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第39話

  兵頭コーポレーション 総帥 兵頭虎太郎


  「わいはついとらんのう……」

 兵頭は準決勝から、愛用のバット『タイガーホーク』を、プロトタイプのそれから『パーフェクト・タイガーホーク』に切り替えていた。打撃ゲージで調整を終えた兵頭は、そのバットを木村に渡すと、静かにこう言った。

「素晴らしい出来だ、木村。しかしそれでも、このバットだけでは桜田の投球を攻略することはできぬかもしれぬ。アナライジングバットをテストしておこう。そちらのメンテナンスもしておいてくれ」

 かしこまりました、と木村は頷くと、八面ある播磨灘高校野球部専用グラウンドの一つに併設された、播磨灘高校野球部用具研究施設に向かった。研究員と『アナライジングバット』の最終調整の打合せをするのだ。

 施設に向かいながら木村は、相変わらずおぼっちゃまは完璧主義でいらっしゃる、とそのことを微笑ましくさえ思った。そして、その期待に完全に応えられるのは世界広しと言えどこの私一人であろう、とそこまで考えると、彼は嬉しくなって知らず知らずのうちに笑みを零すのだった。そう自負していたし、実践もしてきた。実際にそれが評価され、木村は兵頭コーポレーションの御曹司、兵頭鷹虎の絶対的な信頼を勝ち得ている。そしてそれを継続することこそが、少なくともこれまでの、彼の人生の全てであった。帝王に服従する歓びは、真に偉大なる帝王に仕えたことのある者にしかわからない。

 木村は兵頭鷹虎を、その父である兵頭虎太郎以上の逸材だと信じていた。おぼっちゃまにはお父上の虎太郎様とは違い、人間の温かみというものがある。と彼は彼なりに二人の父子を分析する。この御方に付いていきさえすれば、と周囲の者を陶酔させる魅力は両者に共通するものだが、その手段となると両者は決定的に異なった。圧倒的なパワーでもって部下を引き連れていくだけの父虎太郎に対し、子の鷹虎は若年にして人間の機微というものを理解しているところがあり、他人の心の揺れを繊細に嗅ぎ分けることにも長けていた。生まれながらのカリスマは、無意識のうちに人心を掌握し、部下だけでなく、同輩や目上の人間に対しても豊かなる安心感を与えるのだ。これは現総帥である虎太郎翁からは決して感じることのできない魅力であり、翁の、唯一の欠陥とも言える部分だった。しかし、それを思えば思うほど、木村は人の世の滑稽さに顔を歪める。兵頭虎太郎が非情の男であったからこそ、人間らしい温かみをもった『人間を超越した人間』が、兵頭鷹虎がこの世界に産まれ落ちたのだから……。


 我々が兵頭鷹虎の存在をできる限り正しく認識するには、兵頭財閥の誕生から歴史を学ばなければならないだろう。兵頭家の最初は、一個の農家であった。代々受け継がれてきた広大とも言えない農地から、兵頭虎太郎のビジネスはスタートした。

 兵頭家の三男であった虎太郎は、まさか自分が家業を継ぐことになるとは思ってもみなかった。大学時代の彼は法律を学び、いずれは事務所を開いて独立をと、無謀とは言えない程度の朗らかな野心を抱く、通常の青年であったのだ。しかし、歳の離れた長男が肺癌で早世し、まもなく次男が飛行機事故で亡くなると、彼はその意思とは裏腹に、兵頭家の相続人となってしまった。これが兵頭虎太郎の、最初の強運だった。

 しかし彼は、運だけの男ではなかった。彼は家督を相続すると、かつての野心を立ち所に捨て、農地の拡大に努めた。そして余裕ができるとすぐ、小さな耕耘機メーカーを買収した。これは兵頭家が、その長い歴史の中で、農業の世界から初めて外に出た瞬間だった。そしてそれは彼の才能を花開かせる。彼は物をつくる人間ではなかった。買収に買収を繰り返し、マネーゲームの虜になっていった。

