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制度ではなく、道具から

 グリフと三浦は、「新型民主制」を国政へ導入するための具体的な道筋を考え始めた。

 これまでの勉強会では、グリフが調べた内容を三浦へ説明し、三浦がそれを自分の言葉へ置き換えていた。

 だが、久保からは、制度の形を決める段階から2人で考えたほうがよいと言われた。

「グリフが1人で考えると、正確にはなるが、誰も聞かなくなる」

 久保は遠慮なく言った。

「三浦が1人で考えると、分かりやすくはなるが、大事なところまで消える」

「俺たち、両方とも褒められてませんよね」

 三浦が尋ねると、久保は答えた。

「2人を合わせれば、ちょうどよくなると言っている」

 それ以来、グリフは、最初の構想段階から三浦を同席させるようになった。

 もちろん、心地よいことばかりではなかった。

 グリフは、できるだけ誤解が生じないように考える。

 制度が悪用される場合を想定し、批判されそうな箇所を先回りして塞ぐ。

 例外があれば条件を加え、危険があれば監視する仕組みを加える。

 そうして作った案を、三浦は平気な顔で半分以下に削った。

「ここ、いらない」

「必要だよ」

「最初の説明にはいらない」

「それを省くと誤解される」

「全部説明して、誰にも聞かれないよりいいだろ」

 そこへ久保や上村まで加わり、グリフの考えを3人がかりで修正する。

 自分の文章へ赤字を入れられているようで、気分のよいものではなかった。

 そこでグリフは、三浦にこう説明した。

「最初から一緒に考えれば、どうしてその条件が必要になったのか、お前にも分かる。制度を理解するための勉強にもなる」

「つまり、俺に直されるのが嫌だから、先に説明しておくってことか」

「違う」

「だいたい合ってるだろ」

「違うと言ってる」

 本当は、三浦の指摘を受けてから修正するより、途中から議論へ参加させたほうが、自分の案を守りやすいという気持ちも少しあった。

 だが、グリフはそれを口にはしなかった。


 *


 その日は、三浦のアパートではなく、《ワルン・クラサワ》の事務室を使っていた。

 店の休業日で、スタッフはいない。

 事務机の上には、グリフが持ち込んだ資料と、三浦のノートが広げられている。

 グリフは最初に確認した。

「倉沢モデルを、そのまま国レベルへ持ち込むのは難しい。それは、お前も同じ考えでいいんだな?」

「ああ。それは分かる」

 三浦は迷わず答えた。

「アイルランドでは国レベルで市民会議をやってるけど、運営した役所の人たちは相当大変だったと思う」

「倉沢でも同じだよ。慣れてきたとはいえ、担当者の負担は大きい」

「最初は、倉沢モデルを言い出したグリフが偉いと思ってた」

「今は違うのか?」

「いや、お前も偉いよ」

「も、ということは?」

「本当に偉いのは、やると決断した村田町長と、実際に形にした役場の人たちだな。それを10年近く続けてる町民もすごい」

 三浦は、壁に貼られた倉沢モデルの流れを見た。

「勉強してたら、そう思えるようになった。制度を考えるだけなら、好きなことを言える。でも、実際に動かす人は、反対する人にも説明して、金を用意して、人を集めて、失敗したら怒られるんだろ」

