終:名
樹にことの次第を報告し、向日葵は帰路に着いた。
帰宅した時には、樹から何か言われたらしい芭蕉が、恨みがましげな目を向日葵に向けてきたが、見合いを断ったことに対するお咎めはなかった。
自室に戻った向日葵が溜め息を吐きながらベッドに寝転ぶと、赫耀の気配がすぐ近くに来た。隠形しているため姿は見えないが、どうやら顔を覗き込まれているようだ。
「赫耀?」
名を呼ぶと、彼は姿を現した。
なんだか神妙な面持ちの彼に、向日葵は目を瞬く。
「どうしたの?」
「……無事でよかった」
それだけ呟いた赫耀に、向日葵は首を傾げる。
「私がそう簡単にやられないことくらい、貴方ならわかっているでしょう?」
「主の強さは知っている……だが、人間はいずれ死ぬ」
「それはまぁ、そうだけど」
いくら向日葵が暦家歴代最強と言われていても、人間であることは変わりがない。人間である以上、寿命はある。
悠久の時を生きる鬼とは、流れる時間が異なるのだ。
それは赫耀も理解している。だから苦しいのだ。
向日葵は仰向けに寝転んだまま、赫耀に向かって手を伸ばした。
「……そしたら、生まれ変わってまた貴方を探すよ」
そう言って微笑む向日葵に、赫耀は目を瞠った。
古い記憶に残る情景と、彼女の微笑みが重なる。
『お前の瞳は赤い宝玉みたいだな! 赫耀って言葉がぴったりだ』
忘れていた記憶が、部分的に蘇る。それを自分に言ったのは、人間の退魔師だった。
そうだ。自分を封じた四人の退魔師の一人だ。
「……朱夏……?」
無意識に零れ出た名前に、自分でも驚く。今の今まで忘れていた。
と、その名を聞いた向日葵がきょとんとする。
「朱夏? 貴方を封じた暦の弟子の一人の?」
当時の暦の当主は、暦陽春という名の青年だったという。
そして三人の弟子は姓を持たず、朱夏、秋風、玄冬という名で、朱夏は紅一点かつ第一の《鍵》だったそうだ。
そして、葉月家は朱夏の末裔である。
「……主、何故俺に赫耀という名を付けた?」
唐突な問いに、向日葵はひとつ瞬きをする。
「……どうしてかしら。貴方の目を見た時に、その言葉が浮かんだのよ。赤い宝石みたいで、『赫耀たる』って言葉がぴったりだなって」
その言葉を受けた赫耀が、驚いた顔で額を押さえた。
「……赫耀? どうかした?」
「……いや、何でもない」
彼はそう言って頭を振ると、向日葵の顔を覗き込んだ。
「……主、これからは、名前で呼んでも良いか?」
「うん? いいけど、急にどうしたの?」
てっきり、無理矢理使役にした向日葵に対して、何か思うことがあって主と呼んでいるのかと思っていたが、彼なりに気を遣っていたということだろうか。
「……何となくだ」
そう言って誤魔化したが、彼の脳裏に蘇った記憶の欠片に、朱夏の言葉があった。
『悪鬼、お前が今後人間に害を成さないなら、私がお前の友として傍にいてやるぞ! その時は、私の名を呼ぶことを許してやろう』
名もなき悪鬼だった赫耀に、快活な笑顔を向けた朱夏。
しかし、彼女は結局、暦と共に赫耀を封印した。
その辺りの経緯について、記憶がない。
思い出そうとしても、記憶に霞が掛ったかのように何も視えなくなってしまう。
何だかとても悲しい感情が燻っている気がしているが、赫耀にはその感情の正体がわからなかった。
ただ一つ言えるのは、目の前にいる主の少女の笑顔と、記憶の中にある朱夏の笑顔が同じだということ。
当然、向日葵本人は何も気付いていないが、赫耀は二人の魂が同じなのではないかと、思わずにはいられなかった。
呼び名は変わってしまっても、名を呼ぶことを許されたことは変わりない。
「赫耀?」
身を起こして逆に顔を覗き込んできた向日葵の手を握り、赫耀は屈み込むと、彼女の手を己の額に押し当てた。
「……向日葵、俺は今ここに、改めて誓う」
「うん?」
「俺は全てを懸けてお前を守る。何があろうとも」
「え、あ、うん。ありがとう……?」
戸惑いながらも頷いた向日葵は、なんだか赫耀が泣きそうな顔をしている気がして、もう片方の手で赫耀の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「……俺は犬じゃないぞ」
「犬だとは思ってないわよ、流石に」
そう言いながら、向日葵はなんだか懐かしいような、不思議な気持ちがした。
「……ねぇ、前にも、こんなことあった……?」
思わず尋ねると、赫耀は心底驚いた顔をした。
変なことを口にした自覚はあるため、向日葵は慌てて取り繕おうと首を横に振る。
「あ、いや、そんな訳ないわよね」
赫耀はぎゅっと、向日葵の手を強く握る手に力を込めた。
「……ありがとう」
礼を言われるようなことをした覚えはないが、向日葵はその手を包み返して笑った。
「どういたしまして」
その言葉を受けた赫耀もまた、微かに笑う。
微笑み合う二人を、窓から差し込む月の光が優しく照らしていた。
もしよろしければ、ページ下部のクリック評価や、ブックマーク追加、いいねで応援いただけると励みになります!感想も大歓迎です!




