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話せる国

「それより、東京の話をしよう」

 久保が切り替えた。

「この間、選挙区を回ってきた」

 三浦の表情が変わった。

「本当に、俺のために?」

「半分はな」

「残り半分は?」

「お笑いの劇場を見てきた」

「行ったんですか?」

「外から見ただけだ。中は君に案内してもらう約束だからな」

 久保は鞄から東京の地図を出した。

 いくつかの地域に、赤や青の印がついている。

「政局が流動的になってきた」

「総理が代わるかもしれないという話ですか」

 グリフが聞く。

「ああ。参院選の敗北で、自由共和党の中が落ち着かない。今の総理が続けるのか、党内で別の人間を立てるのか、まだ読めん」

「衆議院選挙も早まる可能性がある?」

「可能性はある。すぐに解散すれば不利だと考える者もいるし、新しい総理の人気があるうちに選挙をしたいと考える者もいる」

 三浦が困った顔をする。

「どっちなんですか」

「だから、分からんと言っている」

「政治の専門家でも分からないんですね」

「政局を正確に予測できる人間がいたら、選挙で苦労せん」

 久保は3人を見回した。

「お前たちは政策ばかり勉強しているが、政局も見ておけ」

「誰が総理になるかで、何が変わるんです?」

「選挙の時期、与党の支持率、争点、候補者の顔。全部変わる」

 久保は地図を広げた。

「選挙区も歩いた。若い人が多く、街頭演説へ反応する地域もある。一方で、昔から住んでいる高齢者が多い住宅地も残っている」

「高円寺なら若い人が多そうですけど」

「高円寺だけで選挙区ができているわけではない」

「同じ演説じゃ駄目ですか?」

「主張を変える必要はない。例えを変えろ」

 久保は三浦を指した。

「若い人へ電子署名を説明するなら、SNSやアプリの例が使える」

「高齢者には?」

「役場へ何度電話しても担当が違うと言われる。陳情書を出しても、どうなったか分からない。そういう経験から話せ」

「確かに、分かりやすい」

「子育て世代には、保育園や公園の要望。商店街なら、規制や道路、税金の話だ」

「同じ制度でも、入口を変える」

「漫才でも、客によって言葉を変えるだろ」

「地方営業と若い客の劇場では、少し変えてました」

「それと同じだ」

 久保は、さらに何枚かの名刺を出した。

「選挙関係の人脈も、つないできた」

「誰ですか?」

「選挙用の車を扱う業者。ポスターやビラを印刷する会社。看板を作る業者。選挙事務所として安く借りられそうな物件を知っている不動産屋」

 三浦は名刺を手に取った。

「もう、そこまで?」

「まだ契約はしていない。相見積もりを取れるようにしただけだ」

「ありがとうございます」

 三浦は深く頭を下げた。

「礼は、当選してから言え」

「落選したら言わなくていいんですか」

「落選しても言え」


 上村も地図を見ながら言った。

「久保さん、動きが早いな」

「年寄りは、残り時間が短いからな」

「自分から年寄りって言った」

 三浦が指摘する。

「人に言われるのと、自分で言うのは違う」

「じゃあ、俺も昔の仲間へ連絡を始める」

 上村が言った。

「東京にいるやつへ、まず近況を聞く。いきなり選挙を手伝えと言ったら警戒されるからな」

「頼むよ、上村」

 三浦は、もう一度頭を下げた。

「まだ手伝うとは言われてないぞ」

「連絡してくれるだけでも助かる」

「最近、素直に礼を言うようになったな」

「政治家になるからな」

「政治家になる前だけじゃないだろうな」


 *


「それから」

 グリフが話を進めた。

「そろそろ、三浦も外へ向けて話していい頃だと思う」

「街頭演説ですか?」

「その前に、動画配信だ」

 三浦は少し驚いた。

「もう?」

「直接民主制の基本、倉沢モデル、電子署名基盤。ある程度は自分の言葉で話せるようになった」

「おお、そこまで来たか」

 上村が三浦を見る。

「大丈夫か?」

「ああ。動画なら、失敗しても撮り直せる」

「録画じゃない」

 久保が言った。

「生配信だ」

 三浦が固まった。

「いきなりですか?」

「芸人だろ」

「芸人でも、テレビには台本があるんですよ」

「舞台では生だった」

「漫才は、何度も練習してます」

「政治家は、予定外の質問へ答えなければならん」

「コメント欄に質問が来たら、その場で答える?」

「当たり前だ」

 三浦はグリフを見る。

「助けてくれるよな」

「必要ならな。ただし、最初から全部俺に振るなよ」

「久保さんも?」

「私は画面の外にいる」

「逃げるんですか?」

「候補者は君だ」

 上村が言った。

「俺も横にはいるよ。変な質問なら拾わなければいい」

「都合の悪い質問を無視したって言われないか?」

「全部へ答える必要はない。時間が足りないと言えばいい」

 グリフは少し考えた。

「最初の配信は、1時間程度にしよう。前半で三浦が自己紹介と政策を説明する。後半で質問を受ける」

