十九日目(前編)
今日はなにやら屋敷内が薄暗く見えます。視界の端々もぼやけており、見慣れた屋敷を歩いているはずにも関わらず、どこか違う世界に行ってしまったかのような。私はさっきまで何をしていたのか。考えてもまったく思い出せませんが、何故かやるべき事だけはわかっているのでした。
ここ最近は冒険者の数も減っており、オーブの魔力も大分少なくなっていますから。あまり使いたくは無かったのですが、こうなったら奥の手として魔物を迷宮の外へ放つしか手段は残されていません。
大量に魔物を放ち、近隣を荒らす事で人間達の注意を引くのです。事態を重く見た地方領主は騎士団を派遣して、事態の収束を図るでしょう。そして魔物の発生源である迷宮を見つけ、制圧に乗り出すはずです。その後は我々の迷宮は侵入してきた人間達を狩ることによって魔力が潤うと。
大規模な戦いが予想されますから、これはある種の賭けと言えるでしょう。一歩間違えば迷宮が人間に制圧されてしまいます。でもこのまま手をこまねいていて迷宮が魔力を失ってしまっては何も出来ませんから、しかたないと言えるでしょう。私はこの作戦を進言すべく、ご主人様のおられる広間へと向かうのでした。
通路と広間を隔てている巨大な扉、見るものに圧迫感を与えるような重厚な作りをしたその扉を開けた先には、赤い絨毯が入り口から玉座へと続いているのでした。室内には多くの使い魔達が並んでおり、絨毯の先にて玉座に座られているご主人様に跪いています。
私はその光景に違和感を覚えながらも玉座へと歩くのでした。跪いている使い魔達は微動だにしません。見慣れた使い魔達ですが、まるで置物にでも変わってしまったかのような。彼らはただひたすらご主人様に向かって頭を垂れているのでした。
「ご主人様。恐れ多くも申し上げます」
「うるさい。この役立たずめが。もうお前なんかに迷宮は任せておけん。これからはこのミランダがこの迷宮を取り仕切る。お前は、密林で魔物達と番でもしておれ」
玉座から私を恫喝するご主人様。見たことも無いような怒り狂った表情で私を見据えていました。
私は返す言葉もなく、ただそこに立ちすくんでいます。私の後ろから、今まで部下として扱ってきた使い魔達から嘲笑と嘲りの言葉が聞こえて来きます。そして玉座に座るご主人様の膝元には、裸のミランダがまるで飼い猫のようにいて、私に侮蔑の視線を向けているのでした。
ベッドから飛び起きた私は、それが夢であることを悟るのでした。動悸は激しく、心臓の鼓動が高鳴っているのが感じられます。見慣れた自室がぼやけているのは、目に涙が浮かんでいるからでしょう。掛け布団の端で目を拭った私は、再び横になります。
ああいった夢で目覚めた時はもう一度寝るのに限ります。今度はまったく真逆の結末を思い浮かべて、再び夢を見ましょう。考えてみれば可笑しな点が幾つもあったにも関わらず、それを見抜けなかった自分を恥ずかしく思いますが、夢なので仕方ありません。ただ一つ感じた事は、力強く恫喝されるご主人様の姿も中々格好良いものでしたね。
ベッドの中で寝返りをうつと、何やらガサガサと紙袋を漁るような音が聞こえてきます。不審に思いつつももう一度寝返りをうつ私。再び音が聞こえます。私が目を瞑ったまま手を伸ばすと、どうやら私の近くに何か置かれているようでした。紙に包まれた物が幾つか。
思い切ってそれらを掴み、引き寄せて目を開ける私。不審な音の正体は薄い紙に包まれた衣類だったのです。見たことの無い装飾の設けられた衣服ですが、その素材は絹のようであることからきっとご主人様が作られた物なのでしょう。通常のスカートの内側に薄いスカートが仕込まれて二重になっていたり、前開きの服のボタンの周りに縦向きのひらひらをあしらった服。変わった物では、異常に首の部分の長い厚手の服もあるのでした。勿論、私はこんなに首が長くは無いのですが。
とりあえず私は最初に掴んだひらひらの多い服を着るのでした。白い服に黒い二重のスカート、これらは一緒に紙に包まれていたので、おそらく一対になっているのでしょう。異界の服といえどもボタンが逆向きに付けられているぐらいで、特に構造的に変わったところはありませんから、問題無く着る事が出来ます。
鏡を前に立つ私は、まるで御伽噺の人物になったかのような印象を覚えます。異なる発想によって生み出された服を纏った姿に違和感を感じますが、これはそのうち慣れるでしょう。見た目も素晴らしいものですし、私の為に作られた服ですから着ない訳にもいきません。ただ欲を言わせて貰えば、私はもう少し大人っぽい物が好みなのですが。
部屋を出た私はまず吸血鬼の様子を見に行くのでした。多大な代償を支払って呼び出した魔物です。彼女に何か不具合があれば、今朝の夢が現実に変わるかもしれません。放逐なんてされたら生きて行けませんから、せめて身体的な罰にして頂きたい所ですね。その仕打ちを罰と感じるかどうかは私次第ですが。
