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すみれ荘には普通の人間がいない 〜元・天才フィクサーの平穏な日常は、深夜のキッチンで崩壊する〜  作者: リリリリス
【第一章:秘密を抱えた共犯者たち】

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第六話:放課後の占い師と見えない手札

 昨夜のすみれ荘での狂騒劇から一夜明け、私立白蘭学園にはいつもと変わらない、退屈なほど平和な朝が訪れていた。


 燦々と降り注ぐ朝の光を浴びながら、俺——相沢湊は、教室の窓際の席で頬杖をつき、校庭で行われている体育の授業をぼんやりと眺めていた。


(昨夜は本当に寿命が縮まるかと思ったが……ひとまずは安定期に入った、と思いたい)


 思い出すのは、ダイニングテーブルの下で芋ジャージ姿のまま縮こまっていた学園のアイドル・九条凛の姿だ。彼女は今日、いつにも増してガードが堅い。朝、校門ですれ違った際も、周囲に無数の男子生徒を引き連れながら、俺には一瞥もくれずに通り過ぎていった。


 それでいい。学校では赤の他人。それこそが、俺が望む平穏なモブライフの絶対条件なのだから。


 ——ピコン。


 思考を遮るように、ポケットの中のスマートフォンが微かに震えた。


 教師の目を盗んで画面を確認すると、送り主は「九条凛」となっていた。学校で目も合わせないくせに、メッセージアプリの通知だけは容赦なく飛んでくる。


『今日の放課後、購買の限定メロンパンを二つ確保しなさい。お礼に、今日の夕食の皿洗いを一回免除してあげるわ』


 相変わらずの、女王様気質なパシリ命令だ。だが、皿洗い免除という実利的な対価を提示してくるあたり、彼女も少しずつ「共犯者としての交渉」に慣れてきているらしい。俺は小さくため息をつき、画面に『了解』の一言だけを返してスマホをポケットに仕舞った。


 そんな奇妙な二重生活を送りながら、時間はあっという間に放課後へと流れる。


 キーンコーンカーンコーン……。


 終業のチャイムが鳴り響くと同時に、俺は速やかに席を立った。九条さんから命じられた「限定メロンパン」の争奪戦に勝利するため、そして何より、これ以上面倒な人間たちに絡まれる前に学校を脱出するためだ。


 しかし、俺のその目論見は、教室の入り口付近で起きていた「ある異変」によって阻まれることになる。


「おい、一ノ瀬。ちょっとツラ貸せよ」


 低く、威圧的な声が教室の空気を凍りつかせた。


 見れば、教室のドアの前に、他クラスのいわゆる「不良グループ」のリーダー格である男子生徒と、その取り巻きたちが数人立っていた。彼らが取り囲んでいるのは、バッグを肩にかけ、今まさに帰ろうとしていた一ノ瀬拓海だった。


「あれ〜? どこの星の王子様かと思ったら、他クラスの荒木くんじゃん。俺に何か用? 今日の運勢なら、あんまり良くないから寄り道せずに帰った方が身のためだよ?」


 拓海はいつもと変わらない、へらへらとしたチャラい笑みを浮かべて調子を合わせている。だが、その目は笑っていなかった。


「ふざけてんじゃねえぞ。お前、ネットで『顔を隠したカリスマ占い師・タク』とかいう名前で小遣い稼ぎしてるだろ」


 荒木の一言に、俺の周囲の生徒たちが「え?」「占い師?」とざわつき始めた。


 拓海の身体が、一瞬だけ目に見えないレベルで硬直したのを、俺の目は見逃さなかった。裏の顔である「カリスマ占い師」の素性が、なぜか荒木たちに割れている。


「何のことかな〜? 俺、オカルトは好きだけど、ネットでそんな大層なことしてないって」


「白々しいんだよ。お前のスマホの画面、こないだストリートで占いやってる時に、ウチのダチがバッチリ後ろから見てたんだよ。お前がその占いのアカウントで、政財界の裏情報とか扱って荒稼ぎしてるってことも、全部調べてあるんだわ」


 荒木が拓海の胸ぐらを掴み、顔を近づける。


「学園の規則で『許可のない副業』は一発退学だ。それに、お前が裏で集めてるっていう『情報』、俺たちにも回してもらおうか。……断ったら、今すぐこの場でスマホを取り上げて、職員室にぶち込んでやるよ」


 最悪の脅迫だった。


 学校にバレれば退学。荒木たちに情報を握られれば、拓海の「カリスマ占い師」としてのネットワークは彼らの恐喝の道具にされてしまう。


 拓海はへらへらとした笑みを崩さないようにしているが、その額には薄らと冷や汗が浮かんでいた。さすがの情報モンスターも、物理的な暴力と、学校のルールという正面からの奇襲には手札が足りないらしい。


(やれやれ……。放っておけば拓海は退学か、不良のパシリだな)


 俺は教室の隅で、冷徹に状況を分析していた。


 すみれ荘のルールは『住民のプライベートに立ち入らないこと』。だが、住人が一人欠ければ、すみれ荘の共同生活のバランスは崩れる。何より、拓海が破滅すれば、芋づる式に俺たちの「共犯関係」にも捜査の目が向く可能性がある。


(誰も気づかないうちに、影で完璧に問題を片付ける。……それが、フィクサーの仕事だ)


