国民の声に出口を
三浦はスケッチブックをめくった。
太い黒字で書かれた言葉が画面いっぱいに映る。
――観客から主権者へ。
「僕たちは、政治の観客ではありません」
三浦の声が少し強くなる。
「拍手をするか、野次を飛ばすか。それだけの客ではありません」
「この国の持ち主です」
「観客から、主権者へ」
「僕たちを、政治の真ん中へ戻しませんか」
コメント欄に、短い賛同や疑問が流れていく。
三浦は続けた。
「もちろん、法律上、僕たちは最初から主権者です」
画面の外で、グリフが安心したように息を吐いた。
「でも、実際はどうでしょう」
「本当に、この国を動かしているという実感がありますか」
「何年かに一度、出演者を選ぶ機会はあります」
「でも、大きな事務所のタレントの中からしか、選べないことが多くありませんか」
三浦は言った直後、少し笑った。
「僕も芸人時代、事務所のプッシュがもう少しあれば――」
間を置く。
「いえ、すみません。売れなくなったのは、僕の実力です」
コメント欄に笑いが流れる。
「でも、芸能界と政治は違います」
「違わなければ困ります」
「政治は娯楽ではありません。毎日の生活へ影響します。税金、仕事、医療、教育」
「場合によっては、命にも関わります」
「政党同士や政治家同士の権力争いを、劇として楽しんでいるだけでは、まずいと思います」
そこまで話したところで、三浦は一度、息を吐いた。
自分でも、少し熱くなりすぎていると気づいた。
表情を落ち着かせ、声を元へ戻す。
*
「ただ、こんな制度をいきなり日本へ入れるのは、難しいです」
「世界でも、どこにでもある制度ではありません」
「それに、国民が直接政治へ参加する道が増えれば、今の政治家が持っている力は、少し小さくなります」
「政治家からすれば、賛成しづらいのは当然です」
三浦は次のページを開いた。
「そこで僕たちは、入口を考えました」
「先ほど説明した、スイスのレファレンダム。国民が法律へ待ったをかける仕組みです」
「それを、もっと軽くした制度から始めます」
「ライト版レファレンダムです」
画面の外で、グリフが「その名前は未定」と書いた紙を出した。
「今、正式名称ではないと注意されました」
三浦は紙を見て笑った。
「仕組みは、こうです」
スケッチブックには、4つの項目が書かれていた。
1、公的な電子署名の仕組みを作る。
2、成立した法律などに問題があると思えば、誰でも提起できる。
3、一定数の署名が集まれば、国会や行政は必ず再検討する。
4、再検討した結果と理由を公開する。
「一つ目」
三浦は指で示した。
「簡単に署名できる、国のアプリやウェブサイトを作ります」
「本当に日本の有権者であることを確認するため、マイナンバーカードの電子証明書などを使います」
「ここで大事なのは、誰が何に署名したかを、一般には公開しないことです」
「今の地方自治体への直接請求などでは、紙へ氏名や住所、生年月日を書き、署名を集める人がそれを受け取る仕組みがあります」
「あとで役所が、一人一人、本当に存在する人か、重複していないかを確認します」
「必要な仕組みではあります。でも、知らない人へ住所や生年月日を渡すのは、不安ではないでしょうか」
「電子署名なら、役所は本人かどうか確認できます。でも、署名を呼びかけた人へ、住所や生年月日は渡しません」
「2つ目」
三浦はページを指す。
「署名活動を始める人は、大きな団体に所属していなくても構いません」
「例えば、極端な話ですが、消費税を50%にする法律ができた」
「徴兵制を始める法律ができた」
「そんな法律はおかしいと思った人が、自分で再検討を求める署名を始められます」
「もちろん、違法な内容や、特定の人を攻撃する提案をどう扱うか。そこにはルールが必要です」
「まだ決めなければならないことはあります」
三浦は、分からない部分をごまかさなかった。
「ただ、署名を始めるために、どこかの政治団体や大きな組織へ入らなければならない状況は変えたいと思っています」
