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すみれ荘には普通の人間がいない 〜元・天才フィクサーの平穏な日常は、深夜のキッチンで崩壊する〜  作者: リリリリス
【第二章:共犯者たちの学園狂騒曲】

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第四十話:微細表情(マイクロエクスプレッション)の萌え系VTuberと、とろけるラクレットチーズ雪崩れる極厚骨付きスペアリブ

グラウンドに張られた薄氷が、夕日に反射して冷たく光る放課後。

生徒会室の空気は、これまでで最も張り詰めた、針のむしろのような緊張感に支配されていた。俺——相沢湊は、無害な「平均点モブ」の表情を顔面に貼り付けたまま、パイプ椅子に腰を下ろしていた。

だが、デスク越しに俺を見据える生徒会長・西園寺玲王の手元には、これまで以上に凶悪な形をした三眼レンズのカメラが鎮座していた。


「相沢くん。人間は、声も、心拍も、脳波すらも、極限の訓練を積めば偽装できるのかもしれない。……だが、人間の顔面を構成する『四十三の表情筋』が引き起こす、コンマ数秒の無意識の痙攣だけは、絶対に制御不可能だ」


西園寺は冷酷な笑みを浮かべ、手元のモニターに俺の顔のドアップ映像を映し出した。顔の至る所に、無数の緑色のトラッキングポイントがマッピングされている。


「これは『超高精度・微細表情マイクロエクスプレッション解析システム』だ。君が特定の質問に対して、ほんの一瞬——1000分の1秒でも『焦り』や『安堵』の表情筋を動かせば、AIがそれを『偽証のサイン』として即座に摘発する。……さあ、相沢くん。君のその鉄仮面の下に隠された、裏社会の支配者『M』の素顔を、今ここで暴かせてもらおうか?」


西園寺のレンズの奥の瞳が、俺の顔面の皮膚を一枚一枚剥がそうとするかのように鋭く光る。もし俺がこの瞬間に、ほんの少しでも「言い訳」を考えようとして眉間や口角の筋肉を無意識に動かせば、すべてが終わる。


(ついに筋肉の繊維一本一本まで監視し始めたか。どこまでも執念深い男だ。……だが、俺の表情を読み取ろうとしたこと、脳の処理限界を超えさせて後悔させてやる)


俺はブレザーのポケットの中で、あらかじめ仕込んでおいた小型デバイスのスイッチを親指で強く弾いた。すみれ荘の共犯者たちへ放つ、反撃のターン開始の合図だ。


その瞬間、生徒会室の窓の外——極寒のグラウンドから、「いやぁぁぁーーーっ! 誰か助けてぇぇぇ! 氷上のプリンセスって物理的にこういうことじゃないわーーー!?」という、九条さんの凄まじく響き渡る悲鳴が聞こえてきた。


西園寺が驚愕して窓の外を見下ろすと、そこには、学園が冬のイベント用にグラウンドに設営した特設アイスリンクの上で、巨大な『エンジン式・スケートリンク整氷車ザンボニー』の後部にしがみつき、時速80キロの猛スピードで凄まじいドリフト走行を繰り返している九条さんの姿があった。

裏で拓海が整氷車の制御コンピューターをハッキングして限界突破させ、氷上を爆走する「超高速ドリフトマシーン」へと魔改造して暴走させているのだ。九条さんは四方八方に削り取られた氷の飛沫を浴びながら、恐ろしい速度でリンクの上をスピンし続けていた。


「な……何だあの摩擦係数を無視したコーナリングは……!? 九条のやつ、なぜ整氷車にしがみついてトリプルルッツの軌道を描いているんだ……!?」


西園寺が驚愕のあまり完全に窓際へと吸い寄せられ、微細表情解析モニターから完全に目を離した。

そのわずか一秒に満たない死角。インカムから、栞の極めて楽しげなエンターキーのターン音が滑り込んできた。


『——私の描くバーチャル空間へようこそ、傲慢な生徒会長。最先端の表情筋マッピングを、今から最高に「萌える」バグに書き換えてあげるわ』


次の瞬間、西園寺の手元の解析モニターの中で、俺の顔面データが致命的なバグを引き起こした。

最新のAIが、俺の微細な表情筋の動きを『超絶萌え系・ケモミミ美少女VTuberの3Dアバター』の制御信号と完全誤認。画面内の俺の顔面映像が突如としてピンク色のツインテールと猫耳を持つ美少女アバターに変形し、俺のまばたきや呼吸に連動して、アバターが画面の中で「にゃんにゃん!」と激しくウインクをし、両手でハートマークを作りながら狂ったように萌えダンスを踊り始めたのだ。


