選挙だけでは足りない
配信当日、三浦は開始時刻の2時間前から部屋の中を歩き回っていた。
ライブ配信に使うアカウントは、芸人時代に作ったものだった。
《ポコぽんた 三浦》
登録者の大半は、三浦がまだテレビへ出ていた頃に集まった人たちである。
最後の投稿から、すでに2年近くがたっていた。
政治用に新しいアカウントを作る案も出た。
お笑いから政治へ。
あまりにもジャンルが違う。
昔のファンからすれば、久しぶりに通知が届いたと思ったら、元芸人が急に政治を語り始めるのである。拒否反応を示す人もいるだろう。
それでも三浦は、元のアカウントを使うことにした。
「芸人だった俺と、政治家を目指す俺を、別の人間みたいにしたくないんだよ」
そう説明すると、グリフはしばらく考えたあと、反対しなかった。
久保も、
「知名度が足りない人間が、せっかく残っている知名度まで捨てる必要はない」
と賛成した。
上村だけは、
「昔のお前を知ってるやつから、何を言われても怒るなよ」
と念を押した。
配信場所は、いつもの三浦のアパートだった。
六畳の部屋へ、小さな照明、ノートパソコン、外付けマイクが持ち込まれている。
壁には、政治団体《話せる国》と書かれた紙が貼られていた。
その下には、
――観客から主権者へ。
という言葉がある。
カメラの正面には三浦が座る。
グリフは画面の外で、進行時間と説明内容を確認する役。
上村は別の端末で、配信が途切れていないか、コメント欄が荒れていないかを見る。
久保は、腕を組みながら部屋の後ろへ座っていた。
「久保さんも映ります?」
三浦が尋ねた。
「映らん」
「少しくらい出てくれれば、政治関係者がいる雰囲気が出ますよ」
「私が出れば、お前より私が何者かという話になる」
「それは困りますね」
「それに、今日は候補者を見る日だ」
「まだ候補者ではありません」
「では、候補者になるつもりの人間を見る日だ」
三浦は時計を確認した。
開始まで、あと5分。
「何人くらい来ると思う?」
上村が尋ねる。
「100人来れば、大成功じゃないか」
グリフが答えた。
「昔は、動画によっては何万回も見られたぞ」
三浦が言う。
「昔の漫才だろ」
「俺の顔を見たい人が、それだけいるってことだ」
「真壁を見たかった人も入ってるからな」
「直前に不安になること言うなよ」
配信開始を予告する画面には、すでに30人ほどが待っていた。
コメント欄に短い言葉が流れる。
《本物?》
《懐かしい》
《何の配信?》
《ポコぽんた解散してたのか》
《政治家ってタイトルにあるけど、ネタ?》
三浦はコメントを見て、喉を鳴らした。
「最後のやつ、どうする?」
「ネタではないと言えばいい」
グリフが答える。
「本当のことを話せ」
「本当のことが一番信じてもらえないんだよな」
残り10秒になった。
久保が言う。
「カメラを人間だと思うな」
「じゃあ、何だと思えばいいですか」
「昔、お前を見て笑ってくれた客だ」
三浦は一度、目を閉じた。
舞台へ出る直前にも、こうして呼吸を整えていた。
上村が配信開始のボタンを押す。
画面に三浦の姿が映った。
*
「どうも。皆さん、ご無沙汰しております」
三浦は、少し緊張した笑顔で頭を下げた。
「元の三浦です」
コメント欄が一気に動いた。
《老けたな》
《髪形普通になってる》
《相方は?》
《久しぶり!》
「老けたと書いた人。あなたも2年分老けていますからね」
三浦は反射的に言い返した。
部屋の後ろで、久保が小さく笑った。
「今日は、漫才の配信ではありません」
三浦は姿勢を正した。
「最初に、きちんとご報告します。《ポコぽんた》は解散しました」
事務所からは、すでに解散が発表されている。小さなネットニュースにもなった。
それでも、三浦本人の口から説明するのは初めてだった。
「相方の真壁は、芸能界を辞めました。けんか別れではありません。たぶん。少なくとも、殴り合いはしていません」
短い笑いがコメントに流れる。
「真壁には、長いあいだ本当に世話になりました。ネタを書いていたのは、ほとんど真壁です。僕は、そのネタを少し分かりやすくしたり、間を直したり、自分が目立つようにしたりしていました」
グリフが、最後の一つは言わなくてよいという顔をした。
「今日は、解散報告だけではありません」
三浦は一度息を吸った。
「配信のタイトルにもありますように、私は政治家を志すことにしました」
コメントの流れが変わった。
《え?》
《本当にネタじゃないの》
《何党?》
《地方議員?》
《急すぎる》
三浦は画面を見た。
「急だと思いますよね。僕も、半年前には思っていませんでした」
地元へ戻ったこと。
高校時代の友人である上村を通じて、元町議のグリフと知り合ったこと。
倉沢町で行われている、町民会議と住民投票の仕組みを知ったこと。
それを国の政治へ広げられないかと考え始めたこと。
細かい経緯は省き、できるだけ短く説明した。
「政治に、まったく関心がなかったわけではありません。でも、詳しかったかと言われると、全然詳しくありませんでした」
三浦は正直に言った。
