拾:絆
ぶわりと広がった雅臣の霊力。
西の名門退魔師の家系、久遠の次期当主というだけあって、それは紫苑をも凌駕し、暦の当主である樹にも匹敵するほどだった。
その霊力によって向日葵が伊東にかけていた封印が消し飛ばされてしまう。
彼女はその場で姿を変え、あの巫女のような服を纏った少女の姿になると、ふわりと宙へ舞い上がって雅臣の背後に移動した。
「シルバーテイル! やれ! 幻惑だっ!」
彼の声に従い、妖狐が右手を掲げて目を見開いた。
刹那、向日葵の目の前で七色の光が弾けた。
くらりと眩暈がして、視界が歪む。
「っ!」
「主!」
赫耀がさっと向日葵に駆け寄って肩を掴む。
「……大丈夫よ」
軽く頭を振って、向日葵は己の額を右手で押さえた。
直後、頭の中に、『化け物』と蔑む親族の声が響いてきた。
『向日葵の霊力視た? あんなの人間じゃないわ』
『まるで化け物よ』
『芭蕉様のお気に入りだからって自慢げにしちゃって』
『化け物のくせに』
『きっと中身は妖なのよ』
陰で散々言われた言葉が、耳鳴りのように耳に突き刺さってくる。
幻惑は文字通り、幻を見せたり幻聴を聴かせたりして相手を惑わせる術だ。
本来、霊力の高い向日葵には効き辛いはずだが、妖狐の妖力も高い上に、妖狐の主である雅臣の霊力が充満していたため、幻覚は見えずとも幻聴だけは発動してしまったようだ。
頭を抱えるように両耳を押さえ、困惑した様子の向日葵に、赫耀が戸惑いながらもその顔を覗き込んだ。
「主!」
強く肩を揺すっても、目が合わない。
その様子に、赫耀の深紅の瞳が憤怒によってきらりと光った。
彼の身体から、先程以上の膨大な妖力が放出される。
それは炎となって、妖狐に向かって燃え上がった。
「っ!」
声にならない悲鳴を上げて、妖狐が倒れ込む。
「シルバーテイル!」
妖狐を振り返った雅臣にも、その炎が燃え移った。
「ぎゃぁぁぁぁぁっ! あ、熱いっ! た、助けてくれ……!」
「俺の主に手を出して、この程度で済むと思うな」
冷たい、残虐な響きを帯びた声が響く。
圧倒的な力の差を突き付けられ、雅臣は死を覚悟して膝をついた。
とどめだ、と赫耀が動かそうとした右手を、向日葵が掴んだ。
「赫耀、駄目」
短いその言葉に、赫耀の瞳の光が消える。
向日葵は短く息を吸い、右手を己の胸に当てて短い呪文を唱えた。
頭の中に鳴り響いていた声が、すっと消えていく。
「……赫耀、私は大丈夫。落ち着いて……それ以上人間を傷付けたら駄目」
向日葵の言葉に、赫耀は不本意そうな顔をしながらも、妖力を静めた。
妖力の炎が消え、地面に伏していた雅臣が緩慢な動作で身を起こす。
その目の前に、向日葵は仁王立ちになった。
「……思い知った? アンタじゃ赫耀を使役にすることはできない。絶対にね」
赫耀はその辺の鬼とは強さの格が違う。
ただでさえ鬼は妖の中でも別格とされるのに、その中でも強さが桁違いなのだ。
それを使役することができたのは、ひとえに向日葵の霊力が桁外れだったからだ。
そんな向日葵から赫耀を奪おうと思ったら、赫耀を極限まで弱らせるか、向日葵と赫耀が互いを信頼できない状態に追い込むか、向日葵以上の霊力を用いて二人の契約を無効化するしかない。
今回はそのいずれの条件も満たしていなかった。
雅臣の霊力がそれなりに強かったため、使役契約を無効化させる術は発動したが、向日葵の霊力が強すぎて成功はしなかった、といったところだろう。
ふぅ、と息を吐いて、向日葵は妖狐を一瞥した。
「……人が嫌がることをするってことは、やり返される可能性も覚悟してるのよね?」
そう言い放つと同時に、彼女は右手を妖狐に向けて呪文を唱えた。
知識として知っていただけで、その術を使ったことはなかったが、膨大な霊力を有する上にどんな術も一度学べばすぐに習得する天才である向日葵にとっては、造作もないことである。
先程雅臣が使った、使役契約を無効化する術だ。
と、一瞬淡い光が妖狐を包み込み、ぱっと弾けた。
何かを感じた妖狐は、驚いた顔で両手を見つめている。
「……繋がりが、切れた……?」
「契約は無効化された。貴方はもう自由よ」
向日葵がそう告げると、妖狐は信じられないという顔で雅臣を振り返った。
