倉沢を馬鹿にすんなよ
収録当日。
三浦は控室で、いつもより口数が少なかった。
この番組が、前回の地方局とは違うことを理解していた。
前回は、三浦を応援する空気があった。
今回は違う。
番組側が欲しいのは、対立である。
誰かが尖ったことを言う。
別の誰かが反論する。
できれば少し揉める。
翌日、短い動画がSNSで回る。
「難しいな」
三浦が言った。
「何が?」
グリフが尋ねる。
「埋もれたら終わり。でも、嫌われすぎても終わり」
「そうだな」
「芸人らしくないと、元芸人を呼んだ意味がない。でも、芸人にしか見えなかったら政治家として信用されない」
「お前、その辺は分かってるんだな」
「テレビは俺の専門だからな」
「政治は?」
「だいぶ追いついてきた」
グリフは苦笑した。
今日は隣には座らない。
グリフは番組スタッフの許可を得て、スタジオの外側から収録を見ることになっていた。
「困っても俺は助けられないぞ」
「分かってる」
「変な質問が来たら、無理に答えるな」
「分かってる」
「相手を怒らせるな」
「グリフ」
「何だ」
「お前のほうが緊張してない?」
否定できなかった。
*
収録が始まった。
最初は、出演者の紹介だった。
司会者は、1人ずつ過去の発言や特徴を拾っていく。
「こちらの方は、“国会議員の半分はいらない”とおっしゃっていますが、今でも同じですか?」
「もちろんです」
「おお、変わらない」
別の候補には、
「以前、“外国人の受け入れは原則停止すべきだ”と発言して炎上されましたよね」
「炎上したからといって、事実は変わりません」
客席がざわつく。
司会者は、それを楽しむように次へ進む。
そして三浦の番になった。
「元お笑い芸人、三浦さんです」
「よろしくお願いします」
「三浦さん、政治家を目指していらっしゃるということで、一応確認しますけど」
司会者がいたずらっぽく笑う。
「今の総理大臣のお名前、言えます?」
三浦は一瞬、司会者を見た。
――雑な振りだな。
芸人時代なら、心の中で舌打ちしていたかもしれない。
だが、普通に答えた。
「○○総理です」
「おお、さすがですねえ」
司会者が大げさに感心する。
三浦は右手を頭へ載せた。
「俺だって馬鹿じゃねえんだから」
ただし、白目はむかなかった。
手のひらを見せ、笑顔だけで止める。
スタジオに笑いが起きた。
「久しぶりに見ました」
「もう何年もやってないですからね」
「今日は見られてよかったです」
「政治の話も聞いてください」
三浦は笑顔で返した。
グリフは少し安心した。
司会者は三浦だけを茶化しているわけではない。
全員から、その人物らしい尖った部分を引き出そうとしている。
それが、この番組の構成なのだ。
ただ、政治討論番組というより、
――変わった候補予定者を集めて楽しむ。
という色彩が強い。
グリフは、やはり出演を受けた判断を間違えたかもしれないと思った。
*
しかし、三浦は予想以上にうまく対応した。
「消費税について、三浦さんは賛成ですか、反対ですか?」
「税率だけ切り取って聞かれると、どちらとも言いにくいです」
「逃げましたね」
「逃げてません」
三浦は笑った。
「消費税を下げれば、手元に残るお金は増えます。でも、その分の財源をどこで補うかという問題が出ますよね。逆に維持するなら、低所得の人ほど負担感が大きいという逆進性をどうするのか」
「政治家っぽい言葉が出ましたね」
「勉強しましたから」
「つまり、どっち?」
「今日は、税率の答えより、“税率だけで選ばないでください”というのが答えです」
別の場面では、安全保障について尋ねられた。
三浦は、
「防衛力が必要だという立場は理解します。同時に、抑止力を高めるための行動が相手国から脅威と受け取られて、安全保障のジレンマを強める可能性もある。そこは両方見ないといけないと思っています」
と答えた。
司会者が驚く。
「安全保障のジレンマなんて言葉を使うんですね」
「元芸人でも勉強しますよ」
そのあとすぐ、
「簡単に言えば、“俺が怖いから武器を持ったら、相手も怖くなって武器を増やして、お互いもっと怖くなる”ってことです」
と言い換えた。
スタジオの反応は悪くなかった。
尖った出演者が、
――結論を言い切る。
のに対し、三浦は、
――両方の理由を説明する。
という立場を取った。
曖昧だと批判される危険はある。
しかし、少なくとも無責任に断言しているようには見えない。
グリフは少しずつ安心していった。
*
番組が終盤に入った。
最後の企画として、
「せっかくですから、候補予定者同士で質問してみましょう」
という流れになった。
1人が別の候補の税制案について聞く。
別の1人が、外国人政策について問い返す。
三浦にも質問が回ってきた。
質問したのは、行政改革を強く訴えている候補予定者だった。
「三浦さんは、スイスやアイルランドの制度を参考にしているということですよね」
「はい」
「ただ、スイスもアイルランドも、日本とは人口も経済規模も違います」
「そうですね」
「それに、国内で実績があるとおっしゃっている倉沢町も、人口1万人程度の町ですよね」
三浦はうなずいた。
「はい」
相手は続けた。
「1万人くらいの町なら、ある意味、簡単だったのかもしれません」
グリフの顔から笑みが消えた。
「住民を集めて話し合う。住民投票をする。小さな自治体だからできた」
相手に悪意はないのかもしれない。
制度のスケーラビリティを問いたいだけだった可能性もある。
「でも、それを1億人規模の国へ広げるというのは、現実性がないんじゃないですか?」
――倉沢が簡単だった?
