弍:小学校の裏庭
目的地に着いて支払いをし、領収書を受け取った向日葵は、タクシーを降りてすぐ目の前を睨んだ。
見た目はよくある公立の小学校だ。
歴史を感じさせる割と古そうな校舎と、それと釣り合わない真新しい遊具が校庭に設置されている。
夕刻なので生徒の下校は終わっているが、校庭で遊んでいる児童が何人かいた。
向日葵がつかつかと敷地内に入っていくと、用務員と思しき老年の男が声をかけてきた。
「生徒さんのご家族の方ですか?」
「いえ、暦の者です」
そう答えると、用務員は僅かに驚いたような顔をして、「失礼、お若く見えたもので」と頭を下げた。
それから、彼女を校長室へ案内してくれた。
校長室に入ると、五十歳前後の恰幅のいい男性が、待ってましたとばかりに出迎えてきた。
そして、向日葵を見るなり驚いた顔をして、上から下まで呆然と見て、はっと我に返った様子で年季の入った革張りのソファに座るよう促してきた。
それに従ってソファに腰を下ろすと、彼は向かいに座って話し始めた。
何故だか用務員も彼の隣に座る。
「校長の有馬と申します。彼は用務員の伊東です」
「暦第八分家の葉月と申します」
葉月が名乗ると、用務員の方が戸惑った様子で口を開いた。
「分家? それも第八とは……貴方は暦の方ではないのですか?」
「暦家には十二の分家があります。始まりの話からすると長いのですが、今は全家に暦の血が流れていますので、問題ありません」
元々、暦は平安時代から退魔師を生業としている一族だった。戦国時代に暦の先祖が、三人の弟子と共に当時悪鬼として暴れていてた赫耀を封印した。その封印を後世まで維持するため、当時の三人の弟子は暦の分家として、関係を強化することになった。
元々その時の弟子たちと退魔師本人には血縁関係はなかったが、それから数百年の間に、暦家の子女が分家に嫁入りしたり、分家の子女が暦本家に嫁入りしたりすることを繰り返したので、今現在は十二ある分家すべてに、暦の血が流れている状態となっているのだ。
「……伊東さんは、暦の人間と面識がおありですか?」
「いえ、そういう訳では……ただ、暦家の方なら、アレを簡単にどうにかできると伺ったので、その……」
「分家、それも第八と聞いて、それができるのか心配になった、ということですね」
話をまとめた向日葵は、あえてにっこりと微笑んだ。
「ご心配には及びません。第八分家というのは、序列ではなくただの便宜上の数字です。私はこう見えて、分家の中では最も強い霊力をもっていますので」
「そう、ですか……」
まだ何か言いたげにする伊東を横目に、有馬が話を戻した。
「ええと、早速ですが、本題に入らせていただきますね。この学校の裏庭には、小さな祠があるんですが、数日前に壊されてしまっているのが見つかりまして……それ以来、暗くなると不可解なことが起き始めるようになったんです」
「不可解なこととは?」
「残業をしていた職員が帰ろうとした時、誰もいないのに後ろから髪を掴まれて転倒したり、見回りの時には異変がなかったのに、朝教室の机が全て倒れていたり、夜間の暗い廊下から笑い声のような声が響いたり……」
どれも、侵入者が悪戯した、という可能性がない訳ではないような話だ。
しかし、向日葵はそれをうんうんと聞き、さっと立ち上がった。
「では早速、その祠を見せていただけますか?」
伊東が案内してくれるというのでついて行くと、裏庭に近付くにつれてどんどん妖気が濃くなっていった。
『主、これは……』
隠形している赫耀の言葉に、向日葵は僅かに頷いて応じる。
この気配は、鬼だ。
赫耀の気配と非常によく似ている。
世間一般的には鬼は妖の中の一種とされていることが多いが、暦一族では分けて考えられている。
その理由は、鬼は最も強く厄介である、だけでなく、妖の中でかなり異質だからだ。
鬼の中には、元々人間だったものがいるのである。
「……鬼ね」
裏庭に出ると同時に呟き、向日葵はすぐに右手を構えた。
「伊東さん、ここまでで結構です。危険なので戻っていてください」
「そうですか……」
静かに答えた伊東が、ゆらりと振り返る。
刹那、向日葵は嫌な妖気を感じて本能的に後ろに飛び退いた。
数秒前まで向日葵の首があった場所を、銀の光が一閃する。が、何もない虚空で弾かれてあらぬ方向へ撥ね返った。
「っ! 赫耀!」
名を呼ばれ、彼が姿を現す。彼が隠形したまま光を弾き飛ばしたのだと、向日葵は気配で察していた。
「主は何もしなくていい」
赫耀はそう告げると、伊東に向けて右手を突き出した。
その手から、灼熱の妖気が迸る。
「赫耀! その人は人間よ! 傷つけては駄目!」
「わかっている」
頷いた赫耀が右手を軽く振るうと、伊東は気を失ってその場に倒れ込んだ。
赫耀はすぐに視線を滑らせ、妖気の出所を探る。
と、思いの外すんなりそれが見つかった。
「そこか」
何もない虚空を妖気の炎が貫く。
「うわっ! いきなり何するんだよ!」
と、虚空から声がして、何かが姿を現した。
「……子供?」
それを見た向日葵が僅かに驚いた声を上げる。
そこに立っていたのは、十歳くらいの子供の姿をした鬼だった。
丈の短い和服を着ていて黒髪赤眼、そして額の高い位置に一本の角が生えている。
鬼は何度か見たことがあるが、子供の姿をした鬼を見るのは初めてだった。
鬼は元人間であることが多い。子供が鬼になるという例は、絶対ないとは言い切れないが、少なくとも向日葵が聞いたことはない。
「おいお前! お前も鬼だな! 何で人間と一緒にいるんだ!」
鬼の少年が赫耀を指差す。
赫耀は不快そうに眉を顰めつつも口を開いた。
「俺の主だからだ」
「主? 鬼のくせに人間に使役にされたのか! とんだ雑魚だな!」
げらげらと笑う小鬼に、赫耀は嘆息して右手を上げた。
灼熱の妖力が渦を巻き、牢獄のように小鬼を取り囲む。
「うわっ! 何だよ! やめろ!」
その妖力の檻から逃げられないと悟った小鬼の顔色が変わる。
「鬼のくせにこの程度も弾き返せないのか。雑魚だな」
赫耀はそう言うと、右手をぎゅっと握った。
呼応するように、炎の牢獄が一瞬で縮み、小鬼を焼く。
「うわぁぁぁぁぁっ!」
子供の悲鳴に、向日葵が思わず顔を顰める。
だが、ここで情けをかけてもいいことはないと、彼女は痛感している。
妖の中には、鬼以外でも人間の姿に近い姿をしているものがいる。
子供の姿をして近付いてくるものも。
それに絆されて攻撃の手を止めれば、次の瞬間に自分の首が飛んでいるかもしれない。
少なくとも、かつてそれで命を落とした退魔師は、長い歴史の中で数え切れないほどいるのだ。
「祓!」
向日葵が唱えると、清廉な霊力が小鬼を包み込んだ。
「っ、やめろ! もう人間を襲わないっ! 頼むよっ!」
「お前は、既に人間を襲ったから封印されていた。そして、さっき私の首を明確に狙ってきた。人間を殺すことを、微塵も躊躇っていない。悪いけど、そんな鬼を生かしておくほど、退魔師は甘くないの」
向日葵はその言葉の直後、ぱんと柏手を打った。
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