状況を理解した雅臣は驚愕と絶望を混ぜたような顔をしている。
「まだアレを主人として慕うなら、もう一度契約を結んでもいいし、逃げてもいい」
「向日葵、逃すのは賛成できない」
唐突に口を挟んだのは紫苑だ。
向日葵が振り返ると、紫苑は妖狐をじっと見据えていた。
「これまで久遠にこき使われて来た妖が、突然自由になって人間に逆恨みしないとは言い切れない。これほどの力をもった妖狐が暴れたら、祓うのは一苦労だ」
向日葵の目の前にいるうちは、この妖狐とて暴れたりはしないだろう。既に彼女の強さが身に染みているはずだ。
しかし、向日葵から離れても大人しくしているとは限らない。
「……貴方はどうしたい?」
向日葵が再び妖狐に向き直って尋ねる。
彼女は視線を落とした。
「妾が久遠に縛られてから、随分と時が経っておる。妾の縄張りも、もうとうにない……どうしたいかと問われても、何も浮かばぬ」
そう、実はこの妖狐は、雅臣が使役に下した訳ではなく、数代前の当主によって、久遠家に縛られた妖だったのだ。
主従契約を継承する際に名を付け替えるため、シルバーテイルという名前は雅臣が付けたのだが、その前には彼の父である久遠家の当主から別の名前で呼ばれていた。
そして、有無を言わさずに命令を下す雅臣に対して、妖狐はいい感情を抱いてはいなかった。
と、雅臣が怒り狂った様子で叫んだ。
「シルバーテイル! 契約解除など許さないぞ! 久遠を裏切るなら、ここで消えろ!」
右手を振り翳し、呪文を唱える。
暦の家系が使う退魔術とは異なるものだが、妖を祓うための術だと、向日葵はすぐに察した。
「赫耀!」
名を呼ばれた赫耀が妖狐を守ろうと動くより早く、妖狐を取り囲む結界が織り成された。
「……紫苑?」
その結界を張ったのは紫苑だった。
向日葵が意外そうに振り返ると、紫苑は忌々しげに雅臣を睨んでいた。
「お前の言動は身勝手すぎて反吐が出る」
そう吐き捨てると、紫苑は右手を振って何かを唱えた。
紫苑の霊力が弾となって飛び、雅臣の腹部を直撃する。
本来霊力には物理的な力はないはずだが、それを喰らった雅臣は後ろにひっくり返って気を失った。
その様を唖然として見ていた面々。最初に沈黙を破ったのは妖狐だった。
「久遠の小僧を霊力で吹っ飛ばすとは、お主なかなかやるな! 気に入ったぞ!」
目を輝かせて飛び上がり、ふわりと紫苑の前に降り立つ。
「決めた! 妾の次の主はお主だ!」
「……は?」
紫苑が目を瞬く。
妖狐は尊大な様子で腕を組んだ。
身の丈は紫苑より頭二つ程低い少女だが、その妖力からして、おそらく百年以上生きている妖だとわかる。
赫耀には及ばないまでも、一部の弱い鬼には難なく勝てるくらいの力を有している。
それがまさか、自ら使役に下ると言い出すとは。
「遠慮するな。妾に名付けをする権利をやると言っているのだ」
そう言いながらも、早く新しい名前をくれと、如実に顔に書いてある。よほどシルバーテイルという名前が嫌だったのだろう。
紫苑は額に手を当てて数秒唸った後、覚悟を決めた様子で顔を上げた。
「わかった。お前に名を与える……お前の名は、雪華だ」
白い肌と髪を雪に見立てた名前か。
紫苑らしい風流な名前だ。
と、名前を聞いた妖狐、雪華はぱあっと表情を明るくした。
「雪華! 良い名だな! 気に入ったぞ!」
名前を付けたことで、使役契約が発動した。
先程とは少し違う色味の淡い光が雪華を包み、弾けて消える。
「……一件落着、なのかしら……」
呆気に取られていた菖蒲が思わず呟く。
向日葵は苦笑しながら、倒れている雅臣を一瞥した。
「ここの祠の件はそうね。ただ、樹様に後始末をしてもらう必要があるわね」
この祠を含め、神奈川、千葉、埼玉、栃木の祠を破壊したのは久遠雅臣だ。
関西の退魔師が、関東の暦の管轄内でそのようなことをするんて、喧嘩を売っているも同義である。
この件は暦家の当主である樹から正式に久遠家へ苦情を申し入れる必要があるが、その辺は樹が上手くやるだろう。
そう思うことにして、向日葵は帰宅するため、桐人に連絡を入れるのだった。
もしよろしければ、ページ下部のクリック評価や、ブックマーク追加、いいねで応援いただけると励みになります!感想も大歓迎です!




