伍:当主の弟
暦邸の門を叩くと、執事の根元が顔を見せた。
根元豊、三十代半ば程に見える、逞しい体躯の男だ。
「葉月様、どうされましたか?」
「大至急、樹様に面会を」
「……承知いたしました。応接間でお待ちください」
暦家の当主は基本的に多忙なので、分家の当主であっても約束のない面会は基本的に門前払いされる。
しかし分家で最も強く、第二の《鍵》にも選ばれた葉月家の真当主であり、樹の従兄妹に当たる向日葵に限ってはそうはならない。
指定された通りに応接間に入ると、バタバタとした足音が響いて来た。
「向日葵! こないだぶり!」
ばん、と障子を開けて入って来たのは、暦家当主の樹、ではなく彼と瓜二つの弟、実だった。
先日の暦家当主交代のための総会で、後ろに控えていた青年である。
彼を見た瞬間、向日葵は思い切り顔を顰めた。
「実……私は別に貴方に会いに来た訳じゃないわ」
「えー、てっきり僕に会いに来てくれたのかと……」
そう言いながら、実はへらへらと笑う。
昔からそうだ。
真面目な樹に対し、軽薄な実。
ただ、実とて退魔師としての素質がない訳ではなく、分家の真当主以上の力はある。
この先も、樹の右腕として暦家を支えていくことになっている。
「で、兄貴に何の用なの?」
「実には関係ないわ」
本家直系の男児である実に対して、向日葵の態度は他の分家からするとありえないものであるが、二人は母親が姉妹である従兄妹同士であり、年齢も一歳しか変わらない幼馴染なので黙認されている。
と、そこへ樹が椿を伴ってやって来た。
「待たせたな。椿も話を聞いて構わないか?」
「ええ、もちろんです」
頷いて座布団に座り直す。
その向かい、上座側に樹と椿が腰を下ろした。そして何故か、実が卓の横側にちょこんと座る。
一瞬眉を寄せた向日葵だったが、時間が惜しいので早速本題に入ることにした。
「先々代葉月家当主、芭蕉から、何か聞いていますか?」
「……ああ、向日葵が鬼を使役とするということを何故認めたのか、という苦情がきたな」
それは想定の範囲内だ。
あれほど烈火のごとく怒り狂っていた祖父だ。当然、許可を出した樹にも噛みついたことだろう。
「それだけですか?」
「うん? ああ、俺が聞いたのはそれだけだが……何かあったのか?」
「祖父は私を葉月家から追い出すため、久遠家との縁談を取り付けてきました」
「はぁっ?」
樹が何か言うよりも早く、素っ頓狂な声を上げたのは実だった。
「嘘だろっ? 見合いっ? 向日葵がっ? 京都のあの久遠とっ?」
騒ぎ始めた弟を軽く手で制して、樹が口を開く。
「……追い出すため、ということは、婿養子を取ると言う話ではなく、嫁に出すということか?」
「そうでしょうね。まだ釣書も見てませんが」
「そんな馬鹿な……向日葵さんを暦一族から追い出すなんて……」
向日葵の強さを知る椿も、心底驚いている。
「……で、ここへ来たということは、俺に爺さんを止めろってことか」
「そういうことです。私が暦一族から抜けても、全く問題ないと樹様が仰るなら、別に構いませんが」
「いや、向日葵が抜けるのは正直暦の衰退に直結しかねない痛手だ」
即答する樹に、椿がうんうんと頷いている。
そんな彼女に向かって、向日葵が切り出した。
「……椿様、一つお伺いしても?」
元々は分家同士、歳も近く向日葵は椿を気にかけていた。その時は呼び捨てだったし、敬語など使わなかったが、樹の婚約者となった椿に対し、向日葵はケジメとして敬語で話すようになったのだ。
「もちろん、どうぞ」
「……椿様は《選定の儀》の後、樹様から突然求婚されたと認識しています。突然断れない縁談を持ち掛けられたようなものだったと思いますが、嫌ではなかったですか?」
