突然の解散
年が明けた。
2026年。
三浦は、新年最初の配信で言った。
「今年も《話せる国》をよろしくお願いします」
そして、すぐに付け加えた。
「別に今年選挙があると決まったわけではありませんけどね」
久保からは、
「早ければ今年もある。だが、本線はもっと先だと思って準備しろ」
と言われている。
三浦自身も、まだ2年程度はあるつもりでいた。
知名度を上げる。
資金を集める。
東京での支援者を増やす。
新型民主制について、もっと具体的な案を作る。
政治課題についても、自分の考えを固める。
まだ時間はある。
少なくとも、三浦はそう思っていた。
*
その日の午後。
三浦は牛丼店で、昼の混雑が一段落したあとの片付けをしていた。
店内のテレビは、音量を絞ったままニュース番組を映している。
三浦は空いた丼を下げながら、画面の下に流れる速報へ目を向けた。
最初は意味を理解できなかった。
――衆議院解散へ。
三浦の手が止まった。
「え?」
画面を見る。
速報の文字は消えない。
アナウンサーが、政権幹部の発言を伝えている。
首相が衆議院を解散する意向を固めた。
総選挙の日程について、与党内で最終調整に入る。
「いやいや」
三浦は小さく言った。
「待ってくれよ」
客が呼ぶ。
「すみませーん」
「あ、はい!」
三浦は反射的に返事をした。
注文を取りながらも、頭の中にはニュースの文字しか残っていない。
まだ選挙区も正式に決めていない。
東京の事務所もない。
供託金以外の資金も足りない。
運動員も集め終わっていない。
新型民主制の政策も、第1段階しか固まっていない。
久保は、
――2年あると思うな。
と言っていた。
それでも三浦は、心のどこかで2年あると思っていた。
休憩時間になると、すぐにスマートフォンを取り出した。
グリフから、すでに着信が2件入っている。
その下に、メッセージがあった。
――ニュース見たか。
三浦は電話をかけた。
グリフは1回の呼び出し音で出た。
『見た?』
「見た」
『久保さんからも連絡が来た』
「何て?」
電話の向こうで、グリフが少し間を置いた。
『今夜、全員集まれって』
三浦は店の裏口から外へ出た。
1月の冷たい空気が、火照った顔へ当たる。
「出るの?」
『それを、今夜決める』
三浦はしばらく黙った。
怖くないと言えば嘘になる。
準備不足なのは、自分でも分かっている。
あと1年あれば。
せめて半年。
そう思う。
だが同時に、胸の奥から、別の感情が湧いてきた。
とうとう来た。
「グリフ」
『何?』
三浦は、少し笑った。
「なんか、面白くなってきたな」
電話の向こうで、短い沈黙があった。
『お前はそう言うと思ったよ』
三浦は通話を切り、もう一度ニュース画面を開いた。
数か月かけて、ようやく出た小さな芽。
その芽が育つのを待つ時間を、政治の側は与えてくれなかった。
衆議院が、解散された。
***
4人は、三浦のアパートに集まっていた。
4人で座ると、さすがに狭かった。三浦がホームセンターで買った折り畳み式のテーブルを囲み、久保とグリフが座布団、上村は壁際に寄りかかり、三浦だけがベッドの端に腰を掛けている。
テーブルの上にはコンビニのコーヒーと、三浦が買ってきた袋菓子が2つ。
選挙に出るかどうかを決める会議にしては、ずいぶん安上がりな光景だった。
久保が全員の顔を順番に見た。
「じゃあ、始めるか」
いつもの雑談の調子ではなかった。
「次の選挙に出るか、出ないか。それぞれの意見を聞きたい」
最初に口を開いたのは上村だった。
「俺は出るべきだと思うぜ」
「俺も同じ意見だ」
グリフもすぐに続いた。
2人の視線が三浦に集まる。
三浦は少し間を置いた。
「もちろん、俺も出たい……だけど」
「だけど?」
久保が促した。
三浦はテーブルの上の菓子袋を指でつついた。
「金が……ない」
誰も笑わなかった。
しばらくして久保が腕を組んだ。
「まあ、そうだな。俺も出たほうがいいと思っている。ただ、国政選挙でまともな選挙活動をしようと思えば、普通に考えたら1,000万くらいは見ておいたほうがいい」
「1,000万……」
三浦が天井を見た。
「数字にすると、急に現実になるな」
「今まで何だと思ってたんだ」
上村が言った。
「勢い」
「勢いで供託金は払えない」
グリフが言うと、三浦は黙った。
「俺の貯金が300万」
三浦は指を1本ずつ折りながら言った。
「実家にも連絡した。でも金は貸してもらえなかった。母親に『政治家になる金なんかない』って言われた」
「まあ、まともな親だな」
上村が言った。
「そこは少し応援してくれよ」