*
「ところで、皆さん、最近、選挙に行きましたか?」
コメント欄に、行った、行かなかった、覚えていないという言葉が混ざって流れる。
「僕は、行ったり、行かなかったりです」
三浦は少し間を置いた。
「正直に言います。だいたい行っていませんでした」
画面の外で、グリフがわずかに眉を寄せた。
政治家を志す人間の最初の配信で言うには、危険な告白だった。
しかし久保は何も言わない。
「一応、友人に調べてもらいました」
三浦は足元からスケッチブックを持ち上げた。
手書きの文字をカメラへ向ける。
――選挙に行かなかった主な理由。
1、適当な候補者や政党がなかった。
2、選挙にあまり関心がなかった。
3、政党や候補者の違いが分からなかった。
4、仕事や用事があった。
5、選挙で政治がよくなると思えなかった。
6、自分1人が投票しても変わらないと思った。
「いろいろな調査がありますので、順番や言葉は違います。ただ、よく出てくる理由は、だいたいこんな感じです」
三浦はスケッチブックを見た。
「僕の場合、4番は違いますね」
数秒置く。
「暇でしたから」
コメント欄に笑いを示す文字が流れた。
「僕の場合、一つには絞れませんが、1番と2番ですかね。入れたいと思える候補がいなかった。そもそも、そこまで政治に関心がなかった」
三浦はスケッチブックを下ろした。
「でも、真面目に投票へ行こうと思ったこともあるんです」
候補者個人のことは分からなくても、政党なら政策を調べられる。
そこで各党の主張を見比べた。
「これは、あくまで僕個人の印象です」
三浦は念を押した。
「自由共和党は、国を守ることや経済については、僕と近い部分もありました。でも、政治と金の問題が何度もニュースになる。そこは嫌だと思いました」
画面の外で、グリフが「言葉に気をつけろ」と書いた紙を上げる。
「もちろん、所属する人が全員悪いと言っているわけではありません」
三浦はすぐに補った。
「じゃあ、社会公正党や共生労働党はどうか。人権や福祉の考え方には、いいと思うものもあります。選択的夫婦別姓も、選びたい人が選ぶなら、僕は別にいいと思います」
「でも、安全保障の考え方には、僕と違う部分がある。僕は、国を守る自衛隊は必要だと思っています」
三浦は両手を少し広げた。
「ほかにも、いろいろあります」
「何が言いたいかというと、一つの政党へ票を入れたら、その党の主張を全部支持したことにされるのが嫌なんです」
コメントの流れが少し遅くなった。
視聴者が聞き始めていることを、三浦にも感じられた。
「例えば、自衛隊は必要だと思って自由共和党へ入れたとします」
「そうすると、政治と金の問題まで、“選挙で勝ったから国民は許した”“みそぎは済んだ”と言われるかもしれない」
「いや、そこは許していない。自衛隊の話だけで入れたんだと言っても、政治家には聞こえません」
三浦は、見えない投票用紙へ印を付けるように、指を動かした。
「それぞれの問題について、別々に丸と罰を付けさせてくれ」
言ったあと、数秒黙った。
芸人時代から身についた間だった。
「そう思いませんか?」
《分かる》
《全部賛成の党なんかない》
《選挙はそういうものでは》
《候補者を選ぶしかないだろ》
賛成だけでなく、反論も流れ始める。
三浦はすぐには反応せず、話を続けた。
*
「あと、消費税を上げるとか、僕たちの負担が増えることって、選挙が終わったあとに決まることが多いですよね」
「選挙のときに、はっきり言わなかったことまで、“選挙で選ばれましたから”で進んでいく」
「もちろん、急に起きる問題もあります。選挙の前に、4年間のすべてを決めておくのは無理です」
「でも、それなら大きなことを決めるときに、もう一度、僕たちへ聞く道があってもいいんじゃないでしょうか」
三浦の声から、少しずつ緊張が消えていった。
「政治のニュースを見ていると、よく言いますよね」
三浦は、テレビのキャスターをまねるように、声を少し落ち着かせた。
「“この問題は、国民的な議論が必要です”」
次に、真面目なコメンテーターの顔を作る。
「“国民一人一人が、考えるべき時期に来ているのではないでしょうか”」
元の表情へ戻る。
「それ、いつ、どこでやってるんですか?」
久保が声を出さずに笑った。
「僕が子供の頃から、ずっと聞いています。でも、だいたいそのあと、天気予報か芸能ニュースへ行きます」
「国民的な議論、30秒で終了です」
コメント欄が速くなる。
「テレビの人を怒らせると、今後呼んでもらえなくなるので、これ以上はやめておきます」
一度笑わせたあと、三浦は少し表情を改めた。
「でも、マスコミにも、問題点を紹介するだけじゃなくて、解決まで追いかける番組があってもいいと思います」
「問題を解決しようとする1人の公務員や、一つの町を何か月も追いかける」
「アイドルが成長していく番組が、あれだけ人気になるんです。政治や行政で頑張る人の成長だって、見せ方によっては面白いと思います」
「少なくとも僕は見たいです」
グリフが、次へ進めと書いた紙を掲げた。
三浦がその紙を見た。
