7.鼓動の限界
暫くして、ジェーン様のご両親は揃って領地に戻られた。馬車に乗り込んだお義母様は、「すぐに戻りますからね」と言っていたけれど……それまで私はここに居れるかどうか。
いつものように朝食を食べ終えた頃、フェルナンドが「失礼します」と扉を叩いた。
「おはようございます、リヴィア様」
「おはよう」
「本日、裏の畑から野菜の収穫をするのですが……見学されませんか? 随分豊作のようで、見応えもあるかと」
「それは楽しそうね。準備をしたら向かうわ」
「お待ちしております」
相変わらず柔らかい笑みを見せて、アンに何か指示を出している。野菜の収穫は、本で読んだくらいで実際に見た事はない。
「お嬢様、汚れてはいけませんからお着替えをご用意しますね」
「待って。それなら——」
***
旦那様と奥様が戻られる前日、全ての仕事を終えた頃に声を掛けられた。
「奥様、こんな夜分に……」
「フェルナンドにお願いがあるの」
「お願い……ですか?」
「温室の彼女が本邸に立ち入らないように、警戒して欲しいのよ。リヴィアさんと出会わないように最新の注意を払って頂戴」
伏し目で物悲しそうな表情の奥様が「杞憂に終われば良いのだけど」と付け加えた。
「お任せ下さい。リヴィア様は、自ら使用人へ挨拶に回りをされ、図書館で本を積み上げ、皆の希望になったのです。皆がリヴィア様の砦となりましょう。それに、奥様の心配が現実にならぬ様、自分が側におります」
「……ありがとう。ねぇ、もしかして貴方……」
「はい?」
「……いいえ、何でもないの。貴方の仕事ぶりはピカイチですから、信頼してますよ。未来の女主人を守って頂戴ね」
「かしこまりました」
そんな会話があったことすら、ジェーン様はご存知ない。今日も早めに朝食を済ませ、騎士服に着替えてから出勤された。
リヴィア様をお誘いした収穫は、温室とは真逆の庭園。間違ってもルナさんと出会う心配はない。日陰もあるし、ガーデン用の椅子も用意した。見学の合間に、採れたての新鮮な野菜を召し上がって貰おうと、料理長とも画策している。あとは、リヴィア様を待つだけ——
「……! リ、リヴィア様!? その格好は……」
「どう? 似合うかしら」
くるりと一回転したリヴィア様は、シャツを袖捲りしてツナギを着た庭師のようだ。
「アン、自分は確かに『見学用の椅子を用意してる』と伝えたはずですよ?」
「それが……どうしても収穫を手伝いたいからと、以前一度だけ使った花植えの服を持ち出してまして……」
大きめの麦わら帽子を被り、畑の中を進んで行くリヴィア様を見て、思わずクスリと笑ってしまった。だって、あまりに楽しそうにどの野菜が取れごろなのか真剣に聞いているから。
「くれぐれも、怪我だけは——」
「きゃぁ!」
「ど、どうされました?」
「見て……葉っぱの上に何かいるの!」
よくよく指差す方を見ると、葉の上に小さな芋虫が奇妙な動きで移動しているのが見える。周囲の慣れた使用人たちも、ほのぼのとした微笑みで温かく見守っている。
「大丈夫です。葉が美味しい証拠ですから」
「そ、そうなの?」
覗き込む姿を横目に、「さぁ取り掛かろう」と料理長が威勢よく声を上げた。トマトにキュウリ、トウモロコシにナス。どれも、降り注ぐ太陽と日頃の水やりのおかげで逞しく育っている。収穫した余剰分は、市井の八百屋に卸したり、領地に送ったりもする。奥様が、誰の収穫した野菜か聞いたら腰を抜かすかもしれない。
「リヴィア様、こちらは土に埋まってます」
「よしっ。根元を持って……んっ、ん〜〜〜……わぁ!」
——トスンッ
抜けた反動で後ろに傾いたリヴィア様が、土の上に尻餅をついてしまった。あまりに衝撃的だったせいか、目をぱちくりして野菜を見つめている。
「大丈夫ですか!?」
「……あはははっ」
「……っ!」
顔に少しの泥を付けたリヴィア様が、とびっきりの笑顔で「収穫って楽しいわ」と空を見上げた。初めて見る笑顔に……心臓がドクンッと音を立てていて……目が離せない。汗もかいて、土で汚れても、なんて輝いた笑顔を見せるんだろう。
周囲の使用人と協力しながらどんどんカゴに野菜を収穫し、お昼頃には台車いっぱいになった。邸で使う分を料理長たちが選別し、その他はそのまま台車で引かれていく。
「とても楽しかったわ。このお野菜たちが、どんな料理になるのかしら」
「すぐにご用意しますので、お召し物を替えて少しお待ちください」
「料理長も、休憩してからで良いのよ?」
「滅相もございません。リヴィア様のお腹を満たすのが最重要任務ですから」
「まぁ! ふふっ、楽しみに待ってるわ」
土汚れを簡単に落とし、一番近い空き部屋で着替えるリヴィア様のその心遣いに関心する。料理長の手伝いに向かうか、リヴィア様が出てこられるまで待つか悩んでいると——
「きゃぁ!」
部屋の中から悲鳴が聞こえた。侍女のアンは着替えを取りに行っているし、女性一人の部屋に勝手に入って良いものか……しかし、普段使用していない部屋で、何か不備があったとしたら……!
「失礼します! リヴィア様、大丈夫ですか!? 悲鳴が……」
「いたた……」
「何があったのですかっ」
「ごめんなさい……つまずいてしまって、テーブルに手をついたら」
ハッとしてテーブルに目を向けると、一部がささくれていて、手のひらが赤くなっている。
「大変申し訳ございません。私の確認不足でした……棘が刺さっているようなので、すぐ処置致します」
胸元のポケットから万能ケースを出し、棘取り用のピンを確認して、赤くなったリヴィア様の手を取った。白く滑らかな手を握り、傷にならぬようにそっと注視して、棘の先端を摘み上げた。
「……ん、」
「もう大丈夫です。抜けましたよ——」
ピンに棘を挟めたまま顔を上げて驚いた。距離が近く、純粋な瞳が真っ直ぐとこちらに向いているから。
「も、申し訳ございません!」
あまりの近さに、頬が上気したのが分かる。それに、握りしめたままの手を慌てて離して後ろを向いた。鼓動が早く打ちすぎて心臓が痛い。
「……あっ……ありがとう」
振り向けないせいで、リヴィア様の手の様子も確認出来ないまま、着替えを持って戻って来たアンと入れ替わる形で部屋を出たのだった……。