 平凡な一農家に過ぎなかった兵頭家は、ほんの数年の間に、兵庫県一帯にあらゆる系列の会社を展開する地元でも有数の企業、となった。それはたしかに、後の兵頭コーポレーションを思えばまだまだ小規模ではあったが、その未来を予見させるには充分の、確実な基盤、と言えるほどのものではあって、その確立の早さこそが、何よりも彼の商才を証明していた。そしてこの時、齢三十にして彼が次に考えたのは、後継者のことだった。独身であった彼は、そのためだけに相手を探した。自分に相応しい配偶者の候補をリストアップし、興信所を使って徹底的に調査させたのだ。そして選ばれたのが、後に鷹虎の母となる、小日向鷹子(こひゅうがたかこ)だった。

 小日向鷹子は、九州の名門の出だった。社交界にデビューしたばかりの、何も知らない処女の彼女にとって、一代で財を成した虎太郎のバイタリティーは、男の魅力その物だった。まさか自分が目の前の男に調査し尽くされているとも知らず、彼女は虎太郎の求愛を受け入れた。美しい顔をバラ色に輝かせ、その吉報を両親の下にもち帰った。

 地元の良家との無難な縁を考えていた彼女の両親にとって、兵頭虎太郎は『異物』以外の何物でもなかった。典型的な成上りの彼に娘が嫁ぐのを面白く思うはずもなく、あたりまえのように反対した。しかし、男の強引な恋愛手段と、娘の盲目的な姿勢を前にして、結局は婚姻を認めざるを得なくなる。そして二人は結ばれた。兵頭鷹虎の遺伝子は、こういった経緯で揃ったのだ。

 兵頭虎太郎は事実、その妻鷹子を愛していた。しかしその愛は、通常のそれとは趣が違っていた。彼は彼女を、自分の後継者をつくる道具として愛していた。彼がここ数年で築き上げた兵頭家の礎を、そしてこれからも半永久的に成長を続けるであろう彼の分身とも言える会社の未来を、確実に、そして着実に受け継ぐことのできる有能な嫡子をつくり出す道具として、彼はその妻を愛していたのだ。まもなく、鷹子は虎太郎の正体を知る。そしてそれは極度のストレスとなって、彼女の身体に伸しかかる。それが原因だったかどうか、兵頭鷹子は繁殖不能性となった。虎太郎の子を宿すことのできぬ、不妊の身となったのだ。鷹子の、女性としての機能のみを愛していた虎太郎にとって、それは許すことのできない現実だった。不満を隠そうともしない彼が矛を納める場所を俄に見失うと、二人の関係は悪化の一途を辿るのみとなった。夫婦でありながらも他人であるという、奇妙な関係の出来上がりである。

 それからの彼が選んだ行動は残酷だった。兵頭虎太郎は誰の目を憚ることなく、公式の側室を幾人もつくったのだ。その誰もが鷹子同様、高いレベルのIQを示したし、水準以上の健康体の持ち主でもあった。そして彼女らのうち数名は、健康な虎太郎の子を産み落とす。更にはその子らは虎太郎によって、法律の上においても兵頭家の正式な子とされた。現在、兵頭鷹虎には二人の兄と三人の姉がいるが、その誰もが、側室による腹違いの兄姉だった。

 時が経ち、不惑の年齢を迎える頃、彼の人生に二度目の強運が訪れる。彼の相続した農地が、日本列島リニアモーターラインの敷設予定地となったのだ。しかし彼はやはり、運だけの男ではなかった。賠償交渉を長引かせる者がほとんどの中で、彼は代々受け継がれてきたその土地を些かも迷うことなく売却した。そして、それで得られた金を爆発的な第二のスタートの燃料とした。帝国の発展が加速する。威光がその目に宿り始める。揺らぐことのない超企業、後の兵頭コーポレーションは、これをきっかけにその巨大な輪廓を顕し始めたのだ。

 鷹虎の長兄が十八歳になる頃、そろそろ事業のことを学ばせようと、虎太郎はその長男を呼び出した。虎太郎は四十九歳になっていたが、事業を拡大するのに夢中で子らの養育は秘書室に任せていたため、息子と対峙したのはそれが二度目だった。そしてその時、彼は初めて、その無能さに気づかされることになる。彼は彼の息子を、詰め込まれた知識は豊富なようでも実践においては何もできない『ただのぼんくら』だ、と評した。それは他の子らも同様で、彼は愕然とし、そして激怒し、養育に関係した全ての者を解雇した。そして彼は、もう一度新たな後継者をつくり直さねばならない、と考えた。

