倉沢モデルの六段階
第2回の勉強会は、その1週間後に開かれた。
会場は前回と同じ、三浦のアパートだった。
グリフと上村が部屋へ入ると、折り畳みテーブルの上には、すでに3人分の麦茶と紙コップが並べられていた。その横には、前回よりも少し高そうな菓子が置かれている。
「今日は、せんべいだけじゃないんだな」
上村が袋を手に取った。
「政治活動への先行投資だ」
三浦が答える。
「398円だけどな」
「値段まで言うなよ」
グリフは部屋の奥へ目を向けた。
壁には、前回までなかった大きな紙が貼られていた。
中央に、
――市民会議→議会→国民投票
と書かれ、その周囲に矢印や丸印がいくつも描かれている。
「勉強したみたいだな」
「したよ」
三浦は得意そうに胸を張った。
「アイルランドの市民会議は、普通の市民が勉強して話し合って、国に意見を出す。ただし、市民会議だけで法律を決めるわけじゃない。議会や政府が受け取って、必要なら最後に国民投票をする」
「大体合ってる」
「大体か」
「前回よりは、かなりいい」
グリフが座布団へ腰を下ろす。
上村もその隣に座り、紙コップへ麦茶を注いだ。
「それで、今日は何をやるんだ?」
「前回の続きだ」
グリフは鞄から資料を取り出した。
「三浦は、アイルランドでできたことを日本でもやればいいと言ったな」
「ああ」
「でも、そのまま持ってくることはできない」
「何で?」
「大きな理由は2つある」
三浦はノートを開いた。
1ページ目の上に、
――第2回 日本でやる場合の問題
と書く。
「一つ目は、法律と制度の違いだ」
グリフは話し始めた。
「アイルランドでは、憲法を改正するときに国民投票をする仕組みが、以前から使われてきた」
「同性婚とか、中絶の話だな」
「そうだ。市民会議の勧告を議会や政府が受け取り、憲法を変える必要があるなら、国民投票へ進む道が最初からある」
「日本にも国民投票はあるだろ?」
三浦が言った。
「憲法改正ならな」
「じゃあ、あるじゃないか」
「憲法を変えるときだけだ」
グリフは三浦のノートの余白へ、ペンで線を引いた。
「例えば、消費税をどうするか。原子力発電所を増やすか。社会保障をどのような制度にするか。そういう普通の政策について、国民投票で決めるための一般的な仕組みはない」
「法律を作ればいいんじゃないのか?」
「だから、それを誰が作る?」
三浦は少し考えた。
「国会議員」
「そうだ。国民に直接決めてもらう制度を作るかどうかを、まず国会議員に決めてもらわなければならない」
上村が笑った。
「自分たちの仕事を国民に渡す制度を、自分たちで作るのか」
「全部を渡すわけじゃない」
グリフは答えた。
「でも、議員の権限が小さくなると思う人はいるだろうな」
「反対されるな」
三浦が言う。
「かなりな」
「じゃあ、国会議員になってから法律を作るしかないのか」
「少なくとも、恒常的な制度にするなら国会の賛成が必要だ」
「国民に聞くために、国会議員の許可がいる」
三浦はノートにそう書いた。
「何か、変な話だな」
「変というより、それが今の代表制民主主義だ」
グリフは言った。
「選挙で選ばれた議員が、法律を作る。国民が直接決めるのは例外だ」
「じゃあ、俺たちは、その例外を増やそうとしてるわけか」
「そういうことになる」
*
「でも、市民会議を作るだけなら、法律を変えなくてもできるんじゃないか?」
上村が尋ねた。
「政府や国会が、試しに普通の市民を集めて話を聞くくらいならできるだろ」
「できると思う」
「だったら、最初はそれでいいんじゃないか?」
三浦が言った。
「市民会議を開いて、結果を国会へ渡す」
「問題は、そのあとだ」
グリフは答えた。
「国会が受け取った報告書を、棚に置いて終わりにする可能性がある」
「読まれもしない?」
「委員会で取り上げました、参考にしました、と言って終わるかもしれない」
「それじゃ意味ないだろ」
「だから、市民会議の勧告を受けたとき、政府や国会に何を義務づけるか決める必要がある」
グリフは指を折りながら例を挙げた。
「何か月以内に回答する。採用しない場合は理由を公表する。国会の委員会で必ず審議する。議員が賛成か反対かを表明する」
「無視できない仕組みにする」
三浦が書き込む。
「そうだ。ただし、市民会議の言うとおりに必ず法律を作れ、とまですると、今度は国会の役割がなくなる」
「面倒だな」
「政治の制度というのは、権限と責任をどう分けるかだからな」
上村がせんべいをかじりながら言った。
「つまり、一つ目の問題は、市民会議を作ることより、その意見を政治へどうつなげるかか」
「そういうことだ」
三浦はノートの一行を丸で囲んだ。
――出口がない。
「出口?」
グリフが尋ねる。
「会議を開いても、国会が動かなければ出口がないってことだろ」
