ポスターを背負って
東京へ来てから、1週間もたたないうちに公示日が迫ってきた。
それまで三浦は、ほとんど毎日、選挙区内を歩いていた。
駅から駅へ。
商店街から住宅地へ。
グリフが東京にいる日は、小型のスピーカーをグリフが持ち、その少し前を三浦が歩いた。
「こんにちは。政治団体《話せる国》の三浦です」
「選挙のときだけじゃなく、選挙と選挙の間にも政治へ意見を言える仕組みを作りたいと思っています」
そんな言葉を、何度も繰り返した。
グリフがいない日は、1人だった。
3日目からは、胸から肩へ、
――本人。
と大きく書かれたたすきを掛けるようになった。
最初にそれを見た三浦は、少し嫌そうな顔をした。
「本人って、何だよ」
「本人だと分かるだろ」
「見れば分かるだろ」
「お前を知らない人には分からない」
「元芸人だぞ」
「だから、その自信はどこから来るんだ」
のぼりも用意した。
《話せる国》
《観客から主権者へ》
2本しかない。
それでも、何も持たず歩いていた頃よりは、政治活動をしている人間に見えるようになった。
*
問題は移動だった。
徒歩だけでは、選挙区全体を回れない。
東京とはいえ、一つの小選挙区は広い。
駅も多い。
住宅街も、商店街も、幹線道路沿いの地域もある。
「やっぱり車が必要だな」
グリフが言った。
「選挙カー?」
「街宣車」
「ついに来たか」
三浦は少しうれしそうだった。
「屋根の上から手を振るやつだろ」
「お前は手を振りたいだけか」
「1回やってみたいだろ」
しかし、車は簡単には手に入らなかった。
今回の解散は急だった。
久保の紹介で、選挙用の車両を扱う業者にも当たった。
だが、どこも同じことを言った。
車が足りない。
スピーカーや看板の加工も間に合わない。
すでに取引のある政党や、複数の選挙区でまとめて発注する陣営が優先される。
三浦のような無所属新人へ回せる車は、選挙戦の終盤にならなければ用意できない。
「終盤に来てもなあ」
三浦が言った。
「ないよりはいい」
「その頃には俺、徒歩で痩せてるぞ」
久保は諦めなかった。
「公示日から車なしでは、さすがに厳しい」
昔からの知り合いへ電話をかけ、さらにその知人を紹介してもらい、ようやく古いワゴン車を1台借りられることになった。
有償だった。
しかも、車体には貸してくれた会社の名前が大きく残ったままである。
三浦は初めて車を見たとき、しばらく黙った。
「これ……選挙カーになるの?」
「なる」
久保が断言した。
「今はただの配送車にしか見えないけど」
「明日には政治家の車になる」
キャンピングカーやキッチンカーなどの改造をしている小さな業者へ頼み込み、屋根へスピーカーを付けてもらった。
側面には取り外し式の看板を取り付ける。
白地に、
――三浦
――話せる国
と大きく書いた。
「もう少し派手な色にしたかったんですが」
三浦が言う。
「印刷し直す金がない」
グリフが答えた。
「じゃあ、これでいい」
屋根へ上がって演説できるような架装も検討した。
しかし見積もりを聞いた久保が、
「却下」
の一言で終わらせた。
「高すぎる」
「他の候補は屋根に乗ってるぞ」
「他の候補は金がある」
「分かりやすいな」
駅前で演説するときは、別の方法を考える必要があった。
グリフはネットを調べ、警察へ相談し、現実的に使えるものを探した。
*
そして、公示日が来た。
朝から上村も東京へ来ていた。
会社には有給休暇を申請している。
「夜には、昔の仲間も3人来られる」
「3人も?」
三浦が驚いた。
「みんな仕事終わってからだけどな」
「ありがたいな」
「1人は建設会社。もう1人は配送。あと1人は普通の会社員」
「普通って何だよ」
「今でも見た目が怖くないやつ」
「基準そこ?」
「選挙だからな」
三浦は笑った。
その日、一番大きな仕事は演説ではなかった。
選挙ポスターである。
選挙区内には、410か所ほど掲示板がある。
「410……」
三浦は地図を見て顔をしかめた。
「これ全部?」
「全部」
「誰が貼る?」
「俺たち」
グリフが答えた。
「業者は?」
「いない」
「ボランティアは?」
「今日の昼はいない」
三浦はしばらく地図を見た。
「無所属って大変だな」
「今さら気づいたのか」
