5.必要な気遣い
従者になる前のこと。ジェーン様と初めて会った日を、今でも鮮明に覚えている。
前の従者が辞めた後を任せたい、そう言われて必死に仕事を覚える日々が始まった。前職の経験が妙に役に立ち、普段笑わないジェーン様から「頼りにしてる」と肩を叩かれた時は本当に嬉しかった。
「……今月も、宿場からジェーン様宛の請求書か」
主人の財務管理も担っていると、毎月同じ宿場から請求書が送られて来てる事に気付いた。高額でないにしても、決して安くはないその金額の原因を一度だけ尋ねた。すると——
「あぁ、保護してる女性がいるんだ」
以降この話題に触れることはなかった。
どういう経緯が踏まれて、そうなったのか分からないけど、ある日突然ルナさんは当家にやって来た。宿場からの請求書がぱたりと止まり、本邸の一室ではなく改修が進んでいた温室に入ったまま出てこない日々が続いた。随分と私財を使われたせいで、旦那様と奥様が苦言を呈していたことだけは知っている。
そんな生活が二年程続いた。
旦那様より「ジェーンの婚約者を迎えに言ってくれ」そう頼まれたのが、つい先日のこと。
「旦那様……しかし、ルナさんが——」
「ジェーンには貴族の娘を娶る義務がある。漸く、国王にも許可を得てセレジェイラ家の娘との縁談を繋いだのだ。ジェーンにも話しはつけてある」
「か、かしこまりました」
「しかし、嘘をつくわけにもいかん。温室のことは、念のためセレジェイラ伯爵令嬢の耳にも入れてくれ」
随分と身勝手な縁談だと、内心思ってしまった。幾ら、社交界で噂になろうと、普通は婚約者を迎える前に精算するのが義理だと言うのに。嫁いでくる女性に、なんと伝えれば穏便でいてくれるのか……私には甚だ疑問だった。
馬車に乗り込んだリヴィア様は、どこか儚げで窓の向こうを切なそうに見つめる美しい人だと思った。
「庭園にあります温室には近付かないようにと……」
「理由をお伺いしても?」
「……ジェーン様の恋人がおります」
こんな屈辱を素直に受け入れるのかと思ったら……とてもじゃないけど、こちらが耐えられない。せめて従者である自分が積んできた経験と知識で、少しでも快適に過ごして欲しいと周囲の協力を得た。
今、彼女が笑って過ごせているのも皆の協力の賜物だ。
そんな彼女が温室の光景に——
『それほど傷付いてもいないので。詮索するつもりもないし、ましてや、詰め寄るようなこともしません』
そんな言葉を言わせるなんて、男として有り得ない……そう強く思ったけど、何も言えずただ歩調を合わせて部屋までお送りするだけ。私には、それしか出来なかった。それが、とても悔しかった。
***
「お嬢様、挨拶回りお疲れ様でした」
「……とても良い方ばかりだったわ」
「如何されたんですか? なんだか元気が……」
「ううん、何でもないの。夕食は軽めの物を、このお部屋でお願い出来る?」
「かしこまりました……」
はぁ……。現実を目の当たりにすると、意外に気分を削がれるのだと知った。窓の向こうに見えた二人は、本当に幸せそうに微笑んでいたのだから。恋人のいる場だと理解しているつもりでいたけど、私にも繊細な部分があったのだと思い知らされる。
「……やっぱり、この贈り物はジェーン様じゃない」
「何か仰いましたか?」
「いいえ」
ぽつりと溢れた言葉に、それなら一体誰がこんなにも……と贈り物の箱の山を見た。ソファの端に掛けた贈り物のストールだって、あの帽子も……どれも私の好みの物ばかり。これが婚約者からで、しかも自分だけを愛してくれる人からなら、どれほど嬉しいのだろう。
「ねぇ、アン。誰かに私の好みを聞かれなかった?」
「好みですか? そうですね……」
食事を準備する料理長や、庭園の庭師にも聞かれたと言うアンが、「あっ、そうそう」と思い出したように手を叩く。
「従者のフェルナンド様にも聞かれました」
「フェルナンド……?」
「はい。まだ到着して間もない頃に、お嬢様の好みや色、それに拘りも聞かれました」
「拘りまで……」
「翌日に沢山の贈り物が届いたので、婚約者様が聞いてくるよう依頼されたのだと思います」
「……そう」
「恋人がいると聞いていますが、お嬢様には放って置けない魅力がありますから。あっ、そろそろ夕食を取りに行って来ますね」
アンと私、どちらの見立てが合っているか……答え合わせをする術はないけれど。
そこに、ノックの音が響き「フェルナンドです」と声がする。何かお願いしたものがあっただろうか。アンが扉を開けると、カートを押したフェルナンドが夕食を運んできたではないか。
アンも驚きのあまり、慌てて「申し訳ございません」とカートの持ち手を支えた。
「これから厨房に行こうと……」
「今日はこちらで召し上がるのではないかと……つい身体が動いてしまいました」
その表情はいつもの軽快なフェルナンドと違って、躊躇いがある。それもそうか。さっきあんな場面を見てしまったのだから、きっと私に気を遣ってくれているんだ。
「貴方の気遣いは、素敵ね」
「……恐縮です。もしかしたら、リヴィア様が出て行ってしまわれるのではないかと……不安になりました」
「…………」
今出て行こうと、三ヶ月に出て行こうと、さして変わりないような気もするけど。それでも次期侯爵の未来を案ずる臣下にとってみれば、婚約者がいなくなられては困るのだろう。
「……出て行ったりしませんよ」
「本当ですか? 良かった」
「追い出されるまでは、ですけどね」
「じ、自分が何としてでも止めてみせます。このような状況でも己の強さを持つリヴィア様は、我々使用人の希望の星なのです」
「大袈裟よ」
「大袈裟などではありません。必ず、リヴィア様の魅力に気付く日が来るはずですから」
……魅力……か。今さら、ジェーン様に振り向いてもらえたところで、果たして私は……幸せなのかしら?




