陸:見合い相手
その日、自宅へ戻った向日葵は、待ち構えていた芭蕉に見合い写真と釣書を渡された。
台紙を開いた状態で押し付けられ、どこかで見たことのあるスーツ姿の青年の微笑みが視界に入るが、向日葵はそれを乱暴に閉じた。
「じーさん、私はお見合いなんてしないわよ」
「お前に拒否権はない。裏切り者め」
「私が赫耀を使役にしなかったら、暦家は壊滅状態になっていたわ」
「それでも、鬼などを使役にするなど許されん」
芭蕉は、封印を解かれた赫耀が何をしたのか、どれだけの力を振り翳していたのかを知らない。
「そもそも、使役にする必要なんかなかっただろう。ただ祓えばよかったのだ」
実際、あの時の向日葵には、赫耀を祓うこともできた。
しかし、それはしたくなかった。
圧倒的な強さ故に一族からも化け物扱いされた自分と、圧倒的な強さ故に悪鬼と呼ばれて封印され、永い間孤独でいた彼の姿が重なったのだ。
能力的には、祓えた。しかし、心がそれを拒否した。
そして、赫耀と名を与えて手を差し伸べたことを、後悔していない。
「じーさん、今の葉月家の当主は私よ。それも、真当主なの。わかってる?」
芭蕉は答えない。
「樹様にもこのことは報告した。樹様も、私が暦の外に嫁に行くことを是とはしないそうよ」
「っ! とにかく! 儂は鬼を使役とすることなど認めんっ!」
それだけ言って、芭蕉は身を翻してしまった。
そして翌朝、土曜日で大学のない向日葵が自室にいると、スマホが着信を告げた。
発信者は長月紫苑。
『向日葵、今し方、例の対処で現場に来たんだけど……いたよ。伊東と名乗る男が』
その報告にはっとする。
「六十過ぎくらいの男?」
『いや、四十歳前後かな。今回の祠は寺の一角にあったんだけど、それが壊されているのを見つけた檀家だって名乗ってた……で、怪しいとは思っていたけど、祠を見に行ったら妖が出て、処理を終えたら伊東は消えていた。私に伊東を紹介した住職も、そんな奴は知らないと』
昨日の小学校と同じだ。
「祠からは何が?」
『妖狸だった。人語は解さず、凶暴化していて近寄る人間全てに襲い掛かっていた』
妖狸、つまりは狸の妖。
昔から化けて人を騙すといわれている狸や狐だが、その大半は妖による悪戯が原因である。
狸は基本的に温厚だ。妖狸もまた然り。比較的大人しく人間に対しても友好的で、襲ったりするのは珍しい。
同時に、妖狸はそこまで強い妖ではない。暦が対応したらすぐに祓えるレベルだ。
寺の敷地内に祠があったということは、かつて封じたのは当時の住職だろうか。
かつての僧侶や神職は退魔の術をもっていた。それが今でもお祓いとして残っている。
ただ、時代の移ろいと共に、僧侶や神職はすっかり職業化してしまい、今や妖と戦ったり封じたりする術は廃れてしまったそうだ。
「……もしかして、祠を壊したのが、伊東を名乗る謎の男なのかも……」
『でも解せない。私が会ったのは四十歳前後の男だった。気配も探ったけど確かに人間だったよ』
「そうね……私が会ったのは六十前後……私も人間にしか思えなかったわ。赫耀も、気配は人間だったって言っていた……ほんの僅かに妖気がしたとも言っていたけど」
『不可解だね。気配は覚えたから、ちょっと探ってみるよ』
「頼んだわ。何かわかったら教えて」
向日葵はそう言って電話を切った。
長月家の真当主にして第三の《鍵》に選ばれた紫苑は、そういった術が得意なのである。
と、その時、来客を告げるチャイムが鳴った。
暦邸には及ばないものの、葉月邸も神奈川県の高級住宅地と呼ばれる一角に構えている。
チャイムを聞いた瞬間、向日葵は何だか嫌な予感がして顔を顰めた。
「……向日葵様、お客様です」
中年女性の控えめな声がした。この家で家政婦として働いている草壁松子だ。
向日葵が子供の頃から働いてくれていて、昔は向日葵のことを「お嬢様」と呼んでいたが、向日葵が当主となった瞬間から向日葵様に呼び名が変わった。
部屋から出ると、深緑色のエプロンを身に着けた五十歳くらいの女性が立っていた。
「応接室にお通ししております」
「わかった」
頷いてそちらに向かう。
近付くごとに、胸騒ぎがどんどん広がっていく気がした。
「……お待たせしました」
部屋に入ると、和室の下座に、一人の青年が座っていた。
「葉月家当主の向日葵と申します」
上座側に座ってそう名乗ると、彼は爽やかな笑みを浮かべて一礼した。
「久遠雅臣と申します」
