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すみれ荘には普通の人間がいない 〜元・天才フィクサーの平穏な日常は、深夜のキッチンで崩壊する〜  作者: リリリリス
【第二章:共犯者たちの学園狂騒曲】

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第三十二話:歩容解析(ゲート・スキャン)の無力化とにんにく醤油絡む極厚スタミナトンテキ

 冬の夜風がヒューヒューと窓を叩く放課後。生徒会室の空気は、暖房の熱気さえも凍りつかせるような静寂に包まれていた。


 俺——相沢湊は、デスクで地味な印刷物のホチキス留めを繰り返していた。その背中に、生徒会長・西園寺玲王の冷徹な声が突き刺さる。


「相沢くん。君は『歩容解析ゲート・スキャン』という技術を知っているかい?」


 西園寺は、大型モニターに映し出された学園の廊下の防犯カメラ映像を指差した。そこには、猫背で頼りなさそうに歩く俺の姿が映っている。


 だが、その映像の俺の身体には、無数の点と線——骨格を模したワイヤーフレームがリアルタイムで追従していた。


「顔や指紋は変装できても、人間の『歩き方の癖』や『骨格の可動域』は誤魔化せない。これは学園が試験導入した最新のAIセキュリティシステムだ。……そして非常に興味深いことにね、相沢くん。君の歩行グラフィックにおける重心移動のロジックは、かつて裏社会で数々の大事件を闇に葬り、数年前に突如姿を消した伝説のフィクサー『M』のデータと、骨格レベルで一致しているんだよ」


 西園寺が眼鏡の奥の目をギラリと光らせ、解析開始のエンターキーを叩こうとする。


 奴は、俺が歩き方のデータを完全に偽装しきれていない可能性に賭けたのだ。もしこの解析が100%完了すれば、俺の「平凡な高校生」という仮面は完全に剥ぎ取られる。


(さすがは西園寺、目の付け所が嫌らしすぎる。……だが、そのシステムごとハックされるのがお前の限界だ)


 俺は机の下で、制服のボタンに偽装された小型スイッチを静かに長押しした。


 その瞬間、一ノ瀬拓海が事前に校内の防犯カメラの光軸に向けて設置しておいた、目に見えない特殊な赤外線ストロボが作動。カメラのセンサーを一瞬で飽和させる。


 さらに同時に、耳裏のインカムから羽鳥栞のキーボードを叩く音が滑り込んできた。


『——私の領域テリトリーへようこそ、傲慢な生徒会長。AIの骨格マッピングデータを、今から最高にファンキーな「バグ」に書き換えてあげるわ』


 次の瞬間、モニターの中で俺の身体を包んでいたワイヤーフレームが、突如として激しく狂い始めた。


 骨格の線がびょーんと上下左右に引き伸ばされ、あろうことか、画面内の俺のグラフィックが猛烈な速度でラジオ体操第一の「腕を振って足を曲げ伸ばす運動」を始め、そのまま謎の阿波踊りへと移行したのだ。


「な、何だと……!? データが……踊っている……!?」


 西園寺が驚愕のあまり、珍しく声を荒らげて立ち上がった。


 超高速でデタラメな座標処理を強制されたAIサーバーは、またたく間にメモリオーバーを起こし、画面全体が真っ赤なエラー表示でフリーズした。


「あの……西園寺会長、僕の歩き方、そんなにラジオ体操みたいに変でしたか?」


 俺がわざとらしく不安そうな顔で尋ねると、西園寺は激しい頭痛に耐えるように眉間を押さえ、力なく椅子に座り直した。


「……いや、システム側の致命的なバグだ。ベータ版はこれだから信用できん。相沢くん、もういい。今日の作業は終了だ。帰りたまえ……」


 完璧な論理が、あまりにもシュールなバグによって粉砕された屈辱。西園寺の背中に深い敗北感が漂う中、俺はペコリと頭を下げて生徒会室を後にした。


 夜十時半。

極限の緊張感から解放され、すみれ荘へと帰り着いた俺を迎えたのは、リビングで完全に灰になっている三人の共犯者たちだった。


「おかえり、相沢くん……。もう、西園寺がカメラを見てるかもしれないからって、廊下を『完璧な清純派トップアイドル風の歩き方』で往復させられて、ふくらはぎがパンパンで死んじゃいそうよ……」