グリフは、胸の奥が熱くなるのを感じた。
太陽光発電所の問題。
町民同士が互いを疑った時期。
村田町長が議会と住民の間で追い詰められたこと。
町民会議の参加者をどう選ぶかで揉めたこと。
反対派から、
――出来レースだ。
と批判されたこと。
役場の職員が夜遅くまで資料を作ったこと。
住民投票の選択肢を一つ増やすだけで、何度も会議をやり直したこと。
外国人住民を参加させるかで対立したこと。
オンライン参加を導入したとき、使えない高齢者を置き去りにするなと批判されたこと。
10年かけて、失敗するたびに一つずつ直してきた。
それを、
――小さいから簡単だった。
の一言で片づけられた。
グリフは、思わず身体を前へ出しそうになった。
もちろん、口を挟める立場ではない。
そのとき、三浦と目が合った。
三浦の表情も、一瞬だけ固まっていた。
しかし、グリフの顔を見ると、すぐに笑顔へ戻った。
「なるほど」
三浦は落ち着いた声で言った。
「2つ、論点が混ざっていると思います」
グリフは顔を上げた。
三浦の口調が変わった。
いつもの、わざと簡単な言葉へ置き換える話し方ではない。
「一つは、制度のスケーラビリティの問題です」
スタジオの空気が少し変わった。
「人口1万人規模で運用できた制度が、1億人規模でも同じ設計のまま機能するのか。これは当然、検証しなければならない」
「だから私たちも、倉沢モデルをそのまま国へコピーするとは、一度も言っていません」
相手が何か言おうとしたが、三浦は語気を強めることなく続けた。
「国レベルでは、代表性をどう確保するか。無作為抽出をする場合の標本設計をどうするか。地域、年齢、性別などの層化をどう行うか。参加しなかった人による自己選択バイアスをどう補正するか」
「専門家選定の中立性。情報提供の公平性。利益相反の開示。ファシリテーションの質。運営主体の独立性。意思決定過程の透明性」
三浦は指を折るように一つずつ挙げた。
「さらに国レベルなら、地方自治体との権限配分、国会の立法権との関係、憲法上の位置づけまで問題になります」
司会者が口を挟まない。
ほかの出演者も三浦を見ている。
「当然です」
三浦は言った。
「規模が100倍、1,000倍になれば、制度設計も変えなければならない」
「だからこそ、私たちは第1段階でいきなり全国規模の市民会議や拘束型国民投票を導入するとは言っていないんです」
「まず、電子署名基盤による再検討請求から始める」
「行政負荷、利用率、組織票の影響、地域差、デジタル・ディバイド、本人認証の安全性。実際に動かしてデータを取りながら、次の制度を考える」
「段階導入です」
相手は少し表情を変えた。
三浦はそこで、一度言葉を止めた。
「ですから、“1万人でできたから1億人でもできます”と単純に言っているなら、ご指摘のとおりです。それは雑な議論です」
「でも」
三浦の声が一段低くなった。
「倉沢が小さかったから、簡単だった、という部分には同意できません」
グリフの胸が締めつけられた。
「小規模自治体には、小規模自治体なりの難しさがあります」
「職員数が少ない」
「予算も少ない」
「専門家を何人も抱えることもできない」
「町民同士の距離が近いから、匿名性も低い。会議で反対意見を言えば、翌日スーパーで相手と会うかもしれない」
「議員も、住民も、役場職員も、互いに顔を知っている」
「つまり、大都市より合意形成が容易な面がある一方で、社会的圧力が強くなるという小規模コミュニティ特有の問題もあります」
三浦は淡々と続けた。
「しかも倉沢は、完成した制度を中央省庁から渡されたわけではありません」
「町長も、議員も、役場の職員も、住民も、前例がほとんどない中で始めた」
「最初から今の制度があったわけでもない」
「選択肢の作り方で失敗した」
「参加者の選び方を批判された」
「情報が偏っていると言われた」
「参加できない人から不公平だと言われた」
「費用が高いとも言われた」
「そのたびに、制度を修正したんです」
グリフは、三浦が自分から聞いた話だけでなく、勉強の中で理解してきたことを、自分の言葉で話していることに気づいた。
「今の倉沢モデルは、人口が少ないから簡単にできた制度ではありません」
「人口の少ない町が、自分たちの行政能力、財政、地域社会の人間関係という制約の中で、10年かけて作った制度です」
三浦は相手を見た。
笑顔は消していない。
だが、普段の柔らかさとも違った。
「国へ制度移植するときに、そのまま拡大コピーできない」
「そんなことは、私たちも分かっています」
「だから、スイスをそのまま日本にしようとも、アイルランドをそのまま日本にしようとも言っていません」
