政党への売り込み
「続けてくれ」
「はい」
三浦は久保へ向き直った。
「好きなものができると、人に勧めたくなるじゃないですか」
「そうだな」
「自分の推しを嫌いだと言う人がいても、それで推しをやめたりしないでしょう。普通は」
「人によるだろうが、君はやめないということか」
「たぶん、やめません」
「たぶん?」
「絶対と言うと嘘になるので」
三浦は正直に答えた。
「政治家になるために、細かな制度を変えたり、言葉を変えたりすることはあると思います。でも、国民が政治に直接関われる道を増やすという中心まで捨てたら、俺が政治家になる意味はない気がします」
言い終えると、自分でも少し驚いた。
こんな言葉を、自分が口にするとは思っていなかった。
久保はしばらく三浦を見ていた。
「分かった」
やがて、静かに言った。
「これで戦略が立てられる」
「戦略?」
「三浦君と、その主張を切り離さない」
久保はグリフへ視線を移した。
「知名度だけで売ろうとすれば、もっと有名なタレント候補に負ける。政策だけで売ろうとすれば、政治家や専門家に負ける」
「では、三浦自身と直接民主制を一体にする?」
グリフが尋ねた。
「そうだ」
久保はうなずいた。
「元芸人の三浦が、あの難しい政治制度を普通の言葉で説明する。政治家だけに任せず、普通の人間も政治に参加できるようにする。その組み合わせで売る」
三浦は、自分の商品説明を聞いているような気分になった。
「中途半端に隠すのは、かえってマイナスだ」
久保は続けた。
「政策を薄めれば、単なる知名度の足りないタレント候補になる。逆に、難しい制度論ばかり話せば、元芸人である意味がなくなる」
「両方を使う」
「そうだ。芸人だったことを恥じる必要はない。むしろ武器にしろ」
三浦は大きくうなずいた。
*
そのとき、これまで黙っていた上村が、遠慮がちに手を挙げた。
「あの、一つ気になってるんですが」
「何だ?」
久保が尋ねる。
「さっきから、“その主張”とか“あの主張”って言ってますよね」
「長いからな」
「正式には、何でしたっけ」
上村はグリフを見る。
「直接民主主義と、熟議民主制?」
「逆だ」
グリフはすぐに訂正した。
「直接民主制と熟議民主主義」
「面倒くさ……」
上村は途中で言葉を止めた。
「失礼。長くて、しかも“制”と“主義”が入れ替わるから、言い間違えやすいんですよ」
「まあ、確かにな」
久保も認めた。
「だから、みんな“それ”とか“あれ”って言うんです」
上村は続けた。
「つまり、名前が長いと、中身がよくても人に勧めづらい」
久保が腕を組んだ。
「それは大事な指摘だな」
グリフは少し不満そうだった。
「正確に説明するには必要な言葉です」
「正確でも、誰も覚えられなければ看板にならん」
久保が言う。
「三浦君。何か短い名前を考えられないか」
「今ですか?」
「芸人なら、題名や言葉を考えるのは得意だろ」
「急に言われても」
三浦は壁の文字を眺めた。
直接民主制。
熟議民主主義。
スイス。
アイルランド。
国民発議。
国民の拒否権。
市民会議。
「倉沢モデルでは駄目ですか?」
「それは倉沢で行っている仕組みの名前だ」
グリフが答えた。
「国政で同じ制度を使うと決まったわけじゃない。それに、倉沢町を知らない人には意味が伝わらない」
「じゃあ……」
三浦は考えた。
古い民主主義に、新しい仕組みを付け足す。
政治家に任せるだけだった政治を、国民も参加できる形へ変える。
「新型民主制」
三浦は言った。
「どうですか?」
グリフは即座に首を横に振った。
「別に新しくない」
「早いな」
「スイスでは100年以上前から行われている。アイルランドの市民会議にも先例がある。倉沢でも10年やってきた」
「日本の国政では新しいだろ」
「新型と言えば、新しく発明した制度のように聞こえる」
「いや、悪くない」
久保が言った。
グリフが久保を見る。
「いいんですか?」
「“新”という字を、日本人は好きだ」
「それは偏見じゃないですか」
「新党、新制度、新時代、新生活、新発売。新しいと言われれば、何が新しいのか気になる」
上村もうなずく。
「最近は漢字の新じゃなく、カタカナで“シン”と書くものもありますよね」
「映画とかであるな」
