自分の言葉で話すために
第2回の勉強会が終わった直後、三浦は、自分が倉沢モデルをかなり理解したつもりでいた。
グリフと上村を見送ったあとも、ノートを開き、2人から聞いた話を何度か読み返した。
議題の選定。
町民からの意見募集。
無作為抽出。
学習と熟議。
複数案の作成。
住民投票。
実施後の検証。
「なるほどな」
その夜は、1人で何度もうなずいた。
ところが、翌朝になると、理解したはずの内容が、頭の中で少しぼやけていた。
牛丼店で働いているあいだにも、グリフから出された宿題のことを考えた。
――倉沢モデルを3分で説明できるようにしておけ。
休憩時間に従業員用の椅子へ座り、ノートを開く。
最初にグリフが示した段階を、そのまま書き出した。
1、何を町民会議で扱うかを決める。
2、町全体から意見を集める。
3、町民会議の参加者を選ぶ。
4、学習と熟議。
5、案を作る。
6、住民投票。
三浦は、その6項目を眺めた。
「うん」
項目自体は理解できる。
だが、それぞれの項目について、グリフはさらにいろいろ説明していた。
一つ目では、議題にしてよいものと、してはいけないものがある。
2つ目では、紙とインターネットの両方で意見を集め、本人確認をする部署と、内容を整理する部署を分ける。
3つ目では、ただ無作為に選ぶのではなく、年齢、性別、地区などが町全体に近くなるよう調整する。
4つ目では、専門家、当事者、賛成派、反対派から説明を受け、対面とオンラインを組み合わせて話し合う。
5つ目では、費用や実現可能性を確認し、少数意見も残しながら複数の案を作る。
6つ目では、投票の前に考える期間を設け、冊子や動画で情報を提供する。
「多いな」
三浦はノートを閉じかけた。
もう一度開く。
何度か聞けば分かるようになる気はした。
しかし、政治に特に関心のない人が、ここまで聞いてくれるだろうか。
自分でも途中から、グリフの説明を理解するより、理解している顔をすることに集中していた。
特に、4番目の「学習と熟議」がよくない。
「学習って言われた時点で、逃げるだろ」
三浦は1人でつぶやいた。
学習会、勉強会、研修会。
どれも、学校の授業や会社のつまらない講習を思い出させる。
そもそも「熟議」と普通の「話し合い」が、どう違うのかも分かっていなかった。
時間をかけて話せば熟議なのか。
難しい言葉を使えば熟議なのか。
全員が腕を組み、深刻な顔をしていれば熟議なのか。
「グリフも、難しい言葉を使いたがるんだよな」
三浦はペンを指で回した。
「賢いアピールかよ」
口に出してから、グリフの顔を思い浮かべた。
本人に言えば、たぶん、
――必要な言葉だから使ってるんだ。
と、真顔で答えるだろう。
「それが賢いアピールなんだよ」
三浦は1人で言い返した。
しかし、2回目の勉強会で諦めるわけにはいかない。
もっと難しい文章を読めば、グリフの説明が簡単に思えるかもしれない。
そう考えた。
*
その日の夜、三浦はアパートの床に座り、スマートフォンで「熟議民主主義 市民会議」と検索した。
検索結果には、大学の研究者や、行政関係の研究機関が書いた文章がいくつも表示された。
一番上に出てきた論文らしいものを開く。
画面いっぱいに、文字が並んでいた。
三浦は指で下へ動かした。
動かしても、動かしても、文字ばかりだった。
「図はないのかよ」
最初のページを30秒ほど眺め、閉じた。
次に、比較的図表の多い資料を開いた。
矢印や丸があるだけで、少し安心した。
文章を読む。
――オーナーシップやコミットメントをより強固にするため、プロセスは透明で包摂的なものである必要があります。これは、内部または外部の熟議民主主義の専門家による助言が必要な場合を含みます。
三浦は、声に出して読んだ。
「オーナーシップ……コミットメント……」
いったん画面から目を離した。
「日本語で書けよ」
オーナーシップは、所有権ではなかったか。
町民会議を誰かが所有するということなのか。
コミットメントは、何となく責任を持つとか、約束するとか、そういう意味だった気がする。
別の箇所には、「ステークホルダー」という言葉もあった。
「ステーキを持ってる人じゃないことは分かる」
三浦は検索欄へ「ステークホルダー 意味」と入力した。
利害関係者。
「最初からそう書けよ」
次に、「包摂的」という言葉を調べる。
排除せず、さまざまな人を包み込むこと。
「こんな日本語、初めて見たぞ」
意味を調べるために、別の難しい説明を読まなければならない。
政治について知ろうとしているだけなのに、いつの間にか日本語の勉強になっていた。
資料の後半には、市民会議を実施するために必要な体制も書かれていた。