「分かりやすいな」
「だろ?」
「それは使えるかもしれない」
三浦は少しうれしそうにした。
*
「じゃあ、2つ目は?」
「公平性と信頼だ」
「また難しい言葉が来たな」
「簡単に言えば、誰を選び、誰の話を聞かせるかという問題だ」
グリフはテーブルの上に、10円玉をいくつか並べた。
「日本の人口は1億人以上いる。その中から100人を選んで、国民の代表ですと言ったら、お前は納得するか?」
「無作為に選んだなら、いいんじゃないか?」
「本当に無作為か、どうやって確かめる?」
三浦は黙った。
「政府に都合のいい人を集めたんじゃないか、と疑う人が出る」
上村が言う。
「賛成派ばかり選んだとか、反対派を最初から外したとか」
「そうだ。それに、無作為に招待状を送っても、参加したくない人は断る」
グリフは10円玉の半分を横へ除けた。
「仕事を休めない人。子育てや介護で家を空けられない人。政治に関わりたくない人。難しい話が苦手だと思っている人」
「暇で、政治に興味のあるやつだけが残る」
三浦が言った。
「そうなれば、国民の縮図ではなくなる」
「金を払えばいいんじゃないか?」
「参加した日の手当は必要だろうな。交通費、宿泊費、子供を預ける費用、介護の代わりを頼む費用も考えないといけない」
「そこまでやるのか」
「そこまでしないと、本当にいろいろな立場の人は参加できない」
上村が口を挟んだ。
「選んだ人が公平でも、説明する人が偏ってたら駄目だろ」
「そのとおりだ」
グリフはうなずいた。
「原子力発電について話すなら、推進する専門家だけを呼んでも駄目だ。反対する専門家だけでも駄目だ」
「両方呼ぶ」
「ただし、人数を同じにすれば公平とも限らない。科学的にほぼ結論が出ている問題まで、賛否を半分ずつにすると、かえって誤解を招くこともある」
「何が正しいかを決める人が必要になるな」
三浦が言った。
「その人が信用できるかという問題が、また出てくる」
「終わらないじゃないか」
「終わらないよ」
グリフは平然と答えた。
「完全な公平なんてない。だから、誰が専門家を選んだのか、どんな資料を使ったのか、全て公開する。反対意見があるなら、それも記録に残す」
「隠さないことで信用してもらうのか」
「そうだ。間違いが見つかったら訂正する。運営側にも利害関係があれば公表する」
三浦はしばらくノートを書いていたが、やがて顔を上げた。
「でもさ、テレビやネットで嘘が広がったら、会議の人だけ正しい説明を聞いても意味ないんじゃないか?」
グリフは少し驚いたように三浦を見た。
「いいところに気づいたな」
「俺だって馬鹿じゃない」
三浦は右手を頭へ載せかけたが、グリフと上村が無反応だったため、途中でやめた。
「やらないのか?」
上村が尋ねる。
「期待されるとやりたくなくなるんだよ」
「面倒な元芸人だな」
「元をつけるな。まだ辞めてない」
グリフは話を戻した。
「国レベルで投票をするなら、ネット上の偽情報や、金をかけた広告の問題も大きい。資金の多い側が大量に広告を出せば、それだけ多くの人に届く」
「外国から邪魔される可能性もあるか」
上村が言った。
「あるだろうな。誰が広告費を出したのか分からない場合もある」
三浦はノートに大きく、
――選び方と情報が信用されるか
と書いた。
「2つ目は、これでいいか?」
「分かりやすい」
「じゃあ、一つ目は出口がない。2つ目は信用されない」
「少し乱暴だけど、最初の説明としてはそれでいい」
「何だ。俺、もう説明できるじゃないか」
「問題が分かっただけだ。解決してないだろ」
「問題を見つけるのも政治家の仕事だ」
「都合のいいことだけ覚えるな」
*
グリフは資料を1枚めくった。
「ここからは、今の倉沢モデルについて話す」
三浦は姿勢を正した。
「アイルランドを参考にして作ったやつだな」
「最初はな。ただし、始めてからもう10年近くたつ。その間に、かなりやり方を変えている」
「最初から完成してたんじゃないのか?」
「そんなわけないだろ」
グリフは苦笑した。
「最初の町民会議は、今考えれば問題だらけだった」
「例えば?」
「参加者の負担が大きすぎた。会議は役場の会議室で、平日の夜か休日に開いた。小さな子供がいる人や、夜に外出できない高齢者は参加しづらかった」
「無作為に選んでも、来られる人だけになる」
「そうだ。それに、資料の量も多すぎた。役所が普段使っている資料を、そのまま町民へ渡したこともあった」
上村が笑った。
「数字と役所の言葉ばかりで、読む気がなくなるやつだな」
「俺も読んでて眠くなったよ」
「作った側が言うな」
「だから変えた」
グリフは、現在の倉沢モデルの流れを、白い紙に書き始めた。
「今は、全部で6つの段階に分けている」
「6つもあるのか」
