第25話 それぞれの竜の思い
魔法陣の竜紋の辺りを眺めていたアグライアスだったが、その目には真剣な光が灯りだした。
「これは……現在のわたくし達が使う魔法よりも相当古いですね。
しかし読めなくはないです。
『全ての貴石の素たる種結晶よ、我が命に従い一分の隙もなき至純の結晶を紡げ』 」
彼の詠唱でその部分の竜紋が淡く光り、浮き上がる。
「こちらは『我が術を減速する事なく四方へと遍く広げ』」
今度は別の部分の竜紋が光った。更に他の竜紋を見る。
「ああ……こちらの竜紋は直に方程式になっています」
アグライアスが上から指でなぞるようにしながら言った。
「何に関する方程式か分かるだろうか」
ヴェイルが聞く。
「先程の詠唱の具体的な式です。
先代の大精霊が自然界の法則に則り本能的にそのまま描いておられたのでしょうが、現代風に解釈しますと……
そうですね、『球座標系で記述された非線形波動方程式』が一番近いかと思われます」
「なるほどな。それならこのまま、見たままで流用出来る部分だ。
逆式再生の魔法もこの星全てに巡らせるものだから」
「ならば私が描き出そう」
リナリアが手を挙げて竜紋をなぞり、別の場所に同じものを描き出してみせた。
「ありがとうございます。この竜紋は解読完了扱いでいいですね」
ヴェイルが安堵の表情を浮かべる。
〔球座標系で記述された非線形波動方程式。
星表面の緯度経度全方向に向けて放つ魔力波の挙動指定ですか……
ヴェイルはよくその場で何の式か理解出来ますね。
オレは少し時間が掛かりました〕
〔ヴェイルだからな。それより、あの精霊竜も学者か何かか?
理論物理学の範囲だ。流石は最高位竜だな〕
〔……確かに、口だけではありませんね〕
パトラクトラの言葉に、苦々しい表情をしながらもリュークも同意した。
やがて全ての不明だった部分の竜紋の解読が終わった。
仕事を終えたアグライアスが得意げにパトラクトラの元に来る。
「いかがですか。わたくしは使える男でしょう?
お美しい方、どうかわたくしの伴侶になってはいただけませんか?」
彼はそう言い、彼女に向けて手を差し伸べる。
パトラクトラは薔薇のような美貌を振り撒いて言った。
〔ありがとう。しかし私には世界で一番愛している者がいるのだよ。
今は石となり遠くに留まり、国を守りながら私の帰りを待っている。
彼がただ一人の私の王なのだ〕
「なんと」
アグライアスが驚きの表情をした。
〔流石です、パトラクトラ様。
そんな奴に絆されるような方ではありませんもんね〕
「当然ですよね、母上」
後ろでリュークとヴェイルがホッとして言う。
けれどもアグライアスは尚も歩み寄る。
「しかし所詮はエルフの子孫、長生きは出来ないでしょう。
あなたの王が亡き後、この身をあなたの御許に置く事をお許しいただけますか?」
〔その頃には恐らく私も老婆だが……〕
「構いません! あなたの全てが愛おしいのです!」
〔そうか、なら考えておく。なんとも変わった竜だな〕
とうとう彼女はくすくすと品良く笑いだした。
〔パトラクトラ様、その様なお戯れを……
伯父上様のお耳に入ったらどうなさるのですか〕
今度はリュークが困って言う。
「母上……いや、父上が亡くなった後なら……しかしそれでは俺がこの者の息子という事に?」
ヴェイルが真剣な顔で小声で呟いた。
〔ヴェイル。お前はなんでそこまで飛躍して考えるんだ。
もう少し『人の冗談』ってのを覚えた方がいいぞ?〕
リュークがそう言い、彼の顔を呆れた様子で眺めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その夜、双月が優しい光を帯びて夜空に昇る頃の事だった。
衛竜——ヴィスニクスは精霊族の国の、霊山の山肌の横穴に静かに座っていた。