主催者。
ファシリテーター。
情報基盤を担当する者。
専門的な助言を行うアドバイザー。
運営を検証する評価者。
「何人いるんだよ」
一つの役割を1人が担当するわけではないだろう。
参加する市民が40人いて、その周りに運営する人間が何十人もいる。
資料には予算の例も載っていた。
小規模な市民会議でも何百万円、何千万円。
国レベルのものになると、億を超える例もある。
「倉沢はいくら使ってんだ?」
三浦はノートの端に書いた。
――費用をグリフに聞く。
数千万円も使うなら、その金を直接、問題の解決に使ったほうがよいのではないか。
高齢者の交通問題を話し合うために何千万円もかけるなら、その金でバスを走らせられる。
子育て支援を議論するなら、その金を子供へ配ればよい。
「次に会ったら、言ってやろう」
三浦はそう考えた。
だが、すぐに思い直した。
グリフだって、そんな単純なことに気づかないはずはない。
それでも10年近く続けている。
金をかけるだけの価値があると考えているのだろう。
町民の納得を得ずに始めた政策は、反対されて途中で止まることもある。
必要のないものを造れば、もっと大きな金が無駄になる。
最初に話し合う費用は、失敗を減らすための費用なのかもしれない。
「でも、高いものは高いよな」
三浦は誰にともなく言った。
*
グリフは、倉沢モデルが10年かけて、より公平で、より多くの人が参加できる仕組みになったと考えているようだった。
三浦にとっては、10年かけて複雑になったようにしか見えなかった。
最初は、町民を集めて話し合い、投票するだけだったはずである。
そこへ、参加できない人がいるという苦情が出て、オンライン参加を加えた。
情報が偏っているという批判が出て、運営委員会を作った。
匿名で意見を出したいという声が出て、本人確認と意見整理の部署を分けた。
費用の見積もりが公平ではないと言われ、外部の専門家を入れた。
発言を公開されると話せないという人がいて、小グループの話し合いは非公開にした。
一つの問題に対応すると、別の決まりが一つ増える。
「こうして、俺たちみたいなのが政治から離れていくんだな」
三浦は思った。
運営する側からすれば、公平にしようとした結果なのだろう。
最初から、
――俺たちにしか分からないよう、複雑にしてやろう。
と考えたわけではない。
文句を言われるたびに対策を加え、失敗するたびに新しい仕組みを入れた。
その結果、普通の町民には全体像が見えにくくなっていく。
「あと10年たったら、もっと複雑になるぞ」
三浦はノートへ目を落とした。
町民会議を正しく運営するために、専門的な知識が必要になる。
やがて、資格が作られるかもしれない。
国家資格、町民会議士。
一級町民会議士と、二級町民会議士がいる。
一級を取るには、実務経験が5年以上必要になる。
更新研修も受けなければならない。
資格を管理するために、全国町民会議士連合会が設立される。
会員は毎年、年会費を納める。
「うんうん。資格を管理する制度も必要だな」
三浦は1人でうなずいた。
町民会議士の資格制度を話し合うために、新しい町民会議が開かれる。
その会議を運営する町民会議士に、利害関係がないかが問題になる。
そこで、町民会議士を監督する上級町民会議士が必要になる。
「駄目だ」
三浦は吹き出した。
「無限に増える」
しばらく1人で笑ったあと、顔を両手でこすった。
「いや、真面目にやろう」
宿題を終わらせなければならない。
*
三浦はもう一度、グリフの説明を書いたノートを読み返した。
3分で説明するためには、削らなければならない。
何を削るか。
議題を選ぶ仕組みは必要である。
町民の意見を集めることも必要。
参加者選びも、公平性のために外せない。
学習と熟議が中心である。
複数案を作らなければ、単純な賛否になる。
最後には住民投票が必要。
「全部いるじゃねえか」
説明の順序を入れ替えてみた。
言葉を短くしてみた。
しかし、短くするたび、重要な説明が抜けていくように感じる。
そのとき、三浦はふと気づいた。
グリフは、倉沢モデルという制度全体を説明していた。
役場が何をするか。
委員会が何をするか。
専門家が何をするか。
議会や町長が何をするか。
それらをすべて説明しようとするから、長くなる。
「町民がやることだけでいいんじゃないか?」
制度を運営する側には細かな仕組みが必要だ。
だが、参加する住民が、最初から全てを知る必要はない。
牛丼を食べる客は、店の仕入れ方法や、衛生管理の帳簿の付け方まで知らなくてもよい。
注文の仕方と、出されたものが安全であることさえ分かれば食べられる。