「そうだな」

「俺だったら、“やっぱりやめます”って途中で逃げるかもしれない」

「政治家を目指してる人間が言うなよ」

「今の俺ならだよ。これから成長する」

 三浦は、冗談めかして言った。

 しかしグリフには、三浦が以前より制度を現実のものとして考えるようになっていることが分かった。

 最初の頃の三浦は、倉沢モデルを、国会議員になるための目立つ看板としか見ていなかった。

 今では、その看板を裏側で支える人間や費用にまで目が向いている。

 どうなることかと思っていたが、三浦はまだ勉強を続けていた。

「では、倉沢モデルを一度に導入できないとして、何から始めるのがいいと思う?」

 グリフが尋ねた。

「俺は、スイスのレファレンダム」

 三浦が答えた。

 グリフは少し笑った。

「横文字を使ったな」

「何か格好いいから覚えた」

「意味も覚えてるのか?」

「国民が、議会の作った法律に待ったをかける制度だろ」

「もう少し詳しく」

「試すなよ」

「自分たちの看板にするんだ。説明できないと困る」

 三浦は天井を見ながら記憶を探した。

「確か、スイスでは、新しい法律が公表されてから100日以内に、5万人分の署名を集める」

「そうだ」

「集まったら、国民投票をする。反対が多ければ、その法律は止まる」

「大まかには合ってる」

「“大まかには”を付けるな。今のは正解でいいだろ」

「制度には細かな例外もある」

「はいはい。入口としては正解」

 三浦は、グリフの口調をまねた。

「実は、俺も最初はレファレンダムがいいと思っていた」

 グリフが言うと、三浦は得意そうに身を乗り出した。

「やっぱり、俺たち気が合うな」

「結論が同じだっただけだ」

「それを気が合うって言うんだよ」

 三浦はペンを持った。

「市民会議や国民発議と比べれば、仕組みが単純だろ。役所の人の仕事も少なそうだ」

「レファレンダムが簡単というわけではない」

 グリフは資料を1枚取り出した。

「署名が本物かどうかの確認、署名資格の審査、投票の準備、開票、投票運動のルール作り。仕事はかなり増える」

「でも、選挙と似た作業だろ?」

「そうだ。署名の確認や投票の運営は、今の行政にも似た作業がある。まったく経験のない仕事ではない」

「国民発議や市民会議よりは始めやすい」

「そこは同じ考えだ」

「じゃあ、最初は国民の拒否権で決まりだな」

「まだ決めない」

「何でだよ」

「問題を一つずつ考える」

 三浦は机に肘をついた。

「また長くなるやつだ」

「長くしたくなければ、早く考えろ」


 *


「まず、国民発議から考えてみる」

 グリフは白い紙に「発議」と書いた。

「何でだよ。最初はレファレンダムだろ」

「比較するためだ」

「はい、先生」

「倉沢でも、住民が議題を持ち込む場合、何を取り上げてよいかという問題があった」

「俺が短くしたやつだな」

 三浦はノートを開いた。

「一、困りごとを役場に言う。ただし、ほかの人をいじめる提案は駄目」

「そうだ。その“ほかの人をいじめる提案”という言葉は、入口の説明には分かりやすい」

「褒めた」

「でも、制度にするなら、それだけでは足りない」

「また始まった」

「例えば、公園でのボール遊びを禁止してほしいという要望が出たとする」

「ああ。東京の公園は、だいたい禁止だった気がする」

「倉沢では、できる公園もある。うちの海翔はまだ小さいから、大きな子が硬いボールを投げていると、危ないと思うこともある」

「じゃあ、禁止してほしいという親がいる」

「一方で、小学生からすれば、遊ぶ場所を奪われる」

「ボール遊びをしたい子供へのいじめだと言えなくもない」

「そういうことだ」

 三浦はしばらく考えた。

「でも、何でも誰かに迷惑をかけるだろ。犬を散歩させたい人と、犬が怖い人もいる。公園で祭りをやりたい人と、うるさいと思う人もいる」

「だから、誰かが判断しなければならない」

「役場の人?」

「仮に役場が判断するとしよう。担当者が自分の感覚だけで、“これはよい提案”“これは悪い提案”と決めていいと思うか?」

「駄目だろうな。あとで絶対に怒られる」

「なら、判断基準が必要になる」

「その基準を、誰が作る?」

「そうなる」

 三浦はノートへ書いた。

 ――提案を受け付ける基準を決める人が必要。

「役場だけで作ったら、役場に都合の悪い提案を外す基準だと言われる」

「住民や専門家を入れた委員会を作る?」

「おそらく、そういう形になる」

「でも、最初に考えてなかった提案も来るだろ。公園のボール遊びだけじゃなくて、野良猫へ餌をやっていいかとか、学校で生成AIを使っていいかとか」

「一度基準を作れば終わりではない。運用後も見直す必要がある」

「また委員会を開く」

「そのための資料を役場が作る」

「人を集めて、会場を用意して、記録も残す」

「人手と費用がかかる」

 三浦は腕を組んだ。

「役場の人も減ってるんだろ」

「人口が減っている自治体ほど職員を増やせない。1人の職員がいくつもの仕事を担当している」

「住民に政治へ参加してもらおうとすると、役所の人が倒れるのか」

「極端に言えばな」

「皮肉だな」

「行政を知れば知るほど、住民や国民が自由に発議できる仕組みは、行政事務の負担が大きいと分かってしまう」

「倉沢では、どうしてるんだ?」

 三浦が尋ねた。

「最初の町民会議は、村田町長からの諮問だった」

「諮問」

「行政が住民へ、“この問題について考えてください”と問いかける形だ」

「住民からテーマを出したわけじゃない」

「そうだ。最近の町民会議では、住民から寄せられた要望が出発点になることも増えた。でも、住民が一定数の署名を集めれば、必ず町民会議が開かれるという制度にはなっていない」

