肆:過去
自宅に向かって歩きながら、向日葵は己の過去を思い出していた。
生まれながらに強い霊力を宿していて、退魔術もすぐに習得した。
祖父が鼻高々に褒めそやす一方で、一族の他の者たちからは恐れられてきた。
周囲を圧倒するような霊力を有する向日葵は、今では人柄も含めて慕われることも多いが、霊力を抑制しきれていなかった幼少期は、化け物扱いだったのだ。
向日葵には歳の離れた弟がおり、その他にも葉月家には他に何人か同年代の子供がいる。
彼らは、向日葵がすぐに高度な退魔術を使いこなすのを目の当たりにして、どんどん卑屈な態度を取るようになってしまった。
それは、他の分家の者たちもまた同じ。
芭蕉と両親以外で、向日葵に対して萎縮しなかったのは、暦の先代当主の幹太郎と、その息子で現当主の樹、それから如月家の当主であり樹の婚約者でもある椿、それから同じく《鍵》に選出された長月紫苑だけだ。
如月椿は、実の家族たちから虐げられていたため、本人は気づいていなかったが、彼女もまた強い霊力を有していて、向日葵に対して本能的に畏怖を感じなかったのだと思われた。
だからこそ向日葵は椿を認め、気にかけていたのである。
『……主?』
赫耀が気遣わし気な様子で声をかけてくる。
「……大丈夫よ」
そう答えて、今し方脳裏に浮かんだ人物の一人に、電話をかけてみることにした。
『はい、こちら紫苑』
数回のコール音の後、聞き慣れたハスキーな声が聞こえてきて、向日葵は内心でほっとする。
「向日葵よ。ちょっと気になることがあって……後で樹様からも連絡がいくはずだけど、その前に伝えておこうかと思って」
そう切り出すと、電話の向こうで紫苑が姿勢を切り替えたのがわかった。
雑談ではなく仕事の話になると、意識が切り替わる。それは暦に連なる者に共通した特徴かもしれない。
向日葵が先程の出来事について話すと、紫苑は僅かに思案するような声を漏らした。
『……謎の用務員、ね……』
「埼玉でも同じように祠が壊されて怪奇現象が起きているって報告が上がっているみたいで、対処依頼が暦に来ているらしいから、近いうちに指示は行くと思うけど、現場に妙な人間がいないか警戒した方がいいわよ」
『わかった。向日葵や赫耀でさえ最初に違和感を持たなかったくらいだから、私の警戒で察知できるかはわからないけど、気に留めるようにするよ』
紫苑がそう言ったところで会話を切り上げて通話を終える。
と、同時に、スマホが震えた。着信だ。
発信元は父親。
「はい、向日葵」
『じーさんに怒られたらしいな』
第一声がそれか、とあからさまに顔を顰めた向日葵。
それを察したのか、父千両は苦笑した。
『怒り狂ったじーさんに、向日葵をさっさと結婚させろと言われたんだ』
「は?」
思わず反射的に声が出てしまった。
「私はまだ十八なんだけど。結婚なんて十年後でも充分よ」
『それがなぁ、親父は鬼を使役にしたお前を、さっさと葉月から追い出したいらしいんだよ。急いで縁談を取り付けて来て、既に日取りも決めているみたいなんだ』
「巫山戯ないで。今の葉月家当主は私よ。いくらじーさんでも、そんなの従う義理もないわ」
『いや、それがな、相手が乗り気なんだよ』
「関係ないわ。断っておいて」
強く言い返した向日葵に、千両は困ったような声で答えた。
『それが、相手はあの久遠家なんだよ』
「久遠……?」
その名を聞いた向日葵が驚いた顔をする。
久遠は京都を拠点としていて、西日本で活動している退魔師の一族だ。
暦とは比較的友好的で、かつて久遠家の娘が暦家に嫁入りしたこともある。
そして、暦家とは異なる術式を使い、妖を使役することを得意とするのが最たる特徴である。
きっと、鬼を使役する向日葵を、鬼ごと久遠家に丸投げするつもりなのだ。