「すみません。愚痴ではないんですが、不満ばかりになってきました」
「画面の外から、“先へ行け”と指示が出ました」
《誰がいるの》
《スタッフいる?》
《相方?》
「相方ではありません。今日は友人たちに手伝ってもらっています」
三浦は話を戻した。
「選挙に行かない人が増えれば、政治にいつも関わっている一部の人の意見が、強くなります」
「政治家と直接会える人。大きな企業や団体の代表。昔から後援会へ入っている人」
「もちろん、そういう人たちが悪いわけではありません。政治家に意見を伝えるために、時間を使って努力しているんですから」
「でも、僕たち普通の人が政治家と話せるのは、選挙のときに握手して、1分くらい話せるかどうかです」
三浦は両手を合わせ、握手をするまねをした。
「“応援しています”“ありがとうございます”」
「終わりです」
*
「政府が国民の声を聞くために、有識者会議を開くこともあります」
「ところで、有識者って誰でしょう」
三浦はカメラへ顔を近づけた。
「皆さんの友達に、有識者会議へ出た人、いますか?」
コメント欄に、いない、大学教授の知人ならいる、という言葉が流れる。
「パブリックコメントという制度もあります。でも、資料が難しい。普通の人が仕事から帰って、何十ページもある行政資料を読んで、期限までに意見を書くのは大変です」
「制度はある。でも、使える人が限られている」
「じゃあ、こうなったのは、誰が悪いんでしょう」
三浦は少し間を置いた。
「政治家ですか」
「マスコミでしょうか」
「それとも、選挙へ行かなかった僕たちでしょうか」
部屋が静かになる。
「もちろん、悪い政治家もいると思います。無責任な報道もあるかもしれません。僕たち国民も、政治を人任せにしてきました」
「ただ、調べてみると、こういう問題は日本だけではありません」
「独裁国家の話ではありません。選挙のある民主主義の国でも、政治家と普通の人が離れている、政治への信頼が下がっている、選挙へ行く人が減る。似た問題があります」
三浦は一度、言葉を選んだ。
「ということは、人だけの問題ではないんじゃないかと思いました」
「制度が悪い」
そこまで言って、少し言い直す。
「悪いというより、足りない」
「選挙で代表を選ぶ仕組みは必要です。でも、それだけでは足りないんじゃないか」
*
「世界には、普通の人が、もっと政治へ参加できる仕組みを持っている国があります」
三浦は新しいスケッチブックを開いた。
左にアイルランド、右にスイスと書かれている。
「まず、アイルランドです」
「アイルランドでは、難しい問題を政治家だけで決める前に、無作為に選ばれた普通の市民が集まることがあります」
「無作為というのは、国民の縮図になるよう、年齢や性別、地域などを考えて選ぶということです」
三浦は、椅子に座った人たちの簡単な絵を指した。
「選ばれた人たちは、専門家から説明を聞きます。賛成する人の話だけでなく、反対する人の話も聞く。当事者の経験も聞く」
「それから、時間をかけて話し合います」
「いきなり、“賛成の人、手を挙げて”ではありません」
「同性婚や妊娠中絶のように、国を2つに分けそうな難しい問題でも、この市民会議が勧告を出し、そのあと議会や国民投票へつながった例があります」
「普通の人でも、きちんと情報をもらい、時間をかければ、難しい問題を考えられる。そういう仕組みです」
三浦は、右側のスイスを指した。
「次がスイスです」
「スイスでは、国民が署名を集めて、憲法を変える提案を出すことができます」
「また、議会が新しい法律を作ったとき、一定数の署名が集まれば、国民投票にかけて、その法律へ待ったをかけることもできます。これをレファレンダムと呼びます。なんかかっこいいでしょ」
「国の大事なことは、政治家だけで終わらず、最後に国民が直接投票する。そういう制度です」
三浦は短くまとめた。
*
「アイルランドは、普通の人が、よく考える仕組み」
「スイスは、普通の人が、提案したり、止めたり、最後に決めたりする仕組みです」
画面の外で、グリフが小さくうなずいた。
正確さを優先すれば、補足したい点はいくつもある。
しかし、初めて聞く視聴者へ大まかな違いを伝える説明としては、十分だった。
「じゃあ、日本では何もやっていないのか」
三浦は続けた。
「国レベルでは、まだ限られています。でも、地方では似た取り組みがあります」
「例えば、岩手県の倉沢町です」
「倉沢では、無作為に選ばれた町民が、専門家や当事者の話を聞いて話し合います。そこでいくつかの案を作り、必要な場合は住民投票で町民全体の考えを確かめます」
「投票して終わりではありません。何年か後に、本当にうまくいったか確認します」
「間違っていれば、また直す」
「これを、約10年続けています」
「倉沢だけではありません。日本のほかの自治体でも、住民投票や、無作為に選んだ市民による会議は行われています」
三浦はカメラをまっすぐ見た。
「このような仕組みを、日本の国政でも使えるようにする」
「それが、僕たちの主張です」