「で、寄付は?」
久保が聞く。
「いま60万くらいです。配信を見てくれてる人とか、昔から応援してくれてる人とか」
「60万集まってるなら、むしろ大したもんだ」
グリフが言った。
上村が続ける。
「俺とグリフが、旅行とか車とか、いろいろ諦めて出せても、合わせて100万円くらいだな」
三浦が2人を見る。
「いや、それは……」
「今さら遠慮するな」
上村が遮った。
「俺たちだって、お前だけにやらせるつもりはない」
グリフもうなずいた。
「ただし、家に帰ってから妻に怒られるのは俺だからな」
「それは俺も同じだ」
「2人とも、そこまでしてくれるんですか」
「感動するな。まだ当選もしてない」
上村が言った。
*
久保が数字を頭の中で足した。
「300、60、100……460万か」
そこで久保の目が止まった。
「……ちょっと待て」
スマートフォンを取り出す。
「何です?」
「確認する」
そのまま番号を選び、立ち上がった。
「この間、お話しした件なんですが」
3人が自然に黙る。
「いや、村田ではなく……芸人のほうです」
三浦の眉が動いた。
久保はそれ以上聞かせないようにするつもりなのか、そのまま玄関を開けて外へ出ていった。
3人は顔を見合わせた。
「芸人のほうって俺ですよね」
「お前以外に誰がいる」
「扱い雑じゃない?」
10分ほどして久保が戻ってきた。
座るなり言った。
「かなりの貧乏選挙にはなるが、できなくはないそうだ」
三浦の顔が上がった。
「ほんとですか」
「ああ。ただし、供託金300万を入れたら、手元にはほとんど残らん。ポスターやビラ、選挙カーなんかは選挙公営を使えるところは徹底的に使う。スタッフも基本はボランティア。金の代わりに人間が動く選挙になる」
「供託金、戻ってくるんですよね」
「一定以上取ればな」
「何票?」
「そこはあとでちゃんと計算する」
「じゃあ取ります」
「簡単に言うな」
久保が呆れた。
グリフは別のところが気になっていた。
「久保さん」
「なんだ」
「さっき、ちょっと聞こえたんですが……村田さんも国政に出るんですか」
一瞬、久保の動きが止まった。
「ん?」
「電話で、『村田ではなく』って」
「ああ……」
久保は頭をかいた。
「まあ、ここだけの話にしてくれ。知事の任期が終わったら、国政に出る方向で動いてる」
「やっぱり」
「噂にはなってるし、本人もマスコミに聞かれれば、国政への意欲を否定してない。公然の秘密みたいなもんだ」
グリフは思い出した。
「夏に東京へ行っていたのは、村田さんのためだったんですか」
「もちろんそうだ」
三浦がすぐに割り込んだ。
「え。俺のために動いてくれたんじゃなかったんですか」
久保は不思議そうに三浦を見た。
「なんでお前のためだけに東京まで行かなきゃならん」
「ええ……」
「お前はついでだ」
三浦の肩が目に見えて落ちた。
「そこ、もう少し夢を持たせてくださいよ」
「政治で夢だけ見せる奴は信用するな」
「今いいこと言ったみたいな顔しましたけど、俺が傷ついただけですからね」
上村が吹き出した。
グリフは久保に聞いた。
「でも、村田さんとは、いま少し距離があるのかと思っていました。知事になってから、若い秘書やスタッフに任せているのかと」
「政策面はな。若い連中とうまくやってるよ。俺がいつまでも横にいたって邪魔になる」
「そうなんですね」
「ただ、選挙は別だ」
久保は少し笑った。
「選挙となると、あいつは昔の人間を頼ってくる。まあ今回の選挙は準備不足だから見送る。次か、その次だろう」
三浦が久保のスマートフォンを見た。
「じゃあ、さっき電話してた相手って、誰なんです?」
「ああ。選挙コンサルだよ」
「選挙コンサル?」
「国政選挙は俺も分からんことがあるからな。村田の件で紹介してもらった」
「そんな人いるんですね」
「いるよ。候補者の戦略から選挙区分析、広報、実務まで見る。まともに頼めば高い」
久保は三浦を指さした。
「だから感謝しろ。お前の相談はサービスでやってもらってる」
「なんで無料なんです?」
「面白いから相談に乗ります、だそうだ」
「それ褒められてます?」
「珍獣を見るような意味かもしれんな」
「嫌だなあ」
そこで上村がニヤニヤしながら口を挟んだ。
「久保さん」
「なんだ」
「久保さんが三浦の選挙を手伝うのって、村田さんの国政選挙を見据えたノウハウ取得じゃないですか」
数秒の沈黙のあと、久保が大声で笑った。
*
「わはは。バレたか」
「やっぱり」
「まあ、そういうことにしてある」
「してある?」
「村田陣営にはな。三浦の選挙を手伝えば、国政選挙の実務を経験できる。村田が出るときにも役に立つ、と説明してある」
