九日目(後編)
天を見上げると、黒い雨雲が空一面を覆い、地上は夕刻であるかのような薄暗さに染まっていました。遙か遠くの空からは雷鳴が伝わって来ており、それはやがて来るであろう雨の訪れを私に教えてくれます。その予兆なのか、大気が湿気を帯びて重苦しく私の肌に圧し掛かっています。
成人の人間の身長ほどの長さの木を地面に刺し、格子状に組み上げた簡素な柵が村を囲っていました。柵の中には、木を組んで立てられた家屋が10棟見えます。どの家屋も傷んだ壁や屋根が目立っていて、それらは建てられて数十年を経過していると判断できます。村の中心に井戸が設けられており、時折布を頭に被った女性が水を汲みに訪れていました。ある一軒の家の前にて、子供が二人、簡素な木の棒で戦いの真似事を行っているのが見えます。その子供達の表情には笑顔が宿っており、遊びに興じているといった様子です。
魔物達を村の近くの林に待機された私は、隠密スキルを使い村へと歩きました。近づくにつれて、村の状況がより鮮明にわかり、やがて人々の笑い声等も耳に入ってきます。村を囲っている柵の入り口付近には、車輪の付いた移動式の柵が用意されており、有事にはこれでもって扉と為すのでしょう。車輪の軸の付け根に、短剣で念入りに深い切り傷を付けて村の中へ入っていきます。これで動かしたときに壊れてくれるでしょう。
畑にて鍬を扱う初老の男性、その男性の下へ老婆がゆっくりとした足取りで近づいていました。老婆の手には、布のかけられたバスケットが握られています。それは植物を編んで作られたもので、布の隙間から長いパンが姿を覗かせている所をから、畑作業に従事する初老の男性へと、食事を届けているのでしょう。
通りかかった家屋の軒先で、若い女性を囲むようにして少女達が座り込んでいました。全員のそれぞれの手には、布と糸のついた針が握られています。若い女性が、少女達に刺繍を教えているようでした。それが花嫁修業なのか、家計を助ける為なのか私にはわかりませんが、長い時間をかけて作る為、完成した物は素晴らしい仕上がりになることでしょう。
大木の太い幹に寄りかかるようにして体を預ける若い男性と、その傍らでつばの広い帽子を被った若い女性、どちらも笑顔を浮かべていました。二人の語り合う声から判断したところ、親しい仲なのでしょう。しばらく眺めていると、やがて男は大木の幹から預けていた身を離し、帽子を被った女の正面に向き直りました。それと同時に被っていた帽子を右手で取る女。
男は真剣な顔をして懐から指輪を取り出し、女へと差し出します。それを見た女は手にした帽子を落とし、両手で自らの口元を覆いました。 突然強めの風が吹き、地に落ちた帽子が空へと舞っていきます。宙を舞いながら、村の外れへと飛んでいく帽子から目を離した私は、再び男女の方を見ました。大木の傍ら、二人で抱き合う女の頬からは涙が伝い落ちていました。
村の中心の井戸へと歩を進めた私は、そこに集まる女性の会話に耳を傾けます。どうやら他の家の結婚を話しているようです。齢12歳になった娘が、付近の貴族に見初められ嫁ぐことが決まったとか。村の若い男女が恋仲であるとか。この村に限ったことではありませんが、一般的に結婚は親同士の話し合いによって決まる事が大半で、10代前半で嫁いで行くことが多いです。実際には子を為してからが正式な結婚であり、嫁いだ先で何年も子を為す事が出来ない場合は、結婚が破談になることもあるようです。
生存率の低さを補う為と労働力の確保の為、子沢山を望まれているのでしょう。事実、村では幼くして労働に従事している子供もいます。このあたりは魔族とは随分と違っていますね。
村を回っていると大人の男性の数が少ない事がわかりました。今日迷宮に来た三人と、あとは狩猟や町へ物を売りにでも行っているのでしょうか。村を襲いやすいのは好都合ですが、儲けも少なくなってしまいますね。これで村の防衛能力を、大体把握することが出来ました。私は村を後にして、魔物達を隠した林へと急ぎます。
私は当初の予定通りに、村人を全員捕獲させた後に、オークとコボルトをすべて村に駐留させることを決めました。見張りの為、足の速い魔物も駐留させておき、後日村を奪い返しに来た人間の規模によって増援を送るか、見捨てるか決めましょう。滅多に無い事ですが、村の奪還の為に街や王国から騎士団が派遣されて来たら困りますから。
まず林にて、リザードマンの亜種である色トカゲには体の色を周囲と同化させ村の外側に待機させて、逃げようとする人間を襲うよう指示します。その後、私は足の速いゴブリンを先頭に、オーク、リザードマン、の順に村へと急ぐよう命じました。この気温であればリザードマンはオークよりも俊敏ですが、個体数を減らしたくないので最後尾です。あらかじめ魔物達には、殺傷能力の低い鈍器を持たせてある為、ほとんどの村人は捕獲出来るでしょう。もし死んでしまったら、それは運命ですから仕方ありません。