さらに、表情ステータスは『感情:ご主人様への愛1000%(きゅんきゅんモード)』と判定され、スピーカーからは「み〜んなのハートに、萌え萌えキュンッ!(CV:激甘ロリボイス)」という破壊的な合成音声が爆音で鳴り響いた。


「な、何なんだこのバーチャル受肉は……!? 彼の表情筋が……『ケモミミ美少女のファンサ』に変換されているだと……!? 彼の鉄仮面の下は、こんなピンク色の空間だというのか……!?」


西園寺が窓際から戻り、モニターを見た瞬間、あまりのシュールさと激しい「にゃんにゃん」コールに脳の論理回路が完全に崩壊し、激しい眩暈を起こしたようにデスクを掴んでよろめいた。過剰な3Dレンダリング処理を強制されたスキャナーは、そのまま画面いっぱいに「投げ銭ありがとうにゃん!」のスタンプを表示させたまま、完全にフリーズした。


「あの、西園寺会長……。僕の顔面、そんなに萌え萌えしてましたか?」


俺がわざとらしく首をかしげて尋ねると、西園寺は完全に精神のコアを破壊された様子で、蒼白な顔で椅子に崩れ落ちた。


「……いや、カメラのレンズが未知のサブカルチャー電波を受信したに違いない。相沢くん、もういい……。頭の中で『萌え萌えキュン』がリフレインして思考がまとまらないんだ。今日の面談は終わりだ。早く帰ってくれ……」


完璧な科学の檻が、VTuberバグによって粉砕された屈辱。西園寺が深い絶望の中でこめかみを押さえるのを見届け、俺はペコリと頭を下げて生徒会室を後にした。


---


夜十一時。

極限の表情制御と、極寒のアイスリンクでの「爆速ドリフト」工作を終え、すみれ荘のドアを開けると、そこには案の定、完全に力尽きた三人の姿があった。


「おかえり、相沢くん……。もう、暴走する整氷車にしがみついて全身に削りたての氷を浴びまくったから、顔の筋肉が完全に凍りついて、まばたきすら上手くできないよ……。さむい……」

九条さんが、ソファの上で毛布にくるまりながら、顔を真っ青にして小動物のように震えていた。いつもの表情豊かなアイドルの面影は消え失せ、本当に氷の彫刻のように固まってしまっている。


「俺も……極寒のリンクサイドで整氷車のドリフト角をプロポでミリ単位制御してたから、指先の神経が完全に凍死したぜ……。星の巡りも『今夜は骨の髄までしゃぶり尽くす肉を出せ』って震えてる……」

拓海が、ストーブに張り付くようにして倒れ込みながら、うわ言のように呟く。


「……脳の3Dモデリング回路が完全に焼き切れたわ」

栞もまた、ノートPCの横でぐったりと突っ伏していた。

「相沢くんの無表情をリアルタイムでケモミミ美少女の超絶アイドルスマイルに変換するなんて、私のシナリオ脳が限界突破したわ。相沢くん、今夜は私たちのこの凍え切った身体とすり減った脳細胞に、圧倒的な肉の暴力と、ドロドロの熱量を注ぎ込んでちょうだい」


限界の一歩先で戦い抜いた共犯者たち。

俺はブレザーを脱ぎ捨て、黒いエプロンをきつく締め直そうとした。

だが、その前に、ソファでガタガタと震え、頬を真っ赤(というより紫色に近い)にして固まっている九条さんの姿が目に留まった。


「……おい、九条さん。こっちを向け」


「ふぇ? あ、相沢、くん……? ひゃっ!」


俺はキッチンでお湯を出してしっかりと両手を温めると、彼女の前にしゃがみ込み、その大きく冷え切った両頬を、俺の温かい両手で包み込むようにしてピタリと挟み込んだ。


「あっ……」

俺の手のひらから伝わる熱が、彼女の凍りついた顔の筋肉をじんわりと溶かしていく。


「お前のその表情筋が凍りついたままじゃ、明日の作戦でノイズが使えなくなるからな。しっかり温めて、筋肉の緊張を解け」

俺は努めて冷淡な、あくまで「メンテナンス」だというトーンを装いながら、親指で彼女の頬を優しく撫でるようにして温もりを行き渡らせる。


「…………ん……」

顔面から伝わる熱に、九条さんは次第に震えを止め、心地よさそうに目を細めた。そして、俺の手のひらに少しだけ体重を預けるようにして、すりすりと頬を擦り寄せてきた。


トクン、と。

俺の胸の奥で、西園寺のどんな高性能スキャナーでも決して読み取れなかったであろう、巨大な心音のスパイクが跳ね上がった。手のひらに触れる彼女の頬の滑らかさと、無防備に委ねられた体温が、元・天才フィクサーの冷徹な計算回路を容赦なくショートさせていく。


