投票のあとまで
グリフは4番目に、「学習と熟議」と書いた。
「ここが町民会議の中心だ」
「専門家から話を聞く」
「専門家だけじゃない。当事者、行政、事業者、賛成する団体、反対する団体。必要な立場から話を聞く」
「誰を呼ぶかは、住民参加委員会が決めるのか?」
「それとは別に、議題ごとの運営委員会を作る」
「委員会、多すぎないか?」
三浦が言った。
「公平にやろうとすると、組織は増える」
「政治が面倒になる理由が分かってきた」
「運営委員会には、賛成側と反対側の推薦者、町民代表、中立的な進行役などが入る。専門家の候補や資料について、片側だけに偏っていないか確認する」
「町長は入らない?」
「説明する側にはなるが、会議を仕切る側には入れない」
「町長が自分の案へ誘導するのを防ぐためか」
「そうだ」
「グリフが町議の頃も、会議では口を出さなかったのか?」
上村が尋ねた。
「説明を求められれば答えた。でも、町民の話し合いにはなるべく入らなかった」
「本当か?」
「何だ、その疑い方は」
「お前、議論になると途中で我慢できなくなるから」
「昔よりは我慢できるようになった」
「昔よりは、な」
三浦が笑った。
「それで、話し合いは全部、役場に集まってやるのか?」
「そこが、10年間で一番変わったところだ」
グリフは答えた。
「新型コロナが流行したとき、集まって会議ができなくなった」
「町民会議も中止したのか?」
「最初の数か月は延期した。でも、いつ終わるか分からなかったから、オンラインで再開した」
「全員、パソコンを持ってたのか?」
「持ってない人もいた。タブレットを貸し出した。使い方が分からない人には、職員やボランティアが事前に教えた」
「高齢者も参加した?」
「したよ。最初は、マイクを入れたまま家族と話したり、顔が画面から消えたり、大変だったけどな」
「会議中に寝てる人はいなかった?」
「画面を切っている人は怪しかった」
上村が笑う。
「普通の会議でも寝るやつはいるから、同じだな」
「ただ、オンラインにしたことで、参加しやすくなった人もいた」
グリフは続けた。
「小さな子供がいる人、家族を介護している人、体が不自由で移動が難しい人。仕事で町外へ出ていても、夜なら参加できる人もいた」
「コロナが終わったら、元に戻したのか?」
「完全には戻さなかった。今は対面とオンラインを組み合わせている」
「好きなほうを選べる?」
「基本的にはな。ただ、最初の顔合わせと、最後に案をまとめる回は、できるだけ対面で行う」
「何で?」
「オンラインだけだと、意見の違う相手を画面の中の人として見てしまうことがある」
グリフは少し間を置いた。
「同じテーブルに座って、休憩中に雑談をすると、意見は違っても普通の人間だと分かる。議論には、それも大事なんだ」
*
三浦はペンを止めた。
「なるほどな」
「ただし、事情がある人には無理をさせない。オンラインでも参加できる」
「町民会議に選ばれていない人は見られるのか?」
「全体説明や専門家の発表は、インターネットで生中継する。あとから録画も見られる。使った資料や議事録も公開する」
「小さいグループの話し合いも全部中継?」
「そこは公開しない」
「隠すのか?」
「名前と顔を出して全国へ流されたら、本音を言えなくなる人もいる。小グループの意見は、個人を特定しない形でまとめて公開する」
「何でも公開すればいいわけじゃないんだな」
「透明性と、安心して話せることの両方が必要だ」
「難しいなあ」
三浦は本気で困った顔をした。
「お前、さっきから難しいしか言ってないぞ」
上村が言う。
「難しいものは難しいんだから仕方ないだろ」
「それを普通の人に分かるように説明するのがお前の仕事になるんだぞ」
「これから覚えるよ」
*
グリフは、紙の5番目に「案の作成」と書いた。
「話し合いが終わったら、町民会議が案をまとめる」
「賛成か反対か?」
「できるだけ2択にはしない」
「何で?」
「世の中の問題は、賛成と反対だけで分かれないからだ」
グリフは、以前の太陽光発電所の例を出した。
「計画どおり建設する。規模を縮小する。場所を変える。中止する。実際には、いくつもの選択肢がある」
「町民会議で、3つか4つに絞るのか」
「そうだ。ただし、どの案も実施可能でなければならない」
「税金をゼロにして、サービスを倍にする案は?」
「財源がないから、そのままでは選択肢にできない」
「夢がないな」
「夢を実施するには金が必要なんだよ」
上村が言った。
「役場は、それぞれの案にいくらかかるかを出す。法律上できるか、いつから実施できるか、不利益を受ける人がいるかも示す」