 九条さんがソファに突っ伏したまま、ジタバタと足を動かして抗議した。


「俺も……カメラの死角から赤外線レーザーの光軸を合わせるために、ずっと天井の配管に逆さ吊りになってたから、腰が完全に終わったぜ……。湊、今夜はガツンとくる肉を補給してくれなきゃ、明日から動けねえ……」


 拓海が床の上で芋虫のように丸まりながら懇願する。


「……私の脳内メモリも完全に枯渇したわ」


 栞もまた、ノートPCの横でぐったりと横たわっていた。


「高度なAIの骨格データを、リアルタイムでラジオ体操に変換するスクリプトを組むなんて、精神の摩耗が激しすぎる。相沢くん、今夜は私たちのこの凍えた身体と、すり減った魂を、圧倒的なにんにくと濃厚なソースの暴力で、強制的に覚醒させてちょうだい」


 戦いを終え、限界を迎えた共犯者たち。

俺は黒いエプロンをきつく締め直し、冷蔵庫から「主役」を取り出した。


「お前ら、最高のサポートだった。西園寺の最新鋭の檻は、ただのバグのダンスステージに変わった。……今夜は、その疲弊した身体に爆発的な活力を叩き込む、極上のスタミナ飯だ。『特製・にんにく醤油が絡む極厚ガツンとスタミナトンテキ』を作る」


 その言葉が響いた瞬間、リビングの空気が一変した。


 トンテキ。それは、圧倒的な肉の厚みと、それを包み込む濃厚なソース、そして容赦のないにんにくのパンチが融合した、男気あふれる最高峰のスタミナ料理だ。


 俺が用意したのは、見事な脂身がついた、厚さ三センチを超える極厚の豚ロース肉。


 まずは丁寧な筋切りを施し、肉の片側に等間隔の切り込みを入れて「グローブ状」に成形していく。こうすることで、極厚の肉でも中まで均一に火が通り、タレがこれでもかと絡みやすくなる。


 フライパンにたっぷりのラードを熱し、まずは薄切りにした大量のにんにくを投入。

ジワジワと弱火で熱し、ラードににんにくの強烈な香りを移しながら、黄金色のカリカリとした「にんにくチップ」を作って一度取り出す。


 香りが極限まで移った漆黒のフライパンに、塩胡椒と薄く小麦粉を纏わせた極厚の豚肉を滑り込ませる。


 ——ジャァァァァァァァァッッッ!!!


 凄まじい爆音と共に、にんにくと豚脂の、暴力的で香ばしい香りが一気にリビングへと解き放たれた。この匂いだけで、空腹の胃袋が悲鳴を上げる。


 表面に完璧な焦げ目をつけたら、ひっくり返して蓋をし、弱火でじっくりと蒸し焼きにする。極厚の肉が自身の肉汁でふっくらと膨らんでいく。


 そして、仕上げの特製スタミナソースだ。

ウスターソースをベースに、醤油、みりん、少量の砂糖、そして「これでもか」とすりおろした大量のにんにくを混ぜ合わせた特製ダレを、鍋肌から一気に流し込む。


 ——ジュワァァァァァァァッッッ!!!


