1.抗えない運命
どうして、婚約者になったら相手のお邸で暮らさなければいけないのでしょう。母からも、家庭教師の先生からも「嫁ぐと言うことは、何事も準備が必要」と教わった。
相手方の家格に釣り合うような花嫁修行、結婚までに把握しなければならない交友関係。きっとそういう名目で、嫁ぐ前から婚約者の下で暮らさなければいけない……。私に、その名目が不必要だということは互いに承知しているのに。だってほら、無表情で私にこう言うんだから。
「——何もしなくでくれ」
それでも私は……やっぱり婚約者のお邸に住まなければいけない。
*
時は少し遡って、二週間前の王城でのこと。
「……君が?」
「この度、ジェーン・パラヴェンス様の婚約者として王命を受けたリヴィア・セレジェイラと申します」
何故、この王命が下ったか詳しいことは何一つ教えてもらえなかったけれど、王命なのだから仕方がない。それでも、幸せな家庭を築けるよう心を開かなければ——
「君は、この結婚をどう思う」
「……どう、とは?」
「言葉のままだ」
さすが“人に関心がない“と噂されるだけあって、眼光の鋭さと冷めた空気が突き刺さる。それよりも、この方は本当に言葉のままを口にして欲しいと望んでいるんだろうか。私のことを、空気の読める女かどうか確かめているのかもしれない。
「ジェーン様の隣に立っても恥じぬ婚約者になりたいと思っています」
「……模範回答みたいだな」
微笑みを崩さないよう平静を装って、掌がじんわりと汗ばみ始めた。一体どんな回答だったらお気に召したのか。両親は、誓約書の内容確認のため別室から未だに出て来ず、婚約者となるジェーン様と二人きり。
「二週間後に婚約式をする」
「はい」
「……では、私はこれで失礼する」
「はい……え?」
騎士服のマントをひらりと靡かせて、颯爽と扉から出て行ってしまった。まだ互いの両親が戻ってくる前だと言うのに、部屋に一人残された私は……この後の展開が大いに予想出来てしまう。
「お帰りなさいませ。如何でしたか?」
自室に戻るなり、柔らかな笑みを浮かべながら今か今かと詰め寄る侍女のアンが、するりとストールを外してくれる。
「部屋に一人残されて、両親に驚かれたわ」
「お嬢様を一人残して帰ってしまわれたのですか!?」
「えぇ。一人で紅茶を飲んでたら、向こうのご両親からは謝られ、私の両親は苦笑いしてたわ」
「努力してどうにかなるのでしょうか……」
コルセットを外して、ゆっくり息を吐いた。
「……噂話は、本当かもしれないわ」
「まさか……ご本人から?」
「そう言う訳じゃないけど、何となく。女の勘ね」
あの方には、社交界に根付く噂話がある。
「でも、パラヴェンス侯爵がこの婚約話をわざわざ王家に懇願されたからには、既に縁遠くなっているんじゃ……」
「次期侯爵には身分違いの恋人がいるなんて、外聞が悪いからでしょう。さっき、この婚約をどう思うか聞かれたわ」
「な、なんて仰ったんですか?」
「ちゃんと空気は読んだわよ。本当は「好きな人と一緒になるのが一番かと」って、言ってあげたかったけど」
同じ質問を返してあげれば良かったかもしれない。そしたら、真相も聞けたのに。
「とにかく、二週間後に婚約式があるんですって。それまでに、あの方も覚悟を決めるんじゃないかしら。もしくは……愛人にするか」
「お嬢様……」
別に結婚に夢を抱いたことはないし、貴族に生まれた身として我儘を言うつもりもないから、流れに身を委ねるだけ。それが例え、辛く悲しいものになったとしても、運命に争う事は出来ないと知っている。
お父様だって社交界の噂くらい知ってるはずだし、話し合いからなかなか出て来なかったのも、それが原因かもしれない。
それでも……幸せになれたら——
そうして、二週間後の今日。
荘厳な教会の一室で、両家の両親と王家から派遣された官僚の一人が立ち会う中、静かに婚約が成立した。
「明日の朝、そちらに迎えが行く」
「分かりました」
「それから……」
何を躊躇ったのか、後に続く言葉を考えるようにほんの一瞬だけ表情を強張らせた婚約者様が、キッとこちらを見た。
