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すみれ荘には普通の人間がいない 〜元・天才フィクサーの平穏な日常は、深夜のキッチンで崩壊する〜  作者: リリリリス
【第一章:秘密を抱えた共犯者たち】

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第十三話:戦い明けの月曜日と、狙われた特製弁当

すみれ荘に最大の危機が訪れた、あの「暗闇の防衛戦」から一夜明けた、月曜日の朝。


 私立白蘭学園の教室には、いつもと変わらない平和で退屈な空気が流れていた。

(……平和だ。実に平和だ)


 窓際の自分の席で頬杖をつきながら、俺——相沢湊は、黒板でチョークを動かす数学教師の単調な声を子守唄代わりに、深く息を吐いた。


 昨夜、俺たち四人は見事な連携で悪徳情報屋を撃退し、その後は深夜テンションのまま「夜食パーティー」になだれ込んだ。結果として全員が深刻な睡眠不足に陥っているが、それでも、俺の守りたかった「平穏なモブライフ」は無事に維持されている。


 ……維持されている、はずだった。


「——相沢くん。ちょっといいかしら」


 不意に、凛とした、それでいてどこか甘さを孕んだ声が教室に響いた。


 クラス中の男子生徒が一斉に振り返る。俺の席の真横に立っていたのは、透き通るような金糸の髪を揺らし、完璧な微笑みを浮かべた『学園のアイドル』——九条凛だった。


「……何か用でしょうか、九条さん」


 俺は周囲から突き刺さる無数の「嫉妬と殺意の視線」を肌で感じながら、努めて平坦な声で返した。


「ええ。先週の委員会で配られたプリント、余っていなくて? もしよければ、見せていただきたいのだけれど」


 表向きは、清楚で完璧な優等生のお願い。

 だが、俺には彼女のその完璧な笑顔の裏に隠された『真のメッセージ』が、痛いほどに読み取れていた。


(訳:『お腹空いた。あなたに作らせた今日のお弁当、早く食べたいから、昼休みの場所と作戦を今すぐ教えなさい』だろ、この食い意地張ったズボラ女……)


 昨夜の戦いを経て、九条さんから俺への「信頼度」はストップ高を記録していた。それは喜ばしいことなのかもしれないが、弊害として、彼女は俺の料理(胃袋の支配)に完全に依存し始め、あろうことか「学校用のお弁当」まで要求してくるようになったのだ。


「……プリントですね。こちらです」


 俺は無表情のまま、机の中から一枚のプリントを取り出し、彼女に手渡した。


 そのプリントの端には、俺の筆跡で小さく、しかし明確な暗号が書き込まれている。

 『昼休み。旧校舎三階、空き教室。人目を避けて来い』と。


「ありがとう、相沢くん。助かったわ」


 九条さんはプリントの端を一瞥すると、満足そうにフッと微笑みを深め、優雅な足取りで自分の席へと戻っていった。


 たったそれだけのやり取りで、教室の男子たちは「なぜ九条さんが、あんな地味な相沢なんかに……!」とざわめいている。モブとして生きる俺にとって、この過剰な注目は完全にレッドカードだった。


(あの女……。共犯者としての絆が深まったのをいいことに、学校での距離感をバグらせやがって)


 俺はため息をつき、昼休みの「お弁当の受け渡し(という名の極秘任務)」に向けて、脳内でルート構築を始めた。


 キーンコーンカーンコーン……。


 昼休みのチャイムが鳴ると同時に、俺は自分のカバンから風呂敷に包まれた二段重のお弁当箱を取り出し、素早く教室を後にした。


 向かったのは、普段は誰も寄り付かない旧校舎の空き教室。埃っぽい空間だが、誰にも邪魔されずに密会するには最適な場所だ。


 ガラッ、と引き戸を開けて中に入り、窓際のパイプ椅子に腰掛ける。


 それから三分後。廊下から、抜き足差し足で近づいてくる気配がした。


「……相沢くん、いる?」


 ドアの隙間から、ひょっこりと顔を出したのは九条さんだった。周囲に誰もいないことを確認すると、彼女は学校での「完璧なアイドルオーラ」を一瞬でパージし、いつものすみれ荘で見せるような、だらけた足取りで俺の元へ歩み寄ってきた。


