第40話
兵頭コーポレーション 御曹司(当時) 兵頭虎次
「わいはついとらんのう……」
鷹臣の命を前にすれば、プライドなどはどうでもよかった。あれほど嫌っていた夫に縋り付くほど、鷹子は鷹臣を救いたかった。彼女は、虎次の肉体を欲した。鷹臣と全く同じ遺伝子をもつ虎次の肉体に鷹臣の頭を挿げ替えれば、きっと鷹臣を元の鷹臣に戻すことができると夢想したのだ。この点、鷹子も道理というものを見失っていた。
その申し出を聴いた時、虎太郎は心の中で一笑に付した。そんなことができるわけはないし、できたとしても法律が許さないからだ。しかしこの時、彼の脳裏に非道のアイデアが閃いた。彼も鷹臣の頭脳が欲しかったし、二人の利害が一致していたことがその思考を増長させたかもしれない。法律がなんだ、可能性がなんだ、俺ならこれをやってのけられるはずではないか。これは後に、畏怖と軽蔑でもって人非人と陰口を叩かれる兵頭虎太郎が、初めて、決定的な不義の道に踏み出した瞬間でもあった。
「鷹子……実はうちの虎次も頭に重要な欠陥を抱えている。このままでは生きられないかもしれないのだ。よし、二人をくっつけよう」
一瞬でこのような決定を下した自分の主に、袴田は舌を巻いた。越えてはならない一線をなんの躊躇もせずに越えていく兵頭虎太郎に、彼は初めて、真の英雄の気配を感じたのだ。英雄とは、我々凡人が恐れ戦く神の領域で平然と呼吸をする、このような男のことなのかもしれない。彼はそう思うと、なんとか自分を納得させようとした。しかしやはり、こればかりは気持ちを整理するのに時間がかかった。くっつける? 人間を、自分の息子たちをくっつけるだと? 思考は停止し、他の重要な責務のことを一時的に見失い、彼は二人の少年の顔を交互に思い浮かべるだけだった。
鷹臣の脳は虎次の頭蓋骨には収まらないと診断され、脳移植という選択肢は早々になくなった。残るは、鷹臣の首ごと虎次の肉体に接合するという方法だが、いくら実質的の双子とはいえ、二人の人間の結合は先端医療でも不確かだった。生きている人間への首の挿替は、世界中どこを探しても法律違反であったため、そもそもが例を見つけ難い。闇の世界で成功例をあたり、専門医を探すしかなかった。
セメ・D・アインという、モグリの接合医が見つかった。彼は今まで、十四人の人間をくっつけた実績をもっていた。彼曰く、接合部分を馴染ませる薬品が開発されれば成功率は飛躍的に上がる、ということで、そこで虎太郎は、コールドスリープを考えた。生きた人間を冷凍して生きたまま未来に呼び起こす技術は、この時代、実践的になりつつある。あと十数年もすれば確実のものとなろうし、その頃にはそのような薬品も開発されているのではないか、と考えたのだ。たとえ失敗したとしても、割り算もできない放蕩息子をこのまま抱え続けていてもなんの得もない、というのもあった。警察官を買収して鷹臣と虎次を交通事故に遭ったことにし、然るべきタイミングで新しい生命が誕生したことにすれば、その時初めて、完全なる頭脳と肉体をもった、真の兵頭コーポレーションの跡継ぎを手に入れることができるではないか。
父親に、「健康診断でもしとけや」と言われて大播磨灘病院に呼び出された虎次は、自分の運命を悟っていた。わいは殺されるんや、それは割り算ができないからや、とまで、彼は馬鹿なりに理解していたのだ。この時彼は逃げることもできたはずだが、医師に促されるままに寝台に横たわり、静かに目を瞑った。そして、もしまた未来に生きることができたなら、その時はきっと割り算を覚え、パパを殺しにいこう、と考えた。麻酔を打たれる直前に、こう呟いたのが彼の最後の言葉だった。
「色々遊んだが、なんもかんもつまらんかった。わいはついとらんのう……」
麻酔医はぎくりとしたが、そのまま麻酔剤を投与した。
母親に、「いいお医者さんが見つかったの」と言われて大播磨灘病院に連れていかれた鷹臣は、自分の運命を悟っていた。僕のために、弟の虎次が殺されるんだ、それはホームランの一つも打てない軟弱な僕の体と、僕を愛し過ぎた母さんの間違いが原因なんだ、とまで、彼は全てを理解していたのだ。しかしこの時の彼にはもう、自分をとり巻く人間たちの間違いを正す体力が残っていなかった。逃げることも許されず、医師らに体を抱えられるまま手術台に横たわり、静かに目を瞑った。そして、もしまた未来に生きることができたなら、その時はきっとホームランを打って、産まれる前から僕らを過酷な運命の渦に放り込んだ兵頭虎太郎を殺しにいこう、と考えた。麻酔を打たれる直前に、こう呟いたのが彼の最後の言葉だった。
「母さん、あなたは間違っている。そして虎次、ごめん……」
麻酔医はぎくりとしたが、そのまま麻酔剤を投与した。
モグリのモロッコ人接合医、セメ・D・アイン氏によって、鷹臣の頭部をそのまま虎次の肉体に接合するという措置がとられた。そして、二人の少年は一つとなり、麻酔が利いているうちに液体窒素によって瞬間的に凍結され、長い冷凍睡眠の時間に入った。どちらの少年が死亡したのかは、蘇生の技術が進歩し、新しい生命の確認がなされるまではわからない。或いは、その成功如何に拘らず、二人の少年はこの時、同時に死亡したのかもしれなかった。