樹に対し失礼な質問ではあるが、そこは従兄妹同士であるため、樹は苦虫を噛み潰したような顔をするだけだった。
椿は少し照れたように頬を掻く。
「そりゃあ、驚いたし、すぐには受け入れられなかったけど……でも、樹のことは信用できると思ったから」
「……まぁ、自分たちの本家の嫡男だしね」
初対面ではなかったことも大きかったのだろうな、と漠然と考える向日葵である。
自分の身に置き換えたら、数回しか会ったことのない男に突然求婚されるなど、不愉快でしかないのだが。
「えっ! じゃあ向日葵! 僕と結婚しようよ!」
突然そう言い出したのは実だ。
「はぁ?」
何を言っているんだろあからさまに顔を顰める向日葵と、額を押さえる樹。
「実、俺たちと向日葵は従兄妹同士だぞ」
「日本の法律では従兄妹同士は結婚できるぞ」
「法律はそうだが……退魔師としては、血が近すぎると生まれる子供の霊力に乱れが生じる可能性が高いから忌避されている。お前と向日葵の高い霊力が無駄になる可能性がある以上、暦の当主としては認められない」
樹が淡々と答えると、実は不満そうに唇を引き結んだ。
それに、と樹が向日葵の背後に視線を向ける。
「そんなこと言うと、呪われかねないぞ」
何のことだ、と言いかけた実がひゅっと息を呑んだ。
隠形していたはずの赫耀がいつのまにか姿を現していて、物凄い形相でこちらを睨んでいたのだ。
「えっ、えっ! な、何でっ?」
「赫耀は向日葵の使役だ。主に不用意に近付く者を警戒するのは、使役の本能と言える」
「警戒って言うか、滅茶苦茶殺意を向けられてるんだけど……」
戸惑う実に、向日葵がちらりと背後を一瞥した。
「赫耀、何でそんなに怒ってるの?」
「怒ってなどいない」
ふんと鼻を鳴らすと、赫耀は再び隠形してしまった。
「ん-、向日葵の結婚相手は、俺が探す必要あるあるかとも思っていたんだが、下手をすると俺の命が危なそうだな」
樹が苦々しく呟く。向日葵は首を傾げた。
「別に自分の相手くらい自分で探しますので、心配はご無用です」
「いや、それでも候補は多い方がいいだろう? 真当主である以上、それなりに霊力の高い伴侶を選ぶ必要がある。どうせ限られるなら、ある程度輪は広げて置いた方がいいと思ったんだが……」
意味深長に言葉を切り、樹は腕を組んで唸った。
「……まぁ、今は向日葵の結婚相手についてはおいておこう。明日には、俺から爺さんに連絡してみる」
「お手数をおかけしますが、よろしくお願いします」
向日葵は一礼して立ち上がった。
「向日葵」
「はい?」
名を呼ばれて振り返ると、樹がいつになく真剣な顔でこちらを見ていた。
「……暦家の歴史の中で、鬼を使役にしたのはおそらくお前だけだ。くれぐれも、間違えるなよ」
「? わかりました」
一瞬怪訝な顔をしたものの、向日葵は頷いて応接間を後にした。
当然、隠形していた赫耀もそれに続いて去っていく。
「……なぁ、兄貴」
静かになった部屋で、実が口を開く。
「うん?」
「……やっぱり僕は、向日葵とはどう足掻いても結婚できないのかな……?」
「……こればっかりはな……」
樹が憐れむような顔をして眉を下げると、実は溜め息をついて卓に突っ伏した。
「くそぉー……なんで僕たちは従兄妹同士なんだよぉ……」
項垂れて悔しがる実は、冗談を言っているようには見えない。
「従兄妹である以前に、向日葵にその気がないんだ。諦めろ」
冷たく言い放った樹に、実はぐっと唇を噛み締めるのだった。
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