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面倒事の匂い

「何で?」

「金も仲間も足りない」

「政治団体を作るだけならできるんだろ?」

「名前だけの団体なら作れる。でも、国会議員を当選させる政党にするのは別の話だ」

「どれくらい金がいる?」

「選挙の方法や人数にもよるけど、今のお前が想像しているより、はるかに多い」

「1,000万?」

「その程度では、全国規模の政党活動は難しい」

「2,000万?」

「桁が違う可能性がある」

 三浦の表情がさらに沈んだ。

「そんなにか」

「事務所、人件費、広報、候補者の支援、選挙区ごとの活動。国民に名前を知ってもらうだけでも金がかかる」

 上村が言った。

「仲間も、今のところ3人だからな」

「弁護士や医者も、これから見つける」

「どうやって?」

「募集する」

「何を見て応募するんだよ」

「俺たちの理念」

「まだ三浦自身が勉強中だろ」

 三浦は反論できず、麦茶を飲んだ。

「じゃあ、新党は駄目か」

「将来まで否定するわけじゃない。でも、今の段階で選ぶ道ではない」

「金がないなら、仕方ないな」

 理想や制度の問題より、金がないと言われたほうが三浦には分かりやすかった。

「となると、どこかの政党へ入るのが現実的か?」

「それも簡単ではない。でも、一度は検討する価値がある」

 三浦の表情が戻った。

「どこがいい?」

「まず、お前が政党を選ぶ前に、向こうがお前を候補者として選ぶかという問題がある」

「分かってるよ」

「本当に?」

「自分でも、今の俺なら選ばないと思ってる」

「そこまで分かってるならいい」

「でも、話を聞いてもらうくらいはできるだろ?」

「それは、やってみないと分からない」

 三浦は身を乗り出した。

「グリフ、お前、政治家だったんだろ。どこかにコネはないのか?」

「“政治家だったんだろ”という言い方、便利に使いすぎじゃないか?」

「元町議なら、政党の人間くらい知ってるだろ」

「国政政党とのつながりは、あまりないんだよ」

「自由共和党とは?」

「一応、伯父の敏夫さんの後継者として町議になったから、周囲は保守系だった。でも、俺は無所属で選挙に出ているし、党員でもない」

 三浦が尋ねる。

「伯父さんは自由共和党なのか?」

「正式には、今も党員かどうか知らない。ただ、昔から自由共和党を支援してきた」

「何で?」

「経営者だからだろうな」

「経営者だと自由共和党なのか?」

「地方では、昔からそういう傾向がある。商工会や地域の企業経営者は、自由共和党の議員とつながりを持つことが多い」

「企業に有利な政策をするから?」

「企業活動をしやすくする政策を比較的重視していた。規制、税金、公共事業、金融、地域の産業支援。伯父さんが若い頃は、商売をしている人が自由共和党を支援するのは、ごく自然なことだった」

