二十一日目(中編)
左手の巨大なハサミを振り上げて走り出す大蟹。砂浜を埋め尽くすように散乱した子蟹の亡骸を容赦無く踏み潰し、砂煙を上げながら突進しています。大蟹の目指す先には、ご主人様が杖を構えておられるのでした。
この大蟹は以前迷宮で呼び出した魔物とは異なり、前後にも移動出来るようです。せわしなく尖った脚を動かし左右のみならず、前後の移動や方向転換までも可能にしています。巨体にも関わらず、砂浜に沈みこまずに移動できるのは、胴体から放射状に伸びた多数の脚によって身体を保持しているからでしょう。
接近する蟹に対して動揺を見せずになにやら呪文の詠唱を行うご主人様。おそらく左右に逃げても、大蟹は方向転換して襲ってくるでしょう。その為、ご主人様は幻術魔法でこの場を切り抜けるつもりのようです。私なら振りおろされる脚を避けて、蟹の下を潜り抜ける事が出来ますが、ご主人様にそれを期待するのは間違っていますね。
次第に速度を上げて接近する大蟹。ですが、悠長に詠唱を行っているご主人様の姿を見る限りでは、心配はなさそうです。なんせ相手は蟹ですから。魔法を扱う相手には効果を発揮しないご主人様の幻術ですが、この手の魔物には有効でしょう。
私には早くも蟹の対処方法が思い浮かびます。ご主人様が、ご自分の姿を岩か何かに変えると同時に、少し離れた場所に自分の姿を作り出せばいいだけです。そうする事によって大蟹は目標を変え、ご主人様の姿をした幻覚へと向かうでしょう。
追いかける形で大蟹の背後へと走る私。幻術では解決は難しいでしょうから、誰かが大蟹を倒さなければなりません。ここは私の出番ですね。シャハルラムから接収した、奇妙な形の武器の威力を試す絶好の機会です。大蟹の甲殻を切り裂く事ができるかどうかは分かりません。ですが、そんなことをしなくとも良いのです。
胴体から地面へと伸びた脚。その関節部分を斬れば蟹は身動きができなくなるはずです。バランスが悪くなるように、左側か右側の脚を数本を使えなくすれば事は済みそうです。身動きがとれなくなった後で、双子の魔法で片付ければ被害も出ないでしょう。姿勢を低くした状態で狙うべき関節部分を見据え、走り寄る私。ですがご主人様のとった行動は、意外なものでした。
呪文を唱え終わると同時に、大蟹の倍程の大きさの竜へと姿を変えるご主人様。体中に奇妙な刺を生やし派手な赤色の体色をしたその竜は、自分へ近づいてくる大蟹を見据え、咆哮を上げるのでした。
大きな咆哮を浴びせられ、急停止する大蟹。器用にも、胴体の前側の脚を地面へと突き立て、砂浜に大きな爪痕を残して突進の勢いを止めるのでした。
竜へと姿を変えたご主人様は後ろ足で立ち上がり、背中の翼を広げます。遥かな高みからこちらを見下ろすご主人様は再び咆哮を上げ、大蟹を威嚇します。
突進時よりも大きな砂煙をあげ、慌てて方向転換をする大蟹。また、砂浜の各所に点在していた子蟹達も蜘蛛の子を散らすように、ご主人様から遠ざかって行きます。
慌ただしく逃げ出す蟹達を、訳が分からず見つめるシャハルラムと双子。高い魔力を持った彼らには、ご主人様が何をしたのかまったく分からないでしょう。言い方を変えれば、ご主人様の魔法は彼らには通用しないという事ですが。
蟹達の襲来によって馬車を壊され、移動手段を失った私達。ご主人様はこの海岸付近に迷宮を作る事を決められるのでした。悪臭を放つ蟹達の死骸から逃げるように移動する私達。馬車の残骸から必要な物、使えそうな物を見つけ出し、崖へと移動します。
「奇妙な容姿をしていましたが、竜に姿を変えるというのは良い作戦ですね」
私は、路銀の詰められた麻袋を大切そうに抱えて歩くご主人様に話しかけます。お金では無く、私かオーブに対してそのような行動をとってもらいたい所ですが。
