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すみれ荘には普通の人間がいない 〜元・天才フィクサーの平穏な日常は、深夜のキッチンで崩壊する〜  作者: リリリリス
【第一章:秘密を抱えた共犯者たち】

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第七話:限定メロンパンの宴と、見え隠れする本音

 私立白蘭学園の熾烈な購買戦争を勝ち抜き、無事に『限定メロンパン』を二つ、そして羽鳥栞から発注されていた海外のミステリー雑誌を確保した俺は、夕暮れの道を歩いて「すみれ荘」へと帰還した。


 古びた洋館の重いドアを開けると、微かに香る蔦と古い木材の匂いが、学校での緊張感を少しだけ和らげてくれる。だが、今の俺にとって、このシェアハウスは別の意味での緊張感が漂う空間へと変貌していた。


「あ、相沢くん! 戻ったのね!」


 リビングに足を踏み入れると、ソファから弾かれたように立ち上がったのは九条凛だった。


 ……安心したと言うべきか、呆れるべきか。彼女はすでに、学校でのあの神聖な美しさを微塵も感じさせない、例のヨレヨレの芋ジャージ姿へと完全換装していた。前髪をヘアピンで雑に上げ、セロハンテープで補強された眼鏡を光らせている。


「おい、九条さん。まだ一ノ瀬が帰ってきてないかもしれないんだぞ。少しは警戒心を持て」


「大丈夫よ。一ノ瀬くんなら、さっき『いやー、今日は本当に厄介な星の並びだったわ! マジで疲れたから、どっかでラーメン食ってから遅めに帰る!』ってメッセージをリビングのグループチャットに投げてたわ。だから、今は安全よ」


 九条さんはフンスと鼻を鳴らし、俺が差し出したレジ袋へ鋭い視線を向けた。

「それより、約束のものは? 私のメロンパンは無事なの?」


「ほらよ。購買のプロ共をフィクサーの技術でパシリの如くすり抜けて、きっちり二つ確保してきた」


 袋から取り出した、外側がカリカリのクッキー生地で覆われた大ぶりのメロンパンを見るや否や、九条さんの瞳がキラキラと輝き出した。学校の男子生徒が見たら確実に悶絶するであろう、無防備で純粋な子供のような笑顔だ。


「素晴らしいわ、相沢くん! さすがは私の専属共犯者ね! よし、これの半分は今日のあなたの分の『お給料』として分けてあげるわ!」


「二つ買ってこいって言ったのに、結局一つ半食べるつもりなのかよ……」


「当然でしょう? 私は今日、学校で完璧な『九条凛』を維持するために、信じられないほどの精神力を磨り潰したのよ。これくらい糖分を摂取しないと、脳細胞がストライキを起こしちゃうわ」


 九条さんはダイニングテーブルにドカ座りすると、メロンパンの袋を歯で豪快に引きちぎり、大きな口を開けてガブリと噛み付いた。


「んん〜〜! このサクサク感とバターの香りが最高ね……! 生きてて良かったわ……!」


 ジャージの袖で口元についたクリームを拭いながら、実に見事なズボラっぷりを披露する学園のアイドル。その様子を、いつの間にかキッチンの隅の椅子に座っていた羽鳥栞が、静かに手帳に書き留めていた。


「(……なるほど。『完璧な偶像が摂取するジャンクフードは、彼女にとっての精神的安定剤。一口ごとに、学校でのストレスが昇華されていく』……非常にリアリティのある描写だわ)」


「ちょっと羽鳥さん! だから、食べる私を観察して不穏なメモを取るのをやめてってば!」


 九条さんが顔を真っ赤にして抗議するが、栞は感情の読めない瞳のまま、俺から手渡されたミステリー雑誌へと視線を落とした。


「感謝するわ、相沢くん。この海外雑誌、日本では手に入りにくいのよ。次作の『影から事件を操るフィクサー』のプロット作りに、大いに役立ちそうだわ」


「フィクサーって……羽鳥、お前まさか俺をモデルにして小説を書くつもりじゃないだろうな」


「さあ、どうかしら。ノンフィクションの要素を取り入れたフィクションは、読者に強い説得力を与えるのよ。……それにしても、今日の放課後のあなたの手際は、本当に見事だったわ」


 栞がふと、悪戯っぽい視線を俺に向けてきた。


「学校での、あの『一秒の仕込み』。一ノ瀬くんが全く気づかないうちに、荒木くんのポケットに風紀委員長の腕章を忍び込ませるなんて。普通の高校生にできる芸当ではないわね」


 その言葉に、メロンパンを咀嚼していた九条さんがピクリと動きを止めた。


「え? 何それ。今日の放課後、学校で何かあったの?」


「ええ、九条さん。あなたの大切な共犯者が、裏で素晴らしいフィクサーぶりを発揮したのよ」


 栞は淡々と、放課後の教室で起きた出来事を九条さんに説明した。拓海の『カリスマ占い師』としての裏の顔が不良にバレそうになったこと。それを湊が影からの鮮やかな工作で救い、栞がトドメを刺したこと。