「ハァ……疲れた。お昼休みに入るまで、何人に話しかけられたか分からないわ。早く、私のHPを回復させて……」


「お前な。学校では赤の他人のふりをするっていう絶対ルールを忘れたのか。あんな教室のど真ん中で話しかけてきやがって」


「仕方ないじゃない。昨日の戦いで、私たちは背中を預け合った『戦友』になったのよ? 少しは特別扱いしてあげようっていう、私なりの優しさなんだから」


「その優しさが俺のモブライフを破壊してるんだよ」


 俺が呆れながら風呂敷を解き、二段重の弁当箱を差し出すと、九条さんの瞳が一瞬でキラキラと輝いた。


「わぁ……! 相沢くん特製、だし巻き卵と、唐揚げのネギ塩ダレがけ……! しかもタコさんウインナーまで入ってる!」


「タコさんウインナーはお前のリクエストだろうが。文句言わずに食え」


「言わないわよ! いただきまーす!」


 九条さんはパイプ椅子に座るなり、箸を割って唐揚げに齧り付いた。


 「んん〜っ! サクサクでジューシー! ネギ塩ダレの酸味が疲れた脳に染み渡るわ……!」


 頬をリスのように膨らませて弁当をかき込む姿は、学園のアイドルとは程遠い。だが、昨夜の彼女の「防刃ネットの神エイム」を見ているだけに、俺はこの無防備な姿に不思議な親近感を抱き始めていた。


 しかし、俺たちの密かなランチタイムは、長くは続かなかった。


「おっ! やっぱりここにいた! 湊、それに九条さん!」


 ガラッ! と勢いよくドアが開き、金髪をなびかせた一ノ瀬拓海が、購買のパンを片手に乱入してきた。


「おい、拓海。お前どうしてここが……」


「いやー、湊の運気(星の導き)を追ってきたらここに辿り着いたんだよね。それに、今日の俺のお昼、購買の焼きそばパンだけだからさ。湊の弁当の唐揚げ、一つトレードしてくんない?」


「ふざけないで! これは相沢くんが『私のため』に作った特別なお弁当よ! 一ノ瀬くんには絶対にあげないわ!」


 九条さんが弁当箱を両腕で抱え込み、シャーッ! と猫のように威嚇する。


 拓海が「ケチだなぁ〜、昨日はあんなに連携決まってたのにさぁ」とへらへら笑っていると、その後ろから、静かな足音が近づいてきた。


「本当に、あなたたちはどこにいても騒がしいわね。……まるで、餌を取り合う小動物みたい」


 冷徹な声と共に現れたのは、文庫本を手にした羽鳥栞だった。


「羽鳥まで……。お前ら、すみれ荘のルールを何だと思ってる。学校では干渉しない約束だったはずだぞ」


「あら、私は図書室の空気が少し息苦しかったから、静かな場所を求めて散歩していただけよ。……それと、相沢くん。私にもそのだし巻き卵を一口いただけるかしら? 次作の『フィクサーが愛する手料理』の描写の参考にしたいの」


 栞が持参したマイ箸をスッと取り出し、九条さんの弁当箱に狙いを定める。


「だーかーら! これは私のなの! 羽鳥さんも一ノ瀬くんも、あっち行って!」


「まあまあ九条さん、減るもんじゃないし! ほら、俺の焼きそばパンを一口あげるから!」


 空き教室で繰り広げられる、唐揚げとだし巻き卵を巡る見苦しい争奪戦。


 昨夜、あんなに見事な連携で裏社会の男を沈めた最強のチームが、今やただの食い意地が張った高校生の集団に成り下がっていた。


(……ダメだこいつら。絆が深まったせいで、完全に俺への遠慮がなくなってる)