 俺はスッと気配を消し、不良たちの背後へと回り込んだ。彼らの注意は完全に拓海に向いている。


 俺は荒木の取り巻きの一人、一番体格のいい男のポケットに目を留めた。彼のポケットからは、学園の最高権力者である「風紀委員長」の腕章が、なぜか覗いていた。おそらく、没収したか盗んだものだろう。


 俺は歩く振動を完全に殺し、その男とすれ違いざまに、神業のような指先の動きでその『風紀委員長の腕章』を抜き取った。男は何も気づいていない。


 そのまま俺は、荒木の真後ろを通り抜ける。その一瞬の間に、荒木の制服のバックポケットに、抜き取った腕章を「わざと半分覗かせるように」滑り込ませた。


 仕込みは完了だ。時間は、わずか五秒。


「おい、一ノ瀬。観念してスマホを出せよ——」


「——そこまでに、しておきなさい」


 廊下から、氷の刃のような冷徹な声が響いた。


 現れたのは、文庫本を片手にした羽鳥栞だった。


彼女は冷ややかな瞳で、荒木たちを見据えている。


「羽鳥……? テメエ、引っ込んでろ!」


「引っ込むのはあなたたちよ、荒木くん。……あなたの後ろのポケット、随分と面白いものが覗いているわね」


 栞の言葉に、荒木がハッとして自分の後ろポケットに手をやった。そこから出てきたのは、紛れもない『風紀委員長の腕章』だ。


「なっ、なんでこれがここに……!?」


「風紀委員長の物品の窃盗、および所持。それは学園内において、占いの噂話などよりも遥かに重い『一発停学』の対象よ。今朝、風紀委員長が『腕章が盗まれた』と大騒ぎしていたわ。……今すぐそこから立ち去らなければ、私がこのまま職員室へ通報するけれど?」


 栞は淡々と、しかし決定的な一撃を放った。彼女は放課後の図書室から移動する際、俺の「仕込み」を完璧に察知し、即座にそれに合わせたセリフで荒木たちを追い詰めたのだ。見事な連携だった。


「く、クソが……! 行くぞ!」


 腕章を突きつけられた荒木たちは、これ以上の騒ぎを恐れて、拓海を解放して大慌てで教室から逃げ去っていった。


 静まり返った教室。


 拓海は深く息を吐き、乱れた制服の襟元を整えると、俺と栞の方を振り返った。


「ふぅ……助かったよ、羽鳥さん。まさか荒木の奴があんなもの盗んで持ってたなんてさ。おかげで命拾いしたわ」


「お気になさらず。私はただ、図書室へ向かう途中で、見苦しい喧嘩を見かけただけだから」


 栞は何食わぬ顔で文庫本をバッグに仕舞った。彼女は、荒木が腕章を持っていたのではなく「相沢湊が仕込んだ」という真実に気づいている。だが、それを拓海の前では絶対に口にしない。


 拓海はへらへらと笑いながら、今度は俺の方へと視線を向けてきた。


「それにしてもさぁ、湊。君、さっき荒木たちの後ろを通った時、なんか『面白い動き』してなかった?」


 鋭い。さすがはカリスマ占い師、危機を脱した瞬間に、周囲の違和感をすぐに見つけ出してきた。


「何のことだ。俺はただ、九条さんから頼まれた限定メロンパンの販売時間が迫ってたから、急いで通り抜けただけだ」


 俺はポケットからスマホを取り出し、九条さんからの『メロンパン確保』のメッセージを拓海の目の前に突きつけた。これ以上のカモフラージュはない。


「うわ、本当だ! 九条さんからパシリの命令じゃん! ギャハハ、湊、相変わらず良いように使われてるねぇ!」


 メッセージを見た拓海は、一瞬で疑惑の目を曇らせ、大爆笑し始めた。


 荒木が言っていた「占い師の裏の顔」の恐怖よりも、俺と九条さんのコミカルな主従関係(共犯関係)の方が、彼にとっては遥かに魅力的な情報のようだった。


「やれやれ……笑ってないで、俺はもう行くぞ。売り切れたら九条さんに何をされるか分からないからな」


「あはは、頑張ってね、湊! 今日の君の運勢は『パシリ運・大吉』だからさ!」


 拓海はすっかり上機嫌になり、自分のピンチを救ったのが「俺の神業の隠蔽工作」だとは夢にも思わないまま、カバンを揺らして帰路についた。


 誰も気づかないうちに、影で完璧に問題を解決する。


 拓海は俺の実力を確信し始めているが、決定的な証拠はどこにもない。それが、元フィクサーである俺のやり方だ。


「お見事だったわ、相沢くん。……今の鮮やかな手際、私の小説の『影のヒーロー』のアクションシーンとして、そっくりそのまま使わせてもらうわね」


 横から、栞がノートにサラサラとペンを走らせながら、静かに微笑んだ。


「羽鳥、お前が裏で話を合わせてくれなきゃ危なかったよ。……ほら、メロンパンが売り切れる。行くぞ」


「ええ。私も、九条さんがメロンパンを貪り食う『ズボラなディテール』を観察したいから、一緒に行くわ」


 夕日に染まる校舎を歩きながら、俺は小さく息を吐いた。


 トラブルを片付けるたびに、すみれ荘の住人たちの「絆」のようなものが、少しずつ、しかし確実に深まっていくのを感じていた。

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