「大抵の生き物は自分よりも大きな生き物には手出ししないはずだからね。それよりも竜ってあんな感じじゃないの?」
「こちらの世界では、大きな竜は地味な容姿をしてますよ。毒を持つ小型の竜は奇抜な容姿や体色ですが」
ご主人様のおられた場所では、あのような竜がいるのでしょう。目立ち過ぎて、狩りにも苦労しそうな竜ですが。
「言われてみれば、強い生き物は見た目や行動で威嚇なんか必要ないね。ただ攻撃すればいいだけだからな。あれじゃあ、自分が弱いのを周りに教えてるようなものか」
納得されているご主人様。身を守る為の数少ない手段の一つですから、魔法の改良にも余念がありません。
よく毒を持った生き物に姿や行動を似せて活動する生き物がいますが、きっとご主人様もそういった類の存在なのでしょう。ご主人様達は異なる生物から長い期間を経て進化してきたそうですから。元々持っていた習性なのかも知れませんね。
それにしてもご主人様のような人間が、最初は目に見えないような小ささの生物だったとは、今でも信じられません。もしかすると、私が知らないだけでこの世界の生き物もそうやって姿を変えて生きてきたのかもしれませんが。
「申し訳ありません。蟹とご主人様が直線上におられた為、魔法が撃てませんでした」
うつむきながら謝罪の言葉を述べる姉。良い判断です。閃光の魔法に巻き込まれたら私でも、危ないですから。
聞いたところでは、妹の結界の魔法は離れた場所で使うことは出来ないようです。もっとも、好き勝手に周囲に出せるようだと違う使い道が出来そうです。どんな魔法も万能なものは無いようですね。
「そういえば、異なる系統の魔法を使う事は出来ないのですか?知り合いが結界魔法と破壊魔法を使い分けたりしていたので」
かねてからの疑問を口にする私。出来るのであれば非常に有用だと思っています。そのぶん忙しくもなりますが。
「いくら魔法使いといっても、複数の系統の魔法を使えるものはおりません。最初に職業を決めると変更は出来ませんから、一種類の系統の魔法しか使えないはずです」
ご主人様を除く魔法使い一同から否定されます。以前アリスが使っていたと思ったのですが、見間違いだったのでしょうか。
「アイテムの効果で魔法に似たものもありますから、きっとアイテムでしょう。自分の手の内を隠すのも有効な戦法ですぞ」
年の功というべきか、シャハルラムが最もらしいことを言います。そういえば、彼も魔法を使ったり肉弾戦にも長けていたりと謎の多い人物でしたね。
「不死者は良いですぞ。肉体の限界がありませんから。ご主人様も検討されてみてはいかがでしょうか?」
主に死ねと進言するシャハルラム。ご主人様が不死者になられたら便利そうでいて、なおかつずっと一緒にいられるようになりますが、素直に喜べませんね。
「死ぬということはそれまで成長していると言う事だと、どっかで聞いた気がする。やっぱり、限りある生命のほうが人生が面白いんじゃないかな?」
哲学的な事を仰るご主人様。どうやら不死に興味はないようです。
もっとも、迷宮管理者でいる限りはオーブを操作することによって若返ったり出来ますから、似たようなものですがね。
「ここに新しい迷宮を作ろう」
崖の上に立ち、打ち寄せる波を見下ろしているご主人様は、こちらを振り返ると同時に仰るのでした。
どうやらこのなだらかな斜面に迷宮の入口を作るようです。崖の上に立つと、元居た砂浜の反対側に大きな港町が見えます。また、三本のマストに帆を張り、港の付近を行き来する船も見えます。多少離れていますが、この場所なら人間の冒険者も期待できそうですね。