 そこで彼は、昔に別れた女を不意に思いだすような感覚で、正室である鷹子のことを思いだした。十数年逢っていないが、東京の奥多摩で中年の女中と二人、ひっそりと世捨て人のように暮らしているらしいというくらいのことはわかっている。彼は何を気兼ねするでもなしに、約束もせずに鷹子の住む屋敷を訪れた。

 虎太郎は、未亡人のような冷たい雰囲気を纏う自分の妻を見て、はっとした。彼女の中に潜む『女』の部分が、男の情感を妖しく訴える。それでいて、女の美しさは宝石のように、猥雑を不可侵とした高貴さを伴っているではないか。これこそが子の母親に相応しい。彼はそう思うと、用件を切り出した。

 夫の突然の訪問を受けても、鷹子は些かも怯まなかった。続けて、夫の不躾な申し出を聴いたあとも、眉一つ動かさなかった。しかしはっきりと、彼女はその申し出を拒否した。あなたと交わることなど考えられないと、明確にその意思を表示したのだ。

 虎太郎は愉快ではなかったが、女のその立ち居振る舞い、表情、そしてその頑な態度には満足した。やはり自分の後継者たる者、このような母親の遺伝子を所有していなければならない。そもそもがこの女こそが、兵頭家の嫡出子を産む世界で唯一の権利者だったではないか。彼はそう思うと、目的を女の卵子だけに限定した。断れば力ずくでも、自分の目標を達成するつもりだった。

 しかし鷹子は意外なことに、卵子の提供には抵抗を示さなかった。それは彼女の、人生の最後の望みであったからかもしれない。虎太郎は了解を得ると、とりあえずは満足してその日は帰った。後日、お互いが弁護士をたてて、契約を詰めた。

 彼女はほぼ二十年振りに不妊治療を再開すると、排卵誘発剤を投与されてその時期を待った。診断によって、彼女の体に妊娠に耐える体力がないことがわかると、受精は体外で行われることが決定された。

 まもなく、排卵が首尾よく誘発されたことが確認されると、医師によって複数個の卵子が採卵され、同日には虎太郎の精液からも精子が採取された。その中から特に活性の高い精子が選別(二〇二五年当時でもその精度は神秘の壁に跳ね返されることが多かった)されると、採取された鷹子の卵子に人為的な受精が行われた。数日の培養の後、質の高い三つの受精卵が確認される。そのうちの一つは、相性が良いと診断されたカナダ人女性の子宮内に注入され、着床が確認されると、その女性はロサンゼルス市内のハリマナダホスピタルにて、安静な生活を約束された。

 虎太郎の悪魔的なところは、余剰受精卵の処置の仕方にも表れている。通常は妊娠に至らなかった時のために冷凍保存が選ばれるが、彼は残りの受精卵も別の女性の子宮に注入したのだ。いくら優秀な女の卵子に活発な精子を組み合わせたとしても、使えない人間が産まれる場合があるということを経験則として彼は知っていた。だから彼は最初から、複数人の子を産ませるつもりでいたのだ。協力者はカメルーン人の女性と、韓国人の女性だった。そのうち、カメルーン人の女性のみが着床に成功した。彼女もカナダ人女性と同様、高額の報酬と確かな生活を約束された。

 そして二〇二六年、十月の最終週。ハリマナダホスピタルにて一人目の子供が誕生すると、翌週には二人目の子供も無事に産まれた。子らはそれぞれ、鷹臣(たかおみ)虎次(とらじ)、と名付けられた。鷹子との契約により鷹臣は鷹子の下で、虎次は虎太郎の下で育てられることとなった。二人の赤ん坊は別の日に別の体からそれぞれ産まれたが、実際的には、双子であった。

 鷹子は鷹臣を手に入れて、人間の輝きをとり戻した。鷹臣の方も鷹子の愛情を一身に受けて、すくすくと素直に成長していった。しかし鷹臣は体が弱く、よく高熱を出しては鷹子を心配させた。そのことはより一層、彼女の中の母性を増幅させる要因となった。

