2.それぞれの三ヶ月
「……ジェーン様の恋人がおります」
火のないところに、煙は立たない。噂は……事実だった。隣に座るアンと目も合わせられないまま、馬車は静かに目的地で止まった。
窓から見える使用人の列に「皆、リヴィア様をお待ちしておりました」と気遣う従者の言葉が、私の逃げ場を容赦なく奪った。気分の乗らない歓迎を受けて、大きな両開きの扉が開かれた。
ふわりと鼻に抜ける花の香り、日差しの入り込む大きな窓。思わず「わぁ……」と声が漏れてしまう。
「まずはお部屋にご案内します」
「……パラヴェンス侯爵夫妻は、領地ですか?」
まだ代は継がれていない。状況を把握するためにも彼のご両親に挨拶を……と思ったが、今は領主会議で地方に赴いていると説明された。
「そうですか」
「戻り次第、場を設けますので」
「分かりました」
正面に見える大きな階段を登り、左へ曲がる。そのまま突き当たりまで進んだところが私の部屋。角部屋の窓が多い明るく、統一感のある素敵なお部屋に幾分かほっとした自分がいる。
何もしなくても良いと告げられた私には、必要最低限の用意だけかもしれない……なんて思っていたから。
「早速で申し訳ありませんが、ジェーン様の待つお部屋へご案内しても宜しいでしょうか」
「大丈夫です。アン、荷解きお願いね」
扉のそばに立つアンにそう伝え、従者と共に来たばかりの部屋を後にした。
「後で当家からも一名、リヴィア様付きのメイドをご紹介します。何かあれば、いつでも自分まで仰って下さい」
「花嫁修行をしない私にメイドは必要ありません。それに……長くこちらにいれるかも……」
廊下を歩きながら、流し目で窓の向こうに視線を這わせた。恋人がいる中で婚約というだけでも驚きなのに、これで結婚とは……正直考え難い。まぁ、それも含めてこれから話しをするんでしょうけど。
「こちらです」
私の部屋は、二階左奥。対して婚約者様の部屋は、真反対に歩いてきた三階の右奥。従者がノックの音を響かせ、手招きするのに合わせて中へと一歩進んだ。机で仕事中なのか、こちらを見る事もなく「早く入れ」と一言。
コツコツと鳴るヒールの音を最小限に抑え、保たれた一定の距離で頭を下げる。
「……本日よりお世話になります」
「リディア嬢、僕には最愛の人がいる」
……敢えて触れはしないけど、挨拶もなしにいきなり本題に入った——
「だから、婚約はしたけど君は何もしなくて良い。食事は好きな場所で好きに食べてくれ。婚約期間である三ヶ月は、自由に過ごしてくれて構わない」
「……」
「それと、庭園の散策は良いが、温室には決して近付かないと約束して欲しい」
つまり、彼の言う最愛の人は、温室で暮らす……分かるだろと言わんばかりの目でこちらを見ている。
「……承知しました。体裁のためだけに、こちらへ三ヶ月お邪魔すれば宜しい、そういう事ですね」
「あぁ。但し、二ヶ月後にある王家主催の舞踏会には連名で招待状が届くから、それだけは出てくれ。話しは以上だ」
最後までこちらをちらりと見もせず、一方的に切られた会話。仕方なく踵を返し、従者の開けた扉を抜けていく。
「傷者になる私の事なんて……」
きっと、これっぽっちも考えてない——
***
小さく溜め息を溢しながら、目の前を通り過ぎるリヴィア様があまりに切ない……。従者として仕えて随分経つけど、正直ジェーン様の心の内が読めないでいる。
「ジェーン様……これで本当に宜しいのですか?」
「何が言いたい」
「その……温室にいらっしゃるルナさんはそのままに、婚約者様を同居させるのは、さすがに——」
「仕方ないだろ。そうでもしないと、ルナを側に置いて置けない。僕にはルナが必要なんだ」
「では三ヶ月の婚約期間を終えたら、婚約者様は……」
「三ヶ月でルナとの結婚を認めさせるんだ。リディア嬢との結婚など考えていないに決まってるだろ。彼女が何もしない間に、ルナが出来るところを見せれればそれで良い」
……恐らく、婚約者様は全てを悟っておられる。だから退出際に「傷者になる私の事なんて……」と溢したのか。婚約破棄などすれば、社交界の話題の中心になり、良縁はもう見込めない。それを……ジェーン様がどこまで理解してるのか。いや、そもそもルナ様しか眼中にない今の状況では、婚約者様を気遣うことなど皆無か。
「……ジェーン様がお仕事で外出の間は、私が見守役を」
「あぁ、そうしてくれ」
「それから……リディア様ではなく、リヴィア様です。次期侯爵としての最低限のマナーは、押さえた方が宜しいかと。では、失礼します」
「……っ、」
少々態度に出てしまったかな。
名前を間違える上に、侯爵夫妻から別れるよう説得されていたはずのルナさんと婚姻を結ぶため、踏み台にリヴィア様を使うとは。
婚約者様……いや、リヴィア様と馬車に同乗した時に思った事があった。温かいご両親からの「味方」という言葉、侍女の「何があっても」と言う言葉——
もしも……噂をご存知の上で、ここへ来たのだとしたら、さぞお辛かっただろう。我々使用人も、侯爵夫妻もリヴィア様を歓迎しているのに……ジェーン様から拒まれた彼女の心は、果たして居場所があるんだろうか。
とにかく、まずは少しでも平穏な日々を過ごしてもらおう。そのためには温室に近付かないよう細心の注意を払わなければ。それから……ほとんど仕事で邸内にいないジェーン様に代わり、出来る限りの望みを叶えて差し上げよう。
「三ヶ月……か」




