第十五話:金曜日の告白劇と、裏庭の操り人形(マリオネット)
持ち物検査の嵐が去った翌日、金曜日の昼休み。
私立白蘭学園の図書室の最奥、うっそうと茂る観葉植物の影にある閲覧席に、俺たちは集まっていた。
「頼むわ相沢くん! これ、何とかして!!」
九条さんが涙目で、一枚の爽やかなブルーの便箋を俺の目の前に突きつけてきた。学校用の澄ました仮面は完全に剥がれ落ち、完全にパニック状態の「すみれ荘モード」になっている。
「声が大きいわよ、九条さん。ここは静粛を旨とする図書室よ」
対面に座る羽鳥栞が、冷たい視線で文庫本から目を上げた。その隣では、一ノ瀬拓海が購買のメロンパンを齧りながら「どれどれ〜?」と便箋を覗き込んでいる。
「何だこれは」
俺が便箋を開くと、そこには流麗な文字でこう書かれていた。
『白蘭の向日葵、九条凛さんへ。
君の気高き美しさに、僕のハートはいつもシュートを決められている。
今日の放課後、旧校舎裏のイギリス庭園で待っている。
——3組、神城修二』
「うわぁ……。出たよ、サッカー部キャプテンで学園の『王子様』こと神城先輩じゃん」
拓海がゲラゲラと笑う。
「何が王子様よ! ハートにシュートって意味不明だし、何より私、今日の放課後は新発売のRPGの限定イベントがあるから、一秒でも早くすみれ荘に帰って芋ジャージに着替えたいのよ! なのに、こんなの断ったら、彼の熱狂的なファン(親衛隊)に明日からどんな嫌がらせを受けるか……っ!」
九条さんが机に突っ伏してむせび泣く。
神城修二。大企業の御曹司であり、ルックス抜群、サッカー部の絶対的エース。学園内での影響力は凄まじく、彼の告白を無下に断れば、九条さんの「完璧なアイドル」としての評判にヒビが入りかねない。それは結果として、彼女の避難所であるすみれ荘の平穏を脅かすことになる。
「……なるほど。穏便に、かつ神城のプライドを傷つけずに、完全に『不可抗力』として告白を辞退させる……。そういう案件だな?」
俺が眼鏡を指先で押し上げながら、低く通る声で呟く。
その瞬間、図書室の片隅の空気が、かつて裏社会のパワーバランスを操った『フィクサーの作戦会議』のそれへと変貌した。
「相沢くん、何か策があるの?」
栞の瞳が、作家としての好奇心でギラリと輝く。
「ああ。敵の行動パターン、周囲の環境、そして心理的誘導。すべてをコントロールすれば、告白そのものを『なかったこと』にできる。……全員、配置につけ。」
放課後。旧校舎裏のイギリス庭園。
美しく手入れされた薔薇のアーチの奥で、神城修二はブレザーのボタンを一つ外し、完璧なポーズで佇んでいた。その周囲の茂みには、彼が事前にサクラとして仕込んだサッカー部の部員たちや、噂を聞きつけた野次馬の女子生徒たちが身を潜めている。
神城の目的は、衆人環視の中での「公開告白」による既成事実化。断りにくい状況を作り出すという、典型的な権力者の手法だ。
だが、その舞台はすでに、俺たちによって完全にハックされていた。
「(ターゲット、定位置に到達したよ、指揮官。星の巡り——じゃなくて、彼の歩幅から見て、かなり緊張してるね。心拍数は120ってところかな〜?)」
庭園の時計塔の上から、双眼鏡を手にした拓海が、超小型インカムを通じて俺にナビゲーションを送ってくる。
「(了解した。羽鳥、そっちの準備は?)」
「(完璧よ。神城くんの過去の恋愛傾向、及び彼の『地雷』となる言葉のデータベースは構築済み。九条さんに装着したイヤホン経由で、私がリアルタイムで『完璧な決別シナリオ』をテキスト送信するわ)」
木陰のベンチでノートPCを開いた栞が、冷酷な笑みを浮かべてキーボードを叩く。
そして俺は、庭園のゴミ箱の陰で、清掃員のフリをして竹箒を手にしながら、全体の状況を俯瞰していた。
「(九条さん。緊張するな。お前はただ、羽鳥の指示通りに口を動かし、俺の指示通りに動けばいい。お前はただの、美しく踊るマリオネットだ)」
「(わ、分かったわよ……! 頑張る……!)」
薔薇のアーチをくぐり、九条凛がゆっくりと姿を現した。
その瞬間、隠れていた野次馬たちから「おお……!」と息を呑む声が上がる。完璧な夕日に照らされた彼女は、まさに学園の向日葵そのものだった。
「待たせてしまったかしら、神城先輩」
九条さんが、憂いを帯びた完璧な微笑みで告げる。
「いや、僕も今来たところさ。来てくれてありがとう、凛ちゃん」
神城が眩しいほどのイケメンスマイルを浮かべ、一歩前へ踏み出した。