「質問が1個も来なかったら?」

「上村が匿名で送る」

「やらせじゃないか」

「事前に想定質問を用意しておくのは普通だ」

「匿名で視聴者のふりをするのは違うだろ」

「そこは正直に、“事前に友人から受けた質問です”と言えばいい」

 三浦は腕を組んだ。

「分かった。ライブでやる」

「本当に大丈夫か?」

 上村が聞く。

「一発勝負の舞台よりは楽だよ。失言したら、あとで謝れる」

「その発想が怖い」

「失言しないようにはするって」


 *


「動画を始める前に、政治団体を作りたい」

 グリフが言った。

「配信を見て応援したいと思った人が、会員になったり、寄付したりできる受け皿が必要だ」

「クラウドファンディングもやる?」

「政治活動として適切な形を確認してからになるけど、資金を集める方法は必要だ」

 久保が口を挟む。

「金を集めるなら、先に会計の仕組みを作れ。専用の口座を用意し、誰からいくら受け取ったかを記録する」

「久保さんがやってくれるんですよね」

「私が見るが、君も知っておけ。自分の活動の金を、全部人任せにするな」

「はい」

「それで、団体の名前は?」

 グリフが尋ねた。

 三浦は即答した。

「新型民主制党」

「駄目だ」

「早いな」

「政治団体であって、政党ではない。実態と合わない」

「じゃあ、新型民主制の会」

「それも、こちらから新型民主制という名称を前面に出すのは早いと思う」

「何で? 内輪では、ずっとそう呼んでるだろ」

「仮称だからだ。制度の中身も完成していない」

「でも、名前がないと説明しづらい」

「外から見た人やメディアが、自然に“新型民主制”と呼ぶのは構わない。こちらが最初から名乗ると、完成した新しい思想を売り出しているように見える」

 久保もうなずいた。

「グリフの言うことにも一理ある。団体名は、制度の名前より広いほうがいい」

「三浦がほかの政策を語っても、不自然にならない名前だな」

 上村が言った。

「人口減少とか、外交とかもやるんだろ」

 三浦は不満そうだった。

「ちょっと待ってくれ。しばらく考える」

「ああ」

 グリフは答えた。

「急がなくていい。政党名ではなく、政治団体名だからな」

「違いは分かってるよ」

「念のため言った」

「それから、キャッチコピーも考えてくれ」

「俺が?」

「俺は、そういうのが苦手だ」

「自覚はあるんだな」

「正確に説明しようとすると長くなる」

「それを苦手って言うんだよ」


 *


 三浦はノートを開いた。

 グリフとの勉強会で書きためた言葉が、何十ページにもわたって並んでいる。

 間接民主制。

 直接民主制。

 熟議民主主義。

 市民会議。

 国民の拒否権。

 政治家に任せるが、任せきりにはしない。

 道具を先に作る。

 制度は使いながら育てる。

 決めたあとも、うまくいったか確かめる。

 間違ったら、みんなで直す。

 政治課題について自分で調べた内容もある。

 人口が減ること。

 外国人と共に暮らすこと。

 国を守り、戦争を避けること。

 エネルギーと食料を確保すること。

 三浦はページをめくりながら、何度も言葉を書いては消した。

 国民の声。

 参加する政治。

 みんなの政治。

 話し合う日本。

 どれも、どこかで聞いたような気がした。

 その間に、久保は待ち切れなくなり、ノートパソコンを開いていた。

「久保さん、考えるの手伝ってくださいよ」

「私は、ひらめくのを待っている」

「映像を見ながら?」

「何もせず待つより、有意義だ」

 すでに操作にも慣れている。

 お気に入りとして保存した一覧から、今では全国的に知られるようになった東北出身の若手コンビを選んだ。

 まだ売れる前、小さな劇場で演じていた頃の映像だった。

「お、これは」

 久保の声に、上村が画面をのぞき込む。

「この2人、今テレビに出てるやつだろ」

「若いな」

 グリフまで椅子を移動した。

「グリフも見るのかよ」

 三浦が言う。

「少しだけだ」

「政策担当まで仕事を放棄するな」

 画面の中で、2人の掛け合いが始まった。

 間がよく、短い言葉で状況が伝わる。

 久保が笑い、上村が膝を叩く。

 グリフも、声を出さないまでも口元を緩めていた。

 三浦だけがノートへ向かっていた。

 しばらくして、ペンが止まった。

「よし」

 三浦が言った。

 3人は画面から目を離さない。

「決めたぞ」

「ちょっと待て。今いいところだ」

 久保が手で制した。

「俺の政治団体の名前より、漫才が大事なんですか?」

「今のところは、こっちのほうが面白い」

「久保さん」

 映像の一つのくだりが終わり、3人がようやく三浦を見た。

「それで、何にした?」

 グリフが尋ねる。

 三浦はノートを3人へ向けた。

「《話せる国》」

 紙の上には、4文字でそう書かれていた。

 久保が最初に口を開いた。

「話せる国」

「はい」

「誰と誰が話せる?」

「国民同士も、国民と政治家もです」

 三浦は答えた。