 俺が頭痛を堪えてこめかみを押さえていると、廊下から「別の足音」が近づいてくるのが聞こえた。


 しかも、複数人。

 耳を澄ますと、女子生徒たちの話し声だ。


『ねえ、九条さん、どこ行っちゃったんだろう?』

『さっき、旧校舎の方へ歩いて行くのを見たって子がいたけど……』


 マズい。九条さんの取り巻きの女子(という名の親衛隊)だ。


 もしこの空き教室で、学園のアイドルが、冴えないモブ男子(俺)と、チャラ男(拓海)、そして孤高の文学少女(栞)と一緒にお弁当を取り合っている現場を見られれば、学園のヒエラルキーは崩壊し、大スキャンダルになる。


「……静かにしろ。人が来る。」


 俺の低く鋭い声に、三人はピタリと動きを止めた。


 足音は、すぐそこまで迫っている。


「ど、どうしよう相沢くん! このお弁当箱、明らかに女子のものじゃないし、見られたら私が手作り弁当男子と密会してるって誤解されちゃう!」


 九条さんがパニックになり、唐揚げを咥えたままオロオロとし始めた。


 俺はため息をつき、一瞬で状況を計算した。


「羽鳥。その文庫本を開いて、九条さんの隣に立て」


「……ええ、分かったわ」


「拓海。お前はドアの前に立って、焼きそばパンを大口で食え」


「おっけー、任せて!」


「九条さんは……そのまま、唐揚げを飲み込め」


「んぐっ!?」


 俺は九条さんの手から弁当箱を奪い取り、自らのカバンの中へと滑り込ませた。


 次の瞬間、ガラッと空き教室のドアが開いた。


「あ、やっぱりここにいた! 九条さん!」


 入ってきた女子生徒二人が、安堵の声を上げる。だが、彼女たちは教室の異様な光景に目を瞬かせた。


 そこには、真剣な顔で文庫本を朗読する栞と、それを神妙な顔で聞いている九条さん。


 そしてドアのそばで、なぜか焼きそばパンを頬張る拓海と、窓の外をぼんやり眺めるモブがいた。


「えっと……九条さん、何してるの?」


「あら、ごきげんよう。……実は今、羽鳥さんの書いた素晴らしい小説の一節を朗読していただいていたの。とても静かで、心が洗われるような時間よ」


 九条さんは口元についたネギ塩ダレをハンカチで優雅に拭いながら、完璧なアイドルの微笑みで言い放った。先ほどまで唐揚げを取り合っていた女とは思えない、恐るべき切り替えの早さだ。


「そ、そうなんだ……。ごめんね、お邪魔しちゃって」


「ううん、気にしないで。私もそろそろ教室に戻ろうと思っていたところだから」


 女子生徒たちに連れられ、九条さんが教室を出ていく。


 去り際、彼女は俺の方をチラリと振り返り、小さく『あとで残りの唐揚げ、絶対に回収するから』という執念のウインクを残していった。


 バタン、とドアが閉まる。


「……はぁ。寿命が縮むかと思ったわ」


 栞が文庫本を閉じ、珍しく疲れたように息を吐いた。


「湊の機転、マジで神がかってたね! さすが俺たちのフィクサー!」


 拓海がケラケラと笑いながら焼きそばパンを完食する。


「お前らな……。少しは自分の立場と、俺のモブライフを守る努力をしろ」


 俺は文句を言いながらも、カバンの中から再び弁当箱を取り出した。


 誰とも関わらない、静かで平穏な日常。

 俺が思い描いていたそれとは、だいぶ形が変わってしまった。


 だが、不器用で面倒な『共犯者』たちと共に過ごすこの騒がしい日々も……今の俺にとっては、守るべき大切な『平穏』の一部になりつつあった。

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