久遠家にしてみれば、鬼を使役にした退魔師が嫁入りするなど棚から牡丹餅とでもいえることだろう。乗り気なのも充分理解できるし、こちらから持ち掛けた縁談をこちらから断るとなると、かなり体裁が悪く、両家の関係が悪くなるのは自明の理だ。
「……父さん、ちょっと、これから本家に行ってくる」
『うん? これから?』
向日葵がいるのは、葉月家が管轄する神奈川県。暦の本家があるのは都内だ。
既に陽は沈んでいる。呼ばれた訳でもないのにこれから向かうのは流石に失礼に当たる。
「流石に受け入れられないわ。それに、久遠とのお見合いなんて、暦家にとっても無関係ではいられないでしょう?」
暦に連なる十二の分家の者の中には、一般人と結婚する者も少なくはない。
だが、当主となると己の意思だけでは伴侶を決められない。霊力が強い者同士でないと、生まれる子供の霊力にも影響が出てしまうからだ。
当主となれば当然、家を守り次世代に受け継ぐ義務を負う。
それは向日葵も理解している。だが、それでも彼女は条件の合う中で、自分の相手は自分で選ぶつもりでいた。
「そもそも、私を追い出すなんて、葉月家として相当な痛手だと思うけど?」
『それは俺も同感だ。今の葉月家……いや、暦一族に、向日葵ほど有能な退魔師はいない。樹様とて、久遠に嫁に出すことを是とはしないだろうな』
しかし、先代の真当主である芭蕉を無碍にできないのもまた事実だ。
彼は向日葵の母カンナ、樹の母エリカの父、つまり現当主の祖父でもあるのだ。
つまり向日葵の父千両は婿養子である。
ちなみに、向日葵の母カンナも優秀な退魔師で、一度は高齢となった芭蕉の代わりに当主となったものの、性格的に当主が向いておらず、向日葵が十八になった瞬間にその座を譲って旅に出てしまった。
千両との仲は悪くないようだが、彼は婿養子という立場もあり、まだ中学に上がったばかりの末息子のために家に残っている。
家を出てしまったが、向日葵は母親を尊敬している。愛情を注いで育ててもらった自覚もあるし、退魔師として働く母の姿をずっと格好いいと思っていた。今でも定期的に連絡は取り合っている。
「……だから行ってくるわ」
電話を切って足早に暦の屋敷へ向かおうとする向日葵に、赫耀が声をかけた。
『暦の家に行くなら、連れて行ってやるぞ』
「赫耀が?」
『俺なら飛べる』
言われて思い返せば、封印が解かれた時、赫耀は宙に浮いていた。
「どれくらいで行ける?」
『四半刻の半分もあれば』
一刻は二時間、四半刻はその四分の一なので三十分。その半分となると、十五分か。
普通にここから駅に戻って電車に乗っても、暦家の最寄り駅に着くまでに一時間弱かかる。
十五分で行けるならありがたい。
「……それは助かるけど、どうやって?」
『主にも隠形の術を掛けて、背負うか抱き上げて行く』
そう言われて、向日葵は一瞬躊躇した。
向日葵も十八歳、所謂年頃の乙女である。使役の鬼とはいえ、見た目は美青年である赫耀に背負われたり抱き上げられるのは少々恥ずかしい。
言葉に詰まる向日葵に、赫耀は目の前に顕現して首を傾げた。
「迷惑ならやらないが、どうする?」
「……お願いするわ」
向日葵が腹を決めて手を差し出すと、赫耀はさっと彼女を抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこ状態だ。
赫耀が何か唱えると、彼の妖力が向日葵を包み込んだ。
妖力なのに妙に暖かく感じて、向日葵は何故か安心感を覚えた。
「掴まっていろ」
それだけ言うと、赫耀は空に飛び上がった。
「っ!」
予想以上に空高く舞い上がり、猛スピードで翔け出す。向日葵は舌を噛まないように咄嗟に口を噤んだ。
そして彼の宣言通り、ものの十五分程で暦の屋敷の目の前に降り立ったのだった。
もしよろしければ、ページ下部のクリック評価や、ブックマーク追加、いいねで応援いただけると励みになります!感想も大歓迎です!




