第四十一話:サーモグラフィ(体表温度)のサウナトランスと肉汁大噴出する極厚とろとろ豚角煮のスタミナ爆弾カツ
グラウンドに吹きすさぶ北風が、窓ガラスをガタガタと威嚇するように揺らす放課後。
生徒会室の中は、暖房が効いているにもかかわらず、シベリアの永久凍土を思わせる冷酷な空気に支配されていた。俺——相沢湊は、いつものように「平均点モブ」の無害な顔を作り、パイプ椅子に背筋を伸ばして座っている。
だが、デスク越しに俺を見据える生徒会長・西園寺玲王の横には、三脚に固定された物々しいレンズを持つ大型の特殊カメラが据えられていた。
「相沢くん。人間は、声帯も、心拍も、脳波も、さらには表情筋の痙攣すらも、非科学的な精神力でねじ伏せることができるのかもしれない。……だが、自律神経が支配する『毛細血管の血流』だけは、絶対に誤魔化せない」
西園寺は手元のタブレットをスワイプし、俺の全身を赤や青の色分布で映し出すリアルタイム映像を表示させた。
「これは『超高感度・赤外線サーモグラフィ解析システム』だ。人間が嘘をつき、脳にストレスがかかった瞬間、顔面——特に鼻や目の周りの毛細血管が拡張し、体表温度がコンマ数度上昇する。いわゆる『ピノキオ効果』と呼ばれる現象だ。……さあ、相沢くん。君のその冷え切った仮面の下で、裏社会の天才フィクサー『M』の血がどれほど熱く滾っているのか、その熱量で証明してもらおうか?」
西園寺のレンズの奥の瞳が、俺の皮膚の下を流れる血液の温度まで測ろうとするかのように鋭く光る。もし俺がこの瞬間に、ほんの少しでも「言い訳」の論理を脳内で組み立て、顔面に血が上れば、AIが即座にそれを『偽証の熱源』として摘発する。
(ついに俺の体温まで管理し始めたか。どこまでも体中を丸裸にしようとする男だ。……だが、俺の熱を測ろうとしたこと、脳の処理限界を超えさせてトラウマにしてやる)
俺はブレザーのポケットの中で、あらかじめ仕込んでおいた小型デバイスのスイッチを人差し指で強く押し込んだ。すみれ荘の共犯者たちへ放つ、反撃のターン開始の合図だ。
その瞬間、生徒会室の窓の外——完全に分厚い氷が張った学園の屋外プールの方角から、「いやぁぁぁーーーっ! 誰か助けてぇぇぇ! 私は人間カーリングストーンじゃないわーーー!?」という、九条さんの凄まじく響き渡る悲鳴が聞こえてきた。
西園寺が驚愕して窓の外を見下ろすと、そこには、学園が冬期のプール管理のために導入したばかりの『全自動・氷上清掃用大型ホバークラフト』のバンパーにしがみつき、カチコチに凍ったプールの上を時速100キロ近い猛スピードで超高速旋回させられている九条さんの姿があった。
裏で拓海がホバークラフトのジャイロセンサーをハッキングして限界突破させ、氷上を爆走する「超高速ロータリーマシーン」へと魔改造して大暴走させているのだ。九条さんは四方八方に削り取られた氷の飛沫を全身に浴びながら、恐ろしい速度でリンクの上をスピンし続けていた。
「な……何だあの摩擦係数を無視した遠心力は……!? 九条のやつ、なぜホバークラフトにしがみついて人間カーリングを極めているんだ……!?」
西園寺が驚愕のあまり完全に窓際へと吸い寄せられ、サーモグラフィ解析モニターから完全に目を離した。
そのわずか一秒に満たない死角。インカムから、栞の極めて小気味良いエンターキーのターン音が滑り込んできた。
『——私の描く極楽浄土へようこそ、傲慢な生徒会長。最先端の熱源マッピングを、今から最高に「ととのう」バグに書き換えてあげるわ』
次の瞬間、西園寺の手元の解析モニターの中で、俺の体表温度データが致命的なバグを引き起こした。
最新のAIが、俺の体温変化を『サウナ愛好家の温冷交代浴によるディープリラックス状態』と完全誤認。画面内の俺のサーモ映像が突如として、頭にタオルを乗せたドット絵の中年男性に変形し、真っ赤に燃え上がる「摂氏100度のサウナモード」から、一気に真っ青な「水風呂モード」へと切り替わり、最後は画面全体が虹色に輝き始めたのだ。