三浦は、新しいページを開いた。
*
6つの段階を眺めながら、町民がすることだけに絞っていく。
1、困っていることや、変えてほしいことを町へ伝える。
少し考え、括弧をつけ加える。
――ただし、ほかの人をいじめたり、権利を奪ったりする提案はできない。
「長いな」
書き直した。
1、困りごとを、役場に言う。
ただし、ほかの人をいじめる提案は駄目。
2、町民会議に出る。
これだけでは分かりにくい。
――選ばれたら、説明を聞き、自分の考えを話す。人の話も聞く。
「これなら、熟議って言わなくていいな」
3、投票する。
――よいと思う案に丸をつける。
三浦は3つの項目を上から読んだ。
1、困りごとを役場に言う。
2、選ばれた人が、話を聞いて、みんなで考える。
3、よいと思う案に投票する。
「あれ?」
声に出しても、1分もかからない。
3分どころか、30秒程度だった。
グリフは「3分で説明しろ」と言った。
短すぎるのは、何かを忘れているからではないか。
三浦は元の6段階と見比べた。
町全体から意見を集める部分は、一つ目に入っている。
参加者選びは、2つ目の「選ばれた人」に含まれている。
学習と熟議は、「話を聞いて、みんなで考える」。
案の作成も、みんなで考える中に含まれる。
住民投票は、そのまま3つ目である。
「全部、入ってるよな」
細かな正確さは失われている。
だが、何をする制度なのかは分かる。
少なくとも、
――ファシリテーターが包摂的な熟議プロセスを形成し、ステークホルダーのコミットメントを確保する。
という説明よりは、自分でも理解できた。
三浦はノートに大きく書き直した。
――倉沢モデル
1、困りごとを町に伝える。
2、選ばれた町民が、話を聞いて、みんなで考える。
3、町民みんなで投票する。
少し考え、一番下に一文を足した。
――決めたあとも、うまくいったか確かめる。
「4つになったな」
だが、この最後の一つは外したくなかった。
グリフが言った「決め直せる仕組み」が、三浦には印象に残っていた。
政治は、決めた人間が自分の間違いを認めない世界だと思っていた。
失敗しても、失敗ではなかったと説明する。
予想と違う結果が出ても、長期的には成果が出ると言い続ける。
しかし倉沢モデルでは、住民が選んだ案であっても、うまくいかなければ見直す。
それは必要だと思った。
三浦は、4つの文章をもう一度読み上げた。
「困っていることを町に伝える。選ばれた普通の人が、いろんな話を聞いて考える。できた案を、町民みんなで選ぶ。やったあと、本当によかったか確かめる」
1分にも満たない。
「3分で説明しろって言ったけど、1分でいいじゃないか」
残った時間で、具体例を話せばよい。
バスをどこへ走らせるか。
学校を統合するか。
公園を造るか。
言葉だけで説明するより、身近な問題を出したほうが伝わる。
三浦は、ようやく宿題の形が見えた気がした。
同時に、倉沢モデルが、ほかの町へなかなか広がらない理由も分かった気がした。
制度を作る側は、公平にしようとするほど細かな仕組みを増やしていく。
細かな仕組みが増えるほど、説明も難しくなる。
説明が難しければ、住民は自分には関係のない話だと思う。
住民が関心を持たなければ、制度を始めようという声も出ない。
「いい制度でも、説明が面倒だと広がらないのか」
三浦はノートを見た。
グリフは、制度を作ることができる。
公平に運営する仕組みも考えられる。
だが、その仕組みを、政治に興味のない人間へどう伝えるかについては、あまり得意ではないのかもしれない。
「そこは俺の仕事か?」
口に出してみる。
まだ、国会議員になる方法すら分かっていない。
政治についても、知らないことばかりだった。
それでも、グリフの長い説明を、普通の人が理解できる言葉に変えることならできるかもしれない。
芸人時代、真壁が書いた長い台本を削り、客が分かる言葉へ直してきた。
内容を作るのは真壁だった。
それを客へ届ける形にするのが、三浦の役目だった。
「同じかもしれないな」
三浦は、4つの文章をもう一度読んだ。
そして、その上に題名を書いた。
――政治を、政治家だけのものにしない方法。
しばらく眺める。
「いや、ちょっと格好つけすぎか」
二重線で消した。
その下へ書き直す。
――みんなで考えて、みんなで決める。間違ったら、みんなで直す。
三浦はペンを止めた。
「これでいいだろ」
まだグリフに見せていない。
見せれば、説明が足りない、正確ではない、誤解を招くと言われるかもしれない。
それでも三浦は、今までより少しだけ、倉沢モデルが自分の言葉になった気がしていた。