「じゃあ、誰が決める?」

「住民が町議へ要望を伝え、町議が議会で提案する。あるいは役場の担当部署へ要望を出し、最終的に町長が町民会議へ諮るか判断する」

「形としては、今も政治家側から始めるのか」

「町民会議については、そうなる」

「でも、住民投票なら、有権者の50分の1の署名でできるんだろ?」

「そこは、少し違う」

 グリフは訂正した。

「現行の地方自治法で、50分の1以上の署名によって求められるのは、条例の制定や改廃だ」

「住民投票をしてください、という条例を作ってくれと求める?」

「そういう形はあり得る。ただ、署名が集まったら自動的に住民投票になるわけじゃない。長が意見を付け、議会へ提出し、議会が審議する」

「そこで否決されたら?」

「住民投票は行われない」

「何だ。国民の拒否権より、ずっと弱いな」

「今の日本では、住民投票の実施方法は、自治体の条例に大きく依存している」

「それでも50分の1集めるのは大変だろ」

「大変だ。署名を集めるための受任者も必要になるし、期間も限られる。普通の個人が思いつきで始めるのは難しい」

「結局、何かの団体が必要になる」

「現実には、そうなることが多い」

 三浦は少し顔をしかめた。


 *


「団体の人って、変わった人が多そうなんだよな」

「偏見だ」

「分かってる。でも、東京の駅前で政治のビラを配ってる人を見ると、近づきづらかった。受け取ったら集会へ誘われそうで」

「気持ちがまったく分からないとは言わない」

「グリフも思うんじゃないか」

「でも、政治家を目指すなら、その先入観は薄くしたほうがいい」

「消せるかな」

「簡単には消えないよ」

 グリフは少し考えてから続けた。

「俺も倉沢で、外国人に対する偏見を減らそうとしてきた。でも、なくすのは難しい」

「お前の父親も奥さんも外国出身だろ」

「それでもだ。外国人本人だけでなく、受け入れる側にも、外国人同士にも偏見はある」

「外国人は、みんな仲間じゃないのか?」

「そんなわけないだろ。出身国も民族も宗教も違う。インドネシアの中だけでも対立はある」

「そうか」

「相手の気持ちを無理に変えることはできない。だから、まず行動を変えてもらう。嫌いでも構わないから、挨拶はする。困っていたら助ける。ルールは同じように守る」

「気持ちより行動か」

「そうして接しているうちに、偏見が少し薄くなることはある」

 グリフは三浦を見た。

「俺も最初は、上村を嫌な不良だと思っていた」

「今は?」

「嫌なところもある友人だと思ってる」

「本人に言ったら怒るぞ」

「不良にもいろいろいると分かった」

 三浦が笑った。

「俺も、政治をやってる人は、だいたい性格が悪いと思ってたよ」

「……話を戻すぞ」



 グリフは紙の上の「発議」という文字に線を引いた。

「国民発議は、普通の人が議題を政治へ持ち込めるという点では魅力がある」

「でも、入口を審査する仕組みが必要で、行政の仕事が増える」

「そうだ。それに、発議する側にも組織が必要になる」

「だったら、最初はレファレンダムでいいだろ」

「レファレンダムにも署名は必要だ」

「あ」

 三浦は声を漏らした。

「そうだった」

「何でも国民投票にかけるわけにはいかないから、一定数の署名を条件にする必要がある」

「でも、署名を集めるには団体が必要になる」

「街頭だけで何十万、何百万人分も集めるのは現実的ではない」

「そうなると、普通の人を政治に参加させたいのに、結局、企業や労働組合や宗教団体が強くならないか?」

「その危険はある」

 グリフも、そこを問題だと考えていた。

「企業が、自分たちに不利益な法律を止めるため、従業員や取引先へ署名を求めるかもしれない」

「断りづらいな」

「労働組合や宗教団体も、組織として署名を集められる」

「悪いことばかりじゃないだろうけど」

「もちろんだ。団体を通じて政治参加すること自体は悪くない。問題は、組織を持たない人間との差が、今より大きくなる可能性があることだ」

「俺たちが目指してるのと逆だな」

「普通の人に参加の道を開いたつもりが、組織の強い人間へ新しい武器を渡すことになる」

 三浦は、しばらくノートを見ていた。

「それにさ」

「何だ?」

「紙の署名って、住所を書くんだろ?」

「ああ。氏名や住所、生年月日などが必要になる場合がある」

「俺は嫌だな」

「署名した内容を知られるのが?」

「それもあるけど、署名を集めている人に住所や生年月日を見られるのが嫌だ」

 三浦は自分の胸元を指さした。

「役所が確認するのは仕方ないよ。重複してないか、存在する人か調べなきゃいけない。でも、駅前に立っている、どこの誰かも分からない人に渡すのは不安だ」

「確かにな」