「今は違うのか?」

「今は業種も経営者の考え方も多様だ。昔ほど単純ではない。それでも、地方の古い経営者にはつながりが残ってる」

 上村が口を挟む。

「だったら、敏夫さんの線から紹介してもらえないのか?」

「倉沢周辺の党幹部とはつながりがあったと思う。でも、中央とはどうかな」

「国会議員の1人くらい知らない?」

「知っていたとしても、深い関係かどうかは別だ。敏夫さんは、上へ行こうという欲があまりない人だからな」

「町議も2期で辞めたんだっけ」

「会社が大きくなったから、経営を選んだ。中央との人脈を作ろうと動いていたようには見えない」

 三浦は肩を落とした。

「じゃあ、難しいか」

 グリフは少し考えた。


 *


「いや、1人、相談できるかもしれない人がいる」

 三浦と上村が同時に顔を上げた。

「誰だ?」

「久保さんという人だ」

「政治家?」

「今は違う。60代で、村田さんが町長だった頃に、側近というか、地元の重鎮として支えていた人だ」

「秘書みたいな人か?」

「正式な秘書ではない。後援会、地元の企業、町議、県議との間をつないでいた。表に出るより、裏で人を動かすタイプだ」

 上村が聞く。

「今も村田知事の近くにいるのか?」

「以前ほどではないらしい。村田さんが知事になってから、秘書や後援会も世代交代を進めている。久保さん自身も、少し距離を取ってるみたいだ」

「力がなくなったってことか?」

 三浦が尋ねた。

「本人に言うなよ」

「分かってるよ」

「以前ほど中心ではないけど、長年のつながりは残っている。国会議員や政党関係者にも、何人か知り合いがいると思う」

 三浦の目が輝いた。

「その人に頼んでみてくれ」

「話を聞いてくれるか、分からないぞ」

「電話してみよう」

「あとでな」

「できれば今」

 三浦は当然のように言った。

 グリフが眉を寄せる。

「お前、図々しいな」

「こういうのは、思いついたときに動いたほうがいいだろ」

 上村が時計を見た。

「まだ9時前だな」

「上村まで乗るなよ」

「電話で相談するだけならいいんじゃないか?」

「久保さんの都合もある」

「だから、電話して聞く」

 三浦は自分のスマートフォンではなく、グリフの鞄を指さした。

「お前がかけるんだよ」

「分かってる」

 グリフと久保は、町議時代を通じて親しくなっていた。

 最初の頃、久保はグリフを「田辺君」と呼んでいた。

 村田の後押しで町議になった、少し変わった若い飲食店経営者。

 それが当時の久保から見たグリフだった。

 だが、太陽光発電所問題や学校統廃合、外国人受け入れをめぐる町政に関わる中で、2人は何度も意見を交わした。

 ときには対立もしたが、互いの考え方や性格を理解するようになった。

 今では年に何度か食事をし、酒を飲む仲である。

 グリフが父の故郷であるルンザット島へ行くたび、久保には必ず土産を持っていった。

「一度は、俺もその島へ連れていけ」

 久保は何度もそう言っていた。

 最近では、田辺君ではなく、ほかの仲間と同じようにグリフと呼ぶようになっている。


 *


「分かった。電話だけしてみる」

 三浦が小さく拳を握った。

 グリフはスマートフォンを取り出し、久保の名前を選んだ。

 数回の呼び出し音のあと、低い声が聞こえた。

『もしもし』

「久保さん、ご無沙汰です。相変わらず暇ですか?」

『グリフか。暇なもんか。忙しくて鼻血が出そうだ』

「60代で鼻血を出すほど働いたら危ないですよ」

『年寄り扱いするな。それより、久しぶりに飯でも食うか』

「それもいいんですが、今日は少し別の相談です」

『金なら貸さないぞ』

「何で、みんな最初にそれを言うんですか」

『お前が珍しく夜に電話してくるからだ。何だ?』

「ちょっと珍しい人を紹介しようと思いまして」

『珍しい人?』

「芸人です」

 電話の向こうで短い沈黙があった。

『芸人?』

「本物の芸人を間近で見たことないでしょう」

『失礼なやつだな。私だって芸能人くらい見たことはある』

「テレビででしょう」

『選挙の応援に来た歌手とも握手した』

「それは、ほとんど観客じゃないですか」

『お前、相談があるんじゃないのか』

「そうでした」


 グリフは、三浦について説明した。

 かつて《ポコぽんた》というコンビでテレビに出演していたこと。

 相方が芸人を辞め、本人も仕事を失ったこと。

 再起の道として政治家を目指したこと。

 最初の動機は、もう一度有名になりたいという打算的なものだったことも隠さなかった。

 3か月間、牛丼店で働き、グリフとの偶然の再会を待っていたこと。

 憲法前文を暗唱し、倉沢モデルを国政へ持ち込むことを提案したこと。

 現在は、週に何度か勉強会を開いていることも話した。

『なるほどな』

 久保は、話の途中で口を挟まなかった。

「自分勝手で、危なっかしいところもあります。でも、軽い気持ちだけではないと思います」

『お前がそこまで面倒を見るくらいだから、面白い男なんだろう』

「今のところ、面白いのは確かです」

『国会議員になれるかは別として?』

「そこは、かなり別です」

 久保が笑った。

『分かった。会ってみよう』

「本当ですか?」

『明日でいいか』

「明日?」

 予想以上に早い返事だった。

 グリフはスマートフォンを少し離し、三浦と上村を見た。

「明日の夜、空いてるか?」

 三浦は即座にうなずいた。

「空いてる」

「俺も大丈夫だ」

 上村も答えた。

 グリフは電話へ戻った。

「2人とも夜なら都合がつくそうです。久保さんのところへ迎えに行きますよ。どこで会います?」

『今、勉強会をしていたんだろう』

「はい」

『そこでいい』

「ここですか?」

 グリフは三浦の部屋を見回した。

 六畳の部屋に、男3人が座っている。壁には直接民主制の説明を書いた模造紙。部屋の隅には畳んだ布団と、牛丼店の制服が掛けられていた。