「3つ目が、スイス方式より軽いところです」
「スイスでは、条件を満たせば国民投票で法律を止めることができます」
「僕たちの第1段階では、法律を自動的には止めません」
「一定数の署名が集まったら、国会や政府に、もう一度考えることを義務づけます」
「もう一度考えるだけなら、意味がないと思う人もいるでしょう」
三浦は、自分から反論を口にした。
「確かに、再検討して、“やはり元のままでいきます”となることもあると思います」
「でも、例えば100万人が署名したらどうでしょう」
「100万人が反対していることが、数字として見える」
「それでも法律を変えないなら、国会や政府は、理由を説明しなければなりません」
「どの議員が賛成し、どの議員が反対したかも分かるようにする」
「次の選挙で、有権者はそれを見て判断できます」
「政治家にとって、100万人の反対を無視したまま選挙へ行くのは、大きなプレッシャーになるはずです」
「法律の修正や撤回につながる可能性もあります」
「一方で、署名が集まっただけで法律を止めないことにも意味があります」
「企業や労働組合、宗教団体など、大きな組織が、自分たちの利益のために署名を集めることも考えられます」
「そのとき、一部の組織が署名を集めただけで国の法律が止まるのは、危険かもしれません」
「だから第1段階では、再検討と公開までにする」
「国民の声を、今より強く政治へ届ける。でも、国会の決定権を、いきなり全部奪うわけではない」
三浦は一度、スケッチブックを下ろした。
「僕は、国政に参加して、この仕組みの実現へ向けて活動したいと考えています」
「まだ制度は完成していません」
「何人の署名で再検討するのか。対象を法律だけにするのか、政令や省令にも広げるのか。悪用をどう防ぐのか」
「これから、もっと多くの人と話して決める必要があります」
「だから、政治団体の名前を《話せる国》にしました」
「最初から完成した答えを持っていると言うつもりはありません」
「分からないことは、分からないと言います」
「でも、今より国民が政治へ話しかけられる国にしたい。その入口を作りたい」
三浦は、もう一度スケッチブックをめくった。
――観客から主権者へ。
「政治を見て、怒るだけで終わらない」
「選挙の日だけ、主権者になるのでもない」
「困ったときに声を出せる。おかしいと思ったときに、仲間を集められる。政治家が何を考え、なぜその結論を出したのか確かめられる」
「そんな国にしたいと思っています」
*
三浦はカメラを見た。
開始したときの緊張した笑顔ではなかった。
芸人として客の反応を探る顔でもない。
「僕1人では、何もできません」
「仲間たちと一緒に考えても、まだ入口しか作れていません」
「だから、皆さんの意見を聞かせてください」
「賛成だけでなく、反対も聞きたいです」
「この制度の危ないところ、足りないところ、そんなものに金を使うなという意見も含めて聞かせてください」
三浦は少しだけ笑った。
「ただし、“元芸人が政治なんかするな”だけだと、話がそこで終わりますので、できれば理由もお願いします」
コメント欄が速く流れ始めた。
「観客から主権者へ」
三浦は最後に、もう一度その言葉を口にした。
「僕の話を聞いて終わりではなく、ここから皆さんと話を始めたいと思います」
「それでは、質問を受けます」
三浦はスケッチブックを置き、画面へ少し近づいた。
上村が別の端末を操作し、寄せられたコメントを整理する。
グリフは、手元の資料を開いた。
久保は腕を組んだまま、三浦ではなく、画面に流れる視聴者の反応を見ていた。
質問の数は、三浦が予想していたよりも多かった。
三浦は、画面の横を流れていくコメント欄へ目を移した。
先ほどまで、話している最中はほとんど読まないようにしていた。
肯定的な言葉だけではない。
疑問も、批判も、短い悪口も流れている。
何から答えるべきか。