「比較制度論で重要なのは、“外国で成功したから日本でも成功する”という話ではないでしょう」
「どういう条件で機能したのか」
「どこで問題が起きたのか」
「日本へ持ってくるなら、どの部分を残し、どの部分を変えるのか」
「制度移植には、その検証が必要です」
三浦は少し身体を引いた。
「それに」
声が再び柔らかくなる。
「国だから難しい、というのも半分しか正しくないと思っています」
相手が眉を上げた。
「国には国の難しさがあります。でも、国だから使える資源もある」
「人材もいる。予算もある。デジタル基盤もある。大学や研究機関もある。自治体をまたいだ標準化もできる」
「小さな町には、それがない」
「倉沢の役場が数人で苦労してやっている事務を、国なら共通システムにして全国の自治体へ配ることもできる」
「規模が大きいことは、コストだけではありません。規模の経済が働く部分もあります」
グリフは、息をするのを忘れていた。
以前の三浦なら、
――大きい国でも、やってみればいいじゃないですか。
で終わっただろう。
今の三浦は、相手の問いがどこまで正しいかを認めたうえで、その前提だけを崩している。
「なので」
三浦は結論へ入った。
「“倉沢でできた。だから国でもできる”ではありません」
「私たちが言っているのは」
「倉沢では、できないと言われたものを、10年かけて少しずつできる形にした」
「だったら国でも、国に合った形を、少しずつ探していいんじゃないか」
「それだけです」
スタジオは静かだった。
誰もすぐには言葉を出さなかった。
三浦はそこで、相手へ向けて少し頭を下げた。
「スケールの問題をご指摘いただいたこと自体は、そのとおりだと思います。今後も詰めなければいけない論点です」
大人の対応だった。
相手の質問を否定しない。
人格も攻撃しない。
ただ一つだけ。
三浦は、最後に言った。
「でも――」
右手を、自分の頭へ載せる。
昔から何度もやってきた動きだった。
白目はむかない。
笑顔のまま。
「倉沢を」
ほんの一拍。
手のひらを前へ出す。
「馬鹿にすんなよ」
スタジオが再び静まり返った。
いつもの、
――俺だって馬鹿じゃない。
の形だった。
だが、笑っていいのか分からない。
司会者が一瞬遅れて、
「ハハハ!」
と声を上げた。
「なるほど。そこは三浦さん、譲れないところですね」
「はい」
三浦は笑顔のまま答えた。
「では、次の質問へ行きましょう」
司会者が手元のカードへ視線を落とし、番組は進んだ。
*
スタジオの端で、グリフは動けずにいた。
自分が怒る必要はなかった。
三浦が全部言ってくれた。
しかも、自分が言うよりずっと上手に。
倉沢の制度が簡単ではなかったこと。
町長だけが作ったのではないこと。
役場の職員が作ったのでもない。
住民だけでもない。
反対した人間も、文句を言った人間も、失敗を指摘した人間も含めて、10年かけて作ったものだということ。
グリフ自身、一度として、
――自分が倉沢モデルを作った。
とは思ったことがなかった。
最初のきっかけに関わっただけだ。
あとは、多くの人間が引き継いでくれた。
それを三浦は理解していた。
太陽光発電所をめぐって、町が割れそうになった頃の光景が浮かんだ。
村田の疲れた顔。
敏夫と何度も話した夜。
役場の会議室。
怒鳴る住民。
黙って資料をめくる職員。
投票結果を待った時間。
制度を変えるたびに、
――これで本当にいいのか。
と悩んだこと。
グリフは、目元に何かが触れる感覚で、初めて自分が泣いていることに気づいた。
「……何やってんだ、俺」
小さくつぶやき、慌てて指で拭った。
隣にいた番組スタッフが気づいたようだったが、何も言わなかった。
画面の中では、三浦がもう次の質問へ答えている。
さきほどまでとは違い、また簡単な言葉へ戻っていた。
必要なら難しく話せる。
しかし普段は、分かりやすく話す。
それは知識がないから簡単に話しているのではない。
難しいことを理解したうえで、わざと簡単にしていた。
グリフは、ようやくその違いをはっきり理解した。
そして、もう一つ気づいた。
三浦が、
――倉沢を馬鹿にするな。
と言ったとき。
あれは、自分をかばったのではない。
久保をかばったのでもない。
村田でもない。
倉沢で10年間、この面倒な制度につきあってきた人間全部をかばったのだ。
それが、グリフにはたまらなくうれしかった。
収録は、まだ続いている。
グリフはもう一度目元を拭い、何事もなかったような顔で画面を見た。
今度は三浦が、こちらを見なかった。
見ればグリフが泣いていることに気づいたはずだった。
もしかすると、すでに気づいていて、あえて見なかったのかもしれない。
そのほうが、今の三浦らしい気もした。




