇める。
その直後、池の中心から、轟音と共に水柱が上がった。
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