「何が違うのか分からないけど、新しく見える」
三浦が言った。
「じゃあ、“シン民主主義”でもいいか」
「それは、ふざけて見える」
グリフが答える。
「まだ正式名称を決める段階じゃない」
「だったら仮の呼び名でいい」
久保は言った。
「目指しているのは、スイスの直接投票の仕組みと、アイルランドの市民会議を組み合わせ、日本向けに作り直すことだろう」
「はい」
「少なくとも、日本の国政では今までにない仕組みになる。ならば、新型と呼んでも、完全な嘘ではない」
「新の意味なんて、人によって違いますよ」
上村が加勢した。
「新しく発明したという意味だけじゃなく、日本へ新しく導入するという意味でもいい」
グリフは納得していない様子だった。
「でも、新型民主制だけでは、中身が何も分かりません」
「だから、関心を持った人に中身を説明するんだ」
久保が答えた。
「名前だけで制度の全部を説明しようとするな」
「それでは誤解を――」
「グリフ」
久保が遮った。
「直接民主制と熟議民主主義では長い。これは認めるな?」
「それは、まあ」
「倉沢モデルでは、ほかの地域に通じない」
「はい」
「では、ほかに案があるか?」
グリフは腕を組んだ。
しばらく考えたが、すぐに代案は浮かばなかった。
「……今のところは、ありません」
「なら、内輪では新型民主制でいいだろう」
久保は結論づけた。
「外で人に話してみて、反応が悪ければ変えればいい。名前は制度と違って、あとから直せる」
三浦が笑った。
「間違ったら、みんなで直す」
「そういうことだ」
久保もうなずいた。
グリフはまだ不満そうだったが、最終的には息を吐いた。
「分かりました。仮称としてなら、新型民主制でいいです」
三浦は心の中で、小さく拳を握った。
勝った。
何の勝負かは分からなかったが、グリフが自分の案を受け入れたことがうれしかった。
*
「飲み物のおかわりを持ってきます」
三浦は立ち上がった。
「久保さん、お茶でいいですか?」
「ああ。私はその間に、さっきの漫才の続きを見ている」
「まだ見るんですか?」
「政治家として使えるか判断するには、昔の仕事ぶりも知る必要がある」
「本当ですか?」
「半分は本当だ」
久保はノートパソコンを自分のほうへ引き寄せた。
上村も隣へ座り、画面をのぞき込む。
「これ、次のやつを押せばいいのか?」
「はい。再生ボタンはそこです」
映像が始まると、すぐに久保の笑い声が上がった。
上村も、何度も見たはずのネタに笑っている。
三浦は台所へ向かいながら、グリフを見た。
グリフだけが、座布団の上で腕を組み、納得できない表情をしていた。
「新型民主制……」
小声で、言葉の響きを確かめている。
三浦は、その顔を見て、また少しうれしくなった。
自分の思いつきが、グリフの頭の中へ入り込んでいる。
台所で湯を沸かしながら、三浦も口の中でつぶやいた。
「新型民主制」
仮の名前にすぎない。
何を国民に提案し、何を国民投票へかけ、議会とどう役割を分けるかも決まっていない。
それでも、名前がついた途端、これまで学んできたバラバラの仕組みが、一つのものになったような気がした。
自分たちが、これから作ろうとしているもの。
まだ存在しないが、いつか形になるかもしれないもの。
三浦は4人分の飲み物を盆に載せ、部屋へ戻った。
画面の中では、若い頃の三浦が白目をむき、
『俺だって馬鹿じゃない』
と言っていた。
「やっぱり、これいいな」
久保が笑う。
「政治の演説でもやったらどうだ?」
「久保さん、それは駄目です」
グリフがすぐに止めた。
「いや、使う場所を選べば、武器になる」
「政策が全部飛びます」
「だから、忘れられない政策の説明と組み合わせるんだよ」
グリフは、ますます難しい顔になった。
三浦は飲み物を置きながら思った。
久保が加われば、グリフの思いどおりに話が進まなくなる。
だが、それは三浦にとって、悪いことではなさそうだった。
***
数日後、グリフは久保とともに、地元選出の国会議員の事務所を訪れていた。
応接室へ現れたのは、議員本人ではなく第一秘書だった。
議員本人に面会できなかったことを、久保は特に気にしていない様子だった。
「最初から本人が出てくる話ではない」