「三浦のアパートですよ。汚くはないですが、狭いです」

 三浦が小声で言う。

「“汚くはない”は余計だろ」

 グリフは手で静かにするよう示した。

『構わん。むしろ、そのほうがいい』

「応接室のある店とかじゃなくて?」

『最初から立派な場所へ連れてこられると、相手の実物が見えにくい。本人が住んで、勉強している部屋を見たほうが早い』

「久保さんも夜で大丈夫ですか? 途中で眠くなりません?」

『年寄り扱いするなと言ったばかりだろ』

「心配してるんですよ」

『最近は、正直に言えば暇なんだ』

「さっき、鼻血が出るほど忙しいって」

『忙しいというのは、何もすることがなくて忙しいという意味だ』

「意味が分かりません」

『村田の周りも若い連中に任せるようになった。呼ばれれば顔を出すが、昔ほど私の出番はない』

 久保は少し声を落とした。

『面白そうなものを探していたところだ。なんとなく、私の好物の匂いがする』

「好物って、面倒事でしょう」

『面倒でなければ、面白くない』

 グリフは苦笑した。

「分かりました。明日、ご自宅まで迎えに行きます」

『時間は、あとで送ってくれ』

「はい。ちなみに、三浦本人もここにいます。代わりましょうか?」

 三浦が背筋を伸ばした。

 髪を手で整え、いつでも電話を受け取れるように身構える。

 しかし、久保は答えた。

『いや、今はいい』

「話さなくていいんですか?」

『初めて会う人間に、本人がどういう印象を持たせるかを知りたい。事前に話したら、余計な準備をするだろう』

 グリフは三浦を見た。

 三浦は電話の内容を聞き取ろうとして、首を伸ばしている。

「すでに準備する気満々の顔をしてますけど」

『止めるな。準備した結果がどうなるかも見てみたい』

「なるほど」

『じゃあ、明日な』

「はい。失礼します」

 グリフは電話を切った。


 *


 三浦がすぐに尋ねる。

「何て?」

「明日、ここへ来る」

「本当に?」

「ああ」

 三浦は両手を上げた。

「やった!」

「まだ何も決まってないぞ」

「でも、政党の人を紹介してもらえるかもしれないんだろ」

「久保さん自身は政党の人間じゃない。それに、お前を紹介する価値がないと思われたら、そこで終わる」

「分かってるよ」

 三浦はそう言ったが、顔は明らかに浮かれていた。

「明日は勉強会なしだな」

「政治家になるための勉強会だ」

「何を準備すればいい?」

「自分で考えろ」

「直接民主制の説明をしたほうがいいよな。スイスから話すか、アイルランドから話すか」

「最初から2時間の講義をする気か?」

「俺の経歴も説明しないと」

「それは久保さんが聞きたいところだけでいい」

「服はどうする? スーツか?」

「この部屋でスーツを着て待つのか?」

「政治家を目指す人間として、きちんとしたほうがいいだろ」

 上村は、急に進み始めた話についていけないような顔をしていた。

「ちょっと待て」

「何だ?」

「さっきまで、外国人政策とか食料安全保障を勉強しようって話だったよな」

「そうだな」

「その10分後には、政党関係者へつながるかもしれない人が、明日ここへ来ることになった」

「展開が早くていいだろ」

 三浦が言った。

「お前の人生、急に動きすぎじゃないか?」

「運が向いてきたんだよ」

「また運か」

「牛丼屋でグリフに会えたところから始まってるんだからな」

 グリフは立ち上がり、資料を鞄へ戻した。

「久保さんは、人を見る目が厳しいぞ」

「怖い人か?」

「怖くはない。ただ、話を盛ったり、格好をつけたりすると、すぐ見抜く」

 三浦の動きが止まった。

「俺、そういうの苦手かもしれない」

「お前が盛らずに話せばいいだけだ」

「芸人は、話を盛るのが仕事なんだよ」

「明日は芸人として会うんじゃない。政治家を目指す人間として会うんだ」

 三浦は、壁に貼られた模造紙を見た。

 困りごとを伝える。

 普通の人が話を聞き、考える。

 みんなで投票する。

 間違ったら、みんなで直す。

 その横には、スイスの3つの制度と、国民の拒否権という文字がある。

「分かった」

 三浦は、先ほどより少し真剣な表情になった。

「明日は、格好をつけずに話す」

「できるのか?」

 上村が尋ねた。

「やってみる」

「その答えが一番不安だな」

 三浦は2人を玄関まで見送った。

 グリフと上村が外廊下へ出る。

 扉が閉まったあと、上村が小声で言った。

「グリフ、本当に大丈夫なのか?」

「何が?」

「あいつを久保さんに会わせて」

「大丈夫かどうかを見るために会わせるんだよ」

「久保さんが面白がって、本気で動き始めたら?」

 グリフは階段の前で足を止めた。

 その可能性を、考えていなかったわけではない。

 久保は、表向きは穏やかな老人である。

 だが、昔から、普通なら避けるような難しい問題を見つけると、嬉しそうに首を突っ込むところがあった。

「そのときは、そのときだ」

 グリフが答える。

 上村は少し驚いた顔をした。

「お前まで三浦みたいなことを言うようになったな」

「そうか?」

「ああ」

 2人は古い鉄製の階段を下りた。

 部屋の中では、三浦が早くも翌日の準備を始めていた。

 ノートを開き、自分の経歴を1分で説明する文章を書こうとする。

 芸人として一度は売れたこと。

 相方に去られたこと。

 もう一度有名になりたいと思ったこと。

 直接民主制を知り、国民の声に出口をつくりたいと考え始めたこと。

 どこまで正直に話すべきか迷い、何度も書いては消した。

 やがて三浦は、ページの一番上に一文だけ書いた。

 ――私は、国会議員になりたいです。

 その下へ続く言葉は、なかなか浮かばなかった。


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