3人で貼ったとしても、1日では到底終わらない。
場所がまとまっているわけではない。
1枚貼ってから、次まで数百メートル。
時には1キロ以上離れる。
そこで自転車を3台借りていた。
「今日は選挙運動じゃなくて、ポスター屋だな」
三浦が言う。
「夕方には演説する」
「その前に足が終わりそうだ」
「候補者が一番働け」
「はいはい」
選挙事務所は、繁華街から少し外れた小さなテナントだった。
事務机。
折り畳み椅子。
コピー機。
ポスターの束。
壁には選挙区の大きな地図。
豪華な必勝の為書きも、花もない。
そして、公示日なのに誰も残らない。
3人ともポスターを貼りに行くからである。
上村が紙へ書いた。
――ただいまポスターを貼りに行っています。
その下に、
――御用の方は、お電話ください。
と電話番号を付けた。
三浦が見て笑った。
「選挙事務所なのに留守かよ」
「来客が殺到する予定あるのか?」
「ない」
「なら大丈夫」
3人はそれぞれポスターを背負い、自転車へまたがった。
*
夕方になった。
3人は疲れ切った顔で事務所へ戻った。
「何枚?」
グリフが尋ねる。
「45」
上村が答える。
「俺、43」
三浦が言う。
「俺が47。合計135」
「3分の1か……」
三浦は椅子へ座り込んだ。
「これ、明日もやるの?」
「明後日もだな」
「候補者がポスター貼ってる場合なのかな」
「貼らなきゃ、お前が候補者だと誰も知らない」
「それもそうか」
しばらく休んだあと、駅前演説の準備をした。
スピーカー。
のぼり。
腕章。
そして、グリフが新たに用意したものがある。
アルミ製の足場台だった。
工事現場などで使われる、いわゆる「立ち馬」である。
三浦はそれを見た。
「これ?」
「これ」
「俺、ここに乗るの?」
「立ちっぱなしで話すより、腰掛けてもいい」
「他の候補、街宣車の上だぞ」
「うちはこれ」
三浦は笑い出した。
「落差がすごいな」
高さは、それほどない。
腰より少し下程度。
グリフは事前に警察へ相談し、置き方や周囲の安全について確認していた。
三浦はその上へ腰を掛けた。
片足を踏み桟へ乗せる。
「何か、工事現場の休憩中みたいだな」
「似合ってるぞ」
「褒めてないだろ」
駅前には、すでに別候補の立派な街宣車が停まっていた。
車体いっぱいに候補者名。
大型スピーカー。
同じ色のジャンパーを着たスタッフが十数人。
*
そこから少し離れた場所に、
古いスピーカー。
2本ののぼり。
アルミの足場台。
候補者1人。
スタッフ数人。
あまりに質素だった。
しかし三浦は、その光景を見て、逆に笑った。
「これは使えるな」
「何が?」
上村が聞く。
「差がありすぎる」
グリフはスマートフォンを構えた。
ライブ配信用に撮影する。
上村と仲間たちは、周囲に立った。
揃いのジャンパーはない。
代わりに腕章だけを付けている。
三浦は一度、大きく息を吸った。
午前中から自転車をこぎ続けている。
足は重い。
肩も痛い。
それでも、カメラが向いた瞬間、自然に笑顔になった。
芸人として長く身につけた身体の習慣だった。
三浦は静かに話し始めた。
「えー、ご覧のとおり」
一度、自分の足元を見る。
「貧乏選挙を行っております」
通行人が何人か顔を向けた。
「向こうをご覧ください」
三浦は少し離れた立派な街宣車を指した。
「車があります」
「スタッフがいます」
「お揃いのジャンパーがあります」
次に、自分の足元を指す。
「こちらをご覧ください」
「工事用の台です」
数人が笑った。
「これ、選挙用じゃありません」
「工事現場で使うやつです」
三浦は台を軽く叩いた。
「しかも、借り物です」
上村が横から、
「買ったよ!」
と声を上げる。
「あ、買ったそうです」
三浦はすぐ訂正した。
「大事に使います」
笑いが少し広がった。
「正直に言います」
三浦は口調を変えた。
「私は、お金もありません」
「大きな政党の支援もありません」
「有名な政治家の後援会もありません」
「今日の昼まで、候補者本人が自転車でポスターを貼っていました」
三浦は自分の脚を指した。
「43枚貼りました」
「明日、筋肉痛になる予定です」
少し笑いが起こる。
「でも」
三浦は続けた。
「私は、この状態を恥ずかしいとは思っていません」