「今の政治って、国民が一方的に聞かされてる感じがするんですよ。選挙のときだけ政治家が来て、話をして、終わったら帰っていく」

「国民は観客か」

「そうです。でも、電子署名があれば、国民から話を始められる。市民会議ができれば、国民同士でも話せる。政治家も、何に反対されているのか分かる」

 上村がうなずいた。

「三浦らしいな」

「そうか?」

「お前、話すのが仕事だっただろ」

「話せる国、か」

 久保がもう一度口にした。

「悪くない」

「少し柔らかすぎませんか?」

 グリフが言った。

「政治団体だと分からないかもしれない」

「固い名前にしたら、また誰も近づかなくなる」

 三浦が反論する。

「政治に詳しくない人でも、“何を話せるんだろう”と思うかもしれない」

「検索したときに、一般の言葉と混ざる可能性がある」

「また細かいところを」

「必要な確認だ」

 久保が2人を止めた。

「候補には残せ。あとで同じ名前の団体がないか調べればいい」

 三浦は満足そうにうなずいた。


 *


「では、キャッチコピーは?」

 久保が尋ねる。

「それも決めました」

「早いな」

「前にグリフから倉沢モデルを聞いたときから、気に入っていた言葉があります」

「何だった?」

 上村が聞く。

「俺も覚えてるような気がする」

 グリフは、ノートに書かれた過去の言葉を思い出そうとした。

 三浦は、一度背筋を伸ばした。

 人前で大事な台詞を言うときのように、少しだけ間を置く。

「観客から主権者へ」

 部屋が静かになった。

 三浦は続けた。

「今までの国民は、政治という舞台を見ている観客だった。拍手したり、文句を言ったりはできる。でも、舞台に上がるのは政治家だけです」

「選挙で政治家を選んではいる」

 グリフが言った。

「選ぶだけです。選んだあとの4年間は、また客席に戻る」

 三浦は久保が見ていた漫才の映像を指した。

「俺たち芸人は、客がいなければ何もできない。でも、客がネタの途中で、“そこを変えろ”とは言わない。政治も、それに近いと思ってました」

「新型民主制では違う?」

「はい。困ったことを伝える。署名する。話し合う。投票する。国民も舞台に上がる」

 三浦はノートの文字を指でなぞった。

「観客だった人が、自分たちが国の持ち主だと気づく。だから、観客から主権者へ」

 久保はゆっくりうなずいた。

「これはいい」

「主権者は、最初から主権者です」

 グリフが言った。

 3人が一斉にグリフを見る。

「憲法上、国民主権ですから。“観客から主権者へ”というと、今までは主権者ではなかったように聞こえる」

「そういうところだぞ、グリフ」

 久保が即座に言った。

「でも、正確には――」

「法的な身分の話ではない。実感の話だ」

 上村も加わる。

「主権者なのに、観客みたいになってる人が多いってことだろ」

「それを、実際に参加する主権者にする」

 三浦が言う。

「意味は伝わると思う」

 グリフは、まだ何か言いたそうだった。

 しかし、3人の顔を見て、言葉を飲み込んだ。

「……キャッチコピーとしてなら、いいと思う」

「今日、2回勝ったな」

 三浦が言った。

「何にだよ」

「団体名とキャッチコピー」

「まだ正式決定じゃない」

「入口としてはいい、だろ?」

 三浦がグリフの口調をまねる。

「そうだ。入口としてはいい」

 久保が笑った。

「では、仮決定だ」


 *


 三浦はノートの新しいページを開いた。

 中央へ大きく書く。

 政治団体 話せる国。

 その下へ、少し小さな字で書いた。

 ――観客から主権者へ。

 4人は、しばらくその文字を見ていた。

 公的な電子署名基盤も、まだ紙の上にしかない。

 どの選挙区から出るかも確定していない。

 政治団体の届け出も、資金集めも、動画配信も始まっていない。

 第2段階以降の政策に至っては、完成させること自体を、いったん諦めたところだった。

 それでも、名前と短い言葉ができたことで、自分たちが何を始めようとしているのか、少しだけ形が見えた。


 久保がノートパソコンへ手を戻した。

「では、名前が決まったところで、続きを見よう」

「すぐお笑いへ戻るんですか」

「このコンビの、次のネタも見たい」

「動画配信の打ち合わせは?」

「次回だ」

「政治団体の届け出は?」

「グリフが調べる」

「クラウドファンディングは?」

「私が会計を考える」

「俺は?」

「配信で何を話すか考えろ」

「団体代表なのに、一番宿題が多くないですか?」

「候補者だから当たり前だ」

 三浦は不満そうな顔をしながらも、ノートを閉じなかった。

 ページの上には、2つの言葉が並んでいる。

 話せる国。

 観客から主権者へ。

 かつて三浦は、舞台の中央へ戻るために政治家になろうとした。

 だが今は、観客を舞台へ上げることを、自分の仕事にしようとしている。

 その矛盾に、三浦自身はまだ気づいていなかった。


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