さらに、熱源ステータスは『感情:サウナトランス1000%(ととのいモード)』と判定され、スピーカーからは「アアァァ〜……、ととのうワァ〜……(CV:渋いおじさんのエコー音声)」という破壊的な合成音声が爆音でリピート再生され始めた。
「な、何なんだこの極楽浄土は……!? 彼の顔面温度が……『サウナのおっさんのトランス状態』に変換されているだと……!? 彼の鉄仮面の下は、スーパー銭湯だというのか……!?」
西園寺が窓際から戻り、モニターを見た瞬間、あまりのシュールさと激しい「ととのい」コールに脳の論理回路が完全に崩壊し、激しい眩暈を起こしたようにデスクを掴んでよろめいた。過剰な温度変化エフェクトを強制されたスキャナーは、そのまま画面いっぱいに「♨(温泉マーク)」のスタンプを表示させたまま、完全にフリーズした。
「あの、西園寺会長……。僕の体温、そんなに仕上がってましたか?」
俺がわざとらしく首をかしげて尋ねると、西園寺は完全に精神のコアを破壊された様子で、蒼白な顔で椅子に崩れ落ちた。
「……いや、赤外線センサーが近くの銭湯のボイラー熱を誤検知したに違いない。相沢くん、もういい……。頭の中で『ととのうワァ』がリフレインして思考が完全に蒸発した。今日の面談は終わりだ。早く帰ってくれ……」
完璧な科学の檻が、サウナバグによって粉砕された屈辱。西園寺が深い絶望の中でこめかみを押さえるのを見届け、俺はペコリと頭を下げて生徒会室を後にした。
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夜十一時。
極限の体温制御と、極寒の屋外プールでの「爆速カーリング」工作を終え、すみれ荘のドアを開けると、そこには案の定、完全に力尽きた三人の姿があった。
「おかえり、相沢くん……。もう、暴走するホバークラフトにしがみついて氷の飛沫を全身に浴びまくったから、耳と鼻の感覚が完全にログアウトしたよ……。さむい……」
九条さんが、ソファの上で毛布にくるまりながら、顔を真っ青にしてガタガタと激しく震えていた。いつものキラキラしたトップアイドルのオーラは消え失せ、本当に氷の彫刻のように固まってしまっている。
「俺も……極寒のプールサイドでホバーの旋回角をプロポでミリ単位制御してたから、指先の神経が完全に凍死したぜ……。星の巡りも『今夜は揚げたての分厚い肉塊で内臓を火傷させろ』って叫んでる……」
拓海が、ストーブに張り付くようにして倒れ込みながら、うわ言のように呟く。
「……脳の温度シミュレーション回路が完全に焼き切れたわ」
栞もまた、ノートPCの横でぐったりと突っ伏していた。
「相沢くんの微細な体温変化をリアルタイムでサウナおじさんのトランス状態に変換するなんて、私のシナリオ脳が限界突破したわ。相沢くん、今夜は私たちのこの凍え切った身体とすり減った脳細胞に、圧倒的な熱量と、油の暴力を注ぎ込んでちょうだい」
限界の一歩先で戦い抜いた共犯者たち。
俺はブレザーを脱ぎ捨て、黒いエプロンをきつく締め直そうとした。
だが、その前に、ソファでガタガタと震え、耳を真っ赤(というより紫色に近い)にしてうずくまっている九条さんの姿が目に留まった。
「……おい、九条さん」
「ふぇ? あ、相沢、くん……? ひゃっ!」
俺は自分の部屋から、俺自身が冬場に着ている、厚手で裏起毛のオーバーサイズのパーカーを持ってくると、それを頭からすっぽりと彼女に被せた。
そして、パーカーのフードの上から、彼女の冷え切って硬くなった両耳を、俺の温かい両手で包み込むようにして優しく揉みほぐし始めた。
「あっ……」
俺の手のひらから伝わる熱と、分厚い布地の温もりが、彼女の凍りついた耳の毛細血管をじんわりと溶かしていく。
「耳や鼻みたいな末端部分はすぐに凍傷になる。お前のその自慢のアイドルスマイルも、耳がちぎれたら台無しだからな。しっかり血流を戻せ」
俺は努めて冷淡な、あくまで「道具のメンテナンス」だというトーンを装いながら、親指で彼女の耳の裏を優しく撫でるようにして温もりを行き渡らせる。
「…………ん……」