「それから、君は何もしなくて良い。邸で自由に過ごして構わないが、何もしないでくれ」
「何も……とは、花嫁修行でしょうか」
「そうだ。実務は僕と僕の従者がするし、令嬢同士の茶会も必要ない。王家主催のもの以外は、夜会も僕が一人で参加するから」
あっという間に出来上がった分厚い壁の向こうから一方的に矢が飛んできたようで、ぽかんと口を開けてしまう。
「……花嫁修行もないのに、婚約者としてそちらのお邸に行かねばならないのですか?」
「体裁は必要だ。婚約した身で実家にいるなど、可笑しな話しだろう」
婚約しても、何も施してもらえない方が余程可笑しな話しだと感じるのが私だけじゃないことを祈りたい。暖かくなったばかりだと言うのに、二人で歩く教会の中庭は、今にも雪が降りそうなほど冷たい空気が流れている気がする。
「……そうですね。噂話は、あっという間に広がりますものね」
「分かってるなら、それで良い」
私の渾身の皮肉は、あっさりと流され「では、明日」と背中を向けた彼は、振り返りもせず馬車に乗り込んでしまった。
運命に抗えない、そう理解する心で溜め息を溢してしまう。幸せな仲睦まじい夫婦になるには、この、あまりに分厚く高い壁を登らねばならないと分かっているから。
「……愛も知らぬまま死んでいくのね」
ぽつりと出た言葉に、思わず乾いた笑いが溢れた。きっと今頃、アンが荷物の最終確認に追われ、厨房では最後の晩餐が着々と進められているはず。
いつか誰かが言ってた。
"子育てのゴールは、良い伴侶と結婚すること"
……両親にとって、私は良い子でいられたのかな。両親にとって、自慢の娘でいれるのかな。幸せになるって……案外難しい。
*
翌朝、約束通りパラヴェンス侯爵家の家紋があしらわれた馬車が二台やってきた。玄関先にまとめた荷物の側にアンが立ち、私と両親が並ぶ前に、先頭の馬車が止まった。
すっと開いた扉から出てきたのは、婚約者様とはまた違ったオーラを放つ洗練された立ち振る舞いの男性。あの眼光鋭い婚約者様とは対照的に、柔らかな雰囲気で私を見るなり微笑んだ。
「リヴィア様、ですね?」
「……はい」
「お迎えに上がりました。ジェーン様の従者を務めるフェルナンドと申します。お荷物は後ろの馬車に積み込んで宜しいでしょうか」
「え、えぇ……」
アンと共に後続の馬車は荷物を積み込んで、ぱたりと扉を締めた後、最小限の荷物だけを持ったアンが「お待たせしました」と隣に並んだ。これでいよいよ本当に、我が家とお別れの時がやってきてしまった。
「お父様、お母様……行って参ります」
「今度はきっと大丈夫よ。私たちは、いつでも貴女の味方よ」
お母様がそっと抱きしめてくれる向こうに、目に涙を溜めるお父様の姿。余計に目頭が熱くなった。
「さぁ、こちらへどうぞ」
がちゃりと従者の方が扉を締め、馬の蹄が徐々にリズム良く駆け出すまで、窓から両親に手を振り続けた。親不孝な娘にはなりたくない……そう思いながらハンカチで涙を拭った。
「素敵なご両親ですね」
ピンと伸びた背筋の従者が私を慰めようとしているのか、柔らかい口調でそう言った。
「……えぇ」
私の落ち込んだ様子を心配したアンがそっと手を握って「何があっても、私がお支えします」と寄り添ってくれる。今の私にとって、もしかしたら一番励みになる言葉かもしれない。
「……まもなく到着します。荷物は私どもにお任せ下さい」
「ありがとうございます」
「本日ジェーン様は、お仕事を休んでお邸にいらっしゃいますので、後ほどお部屋へご案内します」
「婚約者様のお仕事って……」
「第三騎士団団長を務めておいでです。戦争がないとは言え、忙しい方です」
「そうですか……」
「それと一つだけ、先にお伝えしなければいけない事がございます」
先程までの柔らか雰囲気が消え、何とも申し訳なさそうに視線を落とした。
「庭園にあります温室には近付かないようにと……」
「理由をお伺いしても?」
従者は、言葉を探すように視線を泳がせた。
「……ジェーン様の恋人がおります」