「相沢くんの、手……すっごく、温かいね。なんだか、心の中まで溶けちゃいそう……」


至近距離で見つめてくる彼女の瞳は潤んでおり、俺の手のひらの中にある頬が、みるみるうちに林檎のように鮮やかな赤色に染まっていくのが分かった。


「……もう十分に溶けたろ。あとはストーブの前で温まってろ」


俺はこれ以上自分の表情筋が「焦り」で崩壊するのを誤魔化しきれず、慌てて手を離し、逃げるようにキッチンへと向かった。


背後で、九条さんが両手で自分の温まった頬を包み込みながら、


「もう……相沢くんってば、本当に素直じゃないんだから……」


と、幸せそうに小さく微笑む気配が伝わってきた。


---


「よし、お前ら。今夜は、その凍りついた表情筋とすり減った神経を一瞬で極限まで蕩けさせる、すみれ荘至高のスタミナ鉄板飯だ。『特製・超極厚骨付きスペアリブの爆炎ガーリックBBQグリル 〜とろけるラクレットチーズの雪崩〜』を作る」


そのメニュー名が響いた瞬間、リビングの空気が一変し、三人の目が、飢えた肉食獣のようにギラリと輝いた。

骨付きスペアリブ。それは、肉の旨味が最も濃い骨の周りの肉を豪快に喰らう、圧倒的な野生と暴力の象徴。それに濃厚な特製BBQソースと、雪崩のようなチーズを組み合わせるという、胃袋を完全に蹂躙する最高峰の背徳料理だ。


俺が冷蔵庫から取り出したのは、昨日から特製のタレ(すりおろし玉ねぎ、りんご、大量の生にんにく、濃口醤油、ハチミツ、黒胡椒、そして隠し味の赤ワイン)に丸一日漬け込み、肉の繊維の奥深くまで旨味を浸透させた、長さ十五センチを超える極太の骨付き豚肉スペアリブ

これを、煙が立つほど熱した極厚のグリルパンに並べていく。


```

——ジャァァァァァァァァッッッ!!!


```


凄まじい爆音と共に、焦げたハチミツと醤油の甘辛い香り、そしてにんにくの暴力的なまでに香ばしい匂いが一気にリビングへと解き放たれた。空腹の胃袋にダイレクトアタックを決める凶悪な匂いだ。

強火で表面に美しい褐色の焼き目をつけ、旨味を完全に閉じ込める。その後、オーブンに移してじっくりと中まで火を通し、肉が骨からホロホロと外れる限界まで柔らかく焼き上げる。


焼き上がった巨大な肉の塊を大皿に山のように盛り付ける。

だが、これで終わりではない。ここからが真の暴力だ。


俺は別のフライパンで、巨大な半月型の「ラクレットチーズ」の断面を、直火でジクジクと音を立てるまで炙り溶かしていた。

表面がグツグツと沸き立ち、焦げ目がついた黄金のチーズ。俺はそのフライパンをスペアリブの山の上に掲げ、ナイフで溶けたチーズを一気に削り落とした。


```

——ドロロロロロォォォォッッッ!!!


```


まるで黄金のマグマのように、熱々で超濃厚なラクレットチーズが、特製ガーリックBBQソースを纏った極厚のスペアリブの山の上から、雪崩のように覆い尽くしていく。


---


「さあ、チーズが固まる前に、骨ごと手で掴んで豪快に喰らいつけ」


目の前に置かれた大皿は、まさにスタミナの活火山だった。焦がしにんにくBBQソースが照り輝く極厚肉の山脈を、黄金のチーズの雪崩が完全に飲み込んでいる。


三人は、限界を迎えた胃袋に突き動かされるように、一斉に手づかみで巨大な骨付き肉に食らいついた。

九条さんが、チーズがどこまでも伸びる肉の塊に大きな口を開けてかぶりついた。

次の瞬間、彼女の瞳が衝撃で大きく見開かれ、身体がビクッと震えた。


「————っっっ!!! んんん〜〜〜〜〜っっっ!!! 柔らかいっ! お肉が口の中でほろほろって崩れちゃったよ、相沢くん!」


九条さんが、口の周りにソースとチーズをつけるのも構わず、幸せのあまり身悶えしながら叫んだ。さっきの凍りついていた顔から一転、今は四十三の表情筋がすべて「幸福」の形に蕩けきっている。