耳から伝わる熱に、九条さんは次第に震えを止め、心地よさそうに目を細めた。彼女の小さな体が、俺の大きなパーカーにすっぽりと包まれている姿は、どこか庇護欲をそそるものだった。
そして、九条さんはパーカーの襟元をギュッと両手で掴み、鼻先を押し付けるようにして深呼吸をした。
「……相沢くんの匂いがする。すごく、安心する匂い……あったかいね」
至近距離で見つめてくる彼女の瞳は潤んでおり、俺の手のひらの中にある耳が、寒さではなく、明確な「熱」によってみるみるうちに鮮やかな赤色に染まっていくのが分かった。
トクン、と。
俺の胸の奥で、西園寺のどんな高性能サーモグラフィでも絶対に計測不能な、危険な熱源のスパイクが跳ね上がった。無防備に俺の服に包まれ、体温を委ねてくる彼女の姿が、元・天才フィクサーの冷徹な計算回路を容赦なくメルトダウンさせていく。
「……もう十分に血が巡ったろ。あとはストーブの前で大人しくしてろ」
俺はこれ以上自分の顔面の体表温度が上昇して「ピノキオ効果」を引き起こすのを誤魔化しきれず、慌てて手を離し、逃げるようにキッチンへと向かった。
背後で、九条さんが俺のパーカーの袖を大事そうに抱きしめながら、「もう……相沢くんってば、本当にズルいんだから……」と、幸せそうに小さく微笑む気配が伝わってきた。
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「よし、お前ら。今夜は、その凍りついた身体とすり減った神経を一瞬でサウナ並みに沸騰させる、すみれ荘至高のスタミナ揚げ物飯だ。『特製・極厚とろとろ豚角煮のサクサク爆弾カツ 〜焦がしにんにく甘辛ソースと濃厚マヨネーズの土石流〜』を作る」
そのメニュー名が響いた瞬間、リビングの空気が一変し、三人の目が、飢えた肉食獣のようにギラリと輝いた。
角煮カツ。それは、ただでさえ箸で切れるほどトロトロに煮込まれた豚の角煮を、あろうことか衣で包んで極厚のカツにしてしまうという、カロリーと脂の理を完全に無視した、胃袋を蹂躙する最高峰の背徳料理だ。
俺が冷蔵庫から取り出したのは、昨日から特製の醤油ダレでじっくりと煮込み、脂身がゼラチン状になるまで柔らかく仕上げておいた、厚さ約四センチの巨大な豚バラブロック肉(角煮)。
これを冷やして固めた状態のまま、たっぷりの小麦粉、卵、そして粗めの生パン粉をしっかりと二重にまぶしつける。
鍋にたっぷりの油を注ぎ、180度の高温に熱する。
そこに、極厚の角煮爆弾を静かに滑り込ませた。
```
——ジュワァァァァァァァァッッッ!!!
```
凄まじい爆音と共に、パン粉がキツネ色に揚がる香ばしい匂いと、内側に閉じ込められた豚脂の甘い香りが一気にリビングへと解き放たれた。空腹の胃袋にダイレクトアタックを決める凶悪な匂いだ。
中身はすでに火が通っているため、外の衣がカリッカリの黄金色になれば引き上げの合図だ。
ザクッ、ザクッ、と。
包丁を入れた瞬間、小気味良い衣の音と共に、中から琥珀色に輝くとろとろの角煮の断面が姿を現し、濃厚な肉汁とタレの香りが湯気となって立ち上った。
山盛りにした千切りキャベツの上に、この極厚の角煮カツをドカンと鎮座させる。
仕上げはソースだ。角煮の煮汁をベースに、すりおろしにんにく、黒胡椒、そしてほんの少しの黒酢を加えて煮詰めた「焦がしにんにく甘辛特製ソース」を、熱々のカツの上からダクダクと回しかける。さらにその上から、自家製の濃厚マヨネーズを網の目状にたっぷりと投下した。
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「さあ、衣が肉汁を吸ってへたる前に、豪快に噛みちぎれ」
目の前に置かれた大皿は、まさにカロリーの活火山だった。黒光りするにんにくソースとマヨネーズの土石流が、黄金色の極厚カツの山脈を完全に飲み込んでいる。
三人は、限界を迎えた胃袋に突き動かされるように、一斉に箸を突き立てた。
九条さんが、タレとマヨがたっぷりと絡んだ極厚の一切れを、ハフハフと息を吹きながら大きな口を開けて頬張った。
次の瞬間、彼女の瞳が衝撃で大きく見開かれ、身体がビクッと震えた。