スーツ姿で、二十代前半くらい。黒髪で端正な面立ちをしている。
その顔に、向日葵は見覚えがあった。
「……あ、お見合い相手……」
思わず呟くと、雅臣はにっこりと微笑んで頷いた。
その姿を一目見て確信する。強い。宿る霊力もさることながら、肉弾戦も得意なのだろうと悟った。
「ええ、葉月芭蕉殿からご連絡を頂き、すぐにでも顔合わせを、ということでしたので、馳せ参じた次第です」
「大変申し訳ございませんが、私自身がこの縁談を承諾しておりません」
「そうでしょうね」
訳知り顔で頷いた雅臣に、向日葵は眉を顰める。
彼はふっと笑った。
「葉月家の当主が、暦一族でも最年少でその座に就いたことは存じております。ああ、先日暦の当主の
代替わりに伴い、分家の当主も入れ替えになったとかで、今の最年少は如月家ということも存じてますよ」
ぺらぺらと良く回る口で話し、向日葵が口を挟む間もなく続ける。
「それで、先日暦家が永年封印していた鬼が事故により解放されたものの、外に出すことなく、向日葵さんが使役に下したという話も伺っております」
「……それで、面白半分に私の顔を見に来た、と?」
「顔だけ見たいなら写真で充分ですよ。貴方に会ってみたかったのは勿論ですが、僕が興味をそそられたのは、使役になったという元悪鬼の方です」
そう言いながら、彼は向日葵の背後に視線を向ける。
そこ、隠形して控えている赫耀がいる場所だった。
「……視えるの?」
「姿をはっきり視認できる程ではないですよ。そこにいるのがわかる程度です」
そう話す彼の周りにも、妖気が漂っているのは先程から感じていた。
久遠は妖を使役するのが得意な一族だ。
「……そう言う貴方が連れているのは……狐かしら」
「正解です。流石ですね」
満足げに頷くと、彼はパチンと指を鳴らした。
彼の背後に、白髪で色白の少女が姿を現す。
瞳は黄金色で、頭には尖った獣の耳が付いていて、纏っているのは巫女のような白い着物と袴。
「赫耀」
向日葵が名を呼ぶと、それに応じるように赫耀が姿を現した。
それを見て、雅臣が僅かに目を瞠る。
「凄い……本当に鬼だ」
感心した風情で目を輝かせる雅臣。その横で、妖狐の少女が顔を顰めた。
だが、少女から自分達に対する敵意のようなものは感じられない。
「……満足したなら、どうぞお引き取りください」
「満足?」
雅臣が目を瞬かせ、そしてぷっと笑い出した。
「ははっ! 使役された鬼を目の前にして、満足する訳がないでしょう!」
その発言の意図が読めずに目を細める向日葵に、雅臣は更にやりと嗤った。
「鬼を使役できるなんて、向日葵さんは素晴らしい! 僕の花嫁に相応しい女性は初めてです!」
「それはどうも。でも私は貴方が嫌いですので、お引き取りください」
「僕以上に、貴方に相応しい男がいるとでも?」
「相応しいかどうかは私が決めます」
向日葵はそう言い放つと、赫耀を一瞥した。
「赫耀、丁重に、お引き取りいただいて」
「御意」
赫耀はそう言うやかっと目を見開いた。
雅臣と妖狐が、その場で凍り付く。
金縛りか、と向日葵が察すると同時に、赫耀は右手を上げ、妖力によって二人の身体を浮かすと、そのまま玄関の外へ移動させていった。
門の外に出た所で、そっと地面に下ろす。
「……凄い! この僕が金縛りに遭うなんて初めてだ! 欲しい……!」
興奮する雅臣は、己の隣で妖狐の少女が悲しそうな顔をしていることに、気付かないのだった。
一方、赫耀が雅臣を応接間から追い返したのを見届けた向日葵は、一度台所へ引っ込むと、何かを引っ掴んで出ていき、門の外へ向かって思い切りそれをぶん投げた。
ふぁさ、と舞ったそれは、塩だ。
「一昨日来やがれっ!」
まだ門の前にいた雅臣は盛大にそれをひっ被り、慌ててそれを手で払った。
彼の使役である妖狐は、向日葵が拳を振り上げた瞬間に何かを察して姿を消した。妖は塩を被るとかなりのダメージを受けてしまうからだ。
「あーあ……塩かぁ……初めて撒かれたよ。はは。久遠の次期当主に向かって塩かぁ……」
何だか楽しそうにくつくつと笑う雅臣。
「……ますます気に入ったぞ、葉月向日葵……!」
不穏な笑い声を残し、彼はその場を去っていった。
それを塀の上から隠形して眺めていた赫耀は、剣呑に目を細めるのだった。
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