*
三浦が最初に目を止めたのは、短い一文だった。
《ポピュリズムが心配》
「……ポピュリズム」
三浦は口に出した。
聞いたことはある。
グリフとの勉強会でも、たしか一度出てきた。
だが、
――ポピュリズムとは何ですか。
と突然聞かれたら、うまく説明できない。
三浦は、画面の外にいるグリフを見た。
グリフも一瞬、動きを止めた。
ポピュリズムという言葉は、使う人によって意味がかなり違う。
単に「国民の声を重視する政治」という意味で使われることもあれば、「大衆迎合」と批判的な意味で使われることもある。
紙へ一言書いて渡せる内容ではない。
まして、三浦がそのカンペだけを見て説明すれば、余計に混乱する可能性がある。
グリフが首を横へ少し振った。
――あとにしろ。
三浦にも伝わった。
「これは……ちょっと重い質問なので、あとで答えます」
三浦は正直に逃げた。
コメント欄をさらに追う。
《そのアプリ、いくらかかるの?》
「あ、これなら答えられる」
三浦の顔が明るくなった。
「まず、こちらからいきましょう。電子署名のアプリというか、システムを作る費用ですね」
以前、グリフと一緒に調べた。
「まだ、もちろん正式な見積もりではありません。僕らが似たような国のシステムを調べて、必要な機能を考えて、ものすごく大ざっぱに置いた数字です」
三浦は人差し指を立てた。
「10億円ちょっとくらい」
コメントが一気に流れた。
《高っ》
《税金の無駄》
《10億で済むの?》
《維持費は?》
「高いと思いますよね。僕も最初に聞いたとき、“10億!”って言いました」
「でも、国全体で使うシステムとして考えると、ものすごく大きな事業というわけでもないようです」
三浦は以前グリフから聞いた例を思い出した。
「例えば、高速道路を平らな土地に作る費用と比べると、ざっくり200メートル前後とか、その程度の規模になることもあるそうです」
グリフがすぐに、
――地形による。概算。
と書いた紙を出した。
「はい。今、横から“地形による、概算”と注意されました」
三浦は笑った。
「トンネルなら全然違います。橋でも違います。なので、高速道路200メートルで必ず10億円、という意味ではありません」
「僕が言いたいのは、国の事業として、絶対にあり得ない金額ではないということです」
「もちろん、維持費もあります。不正アクセス対策も、問い合わせ窓口も必要です。そこは、本当に作るとなったら国に正式に見積もってもらいます」
《そこを最初から言え》
というコメントが流れた。
「はい。おっしゃるとおりです」
三浦は素直に頭を下げた。
「まだ勉強中なので、怒られながらやります」
*
その間にも質問は増え続けていた。
三浦は画面を見ながら言った。
「専門的な質問も、かなり来ていますね」
自分1人で答え続けるのは危険だと感じた。
「僕より政治に詳しい仲間が、今日はここに来てるんですけど……呼んでいいかな」
三浦は画面ではなく、グリフを見た。
明らかに、
――こっちへ来い。
という目だった。
グリフは眉を寄せた。
最初の予定では、三浦だけを画面へ出すことになっていた。
自分が出れば、三浦が困るたびに助ける形になる。
候補者として1人で話せるかを見るという意味では、あまりよくない。
だが、これ以上、三浦1人に憲法や制度の質問へ答えさせるのも危険だった。
グリフは小さく息を吐き、立ち上がった。
「出るの?」
上村が小声で聞く。
「仕方ないだろ」
この頃のグリフは、以前より髪が増えていた。
海翔が生まれたのをきっかけに、少しずつ毛量を増やすタイプの増毛を始めたのである。
一気に増やすと、
――急に何があった。
と周囲に思われる。
そこで数か月かけて少しずつ増やしていった。
今では、若い頃ほどではないにせよ、昔のグリフを知る人間なら違和感を持たない程度の毛量へ戻っている。
本人は、
――子供の写真に、できるだけ若い父親として写りたい。
とローサに説明していた。