「————っっっ!!! んんん〜〜〜〜〜っっっ!!! サクサク! なのに、お口の中でお肉が溶けちゃったよ、相沢くん!」
九条さんが、俺のパーカーの袖を汚さないようにまくり上げながら、幸せのあまり身悶えして叫んだ。さっきの凍りついていた顔から一転、今は顔中が「幸福の熱源」で真っ赤に染まっている。
「外側の衣が信じられないくらいサクサクで香ばしいのに、噛んだ瞬間に中からトロットロの角煮の脂と甘辛いお肉の旨味がジュワァァァって大噴出してくるの! そしてこのにんにくソースとマヨネーズ……! ガツンとくるパンチとまろやかなコクがもの凄く濃厚なのに、ほんの少しの黒酢の酸味が全体を引き締めて、もう脳みそが完全にショートしそう! キャベツと一緒に食べると、タレと脂の旨味が全部絡み合って、白米が秒速で消えちゃう! 凍えてた身体が、一瞬でポカポカのサウナ状態よ!」
「うおーっ、美味すぎる!! なんだこの食感の暴力は!」
拓海が、額の汗を拭うのも忘れて、タレが染み込んだご飯ごとカツを豪快に口に放り込んでいる。
「衣のサクサク感と肉のトロトロ感のギャップが強烈すぎて、箸がマジで止まらねえ! にんにくの熱量で、寒さで死んでた指先の神経が一気に覚醒していくのが分かるぜ! このタレとマヨが混ざったキャベツだけで、丼飯が三杯食える!」
「……至高の温度差ね」
栞もまた、恍惚とした表情でカツを頬張り、眼鏡を曇らせていた。
「揚げたての衣という『圧倒的な外部熱量』と、内側に秘められた角煮という『熟成された旨味のコア』。西園寺くんがどれだけ冷徹にこちらの体表温度をスキャンしようとも、この角煮カツがもたらす圧倒的な至福の熱量の前には、彼のAIなどただの冷たい氷の粒に過ぎないわね。この共犯関係の美味しさは、誰にも暴けないわ」
深夜のすみれ荘に、ただひたすらにカツを噛み砕き、白米を掻き込む幸福な咀嚼音だけが響き渡る。
俺自身も、自分の分の角煮カツを口に運び、その突き抜けるような美味さに小さく息を吐いた。
濃厚なにんにくソースの風味と、サクサクの衣、そして口の中で跡形もなく解ける角煮の旨味。それが一日中モブを演じ、裏工作を仕掛け続けた俺の身体を、最高に心地よく満たしていく。
西園寺玲王。お前は科学の力と温度の波で、俺たちを孤独なシステムの中に追い詰めようとしている。だが、お前がどれだけ網を絞ろうとも、俺たちにはこの食卓がある。同じ飯の美味さに感動し、互いの窮地を笑いながら救い合う、この歪で、けれど絶対に壊れない絆がある。
ふと見ると、隣に座る九条さんが、俺の大きなパーカーを着たまま、じっとこちらを見つめていた。その瞳には、さっき耳を温めた時の、ほんのりとした熱がまだ確かな色として宿っている。
「……相沢くん」
「ん? なんだ、衣が口の端についてるぞ」
「えへへ。……ねえ、相沢くん。私、相沢くんのご飯も、相沢くんの服の匂いも、全部大好きなんだって、今日改めて気付いちゃった!」
その直球すぎる笑顔と爆弾発言の直撃を受け、俺は危うく食べていた角煮カツを喉に詰まらせそうになり、激しくむせながら視線を逸らした。胸の奥の不自然な高鳴りと顔面の温度上昇は、どうやらこの強烈なガーリックと揚げ物の熱量だけのせいではなさそうだ。
「お、おい、九条さん! 寝ぼけたこと言ってないで早く食え! キャベツがおかわりを待ってるぞ!」
「はーい! 満腹中枢はとっくにサウナで溶けちゃったもん! あとお肉二切れとマヨネーズ追加お願い!」
「あはは、俺もおかわり! 湊、明日の西園寺の『ととのい・トラウマ報告書』の顔を見るのが今から楽しみだな?」
「……私の小説の第十六章は、西園寺くんの『サウナおじさん恐怖症』で決定ね」
夜が更けていくすみれ荘。
窓の外では冬の寒風が冷たく吹き荒れているが、このダイニングテーブルを包む角煮カツの熱気と、共犯者たちの暖かな笑い声、そして、オーバーサイズのパーカーの中で静かに、けれど確実に育まれ始めた二人の熱量は、どんな策謀の影をも寄せ付けないほどに、どこまでも優しく、力強く燃え上がっていた。




