零:妖狐の使役
青いスポーツカーが高速道路を走っている。
運転しているのは、長い黒髪を背中に垂らした細身の人物。
長い脚が少々窮屈そうにアクセルを踏む。
その狭さを楽しむように、今度は左足でクラッチを踏み、流れるような所作でギアを一つ上げる。
助手席に座っていた巫女のような格好をした少女が、興味深げにその様子を眺めている。
「ふむふむ、面白いのう。主はクルマの運転が達者なようだな」
「主はやめてくれ」
正面を見据えたまま、運転手、長月紫苑は短く嘆息した。
「ではなんと呼べば?」
「紫苑でいい」
「そうか」
名を聞いて満足そうに頷いた妖狐、雪華を横目で一瞥して、紫苑はこれからのことを考えていた。
暦の歴史の中で、鬼を使役したのはおそらく向日葵ただ一人だが、それ以外の妖を使役した者はいる。だが、とても貴重だ。
この事実が、どう転ぶか、想像もつかない。
ここ数日で、西の名門退魔師の家系、久遠の次期当主である雅臣が、暦の管轄である関東で妖が封じられている祠を五つも破壊した。
その目的は、強い鬼を使役にしたかったからだという。
しかし封じられていた妖に満足しなかった雅臣は、暦家の分家の中でも歴代最強と謳われる葉月向日葵が使役している鬼、赫耀を奪おうと画策し、失敗した。
その結果、元々使役していた狐の妖との使役契約を向日葵によって無効化されてしまい、久遠家にうんざりしていたその妖狐はその場にいた紫苑を次の主にと指名した。
その現場となった茨城を出る直前に、向日葵から暦家の当主である樹にことの経緯と顛末を報告している。
樹も困った様子だったらしいが、それでも駄目だとは言わなかった。何より、紫苑が無理矢理に妖狐を使役に下した訳ではなく、妖狐本人が紫苑を主にすると言い出したからだ。
ただ、その妖狐が元は久遠家に使役されていた妖であることは事実。
久遠家にしてみれば、代々使役していた妖を奪われた、という状態だ。
とはいえ、久遠家の次期当主である雅臣が、暦家の管轄である関東で妖が封じられている祠を、五つも故意に壊したのだから、迷惑料代わりに貰っても足りないくらいではある。
「ところで、雪華はどれくらい私たちの一族について知っている?」
運転しながら尋ねると、雪華は腕を組んで小さく唸った。
「東の暦だろう? 妾が知っているのは久遠の小僧がぺらぺら喋っていた程度のことだけだが、分家が十二あって、あの鬼を連れた娘が最強だ、というのは聞いた」
そう答えた雪華に、紫苑は暦の家系の話を簡単に伝えることにした。
暦が平安時代から続く退魔師の家系であること。
戦国時代に当時の当主と三人の弟子が悪鬼を封印し、その弟子から派生した分家が十二になったこと。
その時の鬼が、向日葵の使役に下った赫耀であること。
自分は九番目の分家である長月家の当主であること。
「ふむ、そうか……紫苑は長月家の当主なのか」
美しい白髪と白い肌、黄金の双眸を有し、頭には白銀の狐の耳がある少女の姿をした雪華は納得した風情で頷く。
「……私の使役になったことで、雪華には何かと迷惑をかけるかもしれない」
「久遠家に囚われこき使われる以上の地獄があるものか」
遠い目をして呟く雪華に、一体どんな酷い目に遭ったのだろうと考えかけてやめる紫苑である。
「……少なくとも、私は雪華の尊厳を守ると約束するよ。まぁ、人間の常識の範疇になるけど」
「それだけで充分だ」
頷いた雪華は、窓の外に視線を投じるのだった。
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