専用の部屋にて吸血鬼は、早速獣人の戦士を1人眷属に変えたようです。優雅に私を出迎える吸血鬼とその身の回りの世話を行う眷族、更に床には従属化予定の者達が縛られて転がされています。
「リリ様、ご機嫌麗しゅう」
大げさな手振りで挨拶をする吸血鬼。彼女の振る舞いを見ていると、どちらが偉いのか分からなくなってきますが、まあいいでしょう。
「出来るだけ早いほうが良いのですが、何時頃の出発になりますか?」
「明後日にはここを出ようと考えております」
「貴方の働きには期待していますよ」
「お任せ下さい。あとこれを、お気に召されると良いのですが」
彼女は妖艶な笑みを浮かべながら、どす黒い赤い液体の入ったワイングラスを差し出します。
「折角ですが、あまりゆっくりしている暇もありませんので、これで失礼しますよ」
吸血鬼の部屋を早々に立ち去った私は食堂へと向かうのでした。
私が食堂へ向かうとそこには既にご主人様が座っておられます。豪華な作りをした長テーブルの上に置かれたオーブが目を引きます。オーブは透明な球体の内部と周囲に青い光を纏い、白を基調とした食堂を照らしているのでした。
「戻りましたわ。リリ先輩」
オーブの放つ輝きに魅入られている私に懐かしい声が聞こえてきます。
オーブに目を奪われて気が付きませんでしたが、食堂にはミント達がいたのでした。彼女は元気そうな声をしていますが、その血に染まった鎧はこれを得る為の戦いが如何に壮絶なものであったかを、雄弁に語っています。彼女の自慢の白銀の全身鎧は赤黒く変わっており、食堂に異質な姿をさらしているのでした。
「良くやった。約束通りに迷宮を任せよう。それと何か欲しいものがあったら何でも言ってくれ」
嬉しそうな声とは裏腹に、何やら青ざめた表情をしておられるご主人様です。そういえば、男性は血に免疫がありませんでしたね。直接戦闘の苦手そうなご主人様ですから無理も無いでしょう。
「では遠慮なく。この迷宮が欲しいですわ」
自信を込めた表情で言うミント。その言葉は食堂に一瞬の沈黙をもたらすのでした。
彼女は主に出て行けと言っているのでしょうか?いくら功績を上げたと言っても、流石にそれは許される事では無いでしょう。いくら温厚なご主人様でも、彼女のこの発言はお怒りになられるはずです。私はどうやったら弁明できるかを即座に判断し、言います。
「ミント。きっと疲れているのです。慌てる事はありませんから、少し休んでみてはどうですか?」
「わかった。この迷宮を頼むよ」
私とほぼ同時に仰るご主人様。このやり取りに私とエミリヤとシャハルラムは、呆然とするより他ありません。
「疲れているだろうし、リリの言うとおりにまずはゆっくり休むといい。迷宮についてだが、多少以前と変わっている所もあるからミランダを置いていく事にしよう」
どうやらご主人様は本当に迷宮を譲るつもりでいるようでした。
食堂を後にするミント達。エミリヤとシャハルラムの服にはまったく血が付いていませんから、おそらく直接戦闘はミントだけが行っていたのでしょう。それについては、あの性格なのでなんらおかしな点はありませんが。
「申し訳ありません。不敬極まりないミントの発言ですが、どうか目をつぶってやっては頂けませんか」
「ああ。実の所、元いた世界ではそんな堅い上下関係は無かったからね。そんな礼儀とかについて詳しくもないし、罰を与えるような発想も無いよ」
優しい口調で仰られるご主人様です。
「もっと生意気なのとかいっぱい見てきたし。こっちとしては結果さえ出してくれれば、あとはどうでも良いんだよ」
「ですが。彼女は」
「それに迷宮を新しく作るのも面白そうだ。ミントとしては、既に出来上がったものを手に入れたかっただけだろう。わかりやすい性格だし」
オーブを嬉しそうに見つめるご主人様。付け加えると彼女は権威が大好きな使い魔です。難攻不落の迷宮の支配者、きっとその座につきたかっただけなのでしょう。
「さて、誰を連れて行こうかな。一から作るとなると大仕事になるな」
意味深な発言をされるご主人様。きっと私に傍にいて欲しいに違いありません。邪魔者は除いて二人きりで再出発するのも良いでしょう。出来ればそうであって欲しいところです。
「私がお供します。それとミントは能力に不足がありますから、出来るだけ人員を与えておいたほうが良いでしょう」
さりげなく進言する私。こうしてみると、ミントよりも私のほうが欲深い気がしてきます。
「初心に帰るのもいいね。いざとなったら援軍を回して貰えばいいだけだし」
納得頂いたようで何よりです。
新しい迷宮の場所は海の広がる最南の地とか良いかもしれません。二人で白い砂浜で毎日を過ごしましょう。海に行った経験が無く、前から興味はありましたし。
私の要望を快く承諾されたご主人様は、海に面した場所に新しい迷宮を作る事を決められるのでした。護衛の為に双子を連れていくはめになったので、二人きりというわけにはいきませんでしたが。




