参:不可解
向日葵の柏手の音が響くと共に、小鬼の姿がその場から崩れ去るようにして掻き消える。
同時に、辺りに充満していた鬼の気配が消えていった。
「……伊東さん、大丈夫ですか?」
向日葵が駆け寄って伊東の方を叩く。
数秒後、伊東は目を開けてゆっくりと身を起こした。
「……あれ? 私は一体……」
「鬼に取り憑かれたんですよ。大丈夫ですか? 気分が悪ければ、暦と縁がある病院をご紹介しますが……」
「いえ、大丈夫です……それでその、鬼は……?」
「祓いました。これで、鬼による被害はもう起きないはずです」
向日葵はそう答えつつ、伊東には先に校長室に戻るよう言い、自分は赫耀と共に念のため祠を見に行った。
そこにこびりついていた気配が、先程退治した小鬼のものであることを確認したうえで、再度浄化して、任務完了の報告のため、校長室に戻った。
報告を終えると、有馬は満足そうに頷いた。
「そうですか。鬼はもう討伐されたのですね。流石は暦の方」
「一週間ほど様子をみて、異変が起きないことを確認されたら、報酬のお支払いをお願いいたします。振込先などは、依頼時に暦から書類が送付されていると思いますので、ご確認お願いします」
「ええ、わかっています」
と、そこで向日葵は、校長室を見渡した。
「……あの、伊東さんは戻られましたか? 大丈夫そうでした?」
鬼に取り憑かれた直後だ。先程の様子からして問題なさそうだったが、鬼の場合は接触した人間に後から妖気に中てられたような症状が出ることもある。
と、有馬はきょとんと目を瞬いた。
「伊東?」
「……ええ、用務員の伊東さんです。私を裏庭に案内してくださった際に、鬼に取り憑かれてしまって、鬼は祓いましたし、浄化もしたので心配はないと思いますが……」
怪訝に思いつつそこまで答えた向日葵。有馬は首を傾げた。
「うちの用務員に、伊東なんておりませんが……」
「……え?」
先程、間違いなく有馬から用務員の伊東であると紹介された。
有馬の気配は間違いなく人間のものだ。
「……失礼ですが、先程私がここへきてご挨拶した時のことは覚えていらっしゃいますか?」
警戒しつつ尋ねると、有馬ははっきりと頷いた。
「ええ勿論」
「その時、私を案内してきてくれた方のことは?」
「うん? あれ……誰だったかな。いやぁ、最近物忘れが激しくなったみたいで……」
苦笑する有馬は、嘘は言っているように見えないし、妖術に掛っている様子もない。
『嘘は言っていないな』
隠形している赫耀も同じ認識だった。
向日葵は念のため、校長室と有馬校長本人に浄化の術を掛けてから学校を後にした。
校門を出た所で、樹に電話を掛け、任務完了の報告と共に今の出来事を伝える。
『……用務員が消えて、校長の記憶からも消えている、と……?』
「ええ……なんだか、嫌な予感がします。もしも同じような依頼がきたら、気を付けた方がいいでしょうね」
『わかった。丁度、祠が壊されて異変が起きているという依頼があと四件来ているから、気をつけるように伝達しておく』
「四件も? 場所は?」
『ばらばらだ。座標はまとめて送る』
「対応するのは誰です?」
『ああ、えっと……皐月、水無月、長月、神無月だな』
「つまり、茨城、栃木、千葉、埼玉……」
暦の一族は、各家が一県を担当している。
睦月は青森、如月は秋田、弥生は山形、卯月は福島、皐月は茨城、水無月は栃木、文月は群馬、葉月は神奈川、長月は千葉、神無月は埼玉、霜月は宮城、師走は岩手、暦本家は東京だ。
つまり、関東近郊でのみ、同じような依頼が全部で五件きているということだ。
退魔に関連する依頼は年間通してそれなりにある。暦本家に来る場合もあれば、分家に直接来る場合もあるが、今回は同じような依頼が全て、本家に来ているという。
『……きな臭いな』
赫耀が呟く。向日葵も同感だった。
「赫耀、あの用務員、どう思った?」
『気配は人間だった。だが確かに、後から思えば妙な違和感はあった』
「妙な違和感?」
『妖力を感じたんだ。あの小鬼の妖力かと思ったが微妙に違う……』
「妖力……霊力ではなくて?」
人間に宿るのは霊力、妖に宿るのが妖力だ。
一般的な人間にも霊力はある。いわゆる霊感とも呼ばれる力だ。
向日葵はあの用務員から、特別な力は感じなかった。
妖力は感じたが、妖に取り憑かれた人間から妖力の気配がするのは当然である。
「霊力と妖力は間違えようもない」
妖力と霊力は人によって感じ方が異なる。
退魔師であれば当然区別できるが、ちょっと霊力を持つだけの人間だったら区別できないことも多い。
逆に、鬼である赫耀にしてみれば、妖力と霊力は明確に異なるものだと感知できるらしい。
「……あの小鬼の力は間違いなく妖力だった……そして、私は伊東から小鬼以外の妖力を感じなかった……」
人間と鬼とでは、感覚も違う。赫耀程の鬼ならば、向日葵が感知できない気配を感知できたとしても不思議はない。
「……例えば伊東が妖で、人間に化けていたとか……もしくは呪術師で、力を隠していた、としたら説明はつくけど……」
何ともなしに呟くと、赫耀が『呪術師?』と聞き返してきた。
「呪術や退魔術を習得しているけど、退魔を生業にしていない人間のことよ。その中でも、特に人間に害なすことを躊躇しない連中のことは呪詛師と呼ぶの」
『……人間の術はよくわからんが、そういった類の連中が、暦に喧嘩を売ってきた……ということか?』
納得した風情で呟く赫耀に、向日葵は頷く。
実はこの日本に、暦以外の退魔師の家系や呪術師の一族は意外と多い。
暦の管轄は関東と東北だけで、それ以外の道府県には各々別の一族がいて、縄張りのようにしてそれぞれの地を守っているのだ。
そして基本的に、他の家系や一族とは互いに干渉し合わないという暗黙の了解がある。
しかし一方で、犬猿の仲である家同士もあり、境界付近ではよく小競り合いをしているという噂を耳にする。
『暦に喧嘩を売るような人間に心当たりがあるのか?』
「それが、意外といるのよ。暦は国からも仕事を受けているから嫉妬だったり、縄張りの境界付近で起きた事件で競合したりね」
妖の世界にも縄張りという概念はあるので、赫耀は『なるほどな』と呟いた。
「……でも、今の葉月家に喧嘩を売るような間抜けは、そういないと思うんだけど……」
何しろ、葉月家の今代当主である向日葵の強さは、暦家以外の退魔師や呪術師でも有名なのだ。その上、とんでもなく強い鬼を使役にしたらしい、という噂も既に広まっている。
向日葵自身、己の強さを自覚している。
その辺の退魔師や呪術師には負けない自信もある。
「……逆に、鬼を極端に嫌う退魔術が、赫耀を祓うために仕掛けてきた、って可能性もあるかしらね」
向日葵が剣呑に呟く。
彼女の脳裏をよぎるのは、祖父芭蕉の顔だ。祖父本人が今回の件に関係しているとは思わないが、退魔師の中には、一定数祖父のように鬼を心底憎んでいる者がいるのも事実である。
自宅に向かって歩きながら、向日葵は小さく溜め息を吐くのだった。
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