「役場が反対してる案だけ、費用を高く見積もったりしないか?」
三浦が尋ねた。
「以前、それに近い疑いを持たれたことがある」
「本当に?」
「役場に悪意があったわけではない。でも、行政が慣れている案は細かく計算できる。経験のない案は安全を見て高めに見積もる。それだけで差が出る」
「どう直した?」
「今は、外部の専門家にも見てもらう。費用に幅がある場合は、一つの数字に決めず、最低と最高を出す」
「分からないことは、分からないと書く?」
「そうだ。無理に正確なふりをしない」
「町民会議の中で意見がまとまらなかったら?」
「多数の案だけでなく、少数意見も報告書に載せる」
「負けた側の意見も残すのか」
「住民投票の前に、反対理由も知ってもらうためだ」
「多数決で負けたら終わりじゃないんだな」
「町民会議の目的は、勝ち負けを決めることだけじゃない」
グリフは紙の最後に、「住民投票」と書いた。
*
「第6段階で、住民投票を行う」
「やっと投票か」
「町民会議の報告が出たら、すぐ投票するわけではない」
「まだあるのかよ」
「4週間から6週間ほど、町全体で考える期間を置く」
「冷却期間みたいなものか?」
「それに近い。全世帯へ、各案の内容、費用、利点、問題点をまとめた冊子を送る。短い動画も作る。商店街や公民館で説明会も開く」
「その説明会もネットで見られる?」
「見られるし、質問も送れる」
「町長は自分の好きな案を応援していいのか?」
「意見を言うのは禁止しない。ただし、町の広報を使って一つの案だけを宣伝することはできない」
「議員は?」
「議員も自分の意見を表明できる。ただ、町民会議が作った資料をねじ曲げて伝えてはいけない」
「嘘をついたら?」
「第三者の検証チームが、事実関係を確認する。誤りがあれば訂正を求める」
三浦が笑った。
「政治家の発言を全部確認してたら、忙しいぞ」
「全部ではない。投票の判断に大きく影響する事実についてだ」
「最終的な投票は、ネットでやるのか?」
「今のところはやっていない」
三浦は意外そうな顔をした。
「会議はネットでできるのに?」
「投票は秘密が守られ、本人が一度だけ投票し、結果が書き換えられていないと、誰もが信用できなければならない」
「ネットでは無理なのか?」
「将来は分からない。でも、便利さより信頼を優先している」
「若い人はネット投票のほうが参加するんじゃないか?」
「その可能性はある。だから期日前投票所を増やしたり、移動投票所を出したりしている」
「移動投票所?」
「車で地区を回る。交通手段のない高齢者が多い地域や、町の中心から遠い地区へ行く」
「病院や施設にいる人は?」
「制度上可能な方法で投票できるようにする。大事なのは、ネットを使える人だけが便利になる形にしないことだ」
三浦はしばらく考えてから尋ねた。
「投票率が低かったら、やり直すのか?」
「最低投票率は設けていない」
「半分も投票しなかったのに、町の方針を決めていいのか?」
「最低投票率を設けると、反対する側が投票へ行かず、成立させない運動をすることがある」
「なるほど。投票しないことが反対票になるのか」
「そうなる可能性がある。だから、投票した人の結果は結果として出す。ただし、投票率が低ければ、それも重要な情報として扱う」
「住民投票の結果には、法律上の強制力があるのか?」
上村が尋ねた。
「倉沢では、最終的な権限は町長と議会に残る」
「じゃあ、反対が多くても町長が実施できる?」
「制度上は、そうなる場合もある。ただし、町長と議会は結果を原則として尊重することを条例で定めている」
「原則という言葉が怪しいな」
三浦が言った。
「事情が変わる場合があるからだ」
グリフは答えた。
「投票の直後に災害が起きるかもしれない。国の法律が変わるかもしれない。予想外に費用が上がり、実施できなくなる可能性もある」
「結果と違うことをするなら?」
「町長は理由を文書で公表し、議会で説明する。議会も公開の場で改めて採決する」
「黙って無視はできない」
「そういう仕組みにしている」
「それでも住民が納得しなかったら?」
「次の選挙で判断される」
「最後は選挙か」
「代表制民主主義をなくしたわけじゃないからな」
三浦は、壁に貼った紙を見た。
「町民会議と住民投票があっても、町長と議会は残る」
「それぞれ違う役割がある」
*
「投票が終わったら、それで全部終わりか?」
「いや」
グリフは言った。
「今の倉沢モデルでは、1年後と3年後に検証する」
「何を?」