 すべてを聞き終えた九条さんは、メロンパンを持ったまま、驚愕の眼差しを俺に向けた。


「相沢くん、あなた……一ノ瀬くんのピンチを、そんな方法で助けたの? 相手に気づかれずに、風紀委員長の腕章をスるなんて……あなた、本当に何者なの?」


「ただの掃除係だ。……あの状況は、放っておけばすみれ荘の平穏が脅かされる可能性があった。拓海が退学にでもなれば、このシェアハウスの共同生活自体が維持できなくなるからな。俺は自分のモブライフを守るために、合理的な判断を下しただけだ」


 俺はポーカーフェイスを崩さず、夕食の準備のためにエプロンを締めた。今日のメニューは、冷蔵庫の残り物を使った特製のチャーハンだ。


「ふうん……。自分のため、ねぇ」


 九条さんはメロンパンを口に放り込みながら、少しだけ不満そうに頬を膨らませた。


「何よ、私の秘密を握った時はあんなに冷徹に交渉してきたくせに、一ノ瀬くんの時はそんなに素早く助けるなんて。……ちょっと不公平じゃない?」


「お前のはただの自業自得ズボラだろうが。拓海のは外部からの物理的な脅迫だ。事の重さが違う」


「む、無礼者……! 私の秘密だって、国家機密レベルで重要なのよ!」


 ぷいっと顔を背ける九条さん。しかし、その根底には、俺が「すみれ荘の住人」のために裏のスキルを使ったことに対する、奇妙な信頼感のようなものが芽生えているのが分かった。


 ザーーッ、パチパチパチ……!


 中華鍋から激しい音と香ばしい匂いが立ち上る。俺が手際よく鍋を振り、黄金色のチャーハンを仕上げていく様子を、二人の美少女がじっと見つめていた。


「はい、お待ち遠さま。今日の夕食だ」


 テーブルに並べられた出来立てのチャーハン。九条さんと栞がとスプーンを手に取り、「いただきます」と声を合わせた、その時だった。


「ただいま〜〜! いや〜、今日のラーメンは五臓六腑に染み渡ったわ〜〜!」


 ガチャリと玄関のドアが開き、予定よりも少し早く、一ノ瀬拓海が帰宅した。


 ダイニングに入ってきた拓海は、チャーハンの匂いに鼻をピクつかせ、すぐに俺たちのテーブルへと近づいてきた。


「おっ、湊! チャーハンじゃん! 俺、ラーメン食ってきたけど、湊のチャーハンなら別腹でいけるわ!」


「お前は本当にタイミングの良い野郎だな……。ほら、お前の分もあるから座れ」


 俺が皿を差し出すと、拓海は嬉しそうに席に着いた。そして、何気ない様子で、テーブルを挟んで座る俺、九条さん、そして栞の三人を見渡した。


「それにしてもさぁ……。今日の放課後、荒木の奴らが急に引いたの、今考えても不思議なんだよねぇ」


 拓海がスプーンを動かしながら、ふと呟いた。そのチャラい瞳の奥に、一瞬だけ『カリスマ占い師』としての鋭い光が宿る。


「羽鳥さんが腕章を見つけたタイミングも良すぎたし……。俺の占いのデータだと、あの時、俺のすぐ後ろを『漆黒の巨大なフィクサー』が通り抜けた運気が出てたんだよね。……ねえ、湊。本当に、君はただメロンパンを買いに行くだけだったの?」


 直球の揺さぶり。拓海は、自分が助かった理由の裏に、俺の存在があることを本能的に察知し始めているのだ。


 ダイニングの空気が、一瞬で張り詰めた。


 テーブルの下で、九条さんが息を呑む気配がする。栞もスプーンを止め、俺がどう切り抜けるかを観察している。


 だが、俺は長年の修羅場で培った『天才フィクサー』の笑みを、心の中だけで浮かべた。この程度の追及、想定の範囲内だ。


「ああ、メロンパンのために必死だったよ。……それより拓海、お前がさっき言ってた『漆黒の巨大な星』っていうの、もしかしてこれのことじゃないか?」


 俺はレジ袋の奥から、九条さんに見つからないように隠しておいた『もう一つの限定メロンパン(焦がしチョコレート味)』を引っ張り出し、拓海の目の前に突きつけた。それは表面が真っ黒に焼き上げられた、数量限定の激レア商品だった。


「うおっ!? 幻の『漆黒の焦がしチョコメロンパン』じゃん!? これ、購買で一瞬で売り切れるやつ!」


 拓海の目が、一瞬で子供のように輝いた。


「そう。俺はあの時、荒木たちの後ろを通って、この『漆黒の星』をギリギリで掴み取ったんだよ。お前が感じた運気ってのは、このチョコの香ばしい匂いのことじゃないか?」


「ギャハハハ! マジかよ! 湊、君のメロンパンへの執念、星の運命をも変えるレベルじゃん! 最高だわ、それ俺にちょうだい!」


 拓海はすっかり丸め込まれ、嬉々として黒いメロンパンを奪い取った。


 彼の疑惑は、再び俺の「徹底したモブ・パシリ属性」というカモフラージュによって完璧に上書きされたのだ。


 横で、九条さんが「な、なるほどね……」と小さく安堵のため息を漏らし、栞はフッと満足そうに口元を緩めてチャーハンを口に運んだ。


 誰も気づかないうちに、影で完璧に問題を解決し、日常を平穏へと導く。


 すみれ荘の夜は、こうして再び、賑やかで歪な「共犯者たちの宴」へと戻っていくのだった。


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