やがて、村人の一人が魔物の群に気づき、喚起の声を上げました。林と村との距離が近かったのもあり、ゴブリンは既に村の入り口付近に到達していました。家屋からは槍や鍬を手にした男性が出てきてゴブリンと交戦状態に入ります。次にオークが侵入すると、今度は村のいたるところで悲鳴が上がります。最初、勇敢に武器を手に取り戦おうとした男達は、魔物に囲まれて次々と地に伏していきました。それを見た私は、三体のリザードマンに護衛を命じて村へと入りました。
村の中央付近にて、皮の鎧を身につけて鋼鉄の両手剣を手にした男の姿を確認しました。その周囲には、既に息絶えたゴブリンとオークが数体、転がっています。男の顔や鎧や武器に刻まれた古い傷と、魔物の死体を見て判断する限り、熟練の冒険者か軍人といったところでしょうか。私は、すぐに付近の魔物達に男を包囲するよう命じました。男は、包囲を進める魔物に目配せしながらも、私を見据えています。
私は手に持った鈎縄を大げさに振り回し、正面に立つ男へと投擲する素振りを見せました。私の行動に対して、両手剣を握り締め身構える男に、周囲の魔物達が一斉に飛びかかります。男の振るう剣によって倒れる魔物、私は男の足元目掛けて鈎を投げ、勢い良く縄を引きました。魔物に夢中になっている男の足に深々と食い込む鈎、そして体勢を崩した男へ次々と振り下ろされる鈍器。私は、護衛のリザードマン一体に縄を渡すと、鈎を回収する事を命じて村の中心の井戸へと向かいました。
井戸の縁に腰掛けた私は、魔物に髪や腕を掴まれて一箇所に集められる村人達を眺めています。集められた村人はオークやゴブリンに囲まれ、寄り添うようにして私の前に座り込んでいました。すすり泣く声がやむことはありません。色トカゲが、村中から値打ちのありそうな物と粗末な縄を持って来ました。粗末な縄によって数珠繋ぎにされる村人達。色トカゲに金品を持たせ、リザードマンに村人達を迷宮へと運ぶよう命じた私は、先に迷宮へとワープするのでした。
迷宮に戻った私は、ご主人様のもとへ報告に向かいます。ご主人様は、監視室にてオーブを操作していました。私が略奪の成果を伝えると、ご主人様はかつて無いほどの賞賛の言葉でもって私を労ってくれました。
「リリ、良くやってくれた。今日はゆっくり休むといい。明日は迷宮を休みにして、迷宮管理センターにでも行こうか。褒美に欲しい物とかも考えていてくれ」
「ありがとうございます。後ほど魔物達が帰還するでしょう。私はお先に休ませて頂きます」
正直な所、私はご主人様の愛が欲しいのですが、何てお伝えすれば良いかわかりません。使い魔として作られる時に設定された、冷静で真面目な性格が仇となっているのかも知れません。とりあえずご命令の通りに休んでおきましょうか。
シャワーを浴びて、室内着に着替えた私は、ご主人様と二人で夕食を取っています。ミントは村人達を牢屋に入れたり、回収した金品を処分しやすいように纏めているそうです。ご主人様が仰るには、明日にもミントを買い取るとのことです。
「ご褒美の品を考えたよ。明日にでも渡すから、楽しみにしていてくれ」
「あ、あの。今夜、私の部屋に来てください。ミントには、気づかれないようにお願いします」
とうとう言ってしまいました。生み出されて数百年、この瞬間程勇気を振り絞った事は無かったでしょう。
「わかった。準備しておくから待っていてくれ」
驚いた表情のご主人様です。やはり使い魔の身分で口にするのは、憚られることなのでしょうか。
食事を終え寝室へと向かった私は、一番綺麗な服に着替えてご主人様を待ちます。ここは私から行動を起こすのはご主人様に対して失礼でしょう。ご主人様がどういった順序を好まれるのかわかりません。ここは私は僭越ながらベッドに横になり、ご主人様をお待ちするべきでしょう。女性が積極的にというのは、はしたないですから。
やがて、寝室の扉が開き静かに入ってくるご主人様。息を殺し静かに待つ私の傍に来たご主人様は、ベッドの上に何かを置かれると、寝室を後にされました。飛び起きた私は、すぐにベッドに置かれた物を確認します。絹で作られた白い美しいドレスに、宝石の付いた装飾品の数々。それらを見た私はすぐに納得しました。ご主人様は、屋敷の内装とかにもこだわられるお方です。美しく飾り立てられた私を御所望なのでしょう。
私は頂いたドレスに着替え装飾品を身に付けると、再びベッドにて横になり、ご主人様を待ちます。
疲れもあって、やがて寝入ってしまった私は起こされること無く夜明けを迎えるのでした。