「本当は?」
三浦が聞いた。
「お前らが面白いからだよ」
三浦が少し嬉しそうな顔をした。
「ただな」
久保が続ける。
「実際には、あまり村田の参考にはならん」
「なんでです?」
「候補者のタイプが違いすぎる。向こうは現職知事、組織も支援者もある。お前は元芸人、金なし、組織なし、知名度は微妙」
「最後いらないでしょう」
「だから面白いんだ」
そこで上村が間髪入れずに言った。
「じゃあ久保さん、金銭面でも支援してください」
「何を言ってる」
久保の返事は早かった。
「時間を使うだけでも村田陣営には言い訳してるんだ。金まで出したら、他の連中に『久保は三浦に乗り換えた』と思われる」
「50万くらい」
「駄目だ」
「30万」
「値切るな」
三浦が笑った。
その笑いが収まったところで、三浦は改めて久保を見た。
「じゃあ……お金の件は、なんとかなりそうってことですかね」
「何とかする、だ」
久保は言い直した。
「何とかなる、じゃない。460万あれば、立候補はできる。最低限の形も作れる。ただ、金がない分は全部、運動量で補うことになるぞ」
三浦がうなずいた。
「やります」
「朝から晩まで立つぞ」
「やります」
「駅前も商店街も住宅地も回る。演説も何十回もやる」
「芸人時代より舞台が増えると思えば」
「客はいないかもしれんぞ」
「それは芸人時代にも慣れてます」
上村が笑った。
久保は今度はグリフと上村を見た。
「問題はこっちだ。グリフも上村も仕事がある。選挙期間中、べったり三浦に張り付くわけにはいかんだろう」
「まあ、できるだけ時間は作ります」
グリフが答えた。
「会社には東京出店に向けた調査もしたいと言ってあります。実際、東京の市場は前から見ておきたかったので」
「それなら嘘にはならんな」
「選挙カーに乗って東京市場を調査する奴は、あまりいないでしょうけど」
三浦が言う。
「お前が言うな」
上村は少し申し訳なさそうな表情になった。
「俺は仕事で東京に行くのは難しい。ただ、選挙期間中の週末は何とかする。それと、向こうにいる昔の仲間にも声をかけるよ」
「助かる」
三浦が短く答えた。
*
久保はメモを取り始めた。
「拠点はどうする。グリフの親御さんのマンション、使えるんだろ」
「はい。大丈夫です」
「選挙事務所として使えるかどうかは条件を確認する。必要なら近くに安い物件を探す。ただ、人間が寝たり打ち合わせしたりする場所としては使えるな」
「はい」
「手続き関係は俺がコンサルに確認する。グリフも一緒にやってくれ」
「分かりました」
「上村は人集め。東京にいる知り合いを洗い出せ」
「了解」
「三浦」
「はい」
「お前は――」
三浦が身を乗り出した。
「金の心配をするな」
三浦の顔がぱっと明るくなる。
「選挙の心配だけしろ」
「結局、心配するんですね」
「当たり前だ」
久保は笑った。
「460万で国政選挙に出ようって言ってるんだぞ。普通なら止める」
「じゃあ、なんで止めないんです?」
久保は少し考えた。
「10%くらいなら、取れる可能性があると思ったからだ」
三浦の表情が変わった。
「当選は?」
「知らん」
「そこは即答なんですね」
「当選を考えるのは、まず名前を知ってもらってからだ」
グリフもうなずいた。
「今回は、それでもいいと思う」
三浦がグリフを見る。
「勝たなくても?」
「もちろん勝つつもりではやる。ただ、負けても意味のある選挙にするんだ。三浦の名前じゃない」
グリフは少し間を置いた。
「『話せる国』と、俺たちが何をやろうとしているのかを知ってもらう」
しばらく誰も口を開かなかった。
三浦はテーブルに置かれていた自分のスマートフォンを手に取った。その画面には、配信のために作った「話せる国」のロゴが表示されていた。
「だったら」
三浦が言った。
「負けても、次につながる負け方をすればいいんですよね」
「そういうことだ」
久保が答えた。
三浦は一度、大きく息を吐いた。
そして3人を見た。
「じゃあ、出ます」
上村が笑った。
「ようやく言ったな」
「金がないのは変わってないですけどね」
「そこは全員知ってる」
「でも出ます」
今度は、はっきりと言った。
その夜、三浦の六畳ほどのアパートで、460万円から始める国政選挙が決まった。
十分な資金もなければ、組織もない。
選挙事務所すら、まだ決まっていない。
あるのは4人と、少しずつ増えてきた支援者。そして、「国民が政治に話しかけられる仕組みを作りたい」という、一つの主張だけだった。
三浦の緊急出馬が、正式に決まった。