 虎太郎は虎太郎で、今度こそ完全なる跡継ぎをつくろうと、虎次の教育に0歳から干渉した。誕生したその日から、虎次に帝王学を施したのだ。おしめは万札だったし、がらがらは黄金だった。乳母は元スーパーモデルだったし、離乳食はフォアグラだった。虎次が小学校に入学する際にはワニ皮のランドセルを買い与え、八メートルのリムジンで美女を侍らせながら登校させた。皆が給食を食べている中、彼だけは特別にフレンチのフルコースを食したし、彼を叱る教師がいたならば、権力の偉大さを学ばせるためにその教師を立ち所に懲戒免職に追いやってみせた。服装はジョリエッテ(ジャン=ピエール・ルーダゴの祖母。二一世紀の生んだ天才デザイナー)のスーツしか着させなかったし、住居は子供部屋ならぬ子供屋敷(48SLDK)を与えそこに起居させた。同級生たちが仮想記憶空間でモンスターを銃で撃ち殺している時、虎次は屋敷の屋上から庭(六千坪)を逃げ回る召使いの足下をウィンチェスター銃で狙い撃ってからかっていたし、同級生が流行のトレーディングカードでゲームに興じている時、虎次はアメックスのブラックカードで考えもせずに先物取引をしていた。そうやって十年の時が経ち、兵頭財閥の正式な後継者、兵頭虎次は、それは見事な完全なる馬鹿となった。小学五年という若年にして、すっとこどっこいの最終形態へと進化を遂げたのである。

 一方、鷹臣は相変わらず病弱だった。しかし精神は健康で、外で遊んだり、家で本を読んだりして、バランスのいい少年時代を過ごした。鷹臣は聡明な子で、鷹子にはそれが自慢だった。小学一年生でゲーテを読んだし、小学二年生で一般相対性理論と特殊相対性理論を理解した。小学三年生で腸にできた癌細胞を完全に駆逐する内服薬を発明すると、小学四年生でノーベル生理学医学賞の候補となった。しかし、そんな彼が好んだのは学問の分野ではなく、野球だった。リトルリーグに入って、一生懸命に練習して、時々代打で出場してはいつも三振に倒れたが、彼はこのスポーツをしている時だけ、自然な笑みを零すのだった。

 原因不明の発育不全が彼を襲ったのは、彼が小学五年生になった頃のことだった。少年の頭蓋は健康だったが、首から下の筋肉が急激に衰え、痛みを訴えるようにもなったのだ。鷹子は顔面を蒼白にして、半ばパニックになりつつも治療の道を探した。が、当時(二〇三六年)の医学でもその原因を突き止めることはできず、奇病と診断され、医師に見放された。

「脳に問題はありませんから、最高に相性のいい健康な体に移植すれば、或いは……」

 慰めのつもりで言った医師の言葉が、彼女の頭にこびりついた。

 その頃、超健康優良児の虎次はヘリコプターに乗って、金額欄を無記載にした署名済みの小切手を神戸市内の上空からばら撒いて遊んでいた。その報告を受けて、虎太郎が嘆く。

「どうしてあんな阿呆になってしもたんや……」

 秘書の袴田(当時二十六歳)が、宥めるようにこれに応える。

「しかしおぼっちゃまは、小学五年生とは思えない運動能力の持ち主でございます。五十メートルを5.5秒で駆け抜けますし、走り高跳びでは1.9メートルに設置されたバーを軽々とお越えになられます。背筋力は二百五十キロを越え、あれだけカロリーの高い食事をされているにも拘らず、体脂肪率は1.7%とアスリート並みの驚異的な数値を示します」

 すると虎太郎は、ふんっ、と鼻を鳴らして、

「くだらん……本当にくだらん。それがなんになる? そんなことで世界と戦えるのなら苦労はないわ!」

 と吐き捨てた。自分がこれまで享受してきた強運などは少しも覚えていないといった様子で、続ける。「わいはついとらんのう……もう六十やというのに、まともな跡継ぎが一人もできん。鷹子の方のガキは優秀だというやないか。二分の一やぞ? なんであのうつけの方がわいにまわってくるんや……」

 この人は、子供の教育のことなど何一つ理解せずに一生を終えるのだろう。袴田はそう思ったが、もちろん、口には出さなかった。

 すると彼の左耳裏に埋め込まれた骨伝導電話(二〇三六年当時でもこの電話を使用しているのは一部のエリートサラリーマンに限られる)が呼出し音を鳴らした。彼は心の中で電話に出ると、受付から驚きの報告を受けた。そして顔を上げ、主の顔を見ると、彼はゆっくりと口を開いた。

「社長……奥様が、鷹子奥様がいらっしゃったそうでございます……」

 鷹子の方から虎太郎を訪れたのは、三十年振りのことだった。

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