駅から出てきた人たちの中に、少し歩みを緩める者が出た。
「政治って、お金がないと参加できないものなんでしょうか」
「大きな組織がないと、声を出せないものなんでしょうか」
「有力者の知り合いがいないと、国会へ意見を届けられないんでしょうか」
三浦は立ち馬の上から周囲を見渡した。
「もし、そうなら」
「それ自体が、僕が変えたいと思っていることです」
グリフがスマートフォン越しに三浦を見る。
「僕ら《話せる国》が考えているのは、とても単純です」
「政治家と知り合いじゃなくてもいい」
「どこかの大きな団体へ入っていなくてもいい」
「普通に仕事をして、普通に暮らしている人が」
「おかしいと思ったときに、“おかしい”と言える道具を作りたい」
三浦は右手を上げた。
「その第一歩が、公的な電子署名です」
「国が本人確認のできる仕組みを作る」
「そこで、成立した法律や行政の決定に、“ちょっと待ってくれ”と言える」
「一定数の署名が集まったら、国会や政府は、もう一度考えなければならない」
「そして、なぜ変えたのか」
「なぜ変えなかったのか」
「国民に説明する」
三浦は少し間を置いた。
「私は、それだけでも政治は変わると思っています」
「だって今は」
三浦は駅を行き交う人たちを指した。
「ここを歩いている皆さんの中に、政治家へ直接電話できる人、何人いますか?」
「総理大臣へ、“それ違うんじゃないですか”って言える人、います?」
「いたら後で紹介してください」
また笑いが起きる。
「僕も言えません」
「国会議員の知り合いも、ほとんどいません」
久保の顔が一瞬浮かんだ。
「少しはできましたけど」
グリフが撮影しながら笑った。
「でも、皆さんが政治家と知り合いになる必要はないんです」
「政治の仕組みのほうを、皆さんへ近づければいい」
三浦の声が少し強くなる。
「僕は、国会議員を偉い人だと思っていません」
「国民の代わりに、政治をする人です」
「代わりにやってもらう」
「でも、任せきりにはしない」
三浦は、以前から何度も使ってきた言葉を口にした。
「政治家に任せる」
「でも、任せきりにはしない」
「そのための道具を作ります」
人の流れの中で、1人の男性が完全に足を止めた。
少し離れたところでは、若い女性がスマートフォンを向けている。
三浦はそれを見た。
「それから、もう一つ」
「今日、僕は自転車でポスターを貼りました」
「明日も貼る予定でした」
上村が笑っている。
「政治家って、本当はこういうもんでいいんじゃないですかね」
「立派な車に乗る必要もない」
「偉そうなところから見下ろして話す必要もない」
三浦は、自分が座っている立ち馬を見た。
「まあ、今日は少しだけ高いところにいますけど」
笑いが起こる。
「腰が痛いので許してください」
それから、笑顔のまま、少し声を落とした。
「僕は、政治をもっと普通の人のものにしたい」
「政治が好きな人だけのものじゃない」
「政治家と仲のいい人だけのものじゃない」
「選挙へ毎回行く人だけのものでもない」
「今まで選挙へ行かなかった人も」
「政治なんて分からないと思っていた人も」
「一緒に考えられる場所を作りたい」
三浦はスピーカーを握り直した。
「だから」
「この選挙で、立派な選挙をするつもりはありません」
グリフが少し眉を上げる。
三浦は続けた。
「立派な政治を目指します」
一瞬の静けさ。
それから、どこかで拍手が起きた。
1人。
続いて、もう1人。
三浦は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「政治団体《話せる国》、三浦です」
「観客から、主権者へ」
「政治を、皆さんの手に近づけます」
*
演説が終わった。
拍手は大きくない。
人だかりも、他の候補者とは比べものにならない。
それでも三浦は、足場台から降りながら満足そうだった。
「どうだった?」
グリフが聞く。
「途中、思いつきでしゃべった」
「分かった」
「駄目だった?」
「いや」
グリフはスマートフォンを止めた。
「最後の、“立派な選挙じゃなくて立派な政治”は、残していいと思う」
三浦が笑う。
「だろ?」
「ただし毎回言うと、あざとい」
「そういうとこだぞ、グリフ」