作られた機巧の全身からは、淡く細かい光が湯気のように立ち昇っている。
彼は静かに目を瞑っていたが、やがて開き、ふと双月を見上げた。
そこへ、巨大な半透明の翼を羽ばたかせた人間が不意に舞い昇ってきた。
驚く竜の目の前で、バサリというよりはシャラリと涼やかな音をさせ、滞空する。
「やあ、こんばんは。
隣に座っていいかな?」
それは背中に魔法の鋼玉の翼を生やしたヴェイルだった。
[お前は……例のエルフの子か]
「うん。少し話に来た」
彼が器用に翼を畳みながら、ヴィスニクスの隣に座る。
[お前、飛べたのか。
それに今日は防御紋様の服を着ていないようだが……」
「そう。今日は前に飛翔魔法を使った時に背中を破いてしまった服を着てる。
どうせ穴が空いたから飛翔用にした」
[あの服を着ていないと、我に魔法を掛けられたら石になってしまうのではないか]
「ふふ。お前は大精霊の命令がない限り、もうそんな事はしないよ」
ヴェイルは笑ってヴィスニクスを見た。
「お前の魔法陣の解読が終わった。
もうすぐ逆式再生魔法陣が編める。
もう少しでみんなを人間に戻せるんだ」
[それは良かったな]
彼は竜から漏れ出す光を目で追う。
「その光は? 力が漏れているのか?」
[そうだ。我はこの国の力を吸収し続けている。
しかし最大値まで溜め込んでおけるのは数日間だ。日が過ぎるとこうやって少しずつ漏れて行ってしまう]
「それなら早く魔法を完成させないと国がますます弱ってしまうね。
……でも、お前は消えてしまう事になるけれど……」
[……うむ]
ヴィスニクスは俯いた。
ヴェイルはその体を眺める。
先代の大精霊が魔法で作り出したという機巧の竜だ。
金属とも鉱物とも分からない不思議な光り方で月光を反射している。
「先代の大精霊はとても美しい魔法でお前を作ったってリナリア様が言っていた。
確かに美しいね」
[……褒めてもらえるのは嬉しいが、我は厄災だからな]
「それはお前のせいじゃないよ」
[そうかも知れないが……]
「リナリア様も言っていたじゃないか。
製造時に欠陥があったって……」
[リナリア……大精霊か。あの子も大きくなった]
「彼女の小さい頃を覚えているようだね。記憶が全部戻ったのかな」
[ああ。ここに帰って来て全てを思い出した]
「……辛かっただろうね」
[うむ……]
二人は暫く黙った。
そうしてどちらからともなく、空に浮かぶ双月を見上げる。
[……エルフの王よ、死ぬと魂はどこへ行くのか知っているか?]
不意にヴィスニクスが聞いた。
「うん……この星に生きた魂なら、あの双月、ミタリアっていうんだけどね、その間にある暗夜空間ルムンガーダって所に行き着くんだって、鬼族の遺跡に書いてあった」
[ルムンガーダ]
「そこで暫く過ごしたら、魂はいつの日にかまたこの星の何かの生物に、命として宿るらしい」
竜はヴェイルを見て言った。
[そうなのか。では、もうそこには先代の大精霊はいないのか?
生まれ変わってしまっているのか?]
「それは俺には分からない」
[……そうか。しかしきっと、会うことは叶わぬのだろうな]
ヴィスニクスは呟いて顔を逸らした。
[エルフの王よ]
「ん?」
[我のように、造られた命では魂はその地には行けないのだろうか……]
竜は物憂げにまた双月を見上げる。
「そんな事はない」
ヴェイルがふと首を傾げて答えた。
月がどこまでも優しく輝いている元で、続けて言う。
「お前も間違いなくあそこに行けるよ。
先代の大精霊が、心を込めて作り上げた竜に宿った魂なんだからね」
ヴィスニクスは驚いた様子で彼を見た。
淡く輝く自身の身体の光を受けて、儚くひと夜に咲く花のように浮かび上がったヴェイルの笑顔が、機巧の竜の網膜に忘れ難い記録のように焼き付いていった。