ローサからは、
――好きにすれば。
とだけ言われた。
グリフが三浦の横へ座ると、コメント欄がまた速くなった。
《誰?》
《新しい相方?》
《ポコぽんた再結成じゃないの》
《意外とイケメン》
《政治家?》
三浦が笑った。
「紹介します。田辺直人さんです」
「元倉沢町議で、僕と一緒に政策を考えてくれています」
グリフが軽く頭を下げた。
「田辺です。よろしくお願いします」
「仲間内では、みんなグリフって呼んでるので、今日はグリフでいきます」
「本名を紹介した直後に、呼ばない宣言するのか」
「そっちのほうが覚えやすいだろ」
《やっぱり新しい相方》
というコメントが流れる。
「違います」
グリフが即答した。
「では、グリフにも一緒に答えてもらいます」
*
三浦は、先ほど逃げた質問へ戻った。
「じゃあ、これ」
画面を指す。
「“ポピュリズムが心配”」
「グリフ、お願いします」
「いきなり全部振るのか」
「専門家が来たんだから」
「専門家じゃない。元町議だ」
グリフは少し考えた。
「ポピュリズムという言葉は、かなり広い意味で使われています。なので、ここでは一つの意味に限定して話します」
コメント欄を見ながら、できるだけ難しい言葉を避ける。
「仮に、“国民の不満へ乗っかって、分かりやすい敵を作り、複雑な問題へ簡単な答えを示して人気を集める政治”という意味で使うことにします」
三浦が横から言った。
「例えば、“全部あいつらが悪い。俺に任せれば全部解決する”みたいな?」
「極端に言えば、そういう形だな」
「俺、言いそうだな」
「言うなよ」
久保が画面の外で笑った。
グリフは続けた。
「結論から言えば、私たちが目指している制度は、むしろ、そうならないための仕組みも必要だと考えています」
「たしかに、“国民に直接聞けば正しい答えが出る”というだけなら危険です」
「怒っているときに投票する。SNSで流れてきた情報だけで決める。好きな有名人が言っているから賛成する」
「そういうことは、当然起きます」
三浦がうなずいた。
「俺も好きな芸人が勧めてたら、とりあえず見ちゃうな」
「だから、聞いてすぐ決めるのではなく、情報を得て、反対意見も聞いて、必要なら普通の国民同士で話し合う仕組みを組み合わせたい」
「前に説明した、アイルランドの市民会議ですね」
「そうだ」
グリフはカメラへ向き直る。
「ただ、今日、三浦が提案した第1段階の電子署名基盤には、まだ、その機能は入っていません」
「そこは正直に言います」
「署名だけなら、直感で押す人もいるでしょう。動画を1本見ただけで署名する人もいる」
「だから、この電子署名基盤を完成形とは考えていません」
三浦が言った。
「入口です」
「最初のとっかかり」
「いきなり、“付き合ってください”って言ったら、断られるじゃないですか」
三浦はカメラへ身体を寄せた。
「だから、“今度この劇場に出るんだけど、よかったら見に来ない?”から始める」
グリフが横を見る。
「お前、そういうやり方してたの?」
「たとえ話だよ」
「やけに具体的だったぞ」
「俺は、そんな回りくどいことはしない」
「じゃあ、どうしてたんだ」
「今度飲みに行かない? って」
「同じじゃないか」
コメント欄に笑いが流れる。
三浦は咳払いをした。
「政治の話へ戻しましょう」
「つまり、電子署名基盤を国民が使い始めたら、“署名だけでいいのか”“大きな問題なら普通の人が集まって話したほうがいいんじゃないか”という要望も出てくると思います」
グリフが続ける。
「それが市民会議なのか、国民投票なのか、別の仕組みなのかは、まだ決めていません」
「そこも、利用する国民と一緒に考えたい」
「なので、ポピュリズムの危険はない、とは言いません」
三浦がグリフを見る。
グリフはうなずいた。
「むしろ、危険があるから、考える仕組みも一緒に育てる必要がある、と考えています」
「そういうことです」
三浦は短くまとめた。