事務所へ向かう車の中で、久保はそう言っていた。
「ただ、第一秘書が時間を取るなら、私の顔はまだ多少利くということだ」
第一秘書は50代ほどの、髪をきれいに後ろへ流した男だった。
久保を見ると深く頭を下げ、グリフにも丁寧に名刺を差し出した。
話し方も穏やかで、三浦を最初から馬鹿にするような態度は見せなかった。
グリフは、三浦の経歴を説明した。
かつて《ポコぽんた》という漫才コンビでテレビへ出演していたこと。
現在は芸人としての活動が事実上止まっているが、政治を志し、倉沢町へ移り住んだこと。
直接民主制と市民会議を組み合わせた「新型民主制」を看板にしようとしていること。
勉強会を重ね、本人なりに政策を理解し始めていること。
第一秘書は、途中で何度か質問した。
「全国で名前が通るほどではないということですね」
「残念ながら、今はそうです」
グリフは答えた。
「テレビへ出ていた時期は?」
「10年ほど前が中心です」
「現在のSNSの登録者数や、動画の再生数は分かりますか」
「まだ、政治活動としての発信は始めていません」
「後援会は?」
「ありません」
「本人が用意できる資金は、どの程度でしょう」
「本人の貯金は、300万円ほどだと聞いています」
第一秘書の表情は変わらなかったが、手元のペンが一度止まった。
「選挙運動を継続して手伝える人は?」
「現時点では、私と友人が1人。それから久保さんです」
久保が口を挟む。
「私は数に入れるな。年寄りを旗持ちに使うなよ」
「久保さんは、年寄り扱いするなと言っていたでしょう」
「都合のいいときだけ使うな」
第一秘書はわずかに笑ったが、その後の質問はさらに現実的になった。
選挙区はどこを考えているのか。
地元組織をどう作るのか。
ポスターを貼る場所を誰が確保するのか。
街頭演説へ毎日同行できる人間はいるのか。
名簿を管理する事務担当者はいるのか。
企業や団体から支援を得られる見込みはあるのか。
一つずつ聞かれるたび、グリフは、三浦たちに欠けているものの多さを思い知らされた。
最後に第一秘書は、政策について尋ねた。
「新型民主制というのは、国民投票を増やす構想でしょうか」
「それだけではありません」
グリフは説明した。
無作為に選ばれた市民が、専門家や当事者の説明を聞いて話し合う。
その結果を国会の審議や国民投票へつなげる。
将来的には、一定数の署名による国民発議や、国会が作った法律に国民が拒否を示せる制度も検討する。
第一秘書は最後まで真剣に聞いた。
しかし、聞き終えたあとの言葉は慎重だった。
「考え方としては興味深いと思います」
政治家の世界で、その言葉が必ずしも褒め言葉ではないことを、グリフも理解していた。
「ただ、わが党の中で受け入れられるかとなると、かなり難しいでしょう」
「議員の権限を削るからですか」
久保が率直に聞いた。
第一秘書は、わずかに間を置いた。
「そのように受け止める議員は多いと思います」
「国民の声を聞くことには、どの党も賛成するだろう」
「もちろんです。しかし、国民の意見を聞くことと、国会の立法権を制約することは別です」
第一秘書は言葉を選びながら続けた。
「自由共和党は、現在、政権を担っています。政策を実現できる立場にある政党が、自ら決定権を弱める制度を積極的に導入するかと言われると……」
「得をしない」
久保が言った。
「率直に言えば、そう考える人もいるでしょう」
さらに、党の公認候補となれば、看板政策だけでなく、安全保障、経済、社会保障など幅広い政策で党の方針に沿うことを求められる。
三浦が党の決定に従える人物なのか。
党内で経験を積む意思があるのか。
第一秘書はそこも気にしていた。
面談の終わりに、彼はこう提案した。
「まず、町議会議員を目指されてはいかがでしょう」
久保の眉がわずかに動いた。
「町議ですか」
「地方議員として実績を積み、後援会を作る。そのうえで県議、あるいは国政を目指す。年齢を考えても、決して遅すぎるとは思いません」
第一秘書の言葉に悪意はなかった。
むしろ、現状で示せる最も現実的な道を、誠実に提案しているようだった。
グリフと久保は礼を言い、事務所を出た。
*
帰りの車の中で、久保はしばらく黙っていた。