「単刀直入に言うよ。僕は、君のその気高き魂に惚れたんだ。僕の隣のシートは、君のために空けてある。僕と、付き合ってくれないか!」
神城がビシッと手を差し伸べる。茂みのサクラたちが「ヒューッ!」と歓声を上げようとした、その刹那。
「(九条さん、今よ。切なげに視線を斜め45度下に落として、右手を胸元に。セリフを送信したわ)」
栞の冷徹な指示が飛ぶ。
「……神城先輩。大変光栄なお言葉です。ですが……私には、その手を握る資格はありません」
九条さんは、今にも消え入りそうな声で、しかし凛とした拒絶を口にした。
「な、何だって? 資格がないとは、どういう意味だい?」
想定外の返答に、神城の顔が微かに強張る。
「(拓海、神城の右ポケットに入っているスマホのバイブを鳴らせ。集中力を削ぐ)」
「(オッケー、遠隔コール行くよ〜!)」
ブーッ、ブーッ、と神城のポケットでスマホが震える。神城がわずかに動揺し、思考が途切れたその瞬間を、栞のシナリオが容赦なく畳み掛けた。
「私は……学園のアイドルとして、皆さんの理想を背負う偶像です。もし私が特定の誰かのものになれば、それは私を支えてくれる全ての方々への『裏切り』になってしまう。……先輩のような素晴らしい方に、私の歪な運命を背負わせるわけにはいかないのです」
「凛ちゃん……君は、そこまでファンのことを……!」
神城の目が、感動に潤み始めた。彼はナルシストゆえに、「悲劇のヒロインの崇高な決断」というストーリーに非常に弱い。栞のプロファイリングは、相手の心理の急所を完璧にブチ抜いていた。
だが、神城も往年のエースだ。諦めずに再び手を伸ばそうとする。
「それでも構わない! 僕は君のその重荷ごと——」
「(相沢、仕上げよ。3、2、1、今)」
栞の合図と同時に、俺は手にした竹箒の柄で、足元の小さな石ころを「コン」と弾いた。
計算された軌道を描いて飛んだ石ころは、神城の背後にある古びたスプリンクラーの制御弁に、正確に命中した。
プシューーーーッ!!!
突如として、激しい水の幕が神城と九条さんの間に噴い上がった。
滝のような水飛沫が、二人の距離を物理的に分断する。
「うおわっ!? な、なんだこれ!?」
神城が慌てて後ずさるが、完璧にセットされた彼の髪の毛とブレザーは、一瞬で無残にも水浸しになった。対する九条さんは、俺が事前に配置を指示していた「スプリンクラーの完全な死角」に立っていたため、一滴の水すら浴びていない。
「……神城先輩。やはり、天も私たちを許してはくれないようです。……さようなら」
九条さんは完璧なタイミングで悲しげに一礼すると、水飛沫の向こうへ向かって、優雅に、かつ迅速にターンして走り去った。
残されたのは、濡れネズミとなり、己のプライドを完璧にへし折られた学園の王子様と、あまりにも崇高な失恋劇に涙を流す野次馬たちだけだった。
放課後の喧騒から離れた、すみれ荘へと続くいつもの寂れた路地裏。
「ぷはぁーーーーっ!! 完璧!! 完璧すぎるわ私!! あの最後のセリフ、自分で言ってて鳥肌が立ったもの!」
九条さんがカバンを振り回しながら、大はしゃぎで道を歩いていた。
頭の上では、拓海が「いやー、俺の遠隔コールとナビも冴えてたでしょ?」と自画自賛し、栞はノートPCを小脇に抱えてフッと鼻で笑っている。
「あなたの演技力も大したものだけど、私の書いたスクリプト(台本)が完璧だったからよ。神城くん、今頃『僕は彼女の崇高な生き様を守るために身を引いた』って、一人で悲劇のヒーロー気取りに浸っているわね。大衆の心理なんて、言葉一つでどうとでも転がせるわ」
「本当、お前らは悪い大人の才能があるよ」
俺は4人分の買い出し袋を両手に下げながら、呆れたように笑った。
神城のプライドを傷つけず、九条さんの評判も落とさず、ファンの暴動も防ぐ。これ以上ない、完璧な『裏の調整』だった。
「でも、これで今日の限定イベントに間に合うわ! 急いで帰って、相沢くんの美味しいご飯を食べて、朝までゲームするんだから!」
「九条さん、ゲームはほどほどにね〜。あ、湊、今日の夜ご飯は何?」
「……神城が『ハートにシュート』とか言ってたからな。今日のメニューは、肉汁が飛び出す『トマト煮込みロールキャベツ』だ。文句は言わせん」
「やったぁ! ロールキャベツ大好き!」
「トマトベースね、悪くないわ」
夕暮れの長い影が、4人の足元から伸びていく。
学園のトラブルを裏で支配し、いつもの歪な日常へと帰還する共犯者たち。
元・天才フィクサーの平穏なモブライフは、騒がしい彼女たちに振り回されながらも、確かにそこにあった。