 激しい湯気と共に、ウスターソースの甘酸っぱい香りと醤油のコク、そしてにんにくのパンチが完全に一体となり、ドロリとした濃厚な漆黒のタレへと煮詰まっていく。俺はそのタレを肉に何度も絡め、肉全体を濃厚な旨味の衣でコーティングした。


「さあ、冷めないうちに、山盛りのキャベツごと豪快に喰らえ」


 大皿に盛られたトンテキは、まるで黒い艶を放つ巨大な塊のようだった。その下には、濃厚なタレを吸ってしんなりとし始めた山盛りの千切りキャベツ。頂点には、先ほどの黄金色のにんにくチップがどっさりと散らされている。


 三人は、限界を迎えた胃袋に突き動かされるように、一斉にナイフと箸を動かした。

グローブ状の一切れを切り離し、九条さんがタレをたっぷりと絡めて口へと放り込んだ。


 次の瞬間、彼女の瞳が衝撃で大きく見開かれた。


「————っっっ!!! んんん〜〜〜〜〜っっっ!!! 美味しいっ! パニックになっちゃうくらい美味しいよ、相沢くん!」


 九条さんが、両頬を抑えて、幸せのあまり身悶えしながら叫んだ。


「お肉がこれだけ分厚いのに、すっごくジューシーで歯切れが良くて、噛むたびに豚肉の甘い脂がじゅわじゅわ溢れてくるの! そしてこのウスターソースとにんにくのタレ……! ガツンとした酸味とコクが、カリカリのにんにくチップと合わさって、もうお口の中が旨味のカーニバルよ! タレを吸ったキャベツだけで、ご飯が無限に進んじゃう!」


「うおーっ、これだよこれ! この濃い味が欲しかったんだよ!」


 拓海が、額の汗を拭うのも忘れて、トンテキの一切れをご飯の上で何度もバウンドさせ、そのまま豪快に口に掻き込んでいる。


「にんにくのパンチが凄すぎて、一瞬で体温が上がっていくのが分かるぜ! 配管にぶら下がって冷え切った身体に、この脂とタレが最高に効く!」


「……完璧な構成プロットだわ」


 栞もまた、上品に肉を口に運びながら、至福の表情で眼鏡を曇らせていた。


「肉に切り込みを入れることで旨味を逃さずタレを染み込ませるという『伏線の回収』。そして、ウスターソースの酸味とにんにくのキレという『対比の美学』。西園寺くんがどれだけ冷徹にカメラを監視しようとも、このトンテキがもたらす圧倒的な熱量と生命力の前には、彼のAIなどただのガラクタに過ぎないわね。この共犯関係の美味しさは、誰にも暴けないわ」


 深夜のすみれ荘に、ただひたすらに肉を喰らい、白米を掻き込む幸福な咀嚼音だけが響き渡る。


 俺自身も、自分の分のトンテキを口に運び、その突き抜けるような美味さに小さく笑みをこぼした。


 濃厚なにんにく醤油の風味と、口の中でジュワリと広がる豚脂の圧倒的なコク。それが一日中モブを演じ、裏工作を仕掛け続けた俺の身体を、最高に心地よく満たしていく。


 西園寺玲王。お前は科学の力と論理の網で、俺たちを孤独なシステムの中に追い詰めようとしている。だが、お前がどれだけ網を絞ろうとも、俺たちにはこの食卓がある。同じ飯の美味さに感動し、互いの窮地を笑いながら救い合う、この歪で、けれど絶対に壊れない絆がある。


 お前がチェス盤を睨みつけている間に、俺たちはこのキッチンの熱気と共に、お前の想像もしない「外側」から、いつでもその完璧な世界をハックしてやるさ。


「おい、おかわりはまだフライパンにある。ただし、九条さん、明日の朝は念入りにりんごジュースを飲んでおけよ。にんにくの匂いで西園寺に怪しまれたら元も子もないからな」


「はーい! ブレスケアもトリプルで飲むから、あと二切れちょうだい!」


「あはは、俺もおかわり! 湊、明日の西園寺の『バグ報告書』を見るのが楽しみだな?」

「……私の小説の第七章は、西園寺くんの『AIへの人間不信』で決定ね」


 夜が更けていくすみれ荘。

窓の外では冬の寒風が冷たく吹き荒れているが、このダイニングテーブルを包むトンテキの熱気と、共犯者たちの暖かな笑い声は、どんな策謀の影をも寄せ付けないほどに、どこまでも熱く、力強く燃え上がっていた。

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