グリフが運転席から尋ねる。
「どう思いました?」
「町議なら、私だけでも何とかできる」
「そうでしょうね」
「だから面白くない」
久保は窓の外を見ながら言った。
「地元を回って、知り合いへ頭を下げ、町内会と商工会へ話を通す。三浦の人柄なら、時間をかければ可能性はある」
「本人には、その道を勧めますか?」
「勧めても聞かんだろう」
「俺も、そう思います」
「それに、町議になった三浦を想像してみろ」
久保は少し笑った。
「町議会で、道路の側溝とごみ集積所の話をしている」
「大事な仕事ですよ」
「分かっている。だが、本人は3日で国会の話を始めるぞ」
グリフも否定できなかった。
「第一秘書の判断は正しい」
久保は続けた。
「金がない。人がいない。党の看板にできるほど有名ではない。政策も党と合わない。今の三浦を公認する理由がない」
「はい」
「だが、正しい判断が、面白い判断とは限らん」
久保はどこか楽しそうだった。
*
その夜、グリフと久保は三浦のアパートを訪れ、面談の結果を報告した。
上村も来ていた。
「結論から言えば、現状では自由共和党の公認も推薦も難しい」
グリフが告げる。
三浦は、しばらく黙っていた。
「やっぱり、金ですか」
「金だけじゃない。知名度、組織、運動員、地元での実績。全部足りない」
「全部か」
「それと、政策の相性が悪い」
「新型民主制?」
「ああ。政権を持っている側には、議会を迂回する制度を作る利点が少ない」
三浦は意外にも、それほど落ち込んでいなかった。
「まあ、自由共和党へ入ったら、上の人の言うことを聞かされそうだからな」
「負け惜しみか?」
上村が尋ねる。
「半分は」
「半分は本音なのか」
「俺は、少数政党か無所属のほうが向いてる気がする」
「党の支援がなければ、選挙は何倍も大変になるぞ」
グリフが言った。
「分かってる。でも、国会議員になる前から、言いたいことを引っ込めるのも嫌だ」
久保は何も言わず、三浦の顔を見ていた。
少なくとも、第1の政党ルートは閉ざされた。
しかし三浦にとっては、望んでいた道を断たれたというより、最初から好みではなかった道が消えた程度らしかった。
*
政党への売り込みが不調に終わったあとも、勉強会は続いた。
グリフは、現代の日本が抱える5つの政治課題について、順番に整理していった。
人口が減ること。
暮らしと財政を支えること。
外国人と共に暮らすこと。
国を守り、戦争を避けること。
エネルギーと食料を確保すること。
グリフ自身にも、明確な答えがあるわけではなかった。
人口減少について調べれば、子育て支援だけで解決する問題ではないと分かる。
経済成長を求めれば、環境や格差との折り合いが必要になる。
外国人労働者を受け入れれば、労働力不足は緩和されるが、教育、医療、住居、地域との摩擦が生じる。
防衛力を高めれば安全になるとは限らず、逆に周辺国との緊張を高める可能性もある。
エネルギー自給を優先すれば、原子力、再生可能エネルギー、火力発電のどれにも別の問題がある。
調べるほど、簡単な正解は遠ざかった。
「政治家って、答えを出す仕事じゃないのか?」
三浦が尋ねたことがある。
「答えがない中で、どれを選ぶか決める仕事だ」
グリフはそう答えた。
「それ、政治家になりたくなくなる説明だな」
「今からでもやめていいぞ」
「いや、なるけど」
上村も、仕事や家庭の都合がつくと参加した。
久保も毎回ではないが顔を出すようになった。
ただし、久保は政治課題の議論にはあまり加わらなかった。
最初の30分ほど話を聞くと、部屋の隅で三浦のノートパソコンを開き、昔の芸人の映像を見ていた。
「久保さん、今日は社会保障の話ですよ」
グリフが注意する。
「聞いている」
「画面を見てるでしょう」
「耳は空いている」
そのうち久保は、三浦に注文を出すようになった。
「テレビへ出ている有名な芸人は、もう分かった。劇場では受けているが、まだテレビに出ていない芸人を見せてくれ」
「ずいぶん詳しくなりましたね」
「売れる前の人間を見つけるのが面白いんだ」
「政治家も芸人も同じですか」
「似たようなものだ。何が受けるかは、表へ出してみないと分からん」
久保は、このままでは本当にお笑いマニアになりそうだった。