「約束した事業が実施されたか。予算は予定どおりだったか。期待した効果が出たか。予想していなかった問題はなかったか」
「うまくいかなかったら?」
「計画を修正する。必要なら、もう一度町民会議を開く」
「自分たちが投票で決めたことでも?」
「間違っていたら直す」
「住民が決めたことだから、絶対に正しいとは限らないのか」
「当たり前だ」
グリフは答えた。
「政治家も間違える。役人も間違える。専門家も間違える。住民も間違える」
「みんな間違えるじゃないか」
「だから、あとから直せる仕組みが必要なんだ」
部屋の中が、少し静かになった。
三浦はノートに視線を落とし、最後の行へゆっくり書いた。
――決める仕組みではなく、決め直せる仕組み。
グリフがその文字を見た。
「それも、いい言葉だな」
「今日、2個目だ」
「調子に乗るなよ」
「でも、それが倉沢モデルの特徴なんだろ?」
三浦は言った。
「普通の人が話して、みんなで投票して、終わったあとも確かめる。駄目だったら直す」
「そうだな」
「グリフ、それ、最初から狙って作ったのか?」
「いや」
グリフは首を横に振った。
「問題が起きるたびに直してきただけだ」
「最初の形が一番よかったんじゃないのか?」
「今より悪かったよ」
「自分で作った制度なのに、そう言えるのはすごいな」
「作った制度を守るために住民がいるんじゃない。住民のために制度があるんだ」
上村が感心したようにグリフを見た。
「お前、議員を辞めてからのほうが政治家らしいこと言うな」
「うるさい」
三浦は、その言葉もノートへ書こうとした。
「それは書かなくていい」
「使えると思ったのに」
「俺の言葉として演説で使うなよ」
「候補者と政策担当者は、一心同体だろ」
「いつ俺が政策担当者になった」
「違うのか?」
グリフは答えず、時計を見た。
*
「今日はここまでにしよう」
「もう?」
「もう2時間半だ」
上村が立ち上がり、腰を伸ばした。
「前より長いじゃねえか。今度から座椅子を用意してくれ」
「政治活動の経費で買うか」
「まだ政治資金も何もないだろ」
「領収書は取っておく」
「何に出すつもりだよ」
グリフは資料を鞄へ戻した。
「三浦、次までに宿題がある」
「また調べるのか?」
「今の倉沢モデルを、3分で説明できるようにしておけ」
「3分?」
「長い説明なら誰でもできる。初めて聞く人に、何が特徴なのか伝えろ」
「3分なら、テレビのひな壇より長いな」
「芸人の経験を使え」
「分かった」
「ただし、笑いを取りにいって話を壊すなよ」
「笑いがあるほうが聞いてもらえるだろ」
「聞いてもらうための笑いならいい。笑いだけ覚えられて、政策を忘れられたら駄目だ」
三浦は腕を組んだ。
「難しい注文だな」
「お前、間を計算して、同じギャグを少しずつ変えてたんだろ。それと同じだ」
「政治とお笑いは似てるってことか?」
「人に伝える部分はな。ただし、政治では笑ったあとに何が残るかが大事だ」
三浦は少し考えてから、ノートの新しいページを開いた。
そこに大きく、
――倉沢モデル 3分版
と書いた。
「次までに作るよ」
グリフと上村は玄関へ向かった。
*
三浦は2人を見送ったあと、部屋へ戻った。
テーブルの上には、何ページにもわたって書き込まれたノートが残っている。
議題の提案。
町全体からの意見募集。
無作為抽出。
対面とオンラインを組み合わせた町民会議。
複数案と少数意見。
住民投票。
実施後の検証と見直し。
三浦は、3分で説明するために、どこを削るべきか考えた。
芸人時代、真壁が書いた台本を削るのは三浦の役目だった。
説明の重複を消し、長い台詞を短くし、客が分からなくなる部分を直す。
そのときと同じように、ノートの言葉へ線を引いていく。
しかし、削れば削るほど、どこか大事なものまで失われる気がした。
「普通の人が話し合って、最後はみんなで決めます」
三浦は声に出してみた。
「……普通すぎるな」
別の言い方を考える。
「政治家だけに任せない政治」
少し考え、首を横に振った。
「これだと政治家を敵に回すな」
もう一度、ノートを見る。
今日、自分で書いた2つの言葉が目に入った。
――出口がない。
――決め直せる仕組み。
三浦はボールペンを指で回した。
「国民の声を聞いて終わりにしない政治」
口に出す。
「決めて終わりにもしない政治」
もう一度言ってみる。
まだ完成してはいない。
だが、先ほどまでよりは、何かに近づいた気がした。
三浦は新しいページの中央に、ゆっくりと書いた。
――国民の声に、出口をつくる。
その言葉を四角で囲む。
しばらく眺めたあと、三浦は1人でうなずいた。




