十五
ドンドン。
ドンドンドン。
ドンドンドンドン。
誰かが、壁を叩いている。
いや、あれは、太鼓の音だ。ばちが、牛革を打ち付ける、鈍い音。
竹笛の演奏に混じって、ドンと鳴るたび、場を絞める。
きっと、祭りが始まったのだろう。
修嗣は、目が覚めて、まず自分の背中が痛くないことに驚いた。寝返りを打っても、全く平気だった。手の平を床に当てて思い出す。ここは、コンクリートの地面ではない。自分の体にかかっているものは、寝袋ではなく、柔らかい毛布だ。部屋で眠るのは三日ぶりのことだった。修嗣は、痩せ細った腕で、頬を掻く。藪蚊に刺されて大きく腫れ上がっていた。
視線の先には、コンクリートの代わりに、木目の天井がある。彼は、何度か瞬きをして、左腕で目をこすった。霞でも掛かったように、すっきりしない。ものを考えるのが億劫だった。
ひとつ、くしゃみをする。
すると、また、壁を叩く音が聞こえ始めた。
これは、祭りではない。激しい連続音。何か、硬い物がぶつけられる。
ドンドンドンドン。
ドンドンドン。
ドンドン。
音は止まず、勢いを増すばかりだった。
修嗣は壁を睨み付けて、呻いた。
急に思い立って、毛布を放り投げ、机に置かれていた時計を掴むと、彼はそれを壁に叩き付けた。ガシャンと、文字盤の裏側の蓋が開き、電池が飛び出す。枕元の、返却期限を過ぎた分厚い単行本も投げつけた。大した音は鳴らなかった。ページがめくれ、鳥のように背表紙が開いた。
そのまま、修嗣は、部屋のありとあらゆるものを壁に叩き付けた。花瓶は音を立てへし折れた。筆記用具も投げつけた。布団も、枕も、全て。
そうして投げるものがなくなると、彼は、「五月蠅い」と叫んだ。屋敷中に聞こえるような、今まで出したことのない声だった。
ドンドンドンドン。
ドンドンドン。
ドンドン。
しかし、どれだけ物を投げつけても音は止まなかった。一層、激しくなっている。
修嗣は、壁の向こう側を想像した。暗く、臭いの籠もった部屋。
また、壁が叩かれる。
「もうやめてくれ!」
両手で耳を覆って目をつむった。しかし、それでも音は聞こえてくる。
ひょっとして、音は自分の頭の中で鳴っているのかしれない。そう思い、頭を壁に叩き付けた。しかし、音は止まない。彼は、犬のような唸り声を上げて、何度も頭を壁にぶつけた。
「やめろ、やめろ、やめろ」
どうして今日に限って家で眠ってしまったのだろう。山で眠れば、こんなことにはならなかったはずだ。後悔の念が彼に襲いかかる。
すると、「修嗣君、大丈夫か」という男の声がして扉がノックされる。 修嗣は、まるで救いを求めるように扉にすがりついた。
「兄さん、何をしているの?」という少女の声。
修嗣はノブに伸ばした手を止める。
「修嗣さん、お願いだから出てきて頂戴」女の声。
ドンドンドン。
「一体どうしたんだ、修嗣君」
ドンドンドン。
「兄さん、どうしちゃったの? ねえ、さっきからなんの音なのこれは?」
ドンドンドン。
「修嗣さん、話をしましょう。私が悪いのなら、いくらでも謝るわ。曹嗣さんも心配しているのよ。お願いだから出てきて……」
ドンドンドン。
「お前なんて、母さんじゃない」
「修嗣さん、一体、何の話をしているの?」
彼は、飛びつくように部屋の窓を開け放ち、裸足のまま外に出る。
両手を広げて瓦の上を慎重に渡った。隣の部屋へ向かう。きっと、カーテンが閉まっているだろうと予想していたが、その予想は外れた。閉まっているどころか、カーテン自体がなかった。部屋には、誰もいない。ただ、本棚と、パイプベッドと、机があるだけだ。それは、修嗣の部屋と、丁度反対の配置になっていた。人の生活している痕跡はなかった。
「逃げたのか」と呟くと、修嗣は瓦伝いに東へ向かい、屋根が一段低い風呂場の上に飛び移った。地面に着地する際に、足をひねり、膝を擦り剥いた。
庭の奥の納屋へ向かった。そこは、彼にとって恐ろしい場所だった。
扉には、南京錠がかかっている。修嗣は納屋の裏手へ回り、二、三並べられた植木鉢の一つをどかす。鍵の位置だけは、家族に聞いていた。拳にすっぽり収まるような小さな鍵を握り絞め、納屋へ入った。
すえた臭いが鼻を突く。たくさんの農具が立てかけられており、その中に、鍬があった。
彼は自分の背丈とほとんど同じ長さになった鍬を手に持ち、走り出す。
今はもう、重いとは感じなかった。
「逃げろ」
少年の声が聞こえる。