「生年月日を書けば年齢も分かる。女性は、もっと嫌がるんじゃないか。若い1人暮らしの人なんか、住所を教えたくないだろ」

 グリフは返事をしなかった。

 そこは、自分が深く考えていなかった問題だった。

 署名の真正性を確認するためには、本人を特定できる情報が必要になる。

 しかし、その情報が署名運動の主催者を経由するなら、個人情報の漏えいや目的外利用を心配する人が出る。

 その不安のために署名しない人もいるだろう。

 2人は黙った。

 まっすぐ進んでいたはずの道の先に、突然、壁が現れたようだった。


 *


「順番が逆なのかもしれない」

 しばらくして、グリフが言った。

「何が?」

「先にレファレンダムを作るんじゃない」

「じゃあ何を作る?」

「普通の人でも、安全に署名できる仕組みだ」

 三浦は顔を上げた。

「署名を集める団体へ、名前や住所を渡さなくてもいい仕組み?」

「そうだ。それに、既存の団体へ所属していない人でも、署名の呼びかけを始められる」

「アプリか?」

 三浦はすぐに言った。

「アプリを作って、反対したい法律についてスレッドを立てる。ほかの人は、それを見て賛成なら署名する」

「SNSのようなものか」

「投稿に“いいね”する代わりに、正式な署名をする」

「必要な機能は、意外に少ないかもしれないな」

 グリフは紙に書き始めた。

「まず、対象となる法律や制度について、反対署名を呼びかけるページを作る。テーマと呼ぼうか」

「次に、それを人へ知らせる」

「共有して、拡散する」

「関心を持った人がページを見る」

「説明を読んで、署名する」

 三浦は4つの流れを読み上げた。

「テーマを作る。広める。見に来る。署名する」

「機能だけなら、既存の署名サイトやSNSの延長で作れそうだ」

「じゃあ簡単じゃないか」

「問題は本人確認だ」

「電話番号?」

「1人で何個も取得できる。選挙権があるかどうかも分からない」

「銀行口座?」

「持っていない人もいる」

「運転免許証」

「免許がない人を排除することになる」

「じゃあ、マイナンバーカードか」

 三浦が言った。

 グリフはスマートフォンで調べ始めた。

「公的個人認証サービスというのが、すでにある」

「何、それ」

「マイナンバーカードに入っている電子証明書を使って、本人であることを確認する仕組みだ」

「マイナンバーそのものをアプリへ送るのか?」

「いや、個人番号そのものを集めなくても、電子証明書で本人確認ができる。民間の口座開設や契約にも使われている」

「じゃあ、新しく全部を作る必要はない?」

「認証の土台は利用できる可能性がある」

「スマートフォンにカードを当てるやつ?」

「対応端末なら、そういう形にできる」

 三浦は、自分のスマートフォンを手にした。

「テーマを立てるときに1回、マイナンバーカードで本人確認をする」

「それから、正式に署名するときも認証する」

「見るだけなら、認証しなくてもいい?」

「一般公開するなら、それでいいと思う」

「テーマを立てた人の住所は、ほかの利用者に見せない」

「本人確認をしたことだけを表示する。“この人は実在する有権者です”という確認だけだ」

「名前も出さなくていい?」

「制度によるな。呼びかけ人には、一定の責任が必要かもしれない」

「でも、本名を全国に出すのは怖い人もいる」

「公開名と、行政が確認する本人情報を分ける方法は考えられる」

「また複雑になってきた」

「署名する人は名前を出さなくていい?」

「それは当然そうなる。テーマを立てた人に個人情報まで知らせる必要はない。署名人数だけでいいだろう」

「システムを運用する人にはわかってしまうのか」

「それでも、紙の署名簿を知らない人へ渡すよりは、安全にできる可能性がある」

 三浦は感心したようにスマートフォンを眺めた。

「政治の話をしてたのに、アプリ開発の話になったな」

「制度だけ考えていたときには見えなかった問題だ」

「でも、機能は簡単そうだぞ。SNSに本人確認を足すだけだろ」

「簡単に言うな」

 グリフは即座に否定した。

「国の政治に使うなら、不正アクセス、なりすまし、サーバー障害、内部の改ざんまで考えなければならない」

「投票じゃなくて署名だろ」

「署名数によって国会が動くなら、攻撃する価値が生まれる。海外から妨害される可能性もある」

「1人が何度も署名できないようにもする」

「署名を取り消せるかどうかも決める。期限の途中で意見が変わる人もいる」

「署名したことを家族や会社に知られないようにする」

「利用履歴を政府が政治思想の把握に使わない保証も必要だ」

 三浦は両手を上げた。

「やっぱり大変じゃないか」

「国の仕組みだからな」


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