「すっごく分厚いお肉なのに、骨からするんって外れるくらい柔らかくて、噛むたびに豚肉の甘い脂と肉汁がジュワァァァって溢れてくるの! そしてこのガーリックBBQソース……! フルーツの甘みとガツンとくるにんにくのパンチが最高に濃厚で、そこにこの熱々のラクレットチーズの塩気とまろやかさが雪崩れ込んでくるから、もう脳みそが完全にショートしそう! 骨の周りのお肉が一番美味しいって本当だね! 凍えてた身体が、一瞬でポカポカの熱を帯びていくわ!」


「うおーっ、美味すぎる!! なんだこの野生の美味さは!」


拓海が、指についたソースまで舐めながら、無我夢中で肉に食らいついている。


「にんにくとハチミツの甘辛い風味が強烈すぎて、肉を掴む手がマジで止まらねえ! 寒さで死んでた指先の神経が、肉とチーズの熱量で一気に覚醒していくのが分かるぜ! このBBQソースとチーズの混ざった部分だけで、丼飯が三杯食える!」


「……至高のクライマックスね」


栞もまた、恍惚とした表情で肉を頬張り、眼鏡を曇らせていた。


「骨付き肉という『原始的な野生の熱量』と、それを覆い尽くすラクレットチーズという『圧倒的な味覚の暴力』。西園寺くんがどれだけ冷徹にこちらの表情筋をスキャンしようとも、このスペアリブがもたらす圧倒的な至福の笑顔の前には、彼のAIなどただの冷たい数字の羅列に過ぎないわね。この共犯関係の美味しさは、誰にも暴けないわ」


深夜のすみれ荘に、ただひたすらに肉を喰らい、骨をしゃぶる幸福な咀嚼音だけが響き渡る。

俺自身も、自分の分のスペアリブにかぶりつき、その突き抜けるような美味さに小さく息を吐いた。

濃厚なにんにくBBQの風味と、ラクレットチーズの圧倒的なコク、そして口の中で解ける肉の旨味。それが一日中モブを演じ、裏工作を仕掛け続けた俺の身体を、最高に心地よく満たしていく。


西園寺玲王。お前は科学の力と表情の動きで、俺たちを孤独なシステムの中に追い詰めようとしている。だが、お前がどれだけ網を絞ろうとも、俺たちにはこの食卓がある。同じ飯の美味さに感動し、互いの窮地を笑いながら救い合う、この歪で、けれど絶対に壊れない絆がある。


ふと見ると、隣に座る九条さんが、骨を両手で持ちながら、じっとこちらを見つめていた。その瞳には、さっき頬を温めた時の、ほんのりとした熱がまだ確かな色として宿っている。


「……相沢くん」

「ん? なんだ、口の周りがソースだらけだぞ」


俺がティッシュを差し出すと、彼女はそれを受け取らずに、えへへ、と最高に嬉しそうに、花が咲くような笑顔を向けた。それは、さっき画面に映ったどんなアイドルアバターの笑顔よりも、ずっと胸に突き刺さる「本物」の表情だった。


「ううん、違うよ。……相沢くんの作ってくれるご飯を食べてる時の私の笑顔は、絶対に世界で一番幸せそうだって、そう思っただけ!」


その純粋すぎる笑顔の直撃を受け、俺は慌ててスペアリブに食らいつき、視線を逸らした。胸の奥の不自然な高鳴りは、どうやらこの強烈なガーリックとチーズの熱量だけのせいではなさそうだ。


「おい、九条さん、おしゃべりはいいから早く食え。チーズが固まるぞ。おかわりはまだオーブンにたっぷりあるからな」


「はーい! 満腹中枢なんてとっくにログアウトしてるもん! あとお肉三個とチーズマシマシで追加お願い!」


「あはは、俺もおかわり! 湊、明日の西園寺の『VTuber・トラウマ報告書』の顔を見るのが今から楽しみだな?」


「……私の小説の第十五章は、西園寺くんの『萌え萌えキュン恐怖症』で決定ね」


夜が更けていくすみれ荘。

窓の外では冬の寒風が冷たく吹き荒れているが、このダイニングテーブルを包むスペアリブの熱気と、共犯者たちの暖かな笑い声、そして、手のひらの温もりと共に静かに育まれ始めた二人の熱量は、どんな策謀の影をも寄せ付けないほどに、どこまでも優しく、力強く燃え上がっていた。

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