「最初から覚えようとするな。流れを理解しろ」
グリフは、一番上に「議題」と書いた。
「第1段階は、何を町民会議で扱うかを決める」
「町長が決めるんじゃないのか?」
「町長や議会が提案する場合もある。それとは別に、住民から一定数の署名が集まった場合も、検討の対象になる」
「住民が持ち込めるのか」
「ああ。ただし、何でも町民会議にできるわけじゃない」
「今日の夕飯をカレーにするか、牛丼にするか、とか」
三浦が言った。
「それは家で決めろ」
「税金を下げて、サービスを全部増やせとかは?」
「実現できるかを調べる必要はあるが、意見として提出することはできる」
「誰が、町民会議にかけるか決めるんだ?」
「町長だけで決めると、自分に都合のいい議題だけ選ぶと言われる。だから今は、常設の住民参加委員会が審査する」
「また委員会か」
「町民、議員経験者、法律や行政の専門家などで作る。ただし、現職の町長や担当課だけでは決めない」
「どんな基準で審査する?」
「町全体に影響する問題か。賛成と反対に分かれる余地があるか。実施できる選択肢があるか。個人の権利を多数決で奪うような内容ではないか」
三浦のペンが止まった。
「個人の権利?」
「例えば、特定の外国人を町から追い出すか、なんてことを住民投票にはできない」
「多数が賛成しても?」
「駄目だ。多数決で決めてよいことと、決めてはいけないことがある」
「多数決が一番偉いわけじゃないのか」
「民主主義は、多数決だけじゃない。少数者の権利も守らなければならない」
上村が三浦のノートをのぞき込んだ。
「そこ、大きく書いとけ。お前、盛り上がったら何でも投票にかけそうだから」
「俺を何だと思ってるんだ」
「人気投票の司会者」
「政治家だよ。まだ候補だけど」
「候補にもなってない」
*
「話を進めるぞ」
グリフが2人を制した。
「議題が決まったら、第2段階。町全体から意見を集める」
「町民会議の前に?」
「そうだ。最初の頃は、町民会議の参加者だけで話し合っていた。でも、それでは参加しなかった人の意見が入りにくい」
「どうやって集める?」
「役場や公民館に意見箱を置く。郵送でも受け付ける。今は専用のウェブサイトからも提出できる」
「ネットが使えない人は紙で、使える人はネットで」
「そういうことだ。賛成、反対だけでなく、理由や具体案も書いてもらう」
「匿名でもいいのか?」
「公開する意見は原則として匿名だ。ただし、同じ人が大量に投稿するのを防ぐため、町民であることは裏で確認する」
「それ、役場が反対意見を出した人を知ることになるんじゃないか?」
三浦が尋ねた。
「そこも問題になった」
グリフは答えた。
「だから、本人確認をする部署と、意見を整理する部署を分けた。整理する側には、氏名や住所を渡さない」
「考えてるんだな」
「失敗したからな」
「何があった?」
「最初の頃、意見書に名前を書いてもらったら、役場への批判を書きづらいという声が出た」
「それで変えたのか」
「制度は、使ってみなければ分からないことが多い」
*
グリフは紙に3番目の項目を書いた。
「第3段階が、町民会議の参加者選びだ」
「無作為抽出」
三浦が先に答えた。
「それだけじゃない」
「違うのか?」
「住民基本台帳から、まず数百人へ招待状を送る。その中から参加できると返事をした人を、年齢、性別、居住地区などが町全体に近くなるように選ぶ」
「最初から40人だけに送ったら、断る人が多いからか」
「そうだ。今の定員は、議題によって36人から48人くらいだ」
「ずいぶん細かいな」
「人数が少なすぎれば偏る。多すぎると、一人ひとりが話せない」
「参加したくても選ばれない人もいる?」
「いる。その人たちは一般意見を出したり、公開の説明会へ参加したりできる」
上村が尋ねた。
「昼間に働いている人はどうする?」
「会議は土日を中心にする。参加手当も出す。交通費、託児費用、介護サービスを利用した場合の費用も、一定額まで町が負担する」
「そこまでやってるのか」
「そこまでやらないと、“暇な人だけの会議”になる」
「高校生は入れる?」
三浦が聞いた。
「投票権のない年齢でも、議題によっては参加枠を作る。学校の統廃合や公園、教育の問題なら、当事者だからな」
「外国人は?」
「倉沢に一定期間住んでいる人は、町民会議には参加できる」
「住民投票は?」
「そこは条例と投票の種類による。ただ、町民会議から最初から外国人を外す理由はない。町の制度で生活する当事者だからな」
三浦はうなずきながら書き込んだ。
「技能実習生も?」
「ああ。日本語が難しければ、通訳ややさしい日本語の資料を用意する」
「費用がかかるな」
上村が言った。
「かかるよ。だから、何でも町民会議にするわけじゃない」
「大事な